案内役への(遅すぎた)謝罪
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カバンの中からお弁当箱を取り出す。今日は多分、甘めの卵焼きが入っているはずだと予想しながら。すると教室の窓際から、「鈴、早くー」と莉紅の声。日課となった三人で食べるお弁当。葉月は今日も購買でパンを買ってきたらしい。
―「そーだ! 聞いて聞いて」
―「どうしたの?」
―「こないだ初合わせしたパートにね、超カッコイイ先輩がいたの!」
―「へぇー、何の楽器?」
―「コントラバス!」
相変わらずのテンションで語る莉紅は、その先輩のことを思い出しているのか、表情だけはうっとりとさせている。葉月は「良かったねぇ、目の保養できるじゃん」と無難なコメント。
―「てゆーかテニ部こそ出会いあるでしょ? コート隣なんじゃないの?」
―「うーん……いるにはいるんだけど、うちのテニス部、変なジンクスあって」
―「ジンクス?」
―「男テニと女テニで付き合うと、一年以内に必ず破局するとかなんとか」
―「えぇーっ!? 何ソレ地獄じゃん!!」
―「さすがに地獄じゃないけど、そういうの聞いちゃうと怖いよねぇ。カッコイイ人見つけても、話しかけようとは思えなくなるかなぁ」
葉月のテニス部事情を聞いて、「もったいなーい!」と軽く机を叩く莉紅。が、ふとこちらを見て、問いかけてきた。
―「そう言えば鈴、好きな人できたんだよね?」
―「へっ? な、何で急に……どこ情報!?」
―「どこって……自分で言ってたじゃん。変なの」
―「い、言ってない! 言ってないよ!」
―「あれっ? 私も聞いたと思ったんだけど……」
莉紅だけじゃない。葉月まで何を言い出すのだ。そんな報告した覚えも、むしろ好きな人が出来た覚えもないのに。
混乱しながら弁解しようとした、その時。
―「教えてあげるよ」
背筋を凍らせる人物の声が頭の中に響き、同時に、目の前で和やかにお昼を食べている莉紅と葉月の動きが止まる。静止画のようであり、モノクロ写真のようであった。
―「ボクへの嫌悪の理由は、アイツへの好意だ」
違う、違う、違う……! その感情は、認めたくない感情だ。私は、彼のことを好きになってはいけないんだ。だから一時の気の迷い、ピンチが多かったから吊り橋効果みたいなものだ。あり得ない。誰にも言えない。
―「キミは、あの猫に……恋してるんだろう?」
やめて、やめて。耐えられない。見ないフリができなくなってしまう。確かに、いっぱい助けてもらったけど、いつだって傍にいてくれたけど、しょっちゅうドキドキさせられてたけど……。分かってるつもりなの。持つべき気持ちは「感謝」であって、「恋愛感情」じゃないって。
耳を塞いでも脳内でループする、ハンプティの声。胸の奥がかき乱されて、泣いてしまいそう。誰か、誰か助けて……この思考を、この感情を、この夢を、終わらせて!!
「…………アリス嬢、アリス嬢!」
塞いだ耳の外側から、必死に呼ぶ声が聞こえてきた。引っ張られるように目を開けると、自分の呼吸がひどく乱れていることが分かった。そして、そんな自分を覗き込む、伯爵とジャックの心配そうな顔。
「大丈夫か、嬢ちゃん……うなされてたけどよ」
「悪い夢でも見てしまったかな」
ここは、何処だろう。ジャックがいるということは、地下森林・マーリンの隠居庵のようだが。深呼吸を一つしてから、アリスは体を起こす。
「大丈夫です、ご心配かけてすみません……。変な夢、見てました」
莉紅と葉月に恋バナをする夢だなんて、相当疲れているか、元の世界を懐かしく思ってるようだ。早く帰らなくては……そのために、確かフランケンに会わなくちゃいけなくて……――
ここまで考えたアリスは、ハッとした。
「あ、あの! ジャックさん、今、何時ですか!? 私、どれくらい眠って……」
「落ち着けって嬢ちゃん! まだ陽も昇ってねぇよ」
「えっ?」
目を丸くしたアリスをなだめるように、伯爵が頭を撫でる。
「オズの屋敷から飛び立ってすぐ、アリス嬢は気を失ってしまってね。よほど疲れていたのだろう。それと、眠りに落ちる直前、『キノコの森』と言いかけた。だから私はこの場所に君を連れてきた。結果、ジャック君に出会えたのだが」
「……そうなんですね……伯爵、あの、ありがとうございます。ここにまた戻って来れたのは、伯爵のおかげです」
アリスが落ち着いた様子で礼を言ったので、伯爵は「私もあの屋敷には居たくなかったからね」と微笑んだ。と、ここでジャックが真剣な表情で、だがどこか後ろめたそうに話を切り出した。
「あのな、嬢ちゃん……二つ、伝えておかなくちゃいけないことがあるんだ」
「何でしょうか?」
首を傾げるアリス。ほんの少し嫌な予感がしたのは、きっと気のせいではないのだろう。悪いニュースが来る覚悟をしてから、ジャックを真直ぐ見つめ直す。アリスの視線を受け取ったジャックは、羽織っていたローブの襟元をギュッと握りしめ、口を開いた。
「これ、師匠からもらったんだ」
「マーリンさんから? それって……」
「俺の回復を早めるために、師匠は……全部の魔力を、俺に託した」
息を呑むことも出来なかった、俯いたまま強くローブを握るジャックの姿に、胸がしめつけられる。あのマーリンが、感情に流されて動いたりはしないであろう大魔法使いが、自らの命を差し出してジャックを回復させたのだ。待つ時間も惜しかったに違いない。けれどせめて、お礼とお別れを言わせてほしかった。それは、ジャックも同じなのだろうが。
「師匠の意図した通り、俺はワラキアに移動してチェシャ猫を連れ帰って来た」
「チェシャ……チェシャは! 無事なんですか!? 私、何も出来なくてっ……」
「アリス嬢、落ち着いて」
伯爵に優しく手を握られ、アリスは深呼吸をする。それでも不安は消えず、震える手。
「俺が着いた時には怪我が相当酷くてな……連れ帰ったはいいが、記録魔法での治癒は出来ない状態だった。手は尽くしたんだが、あとは、アイツ自身での回復を祈るしか……」
「そんな……」
自分がもっと早く、ハンプティとの駆け引きを完結できていたら。ハンプティの拘束から逃れる技術を習得できていたら。押し寄せてくる数々の無駄な後悔を払い除けたくて、アリスは言った。
「……会わせてください。チェシャは、何処ですか?」
「構わねぇが……嬢ちゃん、具合は良いのか?」
「私はその、ストレスと睡眠不足だったので、もう平気です」
「そっか、分かった。2階の部屋だ」
ベッドから立ち上がる前に、もう一度だけ深呼吸をした。どんな光景があったって、受け止めなくては。自分が招いた結果なのだから。
けれどアリスはどこかで、ジャックの「手は尽くした」という言葉に期待していた。もしかしたら、外傷はひどくないかも知れない。朝には目を覚ましてくれるかも知れない……無意識のうちに抱いていたそれらの希望は、部屋の入口にかかるカーテンをくぐった瞬間、粉々に砕け散った。
「…………チェシャ、」
アリスの前で、ベッドに横たわるチェシャ猫は、ワラキア古城近くの森で重傷負った姿、そのままだった。ガーゼや包帯で止血処置を施されてはいるが、これではまるで、横たわる場所が地面からベッドの上に変わっただけ。目覚めるどころか、指をピクリとも動かす気配すらない。
あまりのショックに足を止めざるをえないアリスに、ジャックは告げる。
「記録魔法ってのは、塗り重ねることができねぇんだ。チェシャ猫はこの大怪我を負う前に、大きな傷を師匠に治してもらってたみたいでよ……俺の記録魔法を、受け付けなかった」
「すまない……それは、暴走状態だった私が負わせた傷だろう」
確かに、チェシャ猫は伯爵との戦闘で夥しい出血をしていた。だがワラキアの古城にアリスを迎えに来た時には、マーリンによって治されていた。
「その、もっと前には、戻せないんですか……?」
チェシャ猫の手に触れる。いつもの温もりより弱く感じた。
「魔力の性質上、上書きされる前には戻せねぇ……悪ぃ、力になれなくて……」
「いいえ……私のせいです」
たった一言の自責を、絞り出す。目を開けてと願いながら握る手は、握り返すことも無い。
「お願いが、あります」
自分の声が上ずっているのが分かった。ジャックと伯爵は、静かにアリスの次の言葉を待つ。
「少し、外してください」
「嬢ちゃん、これ以上は……」
「了解した。我々は居間に戻っているよ」
ジャックに被せて答えた伯爵に、「ありがとうございます」と軽く頭を下げる。涙は、もう零れるばかりのところまで込み上げてきていた。
ふと壁時計に目をやる。午前4時を回ろうとしていた。
「……ごめんね」
握り返されないと知りつつ、チェシャ猫の手を握り直す。こんなことになるなんて思ってなかった、そう言ってしまうのは簡単だ。けれど、そんな安易な言葉で逃げたくなかった。元々彼は、「案内役」として一緒にいるはずなのに、どうして怪我をしているのか。答えは簡単だ、アリス自身が弱いから。こと戦闘や攻撃回避において、技術も能力もゼロに等しく、全く役に立たないからである。かつて伯爵は、「それでいい」「そのような(物理的な)強さは必要ない」と言ってくれた。だが、もう甘いことは考えてられない。
「チェシャ……本当にごめんね……。専門外のこと、たくさんさせちゃって」
文句を言いながら、助けてくれていた。アリスの不安を吹き飛ばしてくれるのは、いつだってチェシャ猫だった。嫌がらせと憎まれ口ばかりの変わり者だけど、この世界でアリスを支えてくれる、一番大きな存在。
だから、認めようと思う。目を逸らすのも、気付かないフリをするのも、自分に嘘をつくのも、バカバカしくなった。
「私、ノザンに行ってくる。フランケンに会って、ちゃんと考えて、帰る条件を見つける」
叶わなくていい。面と向かって伝えるつもりもないし、必要もない。これは、自己満足だ。受け入れるって決めて、覚悟をして、けじめをつけたいと思っただけ。
「ゆっくり休んでてね、チェシャ。…………大好き」
握り直した彼の手は、やっぱり少しひんやりしていた。




