六桁の番号(4)
ウムトは思っていたよりも長居してしまったような気がして椅子から立ち、鞄を手に取った。
「サラにとって祈りは特別な意味があった、一般的な祈りとはまた違った意味が。上手くいくことを願ってる・・・」ブシュラの声の中にある願いは今にも消えてしまいそうだった。
「僕も上手くいくことを願っています。また来ます」と言い残してウムトはアトリエから出た。メモに記されたアパートに行って、何も見つけられなければ、そこで手掛かりが途絶えてしまう可能性も十分にあった。
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「アフメド医師、少しいいですか?」エムレ医師がいつの間にか後ろにいた。今日の手術は決して簡単ではなかったが、そんな状況でどう振る舞えるか、医師の力量が試されるものだった。診断で全てが分かることはなく、今日の手術はその最たる例だった。患者の胸を開いて、本当はどのような状態なのかを知ることになった。
アフメドは驚きを見せることは一切なく、手術のプランをその場で適切に変更して、確実に新しいプランに沿って手術を進めていった。その姿はこうなることを事前に知っていたかのようにエムレ医師の目には映った。
「予め分かっていたんですか?」「もちろん知らない。ただ昔にも似たようなことがあったんだよ。だから診断の時点で、頭の片隅にはその可能性がちらついてた。あらゆる可能性を考えて、頭の中でシュミレーションすることがどれほど重要かを身を持って学んだんじゃないか?」「それじゃ、知りながら言わなかったんですか?」「全ての可能性を伝えるわけにはいかないだろ?」
なぜそう考えることができたのか?それと具体的な対処方法について説明すると、エムレ医師は納得したような顔で仕事に戻っていた。
アフメドも迷うことなくカセットプレイヤーがある部屋に向かった。部屋のカーテンを閉めて、照明も落とした。薄暗く静かな空間を完成させると、再生ボタンを押した。水の中に沈み込むようにソファーに横になった瞬間、アフメドの身体がソファーに沈みこむと、入れ替わるように埃が宙を舞った。
上下左右、どこに扉があるのか分からなくなるような夢遊感がアフメドを襲った。フォーレの音楽はアフメドの耳の届いていただろうか?そのソファーは長きに渡ってアフメドの疲れや不満を飲み込んでいた。
患者を救うことで医師としての自信を満たし、アフメドに今でも手紙をくれる患者もいた。その手紙はアフメドにとって大切なものだったし、患者を救うことで自分自身も救われているような気がしていた。実際に救われていたのだろう、特にサラを失ってからは。
全ての患者を救えるわけではなかった。辛いことだが、どれだけ手術が上手くいっても、感染症や合併症によって命を落とす患者がいるのは事実だった。医師は決して神ではないとはっきりと感じさせられると同時に、自分自身の無力さを目の前に突きつけられるようだった。
死者が蘇ることはない、この当たり前の事実を心のどこかで信じていなかった、もしくは信じたくなかった。
難しい手術を成功させたことは一度ではなかったし、救うことが難しいとされる患者を幾度となく救ってきた。運や、患者自身の頑張りもあったが、これらの経験がアフメドに与えてはいけないものを授けていたかもしれない。
濃い霧の中でどこに向かって歩いているのか分からなくなるような感覚はある手放すことのできない考えと深く繋がっていた。




