物理現象!?♪
昼休みの喧騒に包まれた教室。アタイは窓際の席に、九十八キロの肉体をずっしりと預けていた。
目の前には、ルチアが「シルヴィアちゃんに元気になってほしいから!」と持参した、低糖質だがバターの香りが芳醇なクッキー。そして、アタイの喉を潤す、冷え切った真っ黒な炭酸水。
「……ふう。やっぱり、冷たくて鋭い刺激は、頭を回すための特効薬だわ」
アタイが優雅に(本人はそのつもりだ)クッキーを咀嚼していると、教室内が嫌な色に染まり始めた。
取り巻きを引き連れ、香水の霧を振りまきながら進軍してくるのは、クラスの自称・美の女王、ベアトリクスだ。
「まあ! シルヴィア、あなた。朝から清潔ぶって、今日は随分とお澄まし顔じゃない。ドブ板のようなスコアを晒していた『ゴブリンおばさん』が、少し泥を落とした程度で人間になれると思っているのかしら?」
ベアトリクスの取り巻きたちがクスクスと下品に笑う。
ルチアが「ひどいよ、ベアトリクス!」と立ち上がろうとしたが、アタイはそれを肉厚な掌で優しく制した。
「……いいのよ、ルチア。せっかくの美味しいクッキーが、怒りで味がボケてしまうわ。今はただ、見ていなさい」
アタイはベアトリクスを睨みつけることすらせず、炭酸水のボトルを窓枠の「ある一点」――学園の魔力換気ダクトが集中し、建物の振動が最も収束する共鳴点――に、ことりと置いた。
「あら、ベアトリクス。……そのお顔、今日は一段と素晴らしいわね」
アタイは視線をクッキーに落としたまま、慈愛に満ちた、しかし冷徹な皮覚を込めた声で言った。
「もしかして、あの最高級魔道具コスメ!?香油!?重ね塗りの技術も実に見事……。ええ、本当に。今のあなたには、これ以上なく『お似合い』ですわ」
ベアトリクスは一瞬面食らったようだが、すぐに勝ち誇った笑みを浮かべた。
「あら、おデブのくせに目利きだけは良いのね。そうよ、これ一つで下民の一年分の生活費が飛ぶ最高級品よ。私のような選ばれた美しさにしか、この魔力の輝きは使いこなせないの。貴様のような汚物には一生、縁のない代物だわ!」
「ええ、本当に。あまりに繊細で、(もろい魔力構造ですものね)……」
アタイの指先が、ボトルのキャップを「トントン」と、一定のリズムで叩き始めた。
アタイが叩く微細な振動に魔力乗せて、窓枠を伝わり、建物の構造を抜けて、離れた場所に立つベアトリクスの付近の空気を細かく震わせる。
人間の耳には聞こえない、しかし「虚飾の涙」を構成する不安定な魔力粒子を根底から揺さぶる「不協和音」。
「何かしら、この音……? 耳の奥がキーンとするわ……。――っ、あ、熱い!? 顔が、顔が熱いわ!」
瞬間、劇的な崩壊が始まった。
ベアトリクスの「完璧な美貌」が、まるで熱した飴細工のようにドロリと溶け出したのだ。
純白の粉が斑に剥がれ落ち、下から現れたのは、過度な魔道具使用による副作用で赤黒く腫れ上がった、見るに耐えない素肌だった。
「ひっ、ひぃぃぃ!? ベアトリクス様、お顔が!」
「嫌ぁぁぁ! 溶けてる! 顔が溶けてるわぁぁぁ!!」
教室中に悲鳴が響き渡る。
ベアトリクスは必死に両手で顔を隠そうとしたが、指の間から黒い魔力の澱みが泥のようになって溢れ出す。
「見ないで! 見ないでぇぇ!! 嘘よ、これは私の顔じゃない――なにかの呪いよ!」
アタイは遠く離れた席から、ようやくベアトリクスに視線を向けた。その目は、獲物を憐れむような冷淡な光を宿している。
「中身の伴わない偽物は、実にもろいものですわね。お可哀想に。せっかくの『お似合いの顔』が台無しだわ」
「この……! この不潔な肉塊がぁぁぁ!!」
羞恥と屈辱に耐えきれなくなったベアトリクスは、醜い素肌を晒しながら、泣き叫んで教室を飛び出していった。
静まり返った教室に、炭酸水の泡が弾ける音だけが響く。
「……プハッ。炭酸が効くわね」
アタイは飲み干したボトルの喉越しを楽しみ、豪快に一息ついた。
隣で口をあんぐりと開けて固まっているルチアの頭を、アタイはポムポムと優しく撫でる。
「……シ、シルヴィアちゃん。今、何が起きたの……? ベアトリクスの化粧が……」
「ただの物理現象じゃないかしら!?♪」
すると、少し離れたところで事の鎮末を黙って見ていたレイヴェルが、苦笑いしながら近づいてきた。
彼はアタイの空になったボトルのラベルをちらりと見て、感心したように呟く。
「……何かしたなら恐ろしい女だ」
「あら。やっていませんわ!それに最高の紳士を誇る風紀委員長様が、淑女に対して『恐ろしい』なんて。マナーがなっていないわね、レイヴェル」
アタイはわざとらしく扇子(の代わりのノート)で口元を隠し、三重あごを震わせて高らかに笑った。
「ふふ……ふふふっ。さて、次はどの不敬な『歪み』を正してやろうかしら」
虚飾の仮面を剥がしたのは、反逆という名の巨大な術式の、ほんの一行目に過ぎない。
アタイ――妾、元女帝イザベラは、かつての知略と現代のこの「重すぎる蓄え」を武器に、捏造された歴史そのものを書き換える決意を新たにする。
窓から差し込む陽光が、アタイの油ぎった髪を、まるで黄金の冠のように照らしていた。




