ツヴァイの希望
死なないよう最低限の食事に、水浴びすら出来ず不潔な体。体は痩せ細り売れるより先に衰弱死するはめになりそうだ。
それならそれで、魔族の奴隷として死ぬまで働かせるよりはましかもしれない。
死を待ちながら、今日もクズ野菜のスープとロールパン1つを食べる。
何度か売るために檻を出されたが、おれが売れることはない。魔族と治癒魔法は相性が悪いのだから当然の結果だ。
そろそろお迎えも近そうだ。それぐらい月日がたった頃、とうとう売れる日が来た。
黒髪の同い年くらいの少年だった。
魔族の少年が人間の奴隷を買うなんて 、嫌な予感しかしない。そう思っていたが、買われて魔族の振りをした人間だと聞かされた。
人間がなぜ魔界にいるのか。
驚きが隠せないが気付いたら魔界にいたと言うのだから、詳しく聞いてもわからないだろう。
絵本で語り継がれるような伝説の世界樹の聖域で暮らす生活が始まった。やることは家政夫だから、今までの暮らしと変わらない。むしろ3人分と少ないだけ楽になった。
ヨシュア君は今まで何を食べて過ごしていたのか、俺が料理を作るとなんでも美味しいと喜ぶ。
絵本で読んだ虹の鳥と遭遇したときは幻かと思ったが、ヨシュア君が親しげに会話し魚を受け取ってるのを見て、とんでもない大物に買われたと思った。
気付いたら魔界の毒沼にいて、聖域に居着き幻の鳥と打ち解けるなんてどんな精神力をしてるのだろう。
しかも自分で家を建てたと言うし、温泉も掘り当てるし、本当に人間なんだろうか。
家事をして欲しいと言われたから奴隷ならば朝昼夜と一日三回と軽食の用意、それから洗濯と掃除ぐらいは最低限の仕事だろうと色々作っていたらお昼にサンドイッチを渡せば大喜びし、木の実のクッキーもどきを作れば「これが……文明……」と謎の呟きをする。
こんな楽な生活は今まで生きてきて初めてだった。むしろ手持ち無沙汰なほどだ。
聖域から逃げようなんて思いもしない。やがて奴隷から解放してくれた。ヨシュア君はお人好しにも程があるんじゃないだろうか。
そして、聖女がなぜ奴隷になったのかわからないが、新しい住人として迎えた奴隷に聖女と思われる子がいると伝えると「本人が話さないかぎりそっとしておこう」と言う。普通の女の子として暮らす方がいいと言う。
『普通の暮らし』
それは国王の隠し子となった俺や、聖女にされた女の子にはどれ程価値のあるものか。
自分を利用しようとする周りを、こちらも利用するために距離を保つ。
信頼関係なんてない。
お互いに利用するだけの関係しか構築できない。
それはなんて殺伐とした、味気のない人間関係だろうか。
ヨシュア君やここの住人は俺が国王の隠し子だなんて知らない。教会で働く普通の人として接してくれる。
相手の思惑なんて考える必要のない人間関係は、こんなにも軽く心地いいものなのか。
アイリスが自分の『聖女』としての使命について苦しみもがいていたとき、自分から言うことはないと思っていたが自然と自分が国王の隠し子であることを打ち明けていた。
『国王の隠し子』と『聖女』。自分は自分でしかないのに、周りの思惑に勝手に巻き込まれる。仲間意識があったのかもしれない。
今まで自分を苦しめてきたことを、こんなにも軽く話してしまえるとは。
ヨシュア君とも本来は奴隷とご主人様なのに、くだけた口調で男友達と言っていいくらい親しくなった。
友達と、信頼できる大人と、慕ってくれる女の子。まるで楽園だ。
聖域で出来ることの規模が増え、ヨシュア君が起業すると言い出したときは楽園から急に現実へ引き戻された気がした。
今まで人間だけでのんびり暮らしていたのが、納税のために会社を設立するという。
魔族の社会の仕組みがここまで規律的だとは思っていなかった。しかし、目をつけられたなら仕方ない。魔族の街へ行けなくなるのは困る。
起業のために魔力結晶を失った女の子をこの聖域に迎えたいと言い出したときはとんでもないバカだと思った。考えるまでもなく危険だ。
魔力結晶を失い、魔界では長生きできない体を哀れむヨシュア君は底抜けのお人好しだ。
そんなヨシュア君だから、こんな聖域に出来たんだろう。
ここはヨシュア君が作り上げた楽園だ。ヨシュの好きにすればいい。もし何かあれば人間界へ逃げよう。
そう決めて魔族の女の子を迎えることにした。
俺個人としては女の子とはあまり関わらず、距離を置いておこうと決めて。
そして迎えた魔族の女の子、メル。
乳白色の立派な角が、もとはエメラルド色の魔力結晶だったらしい。
エメラルド色は王族の血を引く証明。
それは魔族も同じ特徴だ。
人間は瞳の色として現れ、魔族は魔力結晶の色として現れる王族の証。
つまり、メルは魔族の幹部の子なんかじゃない。
メルは魔王の娘だ。




