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「おはよう」

「おはよう」



 低く優しいその声に、キトはゆっくりと目を覚ました。

 まだはっきりとしない意識の中で、こちらを見下ろすアレンの姿が見える。ああそうか、アレンの家に泊まったんだと思い出してもキトは冷静で、ぼうっとしたまま優しく微笑むその顔を見つめ返した。



「……あれ、わたし、寝坊した?」



 起き抜けの少しかすれた声で言ったキトの言葉に、アレンは「ううん」と首を横に振る。



「俺が、早く目が覚めちゃったんだよ」



 そう言いながらアレンの手がキトの前髪を優しくかきあげた。するりと髪を通り抜けていく手の感覚は懐かしいような、何とも言えない心地よい感じがしてキトは少しだけ目を閉じかけ……。

 直後に襲ったぞわりと全身を駆け巡る感覚に、キトは「ひゃ」と声を上げてばちりと目を開けた。



「これ、寝るときに邪魔にはならなかった?」



 次いで聞こえたアレンの声にキトは()()()()()()()()()()()()()()()()ということを思い出し、がばりと勢いよく体を起こした。

 アレンが驚いたように「おっと」と言うがキトにはその声を聞く余裕も無く、ばっと両手を頭にやる。

 そして両手に当たる、ふに、という感触に一瞬息を止め……頭を抱えたままで「あああああ……」と悲鳴にも似たため息を吐いてベッドの上で盛大に項垂れた。



「解毒薬を盾に脅そうっていうのに、一日で効果が切れる薬を作るわけないだろ?」



 そんなキトの傍でアレンが笑って言った言葉はとどめとばかりにキトに突き刺さり、キトの口から悔しそうな「ふぐう」という唸り声が出る。

 キトが両手で押さえた頭には手触り滑らかな毛並みで、ふにとつまめば絶妙な柔らかさが心地よい、立派なネコミミが健在なのだった。

 そうして今気が付いたがこのネコミミ、自分で触る分にはあのぞわりとした感覚は襲ってこない。しかし気づいたからといってそれが何かの救いになるわけでもなく、キトの口からはただただため息のみが漏れ出てしまう。



「少し早いけど、キトも目が覚めたなら朝食にしようか」



 肩を落とすキトにアレンはそう言い、ベッドの縁から立ち上がる。



「それで、どこに行くかゆっくり考えよう」



 その言葉にキトがえっと驚いたようにアレンに視線を向けると、アレンは少し困ったように笑った。



「忘れたの? 今日は俺と出かけようって言っただろ、キトの行きたいところならどこでも連れて行くよって」



 もちろんただ街をぶらぶらするだけでもいいけどと言うアレンにキトはああそうだったと思い出し、それから二人で出かけるなんてそれはまるで……と昨日自分が考えたことを思い出して、かあと体を熱くした。アレンは何も言わないキトに対してただ微笑んでみせると「じゃあ下で待ってるよ」と言い残して扉の方へ歩いて行くのだった。


 そうしてアレンが出ていった部屋でキトは大きなため息をつく。

 それは儘ならないこの状況や、ついに脅すという言葉を口にした幼馴染に対して出たものではなく、アレンの言葉にかあと体を熱くしてしまった自分自身に対するため息だった。

 アレンは今やいいところのお嬢さんをお嫁に貰う立場なのだから、恋だの愛だの言ってられない。他でもないキト自身が言った言葉である。アレンの方からキトへの恋心があり得ないのと同時に、キトからアレンへの恋心だって、たとえ抱いたとしても叶うことはあり得ないのだ。

 だというのにどうして自分は、アレンと二人で出かけるなんて、それはまるでデートみたいだなどと浮かれてしまっているのか……。

 儘ならない自分の気持ちにキトはもう一度ため息をつき、『浮かれるな』と自分に言い聞かせると身支度をするべくベッドから降りた。









 昨日マラヤの二択に答えて選んだワンピースに着替え、これまたマラヤの二択に答えて選んだコートとふわふわのニットの帽子を抱えて降りてきたダイニングは甘い香りで満たされていた。

 香りとは記憶と結びつくもので、カカオと甘いスパイスの香りが混ざるそれはたちまちキトの記憶を刺激して懐かしいという感情を引き出す。キトが席に着くと、先に席に着いていたアレンが「注ごうか?」と問いかけて来るがキトが首を横に振ってそれを断った。

 そうしてテーブルの中央に用意されていたマグカップを手に取り隣に置かれたポットの中身をそれに注ぐと、ふわりと湯気がたってカカオと甘いスパイスの香りが漂う。それはマラヤが用意してくれたココアで、アレンの好みに合わせて少し多めのシナモンで香りづけがされているものだった。その香りを吸い込みながら、シナモンが好きなのも変わってないんだなと思うとキトはまた懐かしさに心がとろけそうになり……慌てて『浮かれるな』と自分に言い聞かせたことを思い出す。それでもやはりすすったココアの味は甘く、体温に溶けていくようなその温かさに感情の隠せないネコミミはへにゃりとへたってしまう。

 キトのそんな姿にアレンがひそかにふふと笑った声はマラヤが運んできたワゴンの音にかき消されて、キトには聞こえなかった。



「それで、今日はどこに行こうか」



 そうして運ばれてきた朝食を食べつつ、アレンがそう切り出す。次いで「どこか行きたいところはある?」というアレンの問いにキトは再度『浮かれるな』と自分に言い聞かせ、「別に……」とそっけない返事を返した。――ネコミミがぴくりと動いた――



「そういえば友達と買い物に行くはずだった言ってたっけ、じゃあやっぱり街をぶらぶらと歩こうか」



 だというのにアレンは変わらず笑みを浮かべたままでそう提案してくるではないか。こちらの気も知らないで……とキトが無言で睨み付けるとアレンはその無言を肯定と取ったのか、「街に出るのは久しぶりだなあ」と街をぶらぶらと歩くことが決まったようなことを言う。とはいえキトにそれを否定する理由は無く、ただ無言のままデザートのイチゴを口に押込めるのだった。









 薄手のコートを羽織り、ふわふわのニットの帽子にネコミミをぎゅうと押込める。

 マラヤの用意してくれた帽子はネコミミへのあたりも良く、ぎゅうと押込めるとは言ったがその実そんな窮屈な感じは全く無くて、ふわりと包み込まれているようだった。

 そうしていざくり出した街は昨日と同じように空気は冷たいが、薄手のコートと帽子のおかげでキトは思わず体を震えさせることも無い。アレンもまた暖かなセーターにジャケットを羽織り、防寒対策は万全だった。しかしこれから来たる寒さに向けた防寒としてはやはり心もとなく、足りないものと言ったら……。



「今年は、マフラーと手袋を新しいものにしようかってコニーと話してて、それで昨日見に行こうって話だったの」



 ぶらぶらと街を歩きながらキトがそう言い、アレンが「そっか」と相槌を打つ。

 キトの言葉はアレンの「何か買いたいものがあったの?」という質問に答えたものだった。『浮かれるな』と自分に言い聞かせていたキトは始め「別に」とそっけない返事を返したが、アレンが「俺はあまり街に出ないから、どこに行けばいいかわからないんだよ。キトが案内してくれると嬉しい、かな」と言うものだから観念して本当のことを打ち明けたのである。

 この街の冬は寒い。

 今歩いているこの通りも寒さが厳しくなれば雪が降り積もり、歩くのにも難儀するほどになる。そんな冬を迎えるのにコートや帽子だけでは不十分だった。マフラーでぐるりと首元を覆い隠して、少々不便になろうとも手袋で冷えやすい手を守ってやらなければ寒い冬を乗り切ることなど出来ないのだ。

 アレンもそれを知っているからこそキトの言葉に納得して相槌を打ち、「もう用意しないとね」と続けて返したのである。



「……アレンは? 今年の、用意したの?」



 キトがぎこちなくそう聞くと、アレンは一瞬きょとんとした顔をしてからにこりと笑った。



「マラヤが毎年新しくしましょうかって聞いてくれるけど、ずっと断っていたなあ」

「新しくしてないの?」

「どうせ、ほとんど外には出ないからね。使う機会の少ないものを新しくしたって仕方ないと思って」



 アレンがそう言えば今度はキトがきょとんとして、それから少し呆れたようにああと息をつく。



「相変わらずなんだね」



 キトが思わずそうもらしてしまった”相変わらず”とは、アレンの出不精に対してのことだった。幼いころのアレンはキトが誘えば嫌な顔はしないが、自ら外へ出かけようとは一切しなかった。それはやはり、変わっていないらしい。だからこそキトが思わず相変わらずだともらせば、アレンは少し困ったように笑う。



「キトが誘ってくれなくなったから」



 それからアレンがそう返した言葉に、キトはドキとした。少し困ったような表情でそんなことを言われては、暗に寂しいと訴えられているようで、なんというか、胸が痛む。ごめんと言ってその手をぎゅっと握りしめたい。

 それでも何とか目を逸らすことでその衝動に耐え、キトが「子どものころとは違うから」と突き放すようなことを言えばアレンの足がぴたりと止まった。キトは数歩進んでからそれに気が付き後ろを振り返る。

 アレンは呆けたような顔をして立ち尽くしていたが、キトが「アレン?」と呼びかけるとはっとして、それからいつものように、にこりと笑った。



「じゃあ、キトがマフラーを選んでくれないかな」



 唐突な「じゃあ」にキトが目を丸くするが、アレンはにこりとしたまま言葉を続ける。



「キトが選んでくれたマフラーがあれば、つけて外に出る気になるから」



 最後に付け加えた「たぶん」の一言はキトのネコミミ……耳にとても弱弱しく聞こえ、胸のあたりがぎゅうと締め付けられた。

 『寂しい』と、その笑顔が訴えているのがわかる。なぜならアレンのそういう顔は、幼いころにキトが毎日のように見ていた顔だから。初めて出会ったとき、二回目に会ったとき。それから、キトが帰るときの玄関先で、アレンはそんな顔をした。そんなアレンにキトがいつもしたことといったら、にこりと笑いかけ、その手をぎゅっと握ることだ。

 実際キトはにこりと笑いかけるのはともかく、アレンがだらりと下げているその手を取ってぎゅうと握ってやりたい衝動に駆られ、それを必死に抑えていた。『子供のころとは違うから』と先ほどアレンに言った言葉を己の中で繰り返す。

 それでもやはりアレンが目の前で『寂しい』と訴えるその姿の攻撃力は高く、キトの防御力をわずかながら上回るのだった。


 キトの足がゆっくりと動きだし、数歩進んでアレンの目の前で立ち止まる。

 それからキトがすっと上げた手はアレンの手……ではなく、袖をつまんで、くいと引っ張った。



「……じゃあ、仕方ないから、選んであげる」



 キトの言葉にアレンが「ありがとう」と言ったが、キトは目線を横に逸らしていたのでその顔は見ていなかった。








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