「寝間着はシルクと綿と、どちらにしましょうか」
「寝間着はシルクと綿と、どちらにしましょうか」
楽しそうにそう聞いてくるマラヤに、キトはうんざりしているという気持ちを必死に隠して「綿にします」と答えた。
場所はアレン宅の一室。暖炉のある部屋でアレンに弄ばれつつもマラヤの運んできた温かいココアを堪能し終えた後、キトはマラヤに連れられこの部屋へと案内されたのだった。
充分な広さを持つこの部屋は可愛らしい装飾で統一され、ベッドに至っては小さな天蓋まで付いている。可愛らしい白のクローゼットの中には何着かの趣味の良いワンピース。引き出しには非常に可愛らしい下着まで揃っているではないか。一瞬アレンがこれらを選んだのかという疑惑がキトの頭をよぎったが、マラヤが大変嬉しそうに「キト様がいらっしゃるということではりきって準備してしまいました」と言った言葉でそれはかき消された。
そしてそのマラヤは少々浮かれ気味に夕食に着るワンピースはどちらにしましょうか、明日のワンピースはどちらにしましょうか、ストールにしますかマフラーにしますか、手袋は皮と毛糸とどちらがよろしいでしょうなどとキトに対して次々に二択を迫り続け、ようやく最後かという問いが冒頭の二択である。
「では綿の方を用意しますね」
キトの返事を受けてマラヤはそう言い、やはり楽しそうにクローゼット引き出しから綿の寝間着を取り出して胸に抱いた。
ちなみにマラヤはキトのネコミミを見てもまったく動じることは無く、それどころか「お耳の飾りはリボンとレースどちらにしましょう」と二択を迫ってくる始末である。その態度に恐らくアレンが説明済みなのだろうと察せば、どう伝えたのか……と知りたいような知りたくないような複雑な気持ちに襲われキトは思わず頭を抱えてしまった。――ちなみに二択はどちらもいらないと断った。マラヤが残念そうな顔をしたが、同情しては負けだと心を鬼にする――
マラヤの二択はやはりあれが最後だったようで、寝間着を抱いたマラヤは扉の方へ向かうと「すぐにお夕飯の支度が済みますからね」と言うと扉を開けて部屋を出ていった。
マラヤの二択に答えて選んだワンピースに着替えたキトがダイニングに降りてくると、アレンは既に席に着いていて新聞に目を通していた。キトが来たことに気が付くと顔を上げ、にこりとする。
「制服を着てないキトを見るのは、久しぶりだね」
そう言ったアレンの恰好も制服ではなく、ゆったりとしたセーターに黒いズボンというものだった。その姿に改めてアレンの家に居るのだと自覚をすれば今更ながらに気恥ずかしさを感じ、キトはワンピースの布を軽く握る。――ついでにネコミミがわずかにぴくりと動く――
アレンはキトのそんなわずかな感情の動きに気付いたのか気が付かないのか、変わりのない様子で穏やかに微笑んだままキトに「座って」と促した。
アレンに促されて座った椅子は、六年前と変わらないものだった。もちろん経年による劣化は多少あるがモノがいいのか、もしくは手入れがいいのだろう、あるいはその両方か。椅子は成長したキトの体をしっかりと支えていた。他にもダイニングに溢れる思い出の品々が目に入ると、キトはいつしか気恥ずかしさも忘れて「あれ懐かしいね」などとアレンに朗らかに話しかけていた。
アレンもまたそんなキトに相槌を打っていると、奥の方からマラヤがワゴンを押して現れた。
「お食事の支度が整いました」
そう言ってマラヤがテーブルの脇につけたワゴンを見て、キトがわあと声を上げる。
「ロールキャベツだ」
キトが嬉しそうに言い、ネコミミが大きくぴくんと動いた。そんなキトの向かいでアレンがふふと笑う。――キトの嬉しそうな顔に笑ったのか、大きく動いたネコミミに笑ったのか。答えはアレンのみが知ることである――
「よかった、まだロールキャベツがお好きでしたか」
マラヤがほっとしたように言いながらアレンとキトの前に料理を並べていく。キトは「うん」と答えながらも、その視線はマラヤの運ぶ料理にくぎ付けであった。
マラヤのロールキャベツは、幼いキトにとって特別な味だった。
毎日のようにアレンの家に通っていたとはいえ幼いキトが暗くなるまで遊ぶことは稀で、ましてや夕食をご馳走になるということはめったにあることではない。その限られた夕食の機会にマラヤが出してくれた料理が、このロールキャベツだ。
大きなスープ皿に注がれた黄金色のコンソメスープの海に、薄黄緑のキャベツの島。海の底に沈んで見える黄金はバターで煮たニンジンだった。それとマラヤ特製のピクルスと、チーズのサラダ、スープに浸して食べるパンが並べばキトがもう一度わあと歓声をあげる。――やはりネコミミも動く――
「じゃあ、食べようか」
嬉しそうに笑うキト――と、キトが歓声を上げる度に動くネコミミ――を穏やかに微笑んで見つめていたアレンはそう言うと視線をロールキャベツに落とし……
「あ」
と声を上げた。その声を拾ったキトがアレンを見ると、ロールキャベツを見下ろしてじっとしている。不思議に思ったキトがアレンのロールキャベツの皿に視線を移せば、そこにはキトの皿と同じように黄金色の海に沈む黄金があった。それからもう一度アレンの顔を見て、キトの頭にある記憶がよぎる。
「もしかして、まだニンジン嫌いなの?」
キトがまさかとばかりにそう言えば、アレンは一瞬間を置いて、気まずそうにロールキャベツから目をそらすのだった。それは明らかに肯定の態度で、しかも珍しいことに、恥じ入っている。
あのアレンが、キトの前では笑みを絶やさなくて、余裕を見せるような態度ばかりのアレンが、余裕なく恥じ入っているのだ。そういえば、初めてアレンのニンジン嫌いを指摘したときもそうだったと思い出せばキトは自然と笑いがこみあげてくるのを感じた。そうして我慢できずにふっと吹きだすと、キトはあははと笑った。
「そっかあー、アレンも変わってないところ、いろいろあるんだねえ」
キトがそう言った言葉はアレンに向けたもののようで、実は自分にも向けたものだった。
国政を担う貴族の下で働いていたアレンの父がその力を認められ地位を高めたのが、アレンが高等部に進学し、キトが中等部の最終学年になった年のことだ。
子どもの頃と違ってアレンはキトと立場が違う存在になってしまったし、その少し後からなぜかおかしな意地悪もするようになった。後者はともかく、前者がキトがなんとなくアレンを避けるようになった理由の一つであり、昔とは違うと強く意識するきっかけになったことだ。
しかし今目の前でニンジン嫌いを指摘されて恥ずかしそうにしているアレンも、部屋に入るなりカバンを放り投げたアレンも、昔と変わらない姿だった。
「仕方ないなあ、わたしがニンジン食べてあげるよ」
だからこそキトも笑って昔と変わらない言葉を言えば、アレンは恥ずかしそうに、けれどふっと微笑んで
「ありがとう」
と言うのだった。
そうして笑い合う幼馴染たちの傍でマラヤが微笑む。彼女の企みを知らない者は、ただ幼馴染たちの微笑ましい様子に笑っただけだと理解するだろう。しかし実際には彼女の笑みは企みがうまくいったことに満足した笑みだった。
長くこの家で働くマラヤであるから、アレンの好き嫌いを把握していないはずは無い。それでもわざわざアレンの皿にニンジンを入れたのは、きっとキトが気づいてこう言ってくれるだろうと期待したからであった。いや、むしろ誘導したと言うべきか。だからこそ企みがうまくいったとほくそ笑み、あとは若いお二人で……とばかりにマラヤはそっとその場を後にした。




