キース・クラエスになって
八歳の春、僕の名前はキース・クラエスになった。
名前が変わるのはこれで二度目だ。といっても一度目の時は小さすぎてよく覚えていないのだけど。
ただ、三つになるまでは狭い部屋で静かにするように言い聞かされ、部屋の隅でずっとじっとしていた気がする。
そしてある日、見たことのない男の人に立派な馬車に乗せられてきれいな屋敷へと連れていかれた。
そこで、僕は父親だという人と義理の母親、兄弟たちに会った。
皆、ひどく冷たい目で僕を見ていて幼いながらも、歓迎されていないことがわかった。
のちに召使の人たちの噂話で、僕は父が娼婦の母から押し付けられた子供だということがわかった。
新しくできた家族を父、母と呼ぶことは許されなかった。兄弟たちも同じで様付けをし、敬語で接する様に言われた。最初はうまく敬語が使えず、何度も罰をうけた。
食事も家族と同じ食事の席にはつかせてもらえずに一人、部屋で食べた。
父と義母はただ僕をいないものとするだけだったので大きな害はなかったが……
兄弟たちは僕を見つけると執拗に嫌がらせを繰り返した。
殴られたり、蹴られたりすることもしょっちゅうで、時には納屋に閉じ込められて一日放置されたこともあった。
そのため、僕は極力、兄弟たちの目に留まらないように部屋にこもってじっとして過ごした。
しかし、それは起こってしまった。
天気がとてもいい日だった。部屋の窓から見える木に小鳥が巣を作っていた。
一生懸命に巣を作る愛らしい小鳥の姿を見ているうちに無性に近くで見てみたくなった。
そっと、部屋を出て木のそばまで行った時だった。
同じように外に出ていた兄弟たちに見つかった。
兄弟たちは僕を取り囲むと「娼婦の子が」と罵り、殴ったり、蹴ったりを繰り返した。
僕は体を丸めていつものようにじっと我慢して、時が過ぎるのを待った。
その時だった。兄弟の一人が木の上の小鳥に気がついた。「おい。鳥がいるぞ」「本当だ。巣なんか作ってるぞ。落としてやろうぜ!」そう言って兄弟たちは小鳥に向かって石を投げはじめた。
小鳥たちが一生懸命に作っていた巣に石があたり壊れていく。小鳥にも石があたり小鳥が悲鳴のような声を上げた。
「……やめて!!」
僕は叫んだ。そして、僕の体から何か熱いものが湧き出た。
その時だ。空から何か大きなものがいくつも降ってきた。
そして、気づいた時には、目の前に兄弟たちが足や腕を抑え込み倒れていた。そして辺りには拳くらいの土の塊がいくつも散乱していた。空から降ってきたのはこの土の塊だったようだ。
だいぶ、固い土の塊らしく落ちた地面がへこんでいた。どうやら、兄弟たちはこの土の塊にあたって怪我をしたようだった。
これは一体なんなんだ。僕は茫然と立ち尽した。
その後、兄弟たちは様子を見に来た召使の人たちによって部屋に運ばれ、医者が呼ばれた。
兄弟たちは身体じゅうに打ち身をおい、ひどいものは骨が折れてしまっていたらしい。
そして、その怪我を負わせた土の塊は僕が魔力を発動させ、使った魔法だとわかった。
この日から、元々、居場所のなかった家にさらに居場所がなくなった。
必要時以外、部屋から出ることは禁じられた。
兄弟たちは僕に近づいてこなくなった。僕の姿をみれば「化け物だ」と叫び恐怖の表情を浮かべ、逃げていく。
兄弟たちだけでない、父、義母、召使の人たちも僕を避けるようになっていた。そして、兄弟たちほど露骨ではないがやはり僕を見る目には恐怖が浮かんでいた。
僕は部屋に籠り息を殺し日々を過ごした。
そんな、日々を何年か過ごした頃だった。
また見知らぬ男の人がやってきて、僕に言った。
「あなたはその強力な魔力を見込まれ、クラエス公爵家の養子になることが決まりました」
こうして、僕はまた馬車に乗せられ新たな家へと運ばれた。
五年間住んでいた屋敷だったが、僕を見送る者は誰もいなかった。
到着したのは今まで住んでいた屋敷とは、けた違いに大きくて豪華なお屋敷だった。
飾られている壺から敷かれている絨毯にいたるまですべてが高そうでひどく気後れした。
僕の新しい義父となったのは、この屋敷の当主でクラエス公爵という人だった。
「やあ、君がキースかい?ようこそクラエス家へ」
そう言って笑顔を向けてきたクラエス公爵に、そんな風に迎えられたことのない僕はひどく戸惑ってしまった。
クラエス公爵はすぐに僕に、自分の家族を紹介してくれた。
クラエス夫人はどこかそっけなく冷たい様子だった。
そして、クラエス公爵のひとり娘、カタリナ・クラエス。
前の家で兄弟に日々、嫌がらせを受けていたため、正直、僕は兄弟という存在が怖かった。新しくできた姉にもできれば関わりたくなかった。
クラエス?家に到着した日は軽く挨拶してすぐに部屋で休ませてもらった。
前の家から突然に連れてこられ、ひどく疲れていたため、慣れない大きなベッドでも、その夜は深く眠ることができた。
翌朝、クラエス公爵、その家族たちと朝食を囲んだ。
はじめて、誰かと一緒に食事を食べた。いままで食べたどんな食事よりおいしく感じた。
なんだか、胸が暖かくなったような不思議な気持ちで部屋に戻ると。
なんと、カタリナが訪ねてきた。できれば、関わらずに過ごしたいと思っていたのに……まさかあちらの方から来るとは思わなかった。
「庭を案内するわ」と言ってきたカタリナに「ありがとうございます。カタリナ様」とお礼を言うとすごく膨れられた。
「もう、姉弟なのだから敬語はやめて、姉さんと呼んで」と言われ、ひどく驚いた。
いままでの家では敬語はもちろん兄弟たちを兄、弟と呼ぶことなど許されることではなかったから。
それでも「姉さんと呼ばれるのが夢だったのよ。ぜひ、ぜひ呼んで」と請われなんとか「お願いします。姉さん」と言うと。カタリナは、それはそれは嬉しそうに笑った。
それから、二人で庭に出た。天気の良い庭をカタリナは楽しそうに案内してくれる。
しばらく、カタリナと話していて気づいた。
このカタリナ・クラエスという少女は貴族の令嬢としてはちょっと変わっているのかもしれないと。
「釣りは得意なの。今度一緒にしよう」と僕を誘い、熱心に自作の畑を説明してくれた。
僕はほとんど部屋に籠って過ごしていたから、釣りをしたことも畑を作ったこともないが、でも他の兄弟たちもそんなことをしている様子はなかった。
きっと他の貴族の子供たちもあまりそんなことはしていないと思う。
カタリナに驚かされながら、そんなことを考えていると。
「私が一番お気に入りの場所に案内するわ」
と言ってカタリナは僕の腕をつかんで速足で歩き出した。
そうして、連れて行かれたのは庭で一番高く大きな木だった。
「この木に登ってみる景色が最高なのよ」
とキラキラした瞳でカタリナは言った。そして、僕に木を登ったことはあるかと聞いてきた。
僕がしたことがないと言えば。
「じゃあ、私が教えてあげるわ。まず、最初に私が登ってみるから見ていてね」
そう言って、カタリナは履いていた靴を脱ぎ捨て、ドレスをたくしあげると木に登りはじめる。
僕はスルスルと木を登るカタリナを茫然と見上げた。
ドレスのまま木を登るカタリナを下から見上げると、ドレスの中が見えそうでいたたまれない。
カタリナはそんなこと気にしないのか、それとも気が付いていないのか、お構いなしにスルスル木を登っていく。
そうして、真ん中くらいまで登った時。カタリナが僕に向かって笑顔で大きく手を振った。
その時だった。カタリナの体がぐらっと揺れた。危ない!僕はとっさにカタリナの下にまわった。
しばらくしてドスンと派手な音を立ててカタリナが僕の上に落ちてきた。
衝撃が走り一瞬、意識が遠のいた。
しばらくして、意識が戻り目を開けると。
僕はカタリナの腕の中にいた。
「キース、死なないで~~~」
と号泣するカタリナに何度か声をかけると……やっと僕が大丈夫なことに気が付いたようで。
「キース!?生きていたのね!!」
と強く抱きしめられた。
思わず僕は固まってしまった。物心ついてから誰かに抱きしめられたのは初めてだった。
「はっ、キースどこか痛むの?」
固まった僕をカタリナがとても心配そうに見つめてきた。
こんな風に心配されたことも初めてだ。
僕はひどく戸惑ってしまう。正直、特に痛むところもないのだが、こんな風に心配されたことがなく、どうするべきなのかまったくわからないのだ。
カタリナは僕がそうして戸惑っている様子を、怪我をして動けないと誤解したようだ。
「キース、少しここで待っていてね。すぐに召使さんに来てもらって屋敷まで運んでもらうから」
そう言って、カタリナは裸足のままドレスをたくし上げ、屋敷へとすごいスピードで走りだした。
その背中を見送っていると、今朝の食事の時と同じで、なんだか、胸が暖かくなるような不思議な気持ちになった。
その日の夜にクラエス夫人がクラエス公爵に突然に離縁を切り出して大騒ぎになったが、誤解が解け仲直りされた。
その後は、はじめは誤解からそっけなかったクラエス夫人も優しくなり色々してくれるようになった。
もちろんクラエス公爵もとてもよくしてくれる。
そして、義姉のカタリナは僕に色んなことを教えてくれた。
はじめて釣りをした。「お母様には内緒だからね」と木登りも教えてくれた。
剣の稽古で僕が先生に褒められれば、まるで自分のことのように喜んでくれた。
毎日が新鮮で、楽しくて、幸せで……だから、忘れてしまっていたんだ。
僕が強力な魔力を暴走させる化け物だってことを……
その日は剣の稽古を終え、カタリナと畑にやってきた。
順調に育っている作物にカタリナは終始ご機嫌だった。
畑の話から、魔力の話になった時にカタリナが言った。
「土の人形を操ってみたいの!」
土の人形―土で作った人形に魔力を込めることで自在に動かすことができる魔法だ。
僕はこの魔法が使えた。
使えるようになったのは偶然だ。部屋にこもり土をこねて人形を作っていた時にできるようになった。
前の家で人とほとんど接することのなかった僕はこの土の人形を並べて、一緒に食事を食べたりしていた。
使える魔法だったが、僕はクラエス公爵と約束をしていた。
僕は強力な魔力を持っているが、それをまだきちんとコントロールすることができない。
以前の家で兄弟たちを傷つけてしまったこともあり、魔力の教えを請い、きちんとその魔力をコントロールできるまでは魔力をむやみに使わないと。
しかし、カタリナに請われ期待に満ちた目で見つめられ、少しだけと魔力を使ってしまった。
動き出した土の人形を見てカタリナがあんまりに喜ぶので、請われるまま人形を大きくした。
そして、大きくし過ぎた土の人形は思ったように動かせなくなっていた。
喜んで、大きな土の人形に近づいたカタリナは……制御しきれなくなった人形の腕によって吹っ飛ばされた。
カタリナの小さな身体が宙をまった。
今度は受け止めることもできなくて、カタリナの身体は固い地面に頭から叩きつけられた。
召使の人たちによって寝室に運ばれたカタリナは医者に診察を受け、頭をうって気絶しただけで、大きな怪我はないようだと診断された。
カタリナを心配そうに見守るクラエス公爵に僕は言った。
「勝手に約束をやぶって魔力を使いました。しかもその魔力で姉さんを傷つけてしまいました。全部、僕が悪いんです。どんな罰でも受けます。本当にすみませんでした。このまま追い出してくださってもかまいません」
クラエス公爵はそんな僕を優しい目で見つめた。
「今回のことは、カタリナが目を覚ましたらカタリナからも話を聞かないといけないから。この話はまたカタリナが目を覚ましてからにしよう。キース、君もひどい顔色だよ。今にも倒れそうだ。カタリナはもう大丈夫だから、君も部屋で休みなさい」
そう言ってクラエス公爵は僕を部屋へと促した。
その夜、カタリナが無事に目を覚ましたと聞いて心からほっとした。
すぐに、会いに行きたかったけど……できなかった。
怖かったのだ……
次の日の朝を迎えても僕は部屋から出ることはできなかった。
この家にきてはじめて朝食の席を欠席した。
朝食の時間が終わった頃だった。
「キース。私よ。カタリナよ。朝食に出てこなかったけど具合が悪いの?」
カタリナが僕の部屋の前にやってきたのだ。
「……姉さん」
思わず声をあげれば。
「そう、私よ。キースどうしたの?お腹でも痛いの?大丈夫?」
僕のせいで自分の方がよっぽどひどい怪我をしたのに、カタリナは心配そうに聞いてきた。
「……僕は何ともないです。それより姉さんの怪我は大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ。ちょっと頭にたんこぶができただけよ。それより、キース。話があるのよ。部屋に入ってもいい?」
元気そうなカタリナの様子に安心した。
本当なら、すぐにその顔が見たい……でも……
「すみません。それはできません」
「……な、なんで」
「……僕はもう姉さんの傍にはいられないんです」
本当は今すぐにでも顔が見たい。
最後に見た、意識を失ってぐったりしたカタリナの姿が頭から離れない。
元気になった姿を確認したい。
でも、僕はもうカタリナの傍にはいけない。
強力な魔力を暴走させる化け物である僕が傍にいれば、またカタリナを傷つけてしまうかもしれない。
こんな僕に色々教えてくれた優しいカタリナをもう傷つけたくなかった。
カタリナは部屋の外でたくさん話しかけてくれたけど、僕はベッドで丸くなりじっとしていた。
僕はもともとこうして部屋に籠って一人で生きてきたんだ。
こうして一人でいれば誰も……大切な人を傷つけないで生きていける。
しばらくして、カタリナの声も聞こえなくなった。
何も返事も返さない薄情な僕に愛想がつきて諦めたのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると。
「キース。ドアの近くにいるようだったら離れてね」
諦めて帰ったと思ったカタリナの声が再び聞こえた。
思わず、ドアの方を見ると鍵をかけていたドアが、バキバキと音を立てて壊れていった。
入り口には、なぜか斧を持った必死な顔のカタリナが立っていた。
茫然としている僕をしりめに、カタリナは壊れたドアから部屋の中に入ってきた。
そして……
「昨日はごめんなさい!!」
カタリナは僕のベッドの下に膝をつき床に擦り付けるように頭を下げた。
「無理を言って、使いたくない魔力を使わせて本当にごめんなさい!!しかも、注意も聞かないで土人形に触ろうとして……心配かけてごめんなさい!!」
僕はベッドからおり、カタリナの隣に膝をついた。
「……なんで、姉さんが謝るの……悪いのは僕なのに……」
「なに言っているのよ。悪いのは私よ!私がキースに無理を言ったのだから!!」
なんで、この人はまだ僕の所にやってくるのだろう。なんでこんな風に言ってくれるんだろう。
僕の魔法のせいで怖い思いをして、怪我までしたのに……
それなのに……
「……姉さんは僕が怖くないの?」
「怖いって?」
「……僕は前の家で、魔力で兄弟を傷つけた。そして、今回は姉さんを傷つけてしまった。僕の魔力は強いけど、僕はその魔力をちゃんとコントロールできないんだ……強力な魔力を持っているのにそれをコントロールできずに人を傷つけてしまう。……姉さんはこんな僕が怖くはないの?」
自分の魔力のことも以前のことも話した。
これで、もうカタリナは僕のところに二度と寄ってこないかもしれない。
僕は、怖かった。
カタリナを傷つけてしまうことが……
そして、それ以上にカタリナに、以前の家の人々が向けてきた恐怖に満ちた目を向けられることが……
化け物と罵られることが……怖くてたまらなかった。
だから、部屋に入ってきたカタリナの目をずっと見られないでいる。
もし、その目に恐怖が浮かんでいたら……
僕は息を殺してカタリナの次の言葉を待った。
「……なんだ、そんなことか~~」
あまりに予想外な言葉に、僕は思わず顔をあげてしまった。
カタリナの水色の瞳と目があった。
「魔力がコントロールできないなら、これからできるように頑張ればいいじゃない。もうすぐに、魔力の家庭教師の先生がくるのだから、私と一緒に魔力の訓練をしていきましょう」
そう言って微笑んだカタリナの瞳は、恐怖など少しも浮かんでいない……とても優しい瞳だった。
「……姉さんは僕と一緒にいてくれるの?」
「もちろん!これからもずっと一緒よ」
一人は辛くて悲しかった……誰かに一緒にいて欲しかった。
でも、誰も一緒にいてはくれなかった。近づけば「娼婦の子」「化け物」と罵られた。
誰も僕と一緒にはいてくれないのだ……諦めかけていたのに……
目の前の少女は笑顔で言ってくれた。ずっと一緒だと。
「だから、今後は間違っても一人で部屋に引きこもったりしてはだめ……ってキースどうしたの!?」
カタリナが驚いた声をあげ心配そうに僕の顔を覗きこんできた。
なんだろうと顔に手をやると……濡れていた。
僕の目からは涙が溢れていた。
ああ、僕は泣いているのか。
以前は部屋で声を殺してよく泣いていた。
涙はいつも辛い時、寂しい時に流れてきた。泣けば泣くほど胸は痛くなり、苦しくなった。
それなのに……
この涙はなんだろう。泣けば、泣くほど胸に暖かさがあふれていく。
涙はうれしい時にもでることを僕は初めて知った。
カタリナがとても心配そうに僕を覗きこみ、背中をなでてくれた。
とても優しくて暖かい手。
その暖かい手を感じながら僕は強く思った。
僕はこのカタリナ・クラエスという少女と一緒にいたい。
これからもずっと許される限り一緒にいたいと。
魔力も訓練して、きちんとコントロールできるようにしよう。
そして、カタリナの傍でいつか彼女を守れるようになりたい。




