ある公爵令嬢について
時期はカタリナたちが二年に進級してからのお話です。
私の名はジンジャー・タッカー、男爵家の令嬢だ。
といっても正室の子ではなく、なんの身分もない使用人との間に生まれたいわば妾の子なんだが。
しかも、父であるタッカー男爵はかなりの好色でそこら中に女性を作り、子を産ませており、子だくさんで、私は十二番目の娘であり、正直、もう必要ないような存在である。
なので本来ならさっさと母の家に引き取られてひっそり育てられるはずだった。
実際に、タッカー男爵の他の子供たちは、正室の子を除き、母方の家で育てられている。
そんな中、私がタッカー男爵家(正確にいうとその離れ)で育てられたのは、母が私を産んでしばらくして亡くなったこと、またその母にはまったく身寄りがなかったことが理由である。
要はただ単に行き先がなくて仕方なく引き取られた訳である。
そうしてタッカー家の離れに情けを受けて住まわせてもらう事となったが、身分の低い愛人の娘を特別に構うような変わり者はおらず、基本放置されていた。
それでも有り難い事に、食事も衣類も与えてもらえていた。年頃になれば、近所の学校にだって通わせてもらえた。
よくある物語のように、身分の低い愛人の子だからと正室やその子どもたちにいじめられるという事も無かった。偶然に出会えば蔑んだ視線を浴びる程度だった。
そのため、私はタッカー男爵家の離れで一人、特に大きな問題もなく時を過ごした。
そして、物心ついた頃から十五歳で成人したら屋敷を出て働こうとずっと考えていた。
タッカー家には跡取り息子も、年頃で美しい娘も沢山いるので、容姿もすぐれない私の存在など、おそらく必要ないだろうからさっさと出ていくに限る。
父であり、私を養ってくれているタッカー男爵にもその旨は伝えてもらってあったはずだが、返事はこなかった。おそらく忘れていたのだろう。
そもそもタッカー男爵は、一応、世間体を気にして私を引き取ったが……そんな娘いたかな?という感じだったのだろう。
容姿には恵まれていない私だが、幸いなことに頭だけはそれなりに良かったらしい。
通わせてもらった学校で、いつもトップで教師たちから一目置かれていた。
しかし、同じ学校に通う生徒たちと親しくすることはできなかった。
幼いころからずっと一人で過ごしてきたために、人とどのように接してよいのかわからなかった。
私は普通に接しているつもりでも態度が悪いと陰口をたたかれた。
一応、男爵家の令嬢ではあったので、さすがに大っぴらにいじめられたりはしなかったが、嫌みや小さな嫌がらせは多々あった。
そんな日々が続くうちに、私の方もこんな奴らと関わってもなんの得にもならないと割り切って考えるようになった。
学校を卒業し、成人である十五歳の年を迎えたら、よい職を見つけてタッカー家を出るのだ。
そう毎日、呪文のように心の中で繰り返した。
しかし、そんな長年の計画が水の泡となったのは十二を迎えようという時のことだった。
学校もあと数年で卒業、十五になってからの働き口をどこにしようか具体的に検討し始めた頃のことだった。
それは突然に起こった。
ふとしたことがきっかけで、なんと私は風の魔力を発動してしまったのだ。
魔力という存在がこの国にあることは知っていたが、田舎で平民の学校に通う私には全く縁のないものだと思っていたのに……あまりに衝撃的な出来事だった。
そして、このことをきっかけに私の生活は大きく変わった。
まず、それまで私に見向きもしなかった、というか完全に存在を忘れていたであろうタッカー男爵が満面の笑顔でやってきて「さすが私の娘だ」と言われた。
私の記憶の限り彼に「娘」と呼ばれたのは初めてでひどく複雑な気持ちになったものだ。
その後から、タッカー男爵はやたら私に構うようになった。
それこそ生まれてきてからの接触時間をほんの数日で超えてしまうほどに。
そんなタッカー男爵を皮切りに、それまでは男爵と同じで私という存在にまったく見向きもしなかった使用人たちからもチヤホヤされるようになった。
そして馴染んだ離れから本宅へと引っ越す事にもなった。
どんなに私が、なれ親しんだ離れにいたいと言っても、誰も聞く耳を持たず「タッカー家初の魔力保有者であるお嬢様をこんな所に置いてはおけません」と強制的に引っ張られてしまった。
そうなのだ。私はタッカー男爵家で初めての魔力保持者となってしまったのだ。
魔力を持っているという事は貴族のステータスとされるこの国で、残念ながらタッカー男爵家にはこれまで魔力保持者が出たことが無かったのだ。
そして遂に現れた魔力保持者、もう身分の低い愛人の子だとかはどうでも良くなったようだ。
完全に忘れられた存在だった私は、一気に跡取り候補にまでのし上がった。
こうして私の穏やかな暮らしは終わりを告げたのだ。
通っていた学校は強制的にやめさせられ、正妻の子どもたちと同じように家庭教師をつけられた。
十五才を迎えて魔法学園に入学するためだ。
そうしてタッカー男爵と使用人たちにこそちやほやされるようになったが、逆に正妻やその子どもたちには毛嫌いされるようになった。
それもそうだろう、だってついこの間まで、庭に落ちてる石くらいの存在と蔑んでいた妾の子が、いきなりしゃしゃり出てきたのだから。
男爵の目もあり、さすがに手をあげられる事などはなかったが、嫌みに、些細な嫌がらせは魔法学園に入学するまでずっと続いた。
そして、魔力が使えるようになってから数年が経ち、私は魔法学園に入学した。
タッカー家からの過度な期待を背負い学園に入学した私だったが……ここにきて自分の魔力が相当弱いものであることを知った。
いや初めて知ったというよりはもともと気がついてはいたのだ。
タッカー家はど田舎にあり、男爵家でも相当身分の低い家柄で、近くに魔力を持つ者なんて一人もいなかった。
それでも、魔力発動の年齢が遅めだったことや、魔力に関する文献から自分の魔力がだいぶ弱いということは気が付いてはいたのだ。
しかし、実際に魔法学園に入学してほかの貴族の子息、令嬢たちの魔力を目にすると、自分の魔力なんて魔力と呼ぶのもおこがましい程のものだったと改めて気が付いたのだ。
それに気づくと、ただでさえ戻りたくないと思っていたタッカー家に、よりいっそう戻りたくなくなった。
タッカー男爵は家から初めて出た魔力保持者にそれは有頂天になり、婿取り娘にして跡を取らせようなんて言っていたけど……正直、ちょっと上級の貴族で魔力保持者を何人か輩出している家からしたら、こんな微々たる魔力を持つだけの妾の娘と鼻で笑われるに違いない。
身分の低い男爵家であるタッカー家はいわば田舎者の世間知らずであるのだ。
ここまで養ってもらった恩はあるし、働くようになったら、世話になりかかった分の費用を返そうと思っていた。
でも、タッカー家にずっといたいなどと考えたことなど一度もなかった。
特にひどく嫌だった訳ではないが、居心地がよい場所でも無かったから。
だから私は家に戻らなくてもいい方法を探した。
家に帰らずとも男爵たちに認められるような確かな方法を……そして、見つけたのだ。
それは魔法省へ入職であった。国の最高峰の組織であり憧れの的。
ここに入れるとなれば、タッカー家も喜びこそすれ、辞めて家にもどって来いとは絶対に言うまい。
魔法省は魔力の強い者を多く取っているが、魔力が殆ど無くとも研究職として成績優秀な者も採用しているという。
魔力の殆ど無い私は、そこを狙うしかない。
幼いころから教師たちに優秀だと言われ続けてきた私は、幸いなことにこの魔法学園でも優秀な部類に入ることができた。
初めに行われた学力のテストでトップをとり、そしてその結果、魔力は少ないながらも学園の憧れである生徒会のメンバーに選ばれたのだ。
魔法学園の生徒会は生徒皆の憧れである。
知らせがいったタッカー家からは分厚すぎる喜びの手紙が届き、教師から賞賛の言葉をもらった。
元が田舎の男爵令嬢でしかない私にとって素晴らしい誉である。
だが、逆にそれは沢山の嫉妬を買うことにもつながった。
そもそも魔力を持つ者のほとんどは貴族であり、それも高貴な身分の者ほどその数は多いのだ。
よってこの魔法学園にいる生徒の多くはそれなりの身分の者たちである。
現在は特にその傾向が強く、一つ上の学年には王族を筆頭に公爵家令嬢に子息など普通に生活していたらお目にかかる事がない身分の者までいるのだ。
そんな中で、たかが田舎男爵の娘が全生徒の憧れである生徒会に選ばれたとなれば、他の生徒は面白くないのはよくわかる。
特に今年の生徒会の上級生には双子の王子を筆頭に下級生が憧れてやまない先輩たちが多いため、選ばれなかった生徒の嫉妬はより膨れ上がっている。
身分だけのことなら、上級生に学園でも久しく存在しなかった平民での魔力保持者であるマリア・キャンベルという先輩もいるのだが……彼女は国でほんの一握りしかいない光の魔力保持者でありその魔力量もトップクラスで一目置かれている。
それに引き換え、ほとんど平民と変わらない身分の田舎男爵令嬢である私はとくに珍しくもない風の魔力、それもほんの微々たるもの。
唯一のとりえは学問だけ……。
もっと愛想のよい性格ならもう少しよかったかもしれないが……自分で言うのもなんだが、そこそこ捻くれていて、愛想のあの字も出せやしない。
よってただでさえ嫉妬がひどいというのに、「身分も低く、魔力も殆ど無いくせにお高く留まった嫌な奴だ」と学園中ですこぶる嫌われている。
正直、この状況は気分の良いものではないが、それでもどうしようもない。
もともと、タッカー家にいた時から誰にも好かれてなんていなかったし、通っていた学校でも陰口ばかり叩かれ、小さな嫌がらせは多々あったのだ。
多少、嫌がらせが激しくなったくらいで大きく状況は変わらない。
要は二年頑張って、よい成績を収め魔法省に就職してしまえば良いのだ。
私は今までのように一人で努力していけば良いのだ。魔法学園に入学して数週間、そう心に決めた。そのはずだったのに……。
「ねぇ、ジンジャーちゃんもこのお菓子食べる? すごくおいしいよ」
「いえ、まだ仕事が終わっていないので結構です」
「そう、じゃあここにおいておくね~」
そう言って彼女はにこにこ笑って机の上にきれいな包装紙につつまれた菓子を置いていった。
人からそっけない態度だと眉をよせられることの多い私の対応に、彼女が嫌な顔をしたことはない。それどころか、どんなに邪険に返そうとにこにこと話しかけてくる。それが不思議でならない。
魔法学園に入学し、生徒会のメンバーに選ばれてこうして活動するようになってから数か月が過ぎた。
おかげで仕事のほうはだいぶ慣れてきたのだが……予想しなかった事態もおきている。
そもそも、ここに入学し生徒会に選ばれたことで周りからひどく妬まれ、嫌がらせを受けるようになった時から私は、一人で頑張っていこうと決めたはずだった。
どうせ、誰も嫌がらせ以外で私に絡んでなどこないと思っていた。
それなのに……ともに生徒会に選ばれた同級生はプライドも身分も高い子が多く、私のことを煙たく思っている様子も見て取れたが……上級生である生徒会メンバーである方々は皆、その身分に釣り合わないほど気さくで友好的な人ばかりだった。
王族であるジオルド様、アラン様すら私を下に見るような態度を示すことはなく平等なものとして扱ってくれる。
そして、そんな方々の中でも、特に友好的なのは―――カタリナ・クラエス公爵令嬢である。
クラエス公爵家の一人娘にして、ジオルド王子の婚約者。
その身分的には、国の最高峰である彼女は、日々、生徒会室に出入りしており、すっかりメンバーに溶け込んでいるが実は生徒会の一員ではない。
上級生であるメンバーの強い希望にて、一般生徒の立ち入りが禁止されている生徒会室に
特別に入室を許可されている存在なのだ。
学園内では『慈悲の聖女』などと呼ばれるカタリナ様、私も生徒会に入ったばかりの頃はその友好的で優しい微笑みに少しドキリとさせられたものだ。
しかし、しばらく経った頃に気付いたのだ。
カタリナ・クラエスは―――ただの変わり者のお馬鹿だということに……。
そもそものきっかけは、度重なる嫌がらせと、嫌みで周りが騒がしく静かな場所を探して学園内を散策していた時の事。
偶然赴いたほとんど人が訪れないような学園のはずれで、私は農民が着るような作業着を着こみ、楽しそうに畑作業を行うカタリナ嬢に遭遇した。
あまりの驚きに初めは幻かと思ったほどだ。完全に固まってしまった。
カタリナ嬢と共に作業していた女性は「しまった」という顔をしていたが……当のカタリナ嬢の方はいつもと変わらない笑顔で私に寄ってきて、
「これ取れたてなんだ。食べてみて」
と、まさに今とったのであろう野菜をそのまま差し出してきた。
あまりの驚きに思考がうまく働かなかった私は、言われるままにそれを受け取り口に入れた。
「……おいしい」
思わずそう漏らしていた。ほとんど平民と変わらない暮らしをしていた私だったがさすがにこんな風に農民のような真似ごとをしたことはなく、もぎたての野菜を口にしたのは初めてだったのだ。その瑞々しさは格別だった。
「ふふ、でしょう」
カタリナ嬢はまるで小さな子どものような顔で得意げににんまりと笑った。
この出来事をきっかけに、カタリナ嬢は私にさらに友好的になり頻繁に声をかけてくれるようになったのだが……。
私はといえばそれまでのイメージが払拭され、見方が変わった。
そうして周りの意見に流されず、冷静に観察すればカタリナ・クラエス嬢という人物はただの変わり者のお馬鹿であると気が付くことができたのだ。
そもそも、生徒会に入り浸っているからどうも優秀な気がするが、彼女の成績は平均ぎりぎり、教科によっては落第点ぎりぎりの物もあるらしい。
なにせ、下級生の私でも分かるような問題をうんうんと悩んでいたりするのだ。
しかも、それを私に聞いてきたので、仕方なく説明すると……
「わぁ~さすが一年の主席、すごいね~。ありがとう」
と返してきた。
普通ならそこはプライドが邪魔しそうなのに、彼女にはそういったプライドは備わっていないようだった。
おまけに魔力のほうも、ほぼ私と同じくらいの低いもので……正直、公爵令嬢という身分以外は特に秀でたところもないというご令嬢だった。
そもそも慈悲深いとか、身分の低い者にも分け隔てないというのも……おそらく何も考えてないだけなのだ。
悠然とした立ち姿だの、凛々しい立ち振る舞いなんて褒めたたえられる姿はすべて周りが勝手に作り出した幻に過ぎないのだ。
よってカタリナ・クラエスに関わっても学ぶことはないと、私はなぜかやたら近寄ってくる彼女と距離をとるように心がけている。
そもそも私は馬鹿が嫌いだ。
自分ができないからとできる人間を貶めようとしてくる馬鹿なやつらにこれまでさんざん嫌な思いをさせられてきたからだ。
(まぁ、カタリナ・クラエスがそういった人間ではないことは分かってはいるが……)
なので、これからも私はカタリナ・クラエスと仲良くなるつもりなど微塵もないのだ。
しかし、「ジンジャーちゃん、これ食べる」「ジンジャーちゃん、これみてみて」
なぜかカタリナ嬢はニコニコと私の元にやってくる。
他の人たちのように彼女をチヤホヤするわけでもなく、むしろかなりそっけなくしているはずなのに何故だ。まったくわからない。
「いや~、確かにそっけない感じはするけど、なんやかんやとちゃんと話を聞いて色々としてあげているじゃない」
同じ学年で同じく生徒会のメンバーであるフレイはそういってにやりとした笑みを浮かべた。
学年次席の成績を収める彼女は、私と違って魔力も高く、家は侯爵家という完ぺきな貴族令嬢である。
ただし彼女は他の令嬢たちのように私を妬んで嫌がらせをしたり、無視したりしないのだ。
むしろ積極的に話しかけてくる。
そして「あんたといると退屈しないし、面白いのよ」などと言う。
生まれてこのかた「つまらない」「かたぶつ」などと言われても「面白い」などと言われたことのなかった私なのだが……高貴な貴族の方の考えることはよくわからない。
そんな感じでこのフレイという同級生は唯一、私がまともに会話する相手なわけなのだが、その彼女が、私の疑問「なぜカタリナ嬢は私に積極的に話しかけてくるのか」というものに対して答えたのが、上記の言葉だった。
だが……
「何かしているつもりなどないが」
そもそも他の生徒会メンバーと違い私はカタリナを好いてなどいない、むしろあの馬鹿さ加減に呆れるばかりだ。
一応先輩なのでそこは立ててはいるつもりだが……。
そのようなことを説明する私にフレイは、
「ははは、完全に無自覚なんだね」
とよくわからない返答を返してきた。どういう意味だ。
結局、その後、フレイと話を続けても答えが出ることはなかった。
その日は授業で分からないことがあり教師に尋ねてから生徒会室に向ったため、到着がいつもより遅れた。
すると、同じ生徒会メンバーである同級生の何人かが先についていたらしく、中から話し声が聞こえてきた。
「あの態度ときたらなんなの! 腹立たしいですわ、ジンジャー・タッカー」
「本当に!何様のつもりなのかしら」
「少し頭の出来がよいというだけでつけあがって」
私は思わず、ドアにかけようとした手をひっこめた。これは私が入ってはいけない場面だと察する。
私の態度が皆に不快を与えるのはよくあることのようなので、こういうのは慣れっこだ。
特にこの学園に入ってからは実力のそぐわない生徒会入りに対する妬みも強いので、このくらいのことはよくあることだ。
他の生徒会メンバーたちが、私を面白く思っていないのも気付いていた。
なので仕方ないことだ。少し時間を空けてから入ろう、そう思った時だった。
「ジンジャーちゃんは別につけあがってないと思うよ」
初めからそこにいたのか、突然の第三者の声が彼女たちの怒声にかぶった。
「カ、カタリナ様、いらっしゃったのですか!」
驚いた声に、中の彼女たちもカタリナの存在に気が付いていなかったことが知れた。
突然のカタリナの登場に、それまで私のことを悪く言っていた彼女たちはひどく動揺したようだったが、それでも一人の令嬢が再び口を開いた。
「カタリナ様は、優しすぎるのですわ。だいたいタッカーさんときたらカタリナ様に対しての態度も悪すぎますわ。カタリナ様も内心は腹が立っているのではありませんか?」
この令嬢の質問に私は思わずドキリとしてしまった。
それは私自身がずっと思っていたことだ。あのような態度をとられてもカタリナは少しも変わらずに接してくるが、内心では彼女たちのように腹を立てているのではないかと……。
そ、そうだとしても、それは当然のことだし、それならそのうちに愛想をつかして私から離れていくだろうから喜ばしいことであるはずなのに……なぜか、気持ちがざわついた。
私はじっと扉の前にたたずんでカタリナの答えを待った。
すると、
「あのような態度って?」
聞こえてきたのは間の抜けたような声。
「え! あのカタリナ様がわざわざお声をかけているのに、そっけなく邪険にするようなあの態度ですけど……」
驚いた声をあげた令嬢たちに、
「ああ、確かに返事は少しそっけないけど……邪険になんかされたことないけど……むしろあの子すごい親切で優しいよ」
「……」
おそらく絶句しているのであろう令嬢たちにカタリナはさらに続ける。
「あなた達ももっと話しかけてみるといいよ。確かにちょっとツンツンしたとこあるけど、実は面倒見もいい子だよ。たまにすごくデレて可愛いし、いわばツンデレだよ」
「……ツンデレ?」
謎の単語を復唱し、完全に令嬢たちは言葉を失ったようだ。
私はなんだか顔がかっと熱くなったので、外で冷やして来ようと扉の前を離れようとした。すると、いつのまにか隣にフレイの姿があった。
どうやら彼女も生徒会で仕事をしようとやってきたらしい。
「ふふふ、ジンジャーったら顔真っ赤だよ」
どこから聞いて見ていたのか、フレイがにやりとした笑顔でそう言ってきた。
「……外からきて少し熱かったから」
どこか言い訳めいた風にそう返すと、
「そう、でも顔もいつもの厳しい表情が崩れて、笑顔になってるよ~」
くすくすとそう言われ、私は思わず自分の顔を抑えた。
「……気のせいよ!」
私は吐き捨てるようにいうとさっさとその場を離れた。
私が親切で優しい、可愛い……まったくあのお馬鹿令嬢は何をいってるんだか……本当にあのカタリナという人物は意味がわからない。
私は速足でずんずんと学園の中庭を進んだ。特に目的があったわけではないが、どうもじっとしていられなかったのだ。
そうして意味なく庭を回っていると、
「本当に嫌になるわね、あの女」
「あんな頭もよくなくて魔力もほとんどないくせに、身分だけでチヤホヤされて」
「そのとおりよ、あんな女、ジオルド様にはまったく釣り合っていないわ」
「ジオルド様も、生徒会の皆様もはやく目を覚まして、あのような馬鹿女捨ててしまえばよいのに!」
数人の令嬢たちが、険しい口調でそのように話しているのが、聞こえてきた。
そしてその内容からそれが誰を指す悪口なのかもわかった。
彼女を慕うものは多いが、完璧な王子であるジオルド様の婚約者であるということや、他の優秀な生徒会メンバーにも好かれているということから一部の令嬢たちなどからはひどく妬まれていると聞いたことがあったが、実際にこうして悪く言われている現場に出くわしたのは初めてだった。
私は思わず足を止め、物陰から彼女たちを伺った。
「目障りで仕方ないわ」
周りに人がいないことから彼女たちの言動も酷くなっていった。
「あんな身分だけ女さっさとどこかへ消えてしまえばよいのに!」
「そのとおりよ!」
その彼女たちの発言に私の中でふと何かがはじける。
確かにカタリナ・クラエスはお馬鹿で魔力も大したことない変人だ。
だが……この令嬢たちが言うような身分だけの存在などではない。ましてや、こんな風に言われるような人物ではない。
「きぁ、なに?!」「なんなの!!」
突然、吹いた突風に令嬢たちの整えられた髪もドレスもぐちゃぐちゃになる。
慌てた彼女たちの様子に溜飲を下げた私は、そっと気付かれないようにその場を去る。
基本的に学園内で、私事で魔法を使うのは禁じられているので、見つかるとまずい。
しかし、少し歩きだしたところに、どうやら私を追ってきていたらしいフレイが再びそれはにやにやした笑みを浮かべて立っていた。
「やっぱり、ジンジャーもカタリナ様が大好きだよね」
そう言ってまたくすりと笑ったフレイを、私は力いっぱい睨みつけた。
★★★★★
「ほらジンジャーちゃんこれも美味しいよ。もうずっと頑張ってるんだから少し休憩して食べようよ」
僕、ジオルド・スティアートの婚約者であるカタリナはそう言って、一学年下の生徒会メンバーであるジンジャー・タッカーにニコニコと菓子を差し出した。
すると、いつもなら割とそっけない感じで「後で結構なのでそこにおいておいてください」などと返すジンジャーが、今日は
「ありがとうございます」
と素直に菓子を受け取った。
意外に思って気付かれないように観察していると、いつも無表情のジンジャーの唇がわずかに持ち上がっているのがわかった。
おまけに良く見ればその頬は少し赤くなっている。
そんな様子を目にして、僕はまたかと思わずため息をつきそうになった。
ジンジャー・タッカー、一学年下である彼女は魔力こそ低いがその学力はここ数十年でトップクラスといわれるほどの秀才で、すでに学園卒業後に彼女を欲しいという組織は多いといわれている。
そんな彼女は、いつもどこか孤高な雰囲気を漂わせ、誰ともさほど親しくしないというスタンスを貫いていたのだが……ついにカタリナに落ちた……いや、落とされたようだ
生徒会のメンバーとなった初めのうちジンジャーはカタリナにさほどよい印象を持っていないようだった。
なので、特にカタリナと親しくはしていなかったのだが……
ある時、カタリナの秘密(本人はあまり秘密と考えていないが周りが、一応公爵令嬢である彼女の名誉のために隠していた)学園内での畑づくりが彼女にばれたことにより、二人の仲は急接近した。
というよりカタリナが一方的にジンジャーに懐き出したのだ。
なんでも畑でとれた作物をそれは美味しそうに食べてくれたとのことで、相当嬉しかったようだ。
いきなり懐き出した上級生であるカタリナにジンジャーはだいぶ戸惑っていたようだが、
それでも、素直でお人好しな性格なのだろう、ややそっけないながらもきちんとカタリナの相手をしてくれていた。そんなジンジャーにカタリナはさらに懐いていった。
そしてジンジャーの方もそんなカタリナに少しずつ態度が軟化していっていたのは感じていた。
しかし……今日のこの様子を見ると、ついにジンジャーも完全にカタリナに誑し込まれたらしい。
僕の婚約者であるカタリナは、本人にまったく自覚はないがとんでもない人誑しだ。
少しこちらが目を離した隙にすぐに人を誑し込んでいる。それも老若男女関係なくだ。
八歳で婚約してからずっとそんな調子でどんどんカタリナ信者を増やし続ける彼女に、もう仕方ないと諦めつつも少しは自粛してほしいと思ってしまう。
特に、力を持つ者をこれ以上、誑し込んで欲しくない。さすがにライバルの数が多すぎる。
あれだけ仕事ができるジンジャー・タッカーが、僕とカタリナの仲を裂こうとする筆頭であるメアリの勢力に取り込まれたりすれば、またかなり厄介なことになるだろう。
また新たな懸念が増えたことに内心、深いため息をつく。
そして、元凶である婚約者に目をやれば、彼女はいつもと変わらずにこにこと楽しそうに笑っていた。
これからも僕の悩みは尽きそうにない。




