前世を思い出しました
調子にのって明け方近くまでゲームをしてしまい……案の定、朝寝坊した。
制服に着替えて、顔だけ水でさっと流すと、髪もとかすことなくボサボサの頭で玄関へ向かう。
「仮にも女子高生がそんな恰好で恥ずかしい」と母の小言が聞こえたが、さらっと聞き流す。
玄関を出ると中学から愛用するチャリに飛び乗り、ペダルを全力で回す。
自宅から大通りに続く下り坂ではさらに調子づいてさらにペダルを回す。
さらにさらにペダルを回す。さらにさらに回す。
回す回す回す……回しすぎてチャリが止まらなかった。
チャリは交通量過多の大通りにそのまま突っ込んだ。
…ブラックアウトしていく意識の中……「このアホがー」という家族の声がこだましていた。
★★★★★★★★★★★
……という前世の記憶を……先ほど頭を強く打った拍子に思い出した。
カタリナ・クラエス、御年八歳。
クラエス公爵の一人娘として今日まで蝶よ花よとそれは可愛がられてきた。結果、高慢ちきな我儘、お嬢様に育った。
本日、私は父に付き添い王宮にやってきた。
そして同い年の第三王子様に王宮の庭園を案内してもらう予定だった。
はじめて会った王子様は、金色の髪に青い瞳の美しい天使のような容貌だった。
しかも八歳とは思えないほど落ち着いてしっかりした子だった。
そんな、王子様に我儘お嬢様は一目ぼれ、そのままひたすら王子様にべったり付きまとった。
甘やかされて育ったので、人の迷惑などお構いなしだった。
そうしてかなりべったり付きまとい、しまいにはべったりしすぎて王子様にぶつかり転んだ。
転んだ勢いはたいしたことはなかったが、なにぶん場所が悪かった。
ちょうど転んだ先に庭園の飾り岩があり、そこに強く頭をぶつけてしまった。
ぶつけたのは額で、どうやらそれなりにざっくりいったようで多量に血が噴き出していた。
王子様や付き添っていた召使の方々はあわてふためいていた。
……しかし、私といえば吹き出る血など問題ではなかった。
なんせ、その衝撃にて前世の記憶を取り戻したのだから。
前世の私は享年十七歳の女子高生だった。
つまり現在の八歳の意識と記憶の中に、突然十七年分の記憶が入ってきたのだ。
はっきりいって頭がショートするかと思った。
茫然とする私はそのまま医務室に運ばれ治療され、そのまま屋敷に強制送還となった。
そして私はその後、五日間程、高熱をだしうなされ続けた。
★★★★★★★★★★★
五日後、熱も落ち着く頃には何とか頭の中の記憶も落ち着き、ようやくベッドからも起きられるようになった。
すると、なんとそんな私のもとに王子様がお見舞いに訪ねて来られた。
まだ、ベッドから起き上がるのがやっとという私を気遣い王子様は寝室に訪問してくれた。
「こんにちはお加減はいかがですか?クラエス嬢」
第三王子ことジオルド王子様がその天使のように美しい顔を曇らせ私に声をかけてくれた。
あぁ、なんて可愛らしいお顔なのでしょう.
前世の記憶が戻る前のカタリナはただジオルド王子に恋していたようだが……
さすがに十七年分の記憶を取り戻した私が、八歳の男の子に恋心をいだくことはない。
しかし、ジオルド王子はなにせ天使のような愛らしい風貌のお子様でとにかく見ているだけで目が癒される。
お姉さんは思わずにまにましてしまいそうになる。
まさかそんな風ににまにま鑑賞されているとは思いもしないであろうジオルド王子は、返事のない私にさらに曇った顔を向ける。
「……本当に、申し訳ありませんでした。お顔にこのような傷を作ってしまって……」
ジオルド王子がなにやら頭を下げて来られましたが……
そもそもこちらが一方的に付きまとった挙句に転倒して、おまけに王宮の素敵な庭園にて流血沙汰を起こしたわけですから……「いやいや、こちらの方がすいませんでした」という感じだ。
私はあわてて返した。
「どうか、頭を上げてくださいジオルド様。今回のことは、すべて私の自業自得でおこったことです。むしろ、王子をはじめお城の方々にご迷惑をかけてしまい、こちらが謝罪に行かなければならないところです」
と私が殊勝に頭を下げると、王子はひどくびっくりした顔をする。
なぜだろうと考えて、そういえば、王子と会った時の私はまだ我儘お嬢様であったことを思い出した。
ちなみに、このびっくり顔はこの五日間、我が家の召使さんたちの間で大流行だ。
蝶よ花よと育てられたお嬢様はお家でも高慢ちきな我儘姫であり、それはそれは横柄に振舞っていた。
しかし、十七年分の庶民の記憶を取り戻した私が以前のように偉そうに振舞えるわけもなく……
今、屋敷ではお嬢様は頭をうったのと高熱で寝込んだのですっかり性格が変わられたとの噂でもちきりだ……
王子とはまだ、一度しかお会いしたことはなかったが、それでも初めの時からのあまりの変わりようにびっくりしたのだろう。
しかし、実に優秀な八歳である王子はすぐにその衝撃から回復された。
「いえ、しかし私がもう少ししっかり周りを確認していれば……あなたにぶつかってしまうこともなかったのに……額の傷も残るかもしれないとのことで、本当に申し訳ありません」
と改めて深々と頭を下げる小さな王子。本当に立派な王子様だ。
クラエス公爵家のわがままカタリナ嬢とはえらい違いだ。
確かに、今回の事故で私は額を切ってしまい少しだが縫うこととなった。
そして一センチくらいのちょこっとした横傷が額に残っている。
しかし私からしたら……たかだか一センチ程度の傷が額にちょこっと残るからなんだという感じだ。
自慢じゃないが、前世の私は少しばかりやんちゃな子供だった。
小学時代は兄二人について裏山をかけずりまわっていた。
そのため生傷が絶えず、縫うような傷を作ったことも何度かあった。
初めの方こそ「女の子なのに」と言っていた母も次第に諦めたようで最終的には何も言わなくなっていた。
なので、こんな額のちょこっとした傷が気になるわけもなかった。
「いえいえ。ジオルド様こんなかすり傷、気になさらないで下さい。だいたい、額の傷なんて前髪でぱぱっと隠せるのでなんの問題もございませんわ」
これ以上、ジオルド王子に気をつかわせてしまってはと私は満面の笑顔で返す。
するとなぜだか、王子はさらにびっくりした顔でついには固まってしまった。
ジオルド王子だけでなく、寝室に付き添っていた召使さんたちも一様に固まってしまった。
なんだか寝室には微妙な空気が流れていた。
そんな空気の中、最初に口を開かれたのはジオルド王子だった。
本当に素晴らしい八歳だ。精神年齢十七歳+八歳も見習わなくては。
「……その、あなた自身が傷を気にされなくとも社交界ではそうはいきません。傷モノとして今後の婚姻などに影響が出てくるかもしれないのです」
「………はぁ…」
私は間の抜けた返事を返しながら考える。
確かに、前世の世の中なら額の一センチ程度の傷が結婚に影響することはないだろう。
しかし、今世のこの中世ヨーロッパ風な貴族社会はまさに足の引っ張り合いだ。
政略結婚が当たり前の世の中、ちょっとしたことでも不利な材料とされてしまう。
貴族社会って本当に面倒だな。
正直にいって、これから年を重ねて社交界デビューとかしなきゃいけないのもすごく憂鬱だ。
カタリナの記憶しかなかった時は、大人になって社交界に入るのが当たり前だとしか思っていなかったが……
前世の記憶を思いだした、今となっては本当に面倒で面倒でしかたない。
そもそも、小学時代は野猿として野山を駆け回り、中学からはバリバリのオタク女子となり部屋に引きこもっていた人間に社交界とか無理だし………
あぁ、前世に戻りたいな。ポテトチップス食べたい。マンガが読みたい。アニメ観たい。ゲームがしたい。
「……リナ様、カタリナ様…」
「…あ、はい」
すっかり前世に思いをはせていたために……全く王子のことを忘れてしまっていた。
何やら、一生懸命話しかけてくれていたようだが、まったく聞いていなかった。
すみません王子。
「では、そういうことでよろしいでしょうか」
「……は、はい。わかりましたわ」
愛らしいジオルド王子が真剣な表情で私を見つめていた。
まったく聞いてなかったが、とりあえず笑顔で返した。
「では、またあなたの体調が優れた頃に改めてご挨拶に参ります」
そう言って微笑んで礼をすると、愛らしく誠にご立派な八歳ジオルド王子は寝室を後にされた。
正直まったく話を聞いてなかったし、なんの挨拶にくるのだろうと思いつつも……
まぁ、後で一緒に部屋についていてくれた召使さんに聞けばいいやと、とりあえず私も笑顔で王子をお見送りした。
こうして、突然の王子様の訪問は終わった。
とりあえず、病み上がりに来客がきて疲労したため、もうひと眠りしよう。
…おやすみなさ…
「お嬢様!おめでとうございます!!」
おやすみ体勢に入ろうとした私をカタリナお嬢様付のメイドであるアンが揺さぶり起こしてきた。
…眠りたいのに…
ジオルド王子の訪問時も部屋に控えていてくれたアンだったが、なぜだか異様に興奮していた。
顔が真っ赤だ。どうしたのだろう、愛らしすぎる王子の魅力にやられたのだろうか。
私の迷惑そうな視線を気にすることなくアンはさらに興奮して続ける。
「ジオルド様は第三王子とはいえ、とても優秀であられるとのこと。我が国では次期王は現王の指名制で、ジオルド王子が国王様になられる可能性だってあります。ジオルド王子の婚約者となれば、お嬢様は未来の王妃様も夢ではありませんね。ご婚約本当におめでとうございます」
ん、なんだ、今、なんて?変な言葉を聞いた気がするぞ。誰と誰が婚約だって?
「え~と……アン、いまなんて言ったの?もう一度お願いできる?」
「はい!ジオルド王子の婚約者となれば、お嬢様は未来の王妃様も夢ではありませんね!!婚約おめでとうございます!お嬢様」
「……誰と誰が婚約ですって……」
「何をおっしゃっているんですかお嬢様!もちろんジオルド王子とカタリナお嬢様のご婚約ですよ!!」
「………なんですって~~~~~!?」
私の絶叫は屋敷中に響き渡った。
そして、またお嬢様は頭の怪我と熱のせいで……としばらくささやかれることとなった。