澄んだ白色の歪んだ稜線
昔一度だけ見たことのある地上は、僕の目には穢れたように映らなかった。
一瞬しか見えなかったけど、そこには不思議な温もりが感じられたし、何より、実体を伴い、現実性を帯びたオリジナルの存在というものに圧倒された。
僕等の周りにはヒトの手によって造られたものしか存在しない。
地上から遥か三千メートル上空に聳える水平なプレート。それが僕等の世界の全て。
プレートは、地上の奥底から生えるように伸びた、無数の支柱によって支えられている……、と教えられた。というのも、通常、地上と呼ばれる下界は、プレート下に漂う乳白色の大気によって常に遮断され、目視することはまずできない。だから支柱が実際何から生えているかなんて確かめようがなかった。
でもあの日、偶然が重なって一瞬だけ地上を肉眼で見ることができたのだ。
僕が見た地上は穢れとは程遠いものだった。むしろ美しさとしか形容しようがない、どうしようもないぐらいヒトの魂を打ち振るわせる壮大な景観が、地上には広がっていたのだ。
僕等の世界にないもの、その全てが地上にはある気がした。
だが、地上は穢れの対象として、それに関わる事の一切が禁止されている。まして肉眼で目視するなんてもっての他だ。それでも僕の地上に対する焦がれは募るばかりだった。
「おい、アシヒコ、どうしたんだよ? 口開けっ放しでぼんやりして」
声をかけられて我に返ると、級友のカルカラがきょとんとした表情で僕の顔を覗き込んでいた。
「ああ、ごめん、ちょっと意識飛んでたかも」
咄嗟に僕は返事を返したが、ぼんやりしていた理由は付け足さなかった。
「お前、最近しょっちゅう呆けっとしてるけど大丈夫か? センターに行って調整してもらった方がいいんじゃないか?」
「大丈夫、たぶんパーソナルデータにブランクが出来ただけだから、自分で修正できるよ」
「だといいんだけどな……。心配なんだよ」
不安げな言葉が尻すぼむように小さくなる。と同時にカルカラは、とても長い黒髪をなびかせながら優雅に身を翻した。
髪の端が僅かに僕の頬に触れる。
こそばゆい感触が僕の記憶を刺激し、何故か唐突に、文献で見たヘビを連想した。
カルカラの長い髪は、あるいはその昔ヘビだったのかもしれない。
「実感ないけど、あと二年なんだ、お互いどこかがおかしくなっていても不思議じゃない」
その言葉は僕に重くのしかかった。
そう、あと二年しかない。カルカラの不安と、僕が抱える不安は全く別種のものだけど、
焦燥感は共有しているのかもしれない。
「あと二年……」
僕はぽつりと呟いた。自分に言い聞かせたかったのか、自覚がないわけじゃないのだけど。
「さあ、帰るぞ、ここでの用はもう済んだのだし、あまり長居するのもよくない」
僕はカルカラが何かから逃げようとしているのではと勘繰ったが、何の事はない、逃げるべき現象は今何をしていようと迫ってくるものだ。
「分かったよ、ベースに戻ろう、ついでに先生への報告は僕の方からしておくよ」
僕はそう言いながら、カルカラを追い越して旧施設のドアをくぐった。
施設を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
僕等の帰還を察知した誤龍がゆっくりと漂うように浮遊し、近づいてくる。
誤龍の装甲は外灯を反射してきらりと銀色に輝いていた。
「設定の方は出る時に私がしておいた、後は乗るだけでベースまで運んでくれる」
カルカラはそう言うと、僕の背中を軽く押して、早く誤龍に跨るよう無言で促してきた。
「ありがとう、カルカラは前後どちらにする?」
「帰りは後ろでいい、アシヒコが前に乗れ」
そういうと、カルカラは誤龍全体の調子を見極めようと少し後退しながら、アシヒコが誤龍に跨るのを確認した。
「よし、何問題なさそうだ」
そう言うと、カルカラも誤龍に跨り、後ろから僕の腰に手を回した。両手でしっかりと捉まられているのが分かる。
「それじゃ、戻ろう」
誤龍はゆっくりと浮上しつつ、目的地への方向を定めると、徐々にそのスピードを上げて滑空していく。