71.ロアン編:『誇りの凋落』 その2
「ねえロアン様。もしも私が優秀じゃなくなって、ロアン様の仕事も代わりにできなくなってただのグレイスになったら、ロアン様はどうする? それでも変わらず私を守ってくれる?」
ロアンの目が大きく揺れた。
「いや、お前、何言ってんだいきなり」
「いいから答えてよ」
「だってそんな、あまりにも現実味がなさすぎんだろう!? グレイスは実際優秀だし、どんな時だって仕事に手抜かないし、体だって丈夫で」
「けどさ、もしかしたら急に体を崩すことだってあるかもしれないじゃん。そしたら仕事だってうまくできなくなるだろうし」
「お前は壊れないって前に言ったろう!」
「言ったけど、世の中に絶対なんてないでしょう。事故に遭う可能性だってあるし。で、どうなのロアン様。私がもしもそういう状況になったら、それでも私を守るって誓える?」
グレイスからのまっすぐな質問に対し、ロアンはまだ、問いの意味さえ掴めずに戸惑っていた。
「……なんだよ、そのもしもとか……そんな状況、想像できねぇよ!」
「そうだよね。ロアン様って、壊れる人の気持ちなんて分からないもん」
「……は?」
ロアンが顔をしかめる。
グレイスはあえて優しい声で続けた。
「ねえ、覚えてる? ロアン様が言ってた、生徒会にいたけど体を壊して辞めた子の話。ロアン様のお友達だったっていう」
ロアンの肩がびくりと跳ねた。
「……あいつの話は、もう……」
「ロアン様はさ、その子を守れなかったって、ずっと悔やんでるんだよね?」
「……ああ。当たり前だ。俺は、アイツを……守るどころか……」
そこまで言いかけ、ロアンは口を閉ざす。
グレイスは静かに目を細めた。
「でもそれ、ロアン様が守れなかったんじゃないよ」
「……どういう意味だよ」
「『壊した』んだよ。ロアン様が」
ロアンの顔から、音がするように表情が消えた。
「な……」
絶句するロアンを前に、グレイスは、自身がアレクの知り合いだということを伏せ、続ける。
「私ね、ロアン様が『ロアン様の思う守る』を押し付けてるような気がするなぁって感じるようになって。……そしたらね、私のことを心配してくれた他の人達が、教えてくれたんだ。私の今の状況が、前に生徒会にいて壊れちゃった人に似てる気がするって。――その子も、ロアン様に守ってもらう代わりに、仕事たくさん肩代わりしてあげてたって」
これは本当の話だった。
生徒会の三人に仕事を押し付けられるグレイスを心配して、声をかけてくれた生徒達。
その中に、アレクのことを覚えていた生徒もおり、彼らから実際に聞かされた話だ。
当時の生徒達は、ロアンの人懐っこさもあって、二人の間には共存関係のようなものがあると思っていたらしい。
だからこそ、ロアンがアレクに無理やりさせているかもしれないとは考えなかったようだ。
けれどこれだけロアンへの不信感が募ると、あの時もしかしたら……という結論に彼らが至るのは、想像に難くない。
「皆言ってたよ。もしかしたらロアン様の面倒なこと、できないこと、苦手なこと……今考えたら、全部ロアン様に丸投げされて、断れなかっただけなんじゃないかって」
「違う……! 俺はあいつを守ってた。その代わりに仕事を手伝ってもらってただけだ! それにあいつは、俺の頼みごとを、嫌な顔一つせず引き受けて……」
「本当にそうなの? 皆の言うように、その子も断れなかっただけじゃない? だってロアン様って上位貴族じゃん。そんな人が困った顔で助けを求めてきたら、普通の人は嫌だって言えないよ。私もそうだったし」
「お前は、俺に頼ってもいいって言ってただろうが!」
「うん。言ったけど、さすがに全部丸投げされるとは思わなかったよ。しかも、どんどんその量がエスカレートするし。私だって正直、数回は生徒会室で徹夜したし。でもさ、そんなこと言えないじゃん」
グレイスの声は優しい。
しかし、その優しさが刃のようにロアンの胸を刺す。
「それにね、ロアン様」
塔の上を吹く風が強くなる。
ヒマワリの花弁が二枚、ロアンの握りしめた手から飛んだ。
「その子、ロアン様の分まで全部引き受けるようになったあたりから、弱っていったっぽいんだ」
「は?」
「ちょっと気になったから調べてみたんだよ、その人のこと。保健室の入室記録も先生に頼み込んで見せてもらったんだけど、確かにある時から回数が異常に増えてた。それが、ロアン様が仕事を押し付けた頃と重なるんだ。あと、生徒会室に泊まり込みで仕事する日も多かったみたい。その人が出した申請書の控えが、生徒会室に残ってた」
「保健室……? なんだよ、それ。それに、泊まり込み? そんなこと、俺は、知らねぇぞ」
「え、でもロアン様、その人のこと守ってたんだよね? 友達だったんでしょう? なのにその人の体調が悪くなってたことも、泊まり込んで仕事してたことも知らなかったの?」
「……っ」
ロアンの喉が震えた。
そこでグレイスが畳みかけるように言葉を吐く。
「ならロアン様ってやっぱり口先だけだったんだね。んで、ロアン様は予想通り、頼り過ぎたら壊れちゃう弱い相手には興味がなかったと。しかもその子が弱くなった原因って、どう考えてもロアン様じゃん。なのに守りたいだなんて矛盾してるよ」
「そんなこと……ない……!」
「あるよ。だって実際知らなかったんでしょう? そして最後は見捨てた」
「ちが……」
「なら私のことも、きっと仕事ができなくなったら見捨てるんだよね。その人みたいに簡単に。……さっきの質問に答えられなかったことが、何よりの答えだよ」
ロアンの瞳が大きく揺れる。
記憶を抉り返された痛みが、表面からダダ漏れになっているようだ。
――それは、壊したことへの痛みではなかった。
「……ッ……!」
ロアンは血が出そうなほどに唇を強く噛む。
グレイスはそれでも喋ることをやめない。
徹底的に、ロアンの感情が爆発するように追い詰める。
「ロアン様、あなたが守りたいのは何?」
グレイスは塔の柵に背中を預けると彼に問いかける。
彼が守護すると決めた相手からの攻撃に、ロアンの足がわずかによろけた。
「……っ、俺は……!」
「私が答え、教えてあげる」
グレイスは、風に揺れるヒマワリを見下ろしながら、ロアンが好んでいるであろうグレイスの笑顔を浮かべた。
「あなたが守りたいのは、自分の誇りだけ。そして、その誇りを保ってくれる人を欲している」
ロアンが胸を押さえるようにして一歩、グレイスへ近付く。
同時に彼の手からヒマワリが落ちる。
喉の奥で、彼の声にならない悲鳴がこもる。
「俺は……俺はあの時……守りたかった! だから次こそは、あいつみたいな奴が現れたら守るって誓ったんだ!」
「次って……。私はその人の代わりってこと? でもさ、結局ロアン様は同じことをしてるよね。私は強くて今のところ壊れてないけど、ロアン様はその人にしたのと同じように、仕事を全部私に丸投げして、代わりに守ってやるって言って。正直、このままいったら私だって壊れちゃうよ」
「そ、んなことは」
グレイスの瞳が細く、鋭くなる。
「あるよ。あなたは守る気なんて、最初からなかった。結局あなたは誰も守れない」
「やめ……やめてくれ……俺は……あいつも……お前だって、守りたくて……!」
「実際はずっと、守ってやってる俺でいたかっただけ」
「違うっ!」
ロアンの叫びが塔に響き渡った。
その声は怒りでも否定でもなく――自分の醜さを鏡で見せつけられた弱者の悲鳴だった。
ロアンは、まるで胸を殴られ続けているかのように荒い息をしていた。
塔の上に、剣の音と風の音、そしてロアンの呼吸だけが満ちる。
グレイスは、静かに追い詰める。
「ロアン様。本当に守りたかったのなら――」
わざと、優しい声で問いかけた。
「どうして壊れる前に、彼の手を取らなかったの?」
「……っ!」
「どうしてあなたは簡単に見捨てたの? 友達だったんでしょう?」
ロアンの肩が大きく震える。
「どうして壊すほどに彼に頼ったの?」
「黙れ……」
「あなたのその腕は、きっと守るためにあるんじゃない」
「黙れ……!」
グレイスは、俯き体を震わせるロアンに、彼が最も激昂するであろう言葉を向けた。
「あなたは誰も守れない。人も、己の誇りも。だってあなたはその腕を誰かを壊すために使うのだから」
「黙れって言ってんだろうがぁあああッ!」
ロアンが吠えた。空気が大きく震える。
その叫びは、怒りというより、自尊心の破裂音のようだった。
彼の瞳は血がにじむように見開かれ、呼吸は荒く、拳は震えている。
「俺は……俺は……! っ、誰かを助けるために生きてんだよ!」
「へぇ、助ける。本当に?」
グレイスは笑った。
その顔はもう、ヒロインの顔ではない。
「あなたが助けたいのは誰? 本当に、助けを求める他人?」
ロアンの顔が歪む。
「よせ……」
「あなたが守りたい時に守り、それ以外は、あなたが頼っても自分で何とか出来る強さを持つ壊れない人間。そんな都合のいい生贄を守るふりをすることで、強くて、頼られて、崇拝されて、自分の自尊心が満たされる」
「っ!」
「――私はそんなあなたの都合のいい道具に成り下がるつもりなんて、ないから」
「やめろっ!」
ロアンが、再度声を上げながらグレイスに腕を伸ばした。
その指先が、グレイスの襟首を乱暴に掴む。
「ふざけるなっ! 守られる立場の分際で、とやかく言われる筋合いはねぇ! お前はただ俺に守られていればいいんだ!」
「やっと本性が出たね。そっちのあなたの方がずっとお似合いだよ」
「っ、てめぇ、このクソがっ!」
グレイスの首を絞める力が強くなる。
息が苦しくなるが、構わずグレイスは続ける。
「やっぱりあなたは壊すもの。私もあのヒマワリのように、踏みつぶして壊すつもりなんだね」
その言葉に、一瞬ロアンが下を向く。
彼の足元には、彼自身が踏みつぶし無残な姿になったヒマワリがあった。
ロアンの顔が歪む。
そこにはわずかに恐怖があった。
己が壊すものだと、そう言いたげな証拠が目の前にあるのだから。
しかしグレイスは尚もロアンを煽る。
「……何が私のことが好きよ。私自身なんてちっとも好きじゃなかったくせに」
そう言うとロアンの血走った目が大きく見開かれる。
「お前、こそ、本当は……俺のことなんか……!」
「うん。ロアン様のことなんて、好きでも何でもないよ」
笑顔のまま告げると、ロアンの顔から理性が消えていく。
「お前ぇっ……」
グレイスの体を、ロアンは力任せに持ち上げる。塔の床石に、転がったヒマワリが跳ねた。
グレイスの足元が揺らぎ、塔の柵から身体が半分外に出る。
塔の縁が足の裏から少しずつ遠ざかる。
同時に、塔の下から練習している生徒達の声が耳に届いた。
「さっきから誰かの声が聞こえる」
「待て、あれ誰かが上から突き落とされそうになってないか!?」
「塔の上か!? おい、誰か急いで助けに行け!」
その声は、ロアンには聞こえていないようだった。
「なんで……なんでお前は……俺を否定するんだよ……!」
「否定って……。実際そう見えるんだから仕方ないじゃん」
「俺は、お前を守りたかっただけで……!」
「騎士として?」
「そうだっ! 俺は守らなきゃなんねぇ! 守る立場にある! グラディス家は代々騎士を輩出する家だ。俺はそこの跡取りだ。生まれながらにして俺は誰かを守る使命を帯びてんだ!」
ロアンの声を聞きながら、グレイスはそっと外へと目を向ける。
下には騒ぎを聞きつけ、人が集まりつつある。
――見えている。ちゃんと、見てる。
そして視界の端に、特徴的な輝く髪色を見つけ、グレイスは心の中で安堵した。
準備は万端だ。
目撃者も十分。
塔を上がってくる足音もかすかに聞こえる。
呼び出した人物も下にいる。
あとは――。
締まるグレイスの首元。
それでもグレイスはふっと笑った。
彼を嘲るように。
「っ、なにがおかしい!」
完全な理性の崩壊は、すぐそこまで迫っている。
それを実感したグレイスは、ロアンを壊すため、最後の言葉を絞り出した。
「だって人を壊すロアン様は――騎士なんかじゃないから」
その瞬間、ロアンの瞳から正気が焼き飛んだ。
「黙れぇぇぇぇぇっ――!」
怒りが限界を超えたロアンは、グレイスの体をそのまま下へと突き落とした。
風の音が急に大きくなった。
そんな状況にもかかわらず、グレイスはゆっくりと微笑む。
結局、ロアンは守るためではなく、壊すために動く人間だ。
視界がひっくり返る。
風が、体をさらう。
下から誰かの悲鳴が届く。
宙を舞うグレイスを見つめるロアンの瞳が、一瞬だけ見開かれる。
しかしその瞳に浮かんでいたのは、助けたいという焦りではなく、ただ、やってしまったという自分の未来を恐れている感情だけだった。
最後の瞬間まで、ロアンは己のことしか考えられない男だった。
それを確認しながらグレイスは下へと落ちていった。




