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ヒロインが『復讐者』になった理由 ―乙女ゲームのヒロインは、大切な人のために復讐を誓う―  作者: 春樹凜
第8章 復讐

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72.ロアン編:『誇りの凋落』 その3



 身体が重力に引かれ、一直線に落下していく感覚。

 時間にして僅か一瞬。

 それでもグレイスに恐怖はなかった。


 落下地点にあるのは、練習場の柔らかい砂地。

 どんな状況下でも剣を振るえるようにと、この訓練場には様々な足場が用意されている。そのうちの一つだ。

 塔の下にこの砂地があることをグレイスは予め確認していた。


 グレイスは、ロアンをあえて激昂させた。

 突き落とされることも想定内。

 だが、死ぬつもりもなかった。


 とはいえ、この高さから落ちれば重傷は免れない。

 それは覚悟の上だった。


 グレイスは受け身の形を取り、衝撃に備えたが――。


 着地した瞬間、グレイスは強く背中を打ち、かはっと肺から息が漏れる。

 同時に足を変な方向に曲げてしまったためか、そちらもズキリと痛む。

 しかし、思っていた以上の痛みも苦しみもなかった。


 衝撃で頭が上手く回らず、倒れたままぼんやりと理由を考えていたグレイスだが、手に触れた感触が砂ではないことに気づく。


 続いて彼女の耳に入ってきた、下にいた生徒達の声。


「あぶねぇ! 間に合ってよかったわ!」

「マットかき集めてきた甲斐があったな」


 その声に、グレイスの口元がほんのわずかだけ弧を描く。


 ……それは、本当に偶然だった。

 グレイスが落されそうになっているのを見て、生徒達が自主的に、練習用の衝撃吸収マットを運び出してくれたようだ。

 

「大丈夫か!?」

「しっかりしろ!」


 複数の影が、グレイスを取り囲むように覗き込んできた。

 体を起こそうとすると、足首に走る痛みに顔をしかめる。

 やはり着地の際に足を怪我したようだ。

 その他にも息はまだ苦しく胸の痛む。もしかしたら肋骨の一、二本は折れている可能性がある。腕には擦りむいた傷がついている。

 

 だが、想定よりはるかに軽い。

 

「無理に起き上がらないほうが……!」

「保健医呼んでくる!」


 慌ただしく動き出す生徒達を見ながら、グレイスはゆっくり呼吸を整えた。


 ちゃんと見ててくれたのだ。

 ロアンを崩壊へと追いやるための役者は、きちんと機能してくれた。


 塔の上では、掴み合う男達の怒鳴り声が響いている。

 ロアンが取り押さえられる気配が地上からでも分かった。

 

 しばらくして、塔の階段から複数の足音が急速に近づいてくる。

 グレイスは、上半身を生徒達に支えられてその場に座ったまま、静かに視線をそちらへ向けた。


 塔と外を繋ぐドアが開く。

 ロアンは二人の男子生徒に両腕を掴まれている。

 ロアンは力も強く、体も大きい。

 周りの生徒はここで練習していた騎士候補たちだが、そんな彼らですら、必死の力で押さえているのが分かる。


 しかし、ロアンの怪力は彼らの想像を軽く超えていた。


「離せっ! グレイスは……グレイスは無事なのか!」


 グレイスを目にした途端、ロアンは怒号とともに拘束を一瞬で振りほどき、彼女の方へと突進する。

 周囲にいた生徒達が、壁のように立ちはだかる。


「待て!」

「彼女に近づくな!」


 しかしロアンが伸ばした腕が、前にいた男子生徒二人を弾き飛ばす。


「どけぇっ、邪魔だぁっ!」


 まるで軽い荷物を払いのけるような、無意識の凶暴性が現れていた。

 倒れ込む生徒、悲鳴、ざわめく視線。


 けれどロアンはそんなものは一切見えていない。


「グレイス! 怪我はないか!? なあ、大丈夫だよな、おい、何とか言えよ!」


 ロアンの声が震えていた。

 怒りでも、焦りでもない。

 ただ必死さだけが滲んでいる。


 グレイスは、痛む足を抑えながら、彼を真っすぐ見つめた。

 そして、ロアンにしか聞こえないほど小さく呟いた。


「……守るって、言ったのに」


 グレイスの小さな囁きがロアンの耳に届いた瞬間、彼の瞳が大きく揺れた。


「これ、は、……俺が……?」


 ロアンは呆然としたまま、グレイスの腫れあがった足首、苦しそうに上下する胸元、擦りむき血のにじむ腕を見つめる。


 続いて、周囲を見渡す。


 そこには――。


 グレイスを守ろうとして地面に転がされた、男子生徒が二人。

 怯えた顔で距離をとる女子生徒達。

 ロアンを拘束しようと走ってくる複数の生徒。


 彼らの視線は、一つとして守る騎士を見る眼ではなかった。

 その全てが、敵を見るような、拒絶の色を帯びていた。


「違う……! 落としたのは、偶然で。それに……そいつらだってただ、どいてほしかっただけで、力なんて入れてねぇ。なのに……なんで……なんで俺を……そんな目で……」


 ロアンの声は震えていた。

 怒りでも憤りでもない。

 ただ、理解が追いつかない子どものようなか細い声。


「お、おい見たか? さっきの……あれ……」

「グレイスさんを持ち上げて落として、更に生徒まで……!?」

「あれどう見たって自分の意志だったよね?」

「力入れてないって……あんなにあの二人吹っ飛んでいったのに」

「グレイスさん、実はロアンさんが怖いって前に誰かに相談してたらしいよ。本当だったんだね」

「それ聞いたことある」

「……それに守るって言いながら、他の生徒を追い払ってたよね」

「私も実際にそれされたことある。すごく怖かった……」

「やべぇよ……あいつ……あいつは……」


 囁くようなひそひそ声。

 しかし、ロアンには全部聞こえていた。

 守るどころか、自分が危害を加える側として扱われていること。

 彼の顔から、血の気が音もなく引いていく。


「やめろ……違う……違うんだ……俺は……!」

 

 ロアンはふらりと後ずさる。

 

 それを見ながら、グレイスは心の中で呟く。

 ……全部、思い通りになった。


 この状況がただの偶然ではないことは、グレイス自身が一番分かっていた。

 

 グレイスを気に掛ける生徒達からの言葉を受けて尚、彼女は三人を悪く言うことはなかった。

 常に彼らを庇い、彼らの期待に応えようとする健気なグレイス。


 だが、ロアンだけは違った。


 ――その名はかつて、グレイス一度だけ、唯一名前を出し、不安を口にした人物。


 すぐに自分で否定し、笑って誤魔化したその言葉は、この瞬間、彼自身の行動によって真実として回収されていく。


 それが今、彼を包囲する恐怖の目につながっている。


「俺は……守りたかっただけで……! なんで……なんで、こんな……!」


 ロアンの足元がぐらりと揺れた。

 崩れ落ちる寸前の男の姿だった。

 

 そしてグレイスは、最後に囁いた。

 彼だけに、聞こえる声で。


「だから言ったでしょう? ――あなたは誰も守れない。その腕は壊すためにある。あなたは『全てを壊す男だ』って」


 その瞬間、確かにロアンの心が折れた音がした。

 

 ロアンの琥珀色の瞳が、濁り、闇へと染まっていく。


「急いで拘束しろっ」


 男子生徒達が再度腕を掴み、今度こそロアンをグレイスから力ずくで引き離す。


 ロアンは抵抗しなかった。

 その気力すら残っていないようだった。

 腕が下がり、肩が落ち、顔に影が覆う。


「……俺は……守るために……生きてきたのに……」


 その声は、もう誰にも届かないほど弱かった。


「連れて行きます! こっちへ!」


 去っていくロアンの背中を見つめる。

 グレイスは、駆け寄ってきて体を支えてくれる生徒達に、自分の体を預けた。


 ロアンは引きずられるようにして連行されていく。


 その姿はもう騎士とはとても呼べない。

 誇りを抜き取られ、空洞になった男の背中だった。

 


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― 新着の感想 ―
学園だから警備兵ぐらいいるだろうからそっちも呼ぼう。しかしホント名もなき生徒たちも良い子多いんだよなあ
ロアンはグレイスやアレクどころか「自分自身」をも守れなかったわけだ
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