10・親愛なる隣人・1
坂井小太郎は、ぼーっとする思考の中、未だ微睡みが残る虚ろな目でリビングで行われている状況を眺めていた。
「うむ。こちらの食事は初めて口にするが、美味いな」
うん。妹の料理はいつも美味い。それは普遍的で疑いようのない事実だ・・・
って、そうではなく。
坂井家のリビングで、見知らぬ少女が茶碗を片手に食事をしているのだ。
茶碗に盛られる白米を、器用に箸先でつまみながら口に運んでいる。
その光景が夢や異常な出来事では無いことを証明するように、テレビの中からは今日もいつものようにニュースを読み上げている。
見知らぬ、というのは正確に言えば適切ではない。
テーブルの一画の席に腰を落ち着けている少女の姿は、小太郎にも見覚えはある。それどころか今現在、小太郎と密接な関係があると言える。改めて説明するのであれば、坂井家の中に置いては見たことはない、という意味で、だ。
「よかったぁ!お口に合うかどうかわからなかったけれど」
小太郎の妹、みちるは安堵を含んだ笑みを浮かべながら、トレイを胸元に抱き寄せた。
妹謹製の漬物をかじりながら、謎の少女はリビングの入口で呆けている小太郎に気がついた。
「おはよう、コタロー」
その薄桃色の髪の少女は、自分がこの場に居ることに何ひとつ疑問に思っていない表情で、にこりと穏やかな笑みを浮かべたのだった。
薄桃色の、ロング・ヘア。
凛々しくも意思の籠もった瞳。
少女の名はアリスン・アルベールと言った。
彼女は日本人でもなければ外国人でもない。それどころか、この地球の人間でも無いのだ。
彼女はここより遠い星からやってきた。
その場所とは、地球より気の遠くなるような距離の先にある、ヴェノゼリス星系。その中にあるエルトリアという星。いや、正確に言えばそこを回る衛星『クローリア』、だったか。
アリスン・アルベールという少女は所謂。
宇宙人と呼ばれる存在だ。
「ぼーっと立っていないで、座れば?」
リビングへの扉に手を掛けたままの兄を不審に思ったか、みちるが眉をひそめる。
「・・・お、おお」
今だ夢を見ているのかと誤認をしているであろう頭を掻きながら、釈然としない様子で小太郎も席につく。
「・・・で。何しに来たんだよ、アリスン」
小太郎はみちるが台所に戻るのを横目で見ながら、小声で耳打ち。
アリスンの正体。すなわちヴェノゼリスなる宇宙から来た異星人だという事実は、小太郎以外の地球人には内密に、ということになっているからだ。その事実を知らないみちるの目の前に姿を現すということは、正体が明るみに出る危うさがあるのは、アリスンも承知していることであろう。
その存在が地球圏を混乱に導く、とはアリスンの上官の言葉だ。当然その上官も、アリスンと同じ宇宙人というカテゴリに属される。
その正体を知っている小太郎はともかく、アリスンのことを宇宙人だと夢にも思っていないみちるの前に姿を現すことは、彼女たちにとっては軽率な行動に思える。それにも関わらず、坂井家という、正体がバレかねない状況に身を置く理由。
アリスンは味噌汁のお椀を口元に寄せ、すする。その味を堪能し、口を離す。
「決まっているだろう」
と、短く言葉を吐き、お椀をテーブルに置く。
その表情は寸前まで口の中に広がる味を堪能していた幸せなものとは違い、深刻な物へと変化する。
「・・・備蓄食料が尽きた」
アリスン曰く、あまりの空腹に道に生えている草を穴が開くほどに見つめていたアリスンを、新聞受けに向かったみちるが見かけたのだと言う。
アリスンも軍人の端くれ。野草を食して飢えを凌ぐ訓練もしているらしいのだが、流石に異星の見知らぬ草花を口に入れるのは躊躇われたようで。
腹の虫を恥ずかしげもなく鳴らしながら道端の草を見つめるその姿を不憫に思ったらしく、みちるが家に招いたという顛末らしい。
まあ、メシを食いに来るぐらいは別に構わない。みちるが了承しているのなら、小太郎が口を挟むべき件では無い。なにせ、小太郎に坂井家の食事事情は何ひとつ任されてはい無いからだ。
「アリスンさん。美味しそうに美味しそうに御飯食べるから作りがいあるよ」
こうして、他人に振る舞っても恥ずかしくない料理の腕の持ち主だと、兄の立場からは思う。
「地球の料理は中身だけでなく、見た目からして華やかだな」
「地球の・・・?」
アリスンの感想に、みちるは小首を傾げる。
「に、日本の、だろ?アリスンはまだ日本語に慣れてないから・・・!」
小太郎が慌ててフォローをするも、アリスンは「翻訳機能は正常なはずだが・・・」と喉元を抑えながら小さく呟いた。
「本国からの救援物資が届くまで、まだ掛かるようだ。ミチルの申し出は正直、助かった」
朝食を終え、みちるはご陽気に洗い物をはじめている。
アリスンは食後のお茶を啜りながら、小声で呟いた。
ほんの数日前。
小太郎が住むこの街で異変が起きた。
アリスンはヴェノゼリスから逃げ出した犯罪者を追って地球圏に来たらしい。その犯罪者は、アリスンが捕らえることには成功したが、それと引き換えかのように、新たな脅威が起きた。
ヴィードルなる、異形の生物が地球に飛来したのだ。
アリスンが言うには、それは宇宙に住まう生命体の天敵。すべからく駆逐するべき存在なのだと言う。
地球圏にヴィードルが出現した記録は今まで無かったらしく、アリスンはその危機から守るために、一連の事件が偶然なのか、様子見と経過観察も含めて地球に留まることになった。
「何だったら日本に慣れるまで毎日でもご飯を食べに来てよ。その方が楽しいし!」
食器を洗いながら、みちるはウキウキといった様子で言う。
「お兄ちゃんも、その方が嬉しいでしょ?」
「なんでだよ」
無論、食事のために坂井家への来訪を拒む理由はない。だが、それが小太郎の喜びと関連付ける意味が分からない。
みちるは兄の短い答えにキョトンとした顔。
「・・・だって、お兄ちゃんとアリスンさんって、付き合っているんでしょ?」
思わず、お茶を吹き出しそうになる。
「なぜそう思う」
それをなんとか抑えながら、冷静に聞く。
「だってこの前、ふたりともあんなに熱く抱き合っていたじゃない」
その時の光景を思い出したのか、みちるの目は夢を見るように蕩ける。
確かに小太郎とアリスンは玄関先で抱き合うという人目も憚れるような行動をした。
アリスンとの接触により、小太郎はヴェノゼリスという世界の、地球をも越える技術を目の当たりにした。
小太郎はヴィードルに襲われ、深い怪我を負い、生死の境を彷徨ったらしい。皮肉にも、その時のことは覚えていない。
だが、小太郎は助かった。
命の理をも覆す、技術。
それを自分の星以外の生命に施すことは禁忌とされていた。アリスンはそれを咎められ、重罪を架せられた。二度と日の目を見ることが出来ない、重い罪を。
玄関で遠い星の友人の姿を目の当たりにしたあの日。
二度と会えると思っていなかったアリスンの姿をこの目で収めたその時、自然と腕が彼女を引き寄せたのだ。
・・・自分でも軽率な行動だったと猛省している。でも、嬉しかった。それだけは嘘偽りない、自分の気持ちだ。
その時のことを思い出し、熱くなりかける身体の熱を、冷静さでなんとか打ち消す。
「抱き合うイコール彼氏彼女の関係だと思うのは早合点だぞ、妹よ。海外ではあんなのは日常茶飯事だ」
咄嗟に出た答えとしては、なかなか良いのではないだろうか。それでも妹の疑いの目が晴れることは無かったが。なぜだ。
その一件の後、学校に遅刻する寸前までみちるに追求されたからな。登校時、お互いの学校の別れ道になる直前まで。
偶然出会い、なんだかんだあって、という話をかいつまんでしてやった。勿論、アリスンが宇宙からやってきたという部分は省いて。
「・・・ふうん。まあ、いいけど」
妹は懐疑的な目を残しながら、台所へと戻った。
「私もそう思う。あの時のキミの行動は、いささか早計だったようだな」
冷静に言うアリスンだが、その顔は少し赤い。
小太郎も、今思い出すと恥ずかしく、身悶えしたい。おまけに穴があったら入りたい。ちょっと後悔している。
アリスンは赤い顔のままお茶を飲み干し、
「・・・私もお暇しよう」
ことん。
湯呑みをテーブルに置くと、アリスンは薄く微笑んだ。
漆黒の闇の海をたゆたうは、巨大な機械の船。
それは、エルトリア軍の戦艦。
かつてはたった一隻であろうと戦況を変える戦闘能力を有するも、フィギュアムと呼ばれる戦闘兵器が開発されてからは、鉄の塊と成り下がった。
ただ、エルトリアに限って言えば、だ。
まだまだヴェノゼリス内に置いては、技術に劣る国には十分脅威であろう。
戦闘に重きを置くのであれば、着る戦闘艦と揶揄されるフィギュアムを超える能力を誇る兵器は現時点では存在しないというのが事実だ。ヴェノゼリス内でもそうなのだから、別の星系の銀河に飛んだところでその脅威は同じだろう。
船内。サロンの一室。
合理的を絵に描いたかのような戦闘兵器の中に置いて、この一室はそんな殺伐とした場所とは縁遠い、温かい雰囲気で満たされている。
コックピット・シートとは比べ物にならないほどの柔らかさを誇るソファ。芳醇な香りの立つお茶がテーブルで湯気を燻らせている。
オペラ・クリストフは背をソファに預け、窓の外の漆黒の宇宙に視線を彷徨わせていた。
ふう、と唇から漏れた吐息は、カップから立ち上る湯気と共に流れていく。
地球への配属を命令されてから数日。船は通常航路で黒い海を征く。
艦内に積んだアルベール小隊のフィギュアムは、地球圏での戦闘を想定したOSへとアップデート済みだ。
今でも、あの時の戦闘が脳裏に焼き付く。エルトリア軍人の誇りに陰りをもたらす、あの苦戦を。
ヴェノゼリス星系内であれば、フィギュアムを上回る戦闘能力を有する兵器は有り得ない、という事実に疑いはない。
ヴィードルという、人類の天敵が相手であろうとそれは変わりは無く。だが、地球の環境がエルトリアと異なる所為か、フィギュアムがパイロット本来の動きをトレースしなかったのだ。
絶対的防御機能である界転フィールドも打ち破られ、その堅牢な強さに綻びが見えた。無論、それは地球圏だけの現象だと信じたい。
「オペラ、どーしたの?」
声のする方へ目を向けると、およそ軍艦には相応しくない幼い少女が並んでいる。
片方は陽気な褐色の少女で、片方は心配事を顔に閉じ込めたような少女。
黙っていても元気さが滲み出ているような方はサンディ・ローレンス。
おどおどと、常に何かから怯えているような少女はスージー・エトワール。
どちらもエルトリア軍人で、フィギュアム乗りだ。
「し、心配事ですか?」
スージーが、元々悲しそうな顔に、不安をさらに混ぜた表情で、聞く。
「きっとたいちょうのことがしんぱいなんだよ!」
オペラが何かを答える前に、サンディが口を開いた。
からかうような、そんな顔でオペラに迫るサンディを、オペラは片手でソファの奥へと押し付ける。
そのことも確かに心配だ。
親友であるアリスンは自分のフィギュアムを含めて、整備を兼ねたオーバーホールのためエルトリアに戻し、単身仲間のいない辺境の地、地球で待っている。心配しないはずがない。
それにしても、上層部はよく地球圏へのエルトリア兵の派遣を許したものだ。エルトリアに地球に住む人間の粗悪さすら伝わっている程、関わろうとはしなかったのに。
技術力も、エルトリアに叶う部分はひとつもない、上に言わせれば原初の星だ。
それほどまでに、ヴィードルの出現は宇宙の脅威なのだろうが。
『間もなく、地球圏に入ります。ホログラフィックモジュールを使用し、減速して航行を行います』
艦内にのスピーカーから、淡々と放送が流れる。程なくして、目的の地に着くだろう。
友人の待つ、蒼き輝きを放つ星は、もうすぐだ。




