【1989年4月下旬】
KY……。
前日の夕刊をめくっていたばあちゃんの指先が止まった。土曜の午後の沢渡家の応接間は、こもれび食堂としての活動の準備前である。窓の外はやや暗く、今にも降り出しそうな雲行きとなっていた。
「また、変な記事だねえ」
ばあちゃんが指し示したのは、KYと掘られたサンゴの水中写真である。「サンゴ汚したK・Yってだれだ」と見出しが打たれ、80年代日本人の精神の貧しさ、すさんだ心の記念碑になるに違いない、とも書かれている。そして、コラム的な記事は、「にしても、一体「K・Y」ってだれだ。」と締められていた。
実際には、このKYという文字は旭日新聞のカメラマンが自ら傷つけて写真撮影したもので、捏造記事である。
概要は前世でおぼろげに知ってはいたが、全文を読んだのは初めてだった。
旭日新聞は、この件について当初は否定し、やがて古傷をなぞっただけだと虚偽の説明をして、最終的には完全な捏造だったと謝罪する。この新聞社は、後に従軍慰安婦の件でも同じことをやらかす。もう、そういう社風だと考えるしかない。
そういった流れから、俺が命を落とした2025年時点では、だいぶ部数を落として、影響力も小さくなっていたが、この時点ではまだまだ大メディアである。
前世知識を踏まえて、自作自演疑いに言及すると、ばあちゃんはあっさりと頷いた。
「やっぱり、そうなんだろうねえ。だって、KYさんが誰だかわからないのなら、日本人がやったのかわからないはずだものねえ」
「確かに」
くすりと笑ったばあちゃんは、新聞を畳んで少し暗い表情になった。
「戦争中もそうだったよ。新聞はね、自分に都合のいいことばかり書き立てて……。その後、一転して日本を全否定するようになったのは、流行りに乗っているのか、過去の自分達が恥ずかしくてやっているのか、どっちなんだろうね」
「そんなに激しかったんだ」
「そうよお。旭日も含めた新聞もすごい煽り方だったんだから。戦後には、すべてを軍部のせいにしてたけど」
「ばあちゃん……、そこまで疑念を持ちながら、どうして旭日新聞を取ってるの?」
「テレビ欄が見やすいからねえ」
茶目っ気のある表情での即応は、可愛らしいものだった。確かにそれはとても大事である。苦笑したところで、一番乗りとして美羽ちゃんがやって来た。
「もう、寄らせてもらってもいいかな?」
「もちろんよ。土曜だから、すぐになにか食べるでしょ」
立ち上がったばあちゃんは、ちょっとうれしげに台所の方に向かった。こもれび食堂としての活動は、どうやら生き甲斐となっているようだ。
エルリアは、桜庭さんとぬいぐるみの材料を調達に寄り道をしてくるはずで、戻るまでは少し忙しくなりそうだった。
俺は、軽食の下ごしらえをするために立ち上がった。今日は、久々にばあちゃんのロールキャベツが供されるはずで、それ以外を俺が担当することになる。
サンドイッチの具材を考えながら厨房へと向かうと、雨模様の空が目に入ったためか、意識せぬまま中島みゆきの「あした天気になれ」のサビが口からこぼれ落ちた。




