【1989年4月上旬】
春の陽気とともに、新しい年度が始まった。西城高校で過ごすのも、あと一年ということになる。最上級生になった実感はないが、制服の肩先を通り過ぎる空気は、少しだけ新しいものに感じられた。
教室に入ると、身近なニュースに関する話題でざわついていた。
「とうとう始まったな、消費税」
「3%って、言葉で聞くと少なく感じるけど、計算すると地味に痛いよね」
「あたしの昼ご飯が、またしょぼさを増していく……」
誰かの冗談に、笑いが広がる。
1989年4月。日本における初の消費税が正式に導入された。スーパーもコンビニも、店先のすべての商品に3%の課税が始まっている。小さな数字に見えて、生活の隅々に確実に影響を及ぼしていく。
同時に飲み物の自販機では、百円で売られていた飲み物に3%の税がかかったことで、十円の値上げとなる場合が多かった。新聞などでは便乗だと批判されていたが、前世の記憶がある俺からすると、まだ格安に感じられる。
そして、現時点はバブルの山頂付近と呼ぶべきタイミングである。一方で、続いている円高は輸出産業に深傷を与えており、企業の海外進出と呼ばれる日本の空洞化が始まりつつあった。
実際には間もなく金融引き締めが始まり、翌年の三月末には不動産の総量規制が発せられる。流れが記憶とズレていない以上は、逆らう必要はないだろう。
「……何の悪巧みをしてるんだ?」
頭の中で今後の算段の再検証をしていると、声をかけてきたのは市川だった。その隣には久世は、理系クラスから遊びに来ているようだ。
「そんな、悪の頭領みたいな言われ方をされてもなあ」
「違うのか?」
実際、裏では未来知識を使って結構えげつない金の回し方をしているので、一般人からすれば「悪」寄りに映るかもしれない。会社経営の話も、はっきりとは伝えていないし。
「あくどいことはしていないって」
「ふうん」
「で、お前らこそどんな悪の計画を練っているんだ?」
「いや、僕らは……、悠真の進路を聞きに来たんだ」
「俺の?」
「ああ。……大学に進まない、という話を耳にしてな」
担任に可能性を告げただけなのだが、あっさりと漏れたようだ。まあ、心配していたようだから、良かれと思っての意図的なリークなのかもしれない。
「選択肢としては考えている」
「学資が問題なら、奨学金とか……」
「あれはまあ、借金だからな。お前らが使うのは、あまりお勧めしないぞ。……俺の場合は、資金は問題ない。単に、どう生きるかを迷っているんだ」
「なら、とりあえず進学するってのはありなんじゃないか?」
市川の言葉に、久世も頷いている。
「アドバイスありがとうな。……二人こそ、進路の希望先は決めているのか?」
「俺は、志望分野的には東都工業大とか、東都工農大とかだなあ。工農大だと近くていいんだが」
東都工農大の工学部キャンパスは武蔵小金井と東小金井の間にある。久世や俺の家からは開かずの踏切を越えていくことになるが、それでも徒歩圏となる。
「俺は……、ちょっと遠いんだが、翁敬義塾大学の、藤沢湘南キャンパスを狙っている」
「翁敬かあ、名門だな」
「FSCに設置される政策統合学部は設置初年度だから、どんなもんだかわからないけどな」
市川はやや照れたようでもある。
「全部英語ってマジなのか?」
「みたいだなあ。どこまで本気かわからないけど、最近は英会話も進めている」
どうやら、志望ははっきり固まっているようだ。久世も初耳だったようで、感心している。
「まあ、折角だからなにかで連携できるといいな」
「ああ、ホントに。……沢渡もだぞ。どんな道を選ぶにしても、だ」
「ん、考えるよ」
逃さないぞ、みたいな空気はちょっとくすぐったいものに感じられた。
市川と久世との三人での絡みは、一年の夏の首都圏大停電のときからとなる。市川とは、高校で三年間同じクラスで過ごすことになるわけだ。久世と市川は、成績上位同士なだけに、放っておいても交流することになっただろうが。
「お、どうした。西城高の三悪人が顔を揃えて」
声をかけてきた金田とも、三年間クラスメートということになる。
「待て、こいつらと一緒にするな」
「心外な。こっちのセリフだ」
久世と市川の掛け合いは、微笑ましいものだった。
「反論なしってことは、沢渡は悪人という自認があるのか?」
そう問うてきた金田に、悪気はなかったのだろう。だが、こうしている間にも前世知識で得た資金を運用しているわけで、多少の悪人要素は含まれるそうだ。
「まあ、そうだな。この二人には及ばないけれど」
俺の言葉に二人は即応し、四人によるじゃれ合いめいた言い争いは、英語の教師が入ってくるまで続いたのだった。




