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迷宮の新米守護者  作者: 板 竹輪
第1章 迷宮の新米守護者
24/45

裏21話 決戦前夜:善意と悪意

今回もいつもより少し長いです

 組織には会議や打ち合わせというものが不可欠である。

 それは今後の方針を決める為であったり、大きな事を成す前の打ち合わせや、場合に寄っては下らぬ些事の為に参加者は招集される事も有る。

 また、他者には秘匿したい事を内々で話す密談等もこれに含まれるものであろう。


 此処名無しの遺跡でもそれは変わらず、日々様々な会議や集まりが行なわれている。

 例を挙げるとするならば遺跡の主であるリリアが開催する『軍議』が影響力が一番強いものである。

 もちろん小さいものであれば『ティアーズ領婦人部:結束集会』『名無しの遺跡モグル支部:賃上げ交渉会』『獣人焼肉大会』『亜人思想討論会』等々挙げれば切が無いほど存在している。


 そして、それらの集まりの中でも参加人数こそ少ないが名無し遺跡で強い影響力を持つ者達が極秘に密談をする集まりが存在する。


 その集まりの正式な参加者達は――――


 一人目はこの集まりの発足者たる美しい緑髪を持つ名無しの遺跡最強の竜人の女性。

 二人目は同時に複数体の魔獣を操り、彼女自身も他の獣人を凌駕する戦闘能力を有する名無しの遺跡最速のピンクの髪の獣人女性。

 三人目は獣人達に最も恐れられている二人目の女性の副官である白き毛髪の赤い瞳の獣人女性。

 四人目は遺跡の主の親衛隊副団長の奥方である小柄な金色の髪を持つエルフの女性。

 五人目は四人目の女性の娘であり、親衛隊で際も腕力に優れる母と同じ金髪を持つ半亜人の女性。

 六人目は親衛隊の魔術師部門のトップに君臨する青き髪を持つ魔族の女性。

 七人目は此の遺跡の土木部門を統括者の奥方で可愛らしい小動物のようなモグル族の女性。

 八人目は魔術が使えずその剣の腕だけで生き残ってきた顔に大きな刀傷を持つ魔族の女性騎士。


 この八名でこの集まりは運営されている。

 この女性のみで構成された集まりには、様々な情報が集まる。

 その集まる情報とは、一般の魔族が知る事も出来ない軍部の機密情報、遺跡内派閥の相関図、物資の備蓄状況に始まり、秘境の剣術の秘奥について、何処の誰々が誰を好きだとか、仮設食堂の女将がイケメンの獣人と不倫をしているだとかのまったく役に立たない情報まで集まるのだ。

 それだけではない。恐ろしい事にこの集まりでは普段外では話せない最も秘匿されるべき会話がなされていた。

 その会話の内容とは、決して男性陣には聞かせれられない様なグチや女性故のストレス、そして秘めた思い等を暴露しあう場として機能しているのだ。もし、その内容が外部に漏れれば名無しの遺跡の組織体系の根幹すら揺るがしかねない恐ろしい会話がこの集まりでは行なわれているのである。


 だが、そんな恐ろしい会話が決して外に漏れる事はない。

 それは発足者の女性が信用に足る人物を選び抜いたのも有ったが、それ以外にも理由は存在していた。

 その理由を二人目の女性はこういった端的な言葉で説明している。「下手に漏らしたらあたしの秘密も漏らされちゃうからそんな事出来ないにゃん」と、一見硬い友誼で結ばれている様な彼女達であったが、実の所はお互いがお互いの秘密を知っているだけに下手に口を滑らせる訳には行かない疑心暗鬼が渦巻く恐ろしい関係性で成り立っているのである。


 そんな恐ろしいこの集まりは、発足者の女性が参加者を選ぶ事により参加条件を得られる集まりなのだがもう一つ参加条件が存在する。

 その参加条件とは発足者の女性すら必ずその条件を満たせなければいけない最もこの集まりで重要視されている事であり、組織の運営には必ず必要になるものである――――つまり、条件とは参加費である。


 参加費といっても金銭があまり重要視されていない名無しの遺跡では、金銭で参加費を募っても意味がないので物によって支払われる。

 しかもそれは『参加者手製』の物でという決まりが存在しており、各参加者は毎度苦心して作り上げた物を会に収めている。

 それは例えば手製の菓子であったり、参加者が考案した料理であったり、生糸から作り上げた手製の生地であったりもする。

 エルフからの支援物資によって多少潤ったとはいえ、決して物資が潤っているとはいえない状況のこの遺跡でそれだけの物をそろえるには至難の技ではあるのだが、それを可能とするのがこの会の真に恐ろしい所であった。

 更に恐ろしいところは、彼女達はそれらを惜しげもなく消費する。ストレス発散や、日々の疲れを癒すという名目で――――ある者は「うあ!なにこれ美味しいー!今度作り方教えてー!」と菓子に賞賛の声をあげ、ある者は「うわっなんかこれ草っぽいにゃ……」と人の作った物に文句を付け、有る者は収められた生地で衣服を作りながら「うちの旦那がねぇ……」と日々のグチを吐露する。


 そうして、この日もその恐ろしき集まり『名無しの遺跡乙女会』つまり―――――――女子会のような物が開催される予定であった。

 尚、蛇足ではあるが乙女会という会名にほとんどの参加者が拒否反応を示したが、発足者が絶対にこの名前だけは譲れないと言って聞かなかったので半場強制的に決められた名前である。



 決戦前夜――――――――メリジューヌ私室



 ツルギがリリアにAOの秘密を告白するという二人っきりの密談をしている頃、時を同じくして此処メリジューヌの部屋でもちょっとした密談が行なわれ――――る予定だった。

 現在メリジューヌの部屋に集まっているのはメリジューヌ、ベアトリス、アイペロスの三名のみである。


 メリジューヌはいつものメイド服では無くゆったりとした布製のピンクのパジャマを着ていて、いつも後ろで結わえている緑髪を解いて完全に自室モードになっている。

 ベアトリスは、戦闘用の皮ジャケットと膝当てこそつけていないが、いつものタンクトップとホットパンツというこの場に男性が居れば非常に目のやり場に困る服装。

 それに対して、アイペロスは戦闘用の赤いローブ姿ではなく地味な布製のブラウンのワンピースを着ており、何処からどうみて獣人の村娘Aという感じであった。


 乙女会は5日に一度参加者の中で都合の付く者の部屋で行なわれる。

 今回はベアトリスの部屋で行なわれる予定であったのだが、ある理由から急遽メリジューヌの部屋で行なわれる事になった。


 本日の『名無しの遺跡乙女会』の参加者は3人。

 他の参加者はオーカスとリリアが連名で冒険者接近の緊急事態宣言を出した為、皆それぞれに忙しく、今回は三人の参加者のみで会は慎ましやかに行われている。

 尚、ベアトリス隊は遊撃部隊であるので自己の判断で動けとオーカスから命令を受けていたので『待機』と称してこの会に参加していた。


「――あ、あのーメリーちゃんその辺でもう止めといた方が良いんじゃにゃいかにゃ?」

「…………」


 メリジューヌはベアトリスの言葉にジロリと一瞬だけ睨むような視線を向けるが、ベアトリスの言葉を無視してテーブルの上に大量に置かれた料理皿の中身を無言で平らげていく作業に戻る。

 その料理を食べる勢いはガツガツという音が幻聴で聞こえてきそうな勢いだ。


「うぅ…………睨まないでにゃ……」

「トリスの姐さんが言うとおりですよ。そんなに食べたら太りますよ?」


 炊事場で大量に作った料理を部屋に運んでから黙々と食べ続けていたメリジューヌがアイペロスの『太る』という言葉にピクリと反応を示す。


「問題無いわ。私、幾ら食べても太らないから……多分……」

「そ、そうですか」

「そんなことより見ていないで、二人とも食べたらどうなの?それとも私なんかが作った料理は口に合わない?」


 テーブルの上の料理皿には煮物、サラダ、その他なんだかよく分らないメリジューヌのオリジナル料理、そして最近よく取れる鹿肉を使った料理が並んでいるのだが、サラダにはドロっとした苔を濃縮したような緑色と血のような赤色が混りあうドレッシングが振りかけられていた。


「そ、そ、そんな事無いにゃ、メリーちゃんの料理は大好きにゃ!頂くにゃ!」


 ブルと体を震わせてベアトリスは目の前に並んだ料理を眺め、自分の前に置かれた大量のサラダが盛られた皿を見た。そして見た瞬間に一気に涙目になり「助けてペロス!こんな量のアレを食べたら流石にあたしでも死んじゃうにゃ!」という視線をアイペロスに向ける。

 それに対してアイペロスは心の中で小さなため息を付き『仕方ないな』とベアトリスに助け舟を出す。


「あたしもいただきますね。姐さんそっちの薬草系ドレッシングのサラダください。ソレ大好きなんです。姐さんには鹿肉ハンバーグ上げますから」

「お、おう仕方にゃいな!今回だけ取り替えてやるにゃ!」


 言葉とは裏腹にベアトリスの表情にはアイペロスへの感謝の念が現れている。

 メリジューヌの作るこの特性ソースやドレッシングは一部の草食系魔族以外にはとても不人気だ。

 もちろんそれは肉食系獣人であるベアトリスも含まれる。

 だが、アイペロスを含む草食系獣人はこの薬草がベースのこのソースの味自体は気にならない。

 むしろクセが有るが美味しいという意見も有るのだが――――


「あら?じゃあ私の分も食べる?」


 メリジューヌは意外そうな顔をして、数キロもありそうなサラダが山盛りに積まれた自分用の皿を片手で持ち上げてアイペロスの前へ突き出す。

 それを見たアイペロスはウサミミをビクンと立てるがなんとか平静を装い――――


「いえ、あたしは小食なほうなんでこのサラダだけで十分です」


 アイペロスは自らの本心が1ミリたりとも漏れないように偽の笑顔を作り出し、落ち着いた風を装ってメリジューヌに返答する。


「そう?まだまだ有るから遠慮せず食べてね?」

「えぇ、足りなかったら頂きます」


 その言葉を最後にまた黙々と食事を口に運び出したメリジューヌを見て、アイペロスは決して外に出さないようにしていた緊張感を少し和らげ、ウサミミをペタリと垂れさせた。


(良かった。メリジューヌの姐さんには悪いけど流石にあの量は無理だ!薬効だから解毒魔術も効かないみたいだし)


 このドレッシング、草食系獣人にとっては味自体は良いのだが食べ過ぎると倒れる事がある。

 以前行なわれた戦勝会で振舞われたメリジューヌの料理を「旨い、旨い!!」と言って食べ過ぎたケルスが突然白目を剥いて倒れたかと思うと、緑色の泡を吹きながら鼻血を吹いて気を失った姿をアイペロスは克明に覚えていた。


(あの時はメリジューヌの姐さんが偶々席を外してたから良かったけど、この場であたしが倒れたら流石に誤魔化しが効かないしなぁ……てゆうか、なんでこんな空気なんなんだろう)


 メリジューヌは口にこそ出さないがピリピリした殺気にも近い空気を出して大食いをしている。

 そしてベアトリスはベアトリスで困ったような、同情したような、どちらか微妙に判別が付き難い表情でメリジューヌを見つめるのみで何も言葉を発しようとはしない。


 アイペロスは流石に今日は乙女会は休みだろうと、炊事場で日課の『飲み物』作りをしていた時にベアトリスに発見され、半場無理やりこの集まりに連れ込まれたので自体がサッパリ飲み込めないのである。


 メリジューヌが大食家なのは近しい者ならば誰もが知る事だ。

 半分は竜人の血を引くメリジューヌは竜の血から生じる比類なき力を得ている代わりに非常によく食べる。

 その量はその日の運動量にも寄るが成人の人間男性の3倍ほどの量に達する。

 その為配給される食糧もリリアの側近という事を抜いても他の魔族達よりも多くの食料を与えられていた。

 現在大量にテーブルに並べられている料理の材料もメリジューヌに配給された食材だけで作られている。


 だが、それにしても普段彼女が食べている量を遥かに凌駕する量だ。

 この量はいつもメリジューヌが作る料理の量の数倍の量である。

 材料の出所は日持ちしない野菜以外はメリジューヌが備蓄していた物だとアイペロスは予想できた。

 何かの有事の際に食料が調達できなくなる事を危惧して、リリアに食べさせる為にと日持ちのする食料をメリジューヌが備蓄している事を知っていたからだ。

 しかしながら、有事の為と備蓄していた食糧まで放出してこんなに食べるメリジューヌを見てアイペロスは困惑するばかりだった。


(ヤケ食い?それしか考えられないけど、なんでこんなに荒れてるんだか……理由は?聞く訳に行かないか、こんな雰囲気じゃ)


 人や魔族よりも獣人や亜人というものは、獣に近い感覚を持っている。

 その獣の血が今のメリジューヌは下手に突っつくとロクな事にならないと言っているのだ。

 本能のみに従うのは愚かな事だと獣人達は皆子供の頃より教えられるが、今回ばかりは本能に従うしかない。

 竜種の殺気に耐えられる獣なんて存在しないのだから――


(ま、怒れる竜に近づくの愚者のやること。大人しく姐さんが落ち着くのを待とう……あ、このサラダ美味しい!クセになりそう)


 ***


 30分後 大量に用意された料理のほとんどをメリジューヌが平らげ、部屋の中のピリピリとした空気は若干薄れていた。

 そのタイミングを見計らい、アイペロスは最近やっと作成に成功した『飲み物』をメリジューヌ達に振舞う。

 本来は旦那持ちの二人の参加者と粗野な女騎士に請われて作ったものだったのだが、これを飲めば場の空気は柔らかな物になるかもしれないと一縷の望みをかけてメリジューヌとベアトリスに振舞う事にしたのだ。


「あら?このお茶……美味しい。もう1杯貰える?」

「はい、いっぱいあるのでどんどん飲んでください」


 アイペロスは自信作を褒められた事に喜び、機嫌良くメリジューヌの求めに応じて持参した『飲み物』をメリジューヌのマイカップに注ぐ。


「ありがとう。今まで飲んだ事の無い味だけど新ブレンド?」

「えぇ、自信作ですよ。最近開発したばかりのやつです」

「あたしにはちょっと渋すぎるにゃー」

「あ、そうですね。トリス姐さんにはちょっと草味が強すぎるかもしれませんね」

「確かにトリスには、少しきついかもしれないわね。私でもなんか喉が熱くなる感じがするし」

「喉が熱くなる?あたしはそんな事にゃいんだけど……」

「まぁ、味覚は種族差が結構でますからねー」

「え?そうなの?でも、本当に美味しいコレ……今度作り方を教えてもらっても良い?ツルギ様にも……」


 そこでメリジューヌは言葉を詰まらせ楽しげに会話していた顔を暗い物に変じさせる。

 それを見たアイペロスは今回のメリジューヌの大食いの原因がツルギが原因だと察した。


(なるほど。それでトリスの姐さんの部屋じゃなくてメリジューヌの姐さんの部屋に集まった訳ですか)


 ベアトリスの部屋はツルギの部屋の真横にある。

 恐らく、メリジューヌは何かツルギと顔を合わせ難い事情があるのだろうとアイペロスは察する。だが、あえてそんな爆弾に触りに行く事はないと思いサラリと流し会話を続ける。


「では、もう少し安定して作れるようになったらレシピを御渡ししますね」

「安定?いつもの香草とか野草を乾燥させた物を混ぜてるだけではないの?」

「今回のは少し発酵させた物が入っているんです」


 発酵という単語を聞いた瞬間ベアトリスはギョッとしてアイペロスを見る。

 その目には『まさかそれって――』というニュアンスが含まれていた。


 同じ隊に所属しベアトリスの副官であるアイペロスはベアトリスの視線の意味を十分に理解している。

 だが、アイペロスはその追求の視線を言葉で返す事はなく、ニッコリとベアトリスに笑いかけ無言で『あたしに任せてください』とベアトリスの隊で使われるアイコンタクトで返す。


「発酵?じゃあ結構手間が掛かっているのね。気にせずいっぱい飲んでしまってごめんなさいね」

「いえいえ、作るのは簡単なんでドンドン飲んでください。さささもう一杯どうぞ」

「そう?じゃあ頂こうかな」


 ***


 更に30分後――――――――そこには地獄が広がっていた。


「ぎにゃああああやめてにゃーーーー」


 尻尾を踏まれた猫の様なベアトリスの悲鳴がメリジューヌの部屋に響き渡る。

 その惨事に絶句してアイペロスから自然と声が漏れた「ま、まさかこれ程とは……」と。


 そこにはほんの少しは有り得るかもしれないと、アイペロスが想定していた事態を大きく上回る光景が広がっていた。


「だーからねー酷いの!聞いてる?トリス!聞いてー」

「聞いてるにゃ!聞いてるから揺するのはやめてにゃーー中身が出るにゃーーー」


 メリジューヌは顔を真っ赤に染めて泣きながらベアトリスの両肩を掴み体を凄まじい勢いで前後に揺する。

 メリジューヌの竜の腕から生じる怪力からベアトリスが逃れれる筈もなく、揺すられる度にベアトリスの頭がガクガクガクガクと残像が見えそうな勢いで上下に振られ、ベアトリスは顔を刻々と青ざめさせていく。


 メリジューヌと対比してドンドンと青い顔になっていくベアトリスは助けを求めるようにアイペロスに視線を送る。

 『なんとかするにゃ!この状況を作ったのはお前にゃろ!』と――――だが、アイペロスは『すみません。少し心を開いて頂くつもりだったのですがここまで酷い酔いかたをされるとは思わなかったんです。もう、私にはどうする事も出来ません』と全部が伝わっているか分らないが、『無理!!』という意味合いを込めた視線をベアトリスに送る。


 アイペロスがメリジューヌに飲ませたのは、極めてアルコール度数が低い醸造酒のような物である。

 材料は名無しの遺跡近郊で取れるトリクワズという姫林檎に良く似た果実でその名の通り、鳥も食べない渋味の強い果実なのだが鳥すらも食べないので近郊の森では溢れるように取れる物であった。

 そしてアイペロスは折角大量に取れるのだから何かに使えないかと、任務の最中こっそりと森に向かい採取していたのである。

 その後、トリクワズの数が有る程度の揃った段階でアイペロスは実験に乗り出した。

 採取したトリクワズを乾燥させたり煮出したり色々と試したのである。

 その試行錯誤のうちにアイペロスはとある事に気づいた――――トリクワズはそのまま食べれば味は悪いが発酵させれば微量のアルコールを作り出し、ある程度は渋みが消えて甘みが出てくると。


 そこから、以前乙女会の参加者に酒を作ってくれと冗談交じりに言われていた事を思い出したアイペロスは魔術で急速発酵させたトリクワズ酒を何点か作り出し、つい先日飲めるレベルの物を作り出すことに成功したのだ。

 こうして名無しの遺跡初の酒造りに成功したアイペロスだったのだが、まさかそれがこの様な結果を生み出すとは思いもしていなかった。


 しかも今アイペロスがメリジューヌに飲ませた物は、トリクワズ酒に改良を加えた元の酒より度数の低い物であったのだ。

 トリクワズ酒だけではどうしても渋みが残り、草食系獣人以外だと飲めるものでは無いと考えたアイペロスが他の参加者でも飲めるようにと、試作品として作り出した物の一つである。

 甘みが強い薬草を数種類煮出した物とトリクワズ酒を混ぜ合わせ、渋みを無理矢理消した酒だったのだ。

 混ぜ合わせた分だけアルコールが薄まり、アルコール度数はとても低い物であったのだが――――どうやらメリジューヌにはそれでも強すぎたようだ。


 アイペロスは、メリジューヌに首を掴まれぶん回され始めたベアトリスを見ながら冷静に今回の事態について考察していた。

(メリジューヌ姐さんは、元々酒に弱かったのでしょうか?いえ、今回のこの酒でここまで酔うというのは考えにくい。そうなるともしかして、トリクワズの実が竜種に酩酊効果を与える成分を含んでいた?もしくは混ぜた薬草とトリクワズの成分が合わさって何か竜種に効く変な成分が作られた?いや、もしかすると人部分の方に影響が出ている可能性も……これは一度兄貴で試して――――)様々な考えが浮かんでは消えていく、だが明確な答えを出すには至らない。更にアイペロスは考えを深めていく―――


「ペロスぅーペロスぉすぅーー黙ってないでなんとか言うにゃああーーーむしろぉおおおお解決方法がにゃああ思いつかない、にゃらああお前がメリーちゃんの話を聞くべきにゃあああ」


 アイペロスが脳内で様々な考察を繰り広げている間、ただ黙って見ているのみにしか見えなかったベアトリスはついに痺れを切らして泣き叫ぶような声を出して助けを求める。

 しかしながらベアトリスその声に最速で反応したのはアイペロスではなくメリジューヌだった。


「ペロス?あぁそうです!ペロスもいました。ちょっと聞いてくださいペロス」

「うにゃああ!?」


 メリジューヌはベアトリスをポイッと床に放りだし、アイペロスへ向き直る。

 その顔は眼こそ泣き腫らしてはいるが、口元は笑いの形を作っており、アイペロスをジーッと座った状態のまま見つめている。


「あー姐さん、お話は聞きますから掴むのは――ひゃっあぁ」


 アイペロスの言葉が終る前にブンッという風切り音と共にメリジューヌの左手がアイペロスのワンピースの襟首に伸びた。

 もはや、神速の域にあるその腕を魔術師であるアイペロスが回避できるはずも無く一気にメリジューヌの傍に引き寄せられる。


「私はぁあ、信頼されていると思っていたんです。でも、でも、他の者は席を外すようにって……しかもあんな目付きで私……を」


 メリジューヌは泣き叫びながらアイペロスを左腕で抱きしめて右腕でウサミミを撫で回す。

 その行為を普通の人間の女性が行なうならば実に百合百合しい行為なのだが、メリジューヌは竜人である。

 片腕とはいえそれは竜の腕だ。力強く抱きしめられれれば骨は軋み内臓は圧迫される。

 現にアイペロスからは、「ぐげぇええ」という少女の様な外見から似つかわしくないカエルが潰れた様な声が漏れた。


 (まずい!死んじゃう!このままだと抱き絞め殺される!)


 見た目とはうらはらに頑丈なベアトリスとは違い、アイペロスは魔術で肉体を強化しない限り獣人にしては脆弱な肉体を持つ種族である。

 肉体強度では人間に劣ると言っても良いくらいなのだ。そんな脆弱な肉体を竜の力で抱きしめられればどの様になるかは想像に難くない。


 アイペロスは呼吸すら困難になり意識が遠のきかけるが、自らの命の危機を感じ落ちていく意識を必死に踏み止め、搾り出したか細い声で呼びかける。


「姐さ……ん。こんな状態だとちゃんとお話を……聞けません。一度離してください。それに……そんなに乱暴にされる……と、耳がモゲそうです」

「うっ……グスッ……耳は大事ね。離す……」


 先程までアイペロスの事を押しつぶす勢いで拘束していた力がスッと解かれた。

 そのタイミングをアイペロスが見逃すはずも無く不自然さがないように努力して、最速でメリジューヌから身を離す。


(ふぅ……なんとか説得は聞いてくれましたね。もっとも話を聞く云々より、私の耳の方が大事なようでしたが……こんな時くらいは自分の生まれを呪わず喜ぶべきなんでしょうけどね……いえ、そこは認めたくはないので姐さんの可愛い物好きに感謝するという事にしておきましょうか)


 メリジューヌの可愛い物好きは会の者達にとっては周知の事実であった。

 それはこの部屋の調度品を見れば一目瞭然のもので、先程迄大量に料理が置かれていたテーブルに敷かれている布製テーブルクロスには可愛らしい動物や妖精の刺繍が施され、ベットの脇には可愛らしくデフォルメされた動物のぬいぐるみ数点が置かれている。

 これらは、全てメリジューヌ手製の物でメリジューヌが暇を見つけては余った資材や会の参加費として収められた生地で作りあげたものであった。

 特にウサギは彼女にとっては可愛いのポイントが高い生物らしく、同様の耳を持つアイペロスはメリジューヌのお気に入りだった。


(まぁ、姐さんの『可愛い』はトカゲなんかも含まれるみたいですし素直には喜べませんけど…………)


 ***


 更にそこから少し時間が経ちアイペロスは思わず頭を抱えたくなっていた。

 心の中でアイペロスの本性とも言える部分が(こんな状況どうすりゃ良いんじゃああああああああ!くそがぁあああああああああああ!!)と叫び、それが声に出てしまいそうになるがそれは必死に抑える。


 かつてこの名無しの遺跡に来る前、素の性格ともいえる本性を隠すことなく暮らしていたアイペロスは一度だけメリジューヌに喧嘩を売った事が有った。

 そしてその時に『見た目は可愛いのに言動が可愛くない』という理由でその性格を矯正されたのだ。

 もっとも矯正されたとはいえ早々性格なんて変わる物ではない。アイペロスは猫を旨く被るという事を覚えただけだ。だが、それ以来メリジューヌの前では絶対に素の自分は出させないようにしていた。


 アイペロスは叫びだしたい気持ちをなんとか押さえ込み。自らの目の前に広がる地獄を観察する。

 そして疲れ切ったアイペロスの赤い瞳には、先程とは別の意味で酷い状況の者達が映し出された。


 メリジューヌは完全にアルコールが脳の悪い方にまで行ってしまったらしく、呂律こそ普通には戻っているがテーブルに突っ伏してグスグス鼻を鳴らしながら「ごめんなさい……ごめんなさい……全部私が悪いんです」と呟き。

 メリジューヌに放りだされ床に転がっているベアトリスは硬く目を閉じて「あ、一昨年死んだおばあちゃんだにゃあ!!なんでこんな所に居るにゃあ」と意味不明な事を寝ながら叫ぶ。


(おばあちゃん?うーん、まさか幻覚作用でもあったんですかね?ベアトリスの姐さんは少ししか飲んでないはずなのに……あぁ、もしかすると臨死体験?なら大丈夫ですね。ベアトリスの姐さんがあの程度で死ぬことはまずないでしょう……そんな事よりメリジューヌの姐さんをなんとかしないといけませんね。泣いてるのは変わりませんが、暴れ回るのではなくダウナー系の酔い方に変わったようです…………まぁそろそろ頃合でしょうかね?……これ以上放置すると怖いですし……)


 アイペロスは今回の事態に『限り』強い責任を感じていた。

 悪意は無かった――――むしろ、善意で今回の騒動の発端となる酒をメリジューヌに勧めたのだ。酒でも飲めばあのピリピリした空気を吹き飛ばせるのではないかと――――


 これが、別に他の自分にとってどうでも良い獣人や魔族が相手ならばそう責任も感じなかった「またやっちゃった。テヘッ」とか思う程度で良かった。


 アイペロスは趣味で薬の開発や魔術の研究を行なっている。

 そしてその研究成果を部下で強制的に試す事もある。

 もちろん名無しの遺跡の乏しい兵力事情を考慮して健康に被害は無い範囲の実験なのだが、思いもしない副作用が出てしまい倒れた者が出た事もある。

 そのせいかアイペロスは何人かの部下からは本気で怖がられている事を知っていた。だが、その事について後悔の念や自責の念なんて持った事は無かった。

 新たな薬や魔術の研究には犠牲は付き物なのだ。『そんな事を気にするのは時間の無駄だ』というのがアイペロスの持論だった。


 しかしながら今回持ち込んだ酒はいつもの発明品とは違い、この集まりのメンバーに楽しんでもらうというアイペロスにしては珍しい善意のある動機で作られた物である。

 珍しく善意を持って作り出した酒をアイペロスが他人に滅多に見せない他者への無償の善意で勧め――――この様な結果になってしまったのだ。

 流石のアイペロスでもこれには責任を感じずにはいられなかった。


『こんな結果になってしまったけど、せめてメリジューヌの姐さんの相談くらい乗ろう……死なない範囲で』そう、意を決して悪酔いの暗黒面に堕ちたメリジューヌに話しかける。左腕の射程に気をつけながら。


「姐さん姐さん、姐さんは悪くなんてありませんよ」

「うっ……グスッ……そう?」

「はい。きっと姐さんの何かの勘違か、そうするしか無い事情が有ったから仕方無くだったんですよ。今まで、姫様がメリジューヌの姐さんをないがしろにした事はなかったじゃないですか」


 アイペロスはベアトリスをぶん回しながらメリジューヌが話していた内容と、自分を抱き絞めながら泣き叫んでいた内容を反芻し、メリジューヌに話しかける。

 不明瞭な部分も有ったがその内容を要約すると剣とリリアが二人きりで非常に重要な話があるので他の者に議場を退出する様に命じられたという物であった。


 最初はそんな事でここまで荒れるか?と思ったアイペロスであったのだが、メリジューヌとリリアの関係が従者と主というよりは姉妹のような関係であった事も考慮し、そこに『良くない酒』の効果が合わさって溜まった物が出てしまったのだろうと無理矢理納得したのだが――――アイペロスが思っていた内容とメリジューヌが荒れている原因というのは微妙にズレていた。


「別に姫様の事じゃない……政務で私を外される事は、お城に居た頃良くあった事だもの……」

「えっ?じゃあなんでそんなに……」

「……ツルギ様がね。皆に席を外して欲しいって言ったの……私も含めて」

「へっ?それだけですか?」

「それだけじゃないの……議場を出る時にね……とても怯えた目で私を見て……グスッ……」

「兄貴が、メリジューヌの姐さんを見て怯えていたんですか?」

「うん……そうなの……」

「それは……流石に姐さんの勘違いとかでは?」


 アイペロスが知る範囲ではメリジューヌに対してその様な気配をツルギが出していることはなかった、むしろ仲の良い姉と弟の様な雰囲気さえ出していた。

 突如なんの脈絡も無くその様になるとは思えないので、アイペロスは流石にメリジューヌの言葉を信じることが出来なかったのだ。


「勘違いでは無いと思う……あの視線は初めてお会いした時の視線と同じだったから……」

「初めて会った時?あぁ、兄貴と姐さんが戦ったていうアレですか?」

「そう、その時の事……あんな出会いだったから信用して頂こうと思って、姫様への忠義と同じくらいの忠義をツルギ様に捧げたつもりだったんだけど……駄目だったみたい……やっぱりあんな出会いだから嫌われていたのよ」

「いやーきっと大丈夫ですよ。普段の兄貴の様子から見て姐さんを嫌っている様な気配は微塵もありませんでしたよ?」

「じゃあ……なんであんなに怯えてたの?」

「そうですねぇ……もし、本当に姐さんの言うとおり兄貴が怯えてたとしてもそれはきっとメリジューヌの姐さんに怯えてた訳じゃないんじゃないですか?」

「……どういうこと?」

「これは推測になりますが皆さんが出て行った後にする姫様との会話に怯える様な内容が有ったんじゃないですかね?」

「言われてみれば……あれ?私なんでこんな事で不安に……あれ?あれ?私どうしてあれ?何これ頭痛い……」


(お?やっと酔いが冷めたか?――――いや、この場合効果が切れて来たと言ったほうが良いのかな……?)


「大丈夫ですか?姐さん」

「ちょっと駄目かも……頭凄く痛い、後眠い……」

「あたしの事は気になさらず、とりあえずベットに横になられてください」

「うんそうする。ごめんねペロス折角来て貰ってるの……に……」


 メリジューヌはベットに転がり込むように横になると、喋りながら操り人形の糸が切れたようにカクンと眠りに落ちる。

 そのいきなり落ちるように眠ったメリジューヌの姿を見てアイペロスは慌ててベットで横になるメリジューヌに駆け寄り、手首を掴んだ。その後に口元近くへ手を当てる。


「呼吸脈拍共に問題無し……よかった寝てるだけだ」


 アイペロスが安堵して、深い眠りに落ちたメリジューヌを見つめていると背後から声が掛かる。


「メリーちゃん寝たのかにゃ?」

「あ、はい……というか起きてたんですねトリス姐さん。狸寝入りだったんですか?」

「いんや今起きたばかりにゃ、ばあちゃんにまだあっちに行くのは早いから後200年は最低でも来るなって言われたにゃ」

「――――本当に臨死体験されてたんですか……?」

「さぁにゃ?夢かもしれにゃいけど、ばあちゃんが出て来たのは初めてだったにゃあ」

「そ、そうですか。そんな事より……今回は申し訳ありませんでした!!」


 アイペロスは深々とベアトリスに頭を下げて謝罪をし、ベアトリスはそれを見て眼を丸くする。

 アイペロスがこのように真面目な姿勢で謝罪することは珍しい事だったのだ。


「まったく……まぁ、悪気は無かったんにゃろうし今回だけは許してやるにゃ。お前のことにゃから、どうせ酒でも飲ませてメリーちゃんのご機嫌取るつもりだったんにゃろ?」

「はい仰るとおりです。あたしの浅はかな考えで姐さんにご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

「んにゃーまぁあたしも悪い手じゃにゃいと思って止めなかったから同罪にゃ……昔話にも有ったから良い手だと思ったんにゃけどなぁ…………」


 ベアトリスが言う昔話とは獣人の伝承に怒れる竜に酒を献上して怒りを静めたという物だ。

 アイペロスもそれを知っていたらこそ、今回メリジューヌに酒を飲ませてご機嫌を取るという手段に出た――――いや、その伝説を明確に知っていたからこそ、アイペロスはこの方法を思い付いたのだった。


 その伝説に語られる竜とはメリジューヌの先祖だったのだから――――


「しっかしまさかメリーちゃんがここまで酒癖が悪いとは思わなかったにゃ……他の奴等だったら死んでた所だったにゃん」


 まだ、青い顔のベアトリスはつい先程の自分に起こった事を思い出して身震いをし、顔面を更に蒼白にさせて行く。


「あーいえ、もしかすると今回のコレは薬効か何かで発生したものかもしれません……」

「どういうことにゃ?詳しく話すにゃ」

「詳しくですね。分りました」


 そこで、ベアトリスはハッと気づいて『しまった!!』という表情をする。

 それは先程まで疲れ果て申し訳無さそうにしていたアイペロスの瞳が、キリッと強い意思のような物が込められた視線に変わったからだ。

 メリジューヌに昏倒させられた後の起き抜けで頭がハッキリしてなかったとはいえ自らの隊で禁句とされている事を言ってしまったのをベアトリスは激しく後悔した。


 ベアトリス隊ではアイペロスの作成物に対して、『詳しく聞きたい』という事は――


「あの酒はトリクワズの実と他の薬草数種類から煮出したエキスをブレンドした試作品だったのであたしも正確には成分を把握出来ていないので推測の話になりますが、竜種にのみに効果を与える成分が含まれていた可能性があります。それに加えトリス姐さんの臨死体験の件もその効果範囲内にあったと仮定すると、獣人にも若干の効果も有る可能性もありますが、あたしには影響が出ていません。なので、一部の種族だけに効果を発揮する成分の可能性が強いです。また、効果としては酩酊と錯乱。もしかすると恐慌も含まれているかもしれませんね。いつもの姐さんなら兄貴が突然姐さんに怯えだすなんて馬鹿みたいな事は考えないはずだし、あんな話をあたしにはしない筈ですのでもしかすると自白の効果も有り得そうです。ただ、答えを出すのは早計ですので、後でもう一度作りなおして今度は亜人か魔族辺りで試し、再度検証の必要性が――――」


 アイペロスは実際に熱を帯びているかの様な熱意込めた早口で自らの作り出した酒について概要の説明と考察を語り出した。そして休む暇も無く今後どの様に検証実験を行なって行くかをベアトリスに対して説明し続けている。その内容をベアトリスは半分以上は理解出来ていない。


「あーもう、長い!五月蝿い!にゃんとなく分ったにゃ!とりあえずメリーちゃんは酔っていたわけじゃなくてお前が知らない悪い効果が入ってたって事なんにゃろ?」


 状態異常に極めて高い耐性を持つ竜種に悪性の効果の有る薬品が効果を示したという事が、どの様な意味を持つかをアイペロスが語り出した時点でベアトリスは説明を遮って言葉を発した。

 

「はいそうです。もっとも、これは推測の域を出ませんので、先程の説明通りに別の検体で検証実験を行なった後に、もう一度――」

「もう説明は良いにゃ!とりあえず明日メリーちゃんが起きたら謝るにゃ!」

「はい、それはもちろん謝りますが……」

「なんにゃ?もしかしてビビってるにゃ?」

「ビビらない訳ないじゃないですか!メリジューヌの姐さん怒ると怖いんですもん!」

「まぁにゃあ、メリーちゃんキレると怖いからにゃあ……仕方にゃい。あたしも一緒に謝ってやるにゃあ」

「え?良いんですか?それだと姐さんも……」

「おう!まぁ仕方にゃいさ。お前はあたしの配下だからにゃ配下の責任は隊長のあたしにも有るにゃ、それに酒を飲ませるのを止めなかった責任も有るしにゃ!」

「あ、姐さん!!」


 アイペロスはそのベアトリスのその度量の高さに思わず感涙してしまいそうになりながら、こういう所が有るから自らが敬愛するに至った人物なんだと改めて確信する。


「まぁ、二人で謝ればそう酷い事にはならないと思うにゃ」

「はい!ありがとうございます」

「んじゃ話は終りにゃ、あたしは寝る」


 そう言うと、ベアトリスは床にゴロンと横になった。


「え、そこで寝ちゃうんですか?」

「仕方ないにゃろ。この区画からはメリーちゃんが居ないと出られにゃいんだから」

「あっそうかメリジューヌの姐さん寝ちゃってるから……」

「そういうことにゃ、んじゃおやすみにゃ……さい」

「えっちょっと姐さん!」


 アイペロスが言葉をかけるも、ベアトリスからの返答は無い。

 それどころか、既に規則的な寝息を立てて眠りについていた。


「クッ流石猫科。寝るのが早い……あたしはどうしよう……流石に床で眠るわけにいかないし……」


 アイペロスは無駄に少女趣味を感じるメリジューヌの部屋を見回した。だが、寝具代わりになるソファーの様な物がある訳もなく小さな溜め息を付く。

 

 「はぁ……こういう時、本当に姐さんの頑丈さは羨ましくなりますよ」


 結局アイペロスはベトアリスのように床に寝る気もしなかったので、仕方なく椅子に座り机に体を預けて座ったまま仮眠を撮る事にした。


「まったく慣れない事はするもんじゃないですね」


 机に体を預けたアイペロスは消え入るような声で言った。

 その言葉にはアイペロスの本気の後悔が含まれていた。


 慣れない事――――アイペロスのこの場合は『善意』に基づく行動であった。


 アイペロスは悪意を持って行動すれば素晴らしい結果を出すことが多い。

 しかしそれと相反する善意を持って行動した場合、それは善意ではなく悪意のあるような結果が出てしまう事が多いのだ

 これはアイペロスにとって生まれもった呪いと言って良い性質であった。


『ならば自分は善意等は持つべきではないのでは?かつて生まれ故郷で忌み子と呼ばれた自分は本当に忌むべき存在としてしか生きられないのだろうか?』


 そんな取り留めの無い考えが浮かんでは、消えて、再び浮かんできては消えていきアイペロスを悩ませる。


 結局この日アイペロスは一睡も出来なかった。



 ***


 翌日早朝――――


 ゴーンと、名無しの遺跡内に早朝任務の魔族達を起床させる為の鐘の音が響き渡る。


「だ、だるい。今日の任務サボろっかなぁ……まぁ、とりあえずは姐さん達を起しますか……」


 アイペロスがテーブルに預けていた徹夜明けの重い頭を持ち上げ椅子から立ち上がろうとしたその時、バンッと勢いを良くメリジューヌの部屋の木製の扉が開け放たれる。


「ふぇっ?」


 想定外の音と事象に驚いたアイペロスは気の抜けた間抜けな声を上げて、音の発生源に頭だけを向ける。そしてそこに居た存在を見て思考も体も固まってしまう。


 この警備が厳重な区画でメリジューヌの部屋に来れる人物はそう居ない。

 しかもノックも無しに部屋の扉を開けるという暴挙を行なえる者等一人しか存在しない。

 だがその人物とあまり接点が無いアイペロスはいかに親しい間柄であろうと態々その人物が従者の部屋に来るという事をするとは思っていなかった。

 そんな人物がアイペロスの予想を裏切って部屋の戸口に立っていたので、アイペロスは固まってしまったのだ。


 しかし扉を開けた人物はアイペロスが居る事にまだ気づいておらず、焦った様子で部屋の戸口から部屋の主に対して外見から似つかわしくない大きな声をかける。


「メリー寝ているのー?なら、悪いけど――――ん?」


 アイペロスはフリーズした頭を無理矢理に起動させて自分には似つかわしくはないが、それでもこの人物には形だけでも最上位の敬意を示さなければいけないと思いすぐさまに椅子から立ち上がり片膝を折って跪く。


「おはようございます姫様。本日もご機嫌麗……しくはないようですね」

「うむ、メリーにしか出来ぬ火急の任があってな。朝一で任を与えようと思っていたのだがいつもの時間になっても来ぬので起こしに来た。で、何故汝等がここに居るのだ?」

「昨日姐さん達と、一緒にお食事会をしていましたらメリジューヌの姐さんが途中で眠ってしまったのでこちらのお部屋にお泊りさせていただきました」


 部屋の中に声をかけた人物――――リリアは、アイペロスの発言の『メリジューヌが途中で眠ってしまった』というものに首をかしげる部分もあったが、リリアには優先するべき重要事項があったのでそれについて言及する事は無かった。


「なるほどな。ならば汝は急ぎベアトリスを起こすのだ。我はメリーを起こす。この話は汝等にも関係がある話だ」

「かしこまりました」


 リリアはツカツカとメリジューヌのベットに近づき眠り続けているメリジューヌに声をかけているが、苦戦しているようだ。

 そんな様子を内心で冷や冷やとしながら見ながらアイペロスは徹夜で重い体を無理矢理に素早く動かし、床で気持ちよさそうに眠るベアトリスに近づく。

 そして心の中で『どうして床でこんなに気持ちよく眠れるのか理解できないませんね』と毒づきながらベアトリスの体を揺すり起床を促す。


「起きてください。姐さん姐さん」

「うっさいにゃああ。後五分待つにゃああ」

「姐さん!!姫様です!姫様がいらしてます!」

「あたしは眠いにゃ、待たせておく……にゃ?……姫様!?」


 リリアが来ている事を認識したベアトリスは寝ているのか起きているのか分らない様な状態を強固な意志の力で無理矢理に吹き飛ばした。

 そして足の力だけで跳ね起きると直ぐに自らの主に明るい声で朝の挨拶をする。


「姫様、おっはようございますにゃあ」

「うむおはよう。所でメリーが幾ら声を掛けても起きぬのだが汝等何か知らぬか?」

「あーそれにゃら……」


 ベアトリスはリリアに問いかけられた言葉の返答に窮する。もちろん自分の責任問題を主に追及されることも怖かったが、それ以上に問題となる事が存在し、流石に言え無かったのだ。

 

 このメリジューヌの部屋はリリアの部屋の直ぐ近くの場所に在る部屋だ。だからこそ、この部屋が存在する区画は厳重な魔術的警備が敷かれている。

 メリジューヌは不可抗力ながらそこに友人とはいえ部外者を無許可で一晩泊めてしまった。これはメリジューヌの責任問題になってしまう。だから出来れば今回の件は内々で処理したい。ベアトリスはそう思っているが故にリリアへの返答に詰まってしまっていた。

 そしてそれを察したアイペロスは跪いたまま、ベアトリスに代わり返答をする。


「申し訳ありません姫様。昨日の晩メリジューヌの姐さんにお出したお茶に竜種に睡眠作用がある成分が含まれていたらしく、メリジューヌの姐さんが起きないのはそのせいかと……」

「ふむなるほどな。その茶は汝が作ったのか?」

「はい、私が作りました。そして、私が勝手にやった事です……ですので処罰は私のみにしてください!」

「そ、そんにゃペロス!」

「良いんです姐さん。全部あたしの責任ですから………」

「で、でも」


 アイペロスとベアトリスはお互いに今にも泣きそうになりながら見つめ合う。

 その姿は実に美しい光景であったのだが、コホンというわざとらしい咳払いで遮られる。


「あーそのなんだ、盛り上がっている所悪いのだが何故処罰が必要なのだ?」

「それは……姫様の住まわれている区画にあたし達が勝手に――」

「ん?あぁ!そういうことか。汝等別に我を害するつもりはないのだろう?ならば良い。気にするな」


 リリアとしては、メリジューヌが二人を信用して眠りについたのならばそれはそれで良かった。

 もし、二人にリリアを害する要因があるのならばメリジューヌは絶対にこの区画には立ち入らせない。

 万が一、策略にはまりこの区画に侵入されメリジューヌが眠りに落とされそうになっても、メリジューヌならば眠りに落ちる前に自分の腕なり足なりを引き千切ってでも意識を保とうとするであろう。と、リリアなりにメリジューノの事を理解している。

 故にこの二人がメリジューヌの部屋に泊まったのならば信用は置けると思っっていたのだ。


「ですが、それでは……」

「気にするなと我は言っている。聞こえなかったか?今は時間が無いのだ」


 リリアの声が一段低いものとなり、ゾワリとアイペロスの背筋に冷たい物が走る。

 それは実感した瞬間ドッと冷たい汗が全身をびっしょりと濡らし始める恐怖や圧迫感だった。

 

 アイペロスが横を見れば普段リリアへ対して馴れ馴れしい態度を取る恐れ知らずなベアトリスも今回ばかりは同じ様にダラダラと汗を流し跪いてた。


(こ、これが『魔王の重圧』?想像していた物よりずっと強いですね……もしかしてメリジューヌの姐さんの本気の殺気よりも強いんじゃ……)


「か、寛大な処置を頂ありがとうございます」

「うむ、これからもメリーと仲良くしてやってくれ……コレは我のせいで友人が居なかったのでな、我としても部屋に泊める程の友人が出来た事を嬉しく思っている」


 と、普段の声に戻ったリリアは改めてメリジューヌ見つめて困ったような表情に戻る。


「アイペロスよ。外的状態異常に強い耐性を持つ竜種を眠らせた汝の技術を褒めてやりたい所であるが、今は時間が無い。起こす方法は無いのか?」

「試作品でしたので、正確な事は分りかねますが薬草由来の物ですので、普通の睡眠薬の効果と一緒と見受けられます。ですので眠気覚ましを使われるのが最適かと、宜しければ自室に眠気覚ましがありますので持って参りますか?」

「いや、良い。話の限りだと魔術の効果では無く薬の効果なのであろう?ならばそれなりの衝撃を与えれば良いだけであろう」


 困った表情こそ崩していないが、リリアの口元が笑いの形に歪められ楽しそうに語り出す。


「メリーが母上の屋敷に来た頃はまだ10歳でな、小等学校に通いながら母上の屋敷で行儀見習いをしていたのだが……あの当時メリーは朝がとてつもなく弱くてな、あの頃メリーを起こすのはいつも我の役目だったのだ」

「は、はぁ……」


 過去の事とはいえ、アイペロスはこの主があの従者を起こすという光景が今一想像できなかったので思わず気の抜けた声を出してしまう。


「故に、その時使っていた手を使おうと思う」


 そう言うとリリアは小さな両手でワシっとメリジューヌの頭を抱え込み、重そうに頭をそのまま持ち上げて――――叫びながら何度もベットに叩きつけるように上下に振り始めた。


「起きよ!メリジューヌ起きるのだーーーー!これでも起きぬならばバケツを使うぞーーー」

「バ、バケツ?」


 まさか、水でもぶっ掛けるのだろうかとアイペロスは思い、流石に止めようかと迷うがリリアの必死の形相が怖くて言い出せない。


 それからしばらくして、疲れたのか息を切らせてメリジューヌの頭をベットに叩きつけるのをやめたリリアはその行為をただ見つめるだけだったアイペロス達へ向き直る。


「はぁはぁ……これでは駄目だな。アイペロスよ。バケツだバケツを持ってくるのだ!」

「ど、何処から持ってくれば宜しいですか?」

「部屋を出て右に行くと洗面所がある。そこから持ってくるのだ。桶ではないぞ木製では駄目だ。鉄製のバケツを持ってくるのだ!」


 その普段と違うリリアの必死の形相にアイペロスと同じ様に腰が引けていたベアトリスは、それでも親友(自称)であるメリジューヌ助ける為、決死の覚悟でリリアに意見する。


「ひ、姫様流石に水を掛けて起こすのは可愛そうにゃ……」

「水?何を言っているのだ。バケツは頭に被せるのだ」

「そ、それでどうするにゃ?」

「起きるまでバケツを叩いて鳴らし続ける」

「あぁにゃるほど……それは結構効きそうにゃね……」

「うむ、ちょっとした必殺技だ。あまり使いたくは無いが時間が無い。もはやバケツを使うしかないのだ!急ぎ持ってくるのだ」

「は、はい。ただいま持って参ります」

「う……あっう……」


 アイペロスが立ち上がって走り出そうとした。その時ベットの上で呼吸音が無ければ死んでいるのでは無いかと疑ってしまうほどに深い眠りに落ちていたメリジューヌに動きが有った。

 もぞっと動きだし「う゛ー」だの「あ゛ー」だのとゾンビの様な声を上げ、意識を覚醒させて半身を起こしたのだ。


「姫様……バケツは勘弁してください。あれは……耳が数時間駄目に……なります」

「む、起きたかメリジューヌよ」

「はい……あら?何故姫様が私の部屋にいらっしゃるのですか?」

「何故って……メリーが寝坊したからであろうに……」

「寝坊……?寝坊!?」


 リリアの言葉を鍵に半覚醒だったメリジューヌの思考が一気に覚醒する。


「申し訳ありません姫様。この様な事はしばらく無かったので油断していました」

「それは良い。我としては昔を懐かしめてそれなりに面白かった。出来ればこのまま昔話に花を咲かせたいところではあるのだが時間が無い。まずは話を――――その前に、体調に不備等はあるか?随分顔色が悪いように見えるが?」


 時間が惜しかったリリアは急ぎ今回この部屋に来た用件を伝えようとしたが、それを後回しにしてまずメリジューヌの体調を確認する。

 それはあまりにもメリジューヌの状態が、寝起きとはいえ酷い状態だったからだ。

 熟睡していたはずなのに目の下にはくまが有り、顔色は蒼白に染まり、目には力が無く声には消せない気だるさが混じっている。

 寝起きと言う事を考慮してもそれは酷い状態であった。


「体調ですか?頭痛が少し……」

「頭痛?む?強く叩きつけすぎたか?」

「いえ、そういう痛みではなく……そういえば昨日寝る前にも酷い頭痛がしていた様な……あれ?私昨日何時の間に寝たの?記憶が……無い!?」

「すみません、姐さんその事なんですが――」

「アイペロスよその事は後だ。それよりも優先することがある」

「も、申し訳ありません」


 リリアは怯えた謝罪をするアイペロスを一瞥して直ぐにメリジューヌに視線を戻す。

 その視線をリリアが見せる最上位に厳しい物だと気づいたメリジューヌは、事態の深刻さに気づきリリアに詳細を尋ねる。


「姫様一体何事なのでしょうか?もしや、昨日の冒険者共が侵攻を?」

「うむ、既に敵方の斥候が少数であるが動いている。直に本隊も動き出す事であろう。それで、久しぶりにメリーに前線に出てもらおうと思ってな。故に体調を確認したかったのだが、戦えるか?」

「頭痛と、ほんの少しですが体にダルさと寒気が有ります。ですがこの程度ならば戦闘に支障はありません」

「ふむ十全とは言えぬ状態という訳であるな。ならばその状態でツルギと戦った場合はどうなる?」


 その言葉にリリア以外のこの部屋居た者達は戦慄する。

 特にメリジューヌの狼狽っぷりは異常と言っても良い状態だった。

 気だるさを感じさせていた声を叫びに近い声に変えてメリジューヌはリリアにすがり付く。


「まさか!ツルギ様を討たれるおつもりなのですか!?それだけはご容赦を!後生でございます!昨日のお話で何が有ったのか分りかねますが、どうかもう一度ご再考を!」

「馬鹿者、この状況で何故ツルギを討たねばならん。少しは頭を働かせよ、例えである。ツルギと戦えるくらいの体調でなければ汝を前線に出す訳には行かぬ故にだ」

「そうでしたか……」


 メリジューヌは心の底から安堵した後に自らの主が自分に質問をした内容を考える。


 メリジューヌはまず脳内で何通りか戦闘パターンをシミュレーションし以前ツルギと戦った時状況を再現してみた――――当然勝てない。体調が万全ではない今のメリジューヌでは前回よりも酷い結果が待っているだけであろう。

次にシミュレーションしたのは以前の戦闘で使用しなかった戦闘用装備を使った場合だ――――体調面を考慮するとやはり勝てない。万全な状態でも勝率は3割の程度だろうとメリジューヌは想定した。


「で、どうだ?いけるか?」

「それならば無理です。普通の状態でも敗北していますので、勝負にならないかと……戦闘用装備を持ち出してもって10分もてば良い方ですね」

「ふむそうか…………ならば別の者を選出して……ベアトリスよ魔獣達の回復状況はどうだ?」

「えーと、ファイヤフォックスが5匹とブリザードリザード2匹の怪我は完治してますにゃ」

「ふむ、小型の者ばかりだな。それでは足りぬ……バジリスクは使えぬのか?」

「あの子は酷い怪我だったんでちょっと難しいにゃ。それにあの子を動かすのにゃら単独で使わにゃいと……」

「あぁ、狭い空間で運用した場合味方もアレの毒でやられてしまうか……だとするとアレを使うか?だが、アレは我とメリー以外区別が付かぬが……だが約束してしまった以上ツルギには戦闘能力が高い者をつけねばならん。どうするか……」

「――――!?いけます!行かせてください姫様」


 リリアの言葉にほんの少しの間をおいてメリジューヌは先程全身を覆っていた倦怠感を1ミリも残さず消し飛ばし本来の力強さを取り戻す。


「む?だが体調が悪いのであろう?何かの不備で汝を失うことが在ってはならん」

「そうにゃあたしも反対にゃ!調子が悪いのにメリーちゃんを前線には出す訳には――――ひにゃあっ」


 ベアトリスとしては本気でメリジューヌを心配して声を掛けたのだが、その言葉はメリジューヌに一睨みされた事で発生した自身の悲鳴で途切れる。正に大蛇に睨まれた猫、ベアトリスは全身の毛を逆立たせて黙るしかなかった。

 それほどにベアトリスを睨み付けたメリジューヌの瞳には如実に殺意が込められていた。『黙れ駄猫。それ以上喋るなら殺す』と。


「私以上にツルギ様をサポート出来る者などおりません、是非私にツルギ様のお供を」

「ふむ……そこまで汝が言うならば、仕方有るまいな。良かろうツルギの共をする事を許可しよう。ただし死ぬ事は許さぬ。生きて戻れ」

「心得ております。私の命は姫様の為にあります。死ぬときは姫様の為以外にはありえません」

「ならば良い。仔細は我の部屋で話す。装備の準備が出来次第我の部屋へ参れ」

「かしこまりました」

「うむ、では我は部屋に戻って準備をせねばならん。ベアトリス、アイペロス汝らも持ち場に戻るが良い。恐らく敵は今日動くぞ」



 ***


 装備の手入れや準備があるからと、メリジューヌに部屋から追い出されたアイペロスとベアトリスは2層の自分達の持ち場に戻る道中に雑談を交わしながら、これから戦闘に赴く様には見えない明るい雰囲気を出して歩く。


「まさか、メリジューヌの姐さんが前線に出る事になるとは思いませんでしたねー」

「んにゃあ、まぁこれで今回の戦は楽勝にゃろうなぁ」

「そうですね。ツルギの兄貴だけでも相当ヤバイのにそれに加えてメリジューヌの姐さんもですからねぇ」

「少しだけ冒険者の奴等が可哀想になるレベルにゃね」

「しかも、超ご機嫌でしたからね。あれはきっと大暴れしますよ……」

「そうにゃね。メリーちゃんああなると、他の事はどうでも良くなるからにゃあ。きっと周りのことなんて気にしないで暴れ回るにゃ……まぁ、そのおかげであたしもお前も助かったんにゃけどにゃ」


 リリアがなんらかの準備があると言って部屋から出て行った後メリジューヌは部屋の衣装箪笥に高速で駆け寄り、騒々しく衣服を引っ張り出し着替えを始めた。


 一心不乱に衣装を選ぶメリジューヌの表情は喜悦に塗れていると言って良い表情で、あまりの変貌ぷりにアイペロスとベアトリスが声をかけるには躊躇われたほどだった(余談であるが、やたらと可愛らしいワンピースで出かけようとしていたので流石にそれは二人が止めた)


 その後に、少し興奮が落ち着いたのか鼻歌を歌いながら黒色の大剣を磨き始めたメリジューヌになんとか昨日の謝罪をするべく声を掛けたアイペロスだったのだが――――その結果アイペロスが予想していた叱責や制裁が行われることは無かった。


「もっと、怒られるかと思ってました」

「メリーちゃん昨日の事ほとんど覚えてなかったみたいにゃし、それもあるんじゃにゃいのか?」

「ですかね?あたしとしてはなんか釈然としない?いえ違いますね。拍子抜けというべきでしょうか?そんな気分です」


 アイペロス達が謝罪を行なった後、メリジューヌは首をかしげて「覚えてない」と言った後に、「まぁ悪気は無かったんでしょ?じゃあ良い。次からは気をつけてね」と、述べてあっさりとアイペロス達は許されたのである。

 文字通り必死の覚悟で謝罪に挑んだアイペロスとしては拍子抜けとしか言いようのない気分になってしまった。


「まぁ、そんにゃ事どうでも良くなるくらいツルギと一緒に動けるのが嬉しかったんじゃにゃいか?」

「あぁそれです。そこの所どうなんですか?」

「ん?そこって何処にゃ?」


 アイペロスは昨日のメリジューヌの絶叫の中にどうしても見逃せない部分があった。

 メリジューヌが、ツルギにリリアと同等の忠義を捧げていると言ったあの言葉の真意がどうにも気になって仕方ない。

 メリジューヌのあの叫びの原因は忠義を捧げた末に信用を得られなかったからではないのではないか?ただツルギとリリアが二人っきりで密談するのが許せないという嫉妬から来るものではないか?と、そうだとすれば酒を飲む前にヤケ食いしていたのも納得が出来た。


「あたしから見るとメリジューヌの姐さんってどうみても通い妻ですよ?ぶっちゃけどうなんです?」

「あぁそういう事かにゃ……んーまぁお前の予想している通りだと思うんにゃけどな今の所は何にも無いんじゃにゃいかにゃ?」

「そうなんですか?あたしが同じ立場だったらさっさとヤっちゃ――――物にしちゃいますけどねぇ」


 アイペロスとしては、メリジューヌの行動が今一つ理解出来ない。

 ツルギの顔は童顔で目つきが悪いが、顔自体は悪くはない。

 それに下位魔族や獣人の男に見受けられる粗暴さもない。

 しかもツルギの戦闘能力や現在の立場、そしてリリアからの信頼を考慮すれば人間というマイナス要素を含めても良物件と言って良いのだ。

 今は悪評がたっているせいかツルギの事を良く知らない女性陣はツルギに近づこうとしてしないが、いずれそれが払拭された後の事を考えるとメリジューヌの選択は下手を打っているとしかアイペロスは思えなかった。


 「欲しいならさっさと物にしないと他者に取られる可能性があるのだ、ならばさっさと占有してしまうべきだ」それがアイペロスの恋愛感だ。

 そしてその恋愛感でツルギという物件を精査すると、手を付けるなら早い方が良いという結果が出る。

 

 サクっと既成事実を作ってしまっても恐らくツルギの実力なら食うには困らない。

 むしろ他の魔族に嫁ぐより良い生活をさせて貰えるだろう。先手必勝で捕まえてしまえば捨てられない限りは安泰な生活を送れる。何を迷う必要があるのだろうか?「面倒だからささっとヤっちゃえよ」と素の性格が半分ハミ出してアイペロスはそんな事を思ってしまう。


「お前だったらそうにゃろうけどね。メリーちゃん見た目と違って子ど……乙女にゃからなぁ。自分からは言い出し難いんじゃにゃいか?」

「そういうもんですか?ちょっとあたしには理解できませんね。正直さっさと落としてしまった方が姐さんの為にもなると思うんですがね」


 メリジューヌの事をリリアの唯のメイドくらいにしか認識していない者達は、ツルギに甲斐甲斐しく世話を焼くメリジューヌに対して悪感情を持っている。


 元々魔族や獣人は人間を嫌らっている。

 亜人にいたっては過去の歴史から人間を種族としての敵と認識しているのである。

 しかも、町の襲撃以降は人間に対する嫌悪は憎悪にまで昇華され、人間という種族を完全にこの世界から排するべきだという主張を種族問わず掲げる者が多い。

 事実アイペロスもツルギ以外の人間は虫以下の存在だと思っているのでその事についてはとやかくは言わないが、そんな状況で人間の部屋に魔族の中でも上位の存在である竜人が通い妻の様に通っていればその結果がどうなるかは一目瞭然だった。


 事情を良く知らない、一般の魔族達は「栄えある竜人が、人間に奴隷の様に扱われるとは情けない」と悪感情を持つが、これくらいならばまだ良い。上流階級の奥方達はもっと辛らつな事を公言する。「人間に辱められて何故復讐をしないのか?出来ないならば何故自害しないのか」と、アイペロスとしては敬愛するメリジューヌを貶めているそいつらを心の中の『いずれブチ殺すリスト』に追加しつつも、そういう事を言われても仕方がない事だと理解していた。


 だからこそ、メリジューヌはさっさとツルギとくっ付いてしまうべきなのだとアイペロスは思う。

 結婚、愛人、なんでも良いが、ある程度の所に収まりリリアに正式に二人はそういう仲なのだと宣言させてしまえば少なくともは表向き、公の場でメリジューヌを悪く言う者は居なくなる。

 魔族にとって上位者の決定は絶対であり、リリアが二人の中を認め、祝福したという事は公には批判できなくなるという事なのだ。

 そして、それが旨く行けばアイペロスを不快にさせるくだらない話は聞こえなくなるしメリジューヌも幸せになれるとアイペロスは確信していた。


「まぁメリーちゃんは箱入りさんなうえにその手の話には疎いからにゃあ。もしかすると自分の気持ちに気づいてない可能性もあるにゃ」

「は?気づいてない?いやそれは流石に……いや、昨日の事を考えると有りえますね………」


 アイペロスはそこでハッと気づく、昨日のメリジューヌはツルギに対して愛や恋ではなく「忠誠」と言っていたのである。 

 もし、あの酒が本当に自白効果や錯乱効果があったのならば、そんな誤魔化すような表現は出来なかった筈なのだ。 


「あーそうなると厄介ですね。どうやって二人をくっ付けましょう……食事に媚薬でも仕込みます?」


 この時既にアイペロスの中では二人がくっ付けば良いのにという願望ではなく、どうやって二人をくっ付けるかという考えにシフトしていた。

 だが、その発言にベアトリスは不快そうに顔をしかめてアイペロスに苦言を呈する。


「そんにゃもん、にゃるようになるにゃ。余計な事するとまた今回みたいに拗れるんにゃから余計な事はすんにゃ」


『まぁ確かにそうだ。あたしが善意で何かをすると裏目に出やすい。ならばなにもしない方が――』とアイペロスは納得しかけ、またしても何かに気づく。

 今のベアトリスの表情は何処となく昨日のヤケ食いをしていたメリジューヌと似ていると。

 そしてその事に気づいたアイペロスはいくら痛い目を見ても治せない悪癖を出す。


「ちなみに姐さんはどうなんです?兄貴結構悪くないと思いますけど?」

「ば、ば、馬鹿言うにゃ、あいつはただの戦友でただの友達にゃ!」

「あらそうなんですか?残念です。色々良いアドバイスが出来ると思ったのに」

「アドバイス?どんなアドバイスにゃ?」

「あら?違うんならアドバイスの必要はありませんよね?」

「ちょっと気になるだけにゃ!…………で、どんなアドバイスにゃ?」

「そうですねぇ。やっぱり簡単な所で行くと、兄貴は姐さんの隣の部屋に住んでいるんだからその利点を活かすのが一番じゃありませんか?」

「なんにゃ?メシでも作りにいけばいいのか?自慢じゃにゃいが、あたしは切ると焼くと煮るしかできにゃいぞ」

「いやいや姐さん冗談きついですって、子供じゃないんですから分るでしょ?夜這いですよ夜這い。サクッとやっちゃいましょうよ」

「ふにゃ!?無理にゃ!そんなの無理――――」

「無理じゃありません。姐さんはメリジューヌの姐さんには負けますが良いモノを持っていますから多分兄貴はイチコロですよ?早速今日の夜辺りどうです?兄貴も戦いの後という事で高ぶっているでしょうし」

「ば、ばっかじゃにゃいのかお前!」


 アドバイスの具体的な内容を聞いて顔を赤く染めたベアトリスはアイペロスを罵倒してアイペロスから普通の魔族では追いつけない速度で距離を離す。

 が、そこは速度に重きを置くベアトリス隊所属のアイペロス。簡単には引き剥がされない。早歩きをしながらベアトリスの顔を覗き込むようにして話しかける。


「どうしたんですか?姐さん?まさかこれくらいの話で恥かしくなっちゃいましたぁ?」

「お、お前の話を真面目に聞こうとしたあたしが馬鹿だったにゃ!無駄話は止めてさっさと行くにゃあ」

「あら?ちょっと気になったのではなく真面目に聞いてたんですね」

「うっさいにゃあ!この悪徳兎!あたしをからかって面白いかあああ」


 叫びながらベアトリスは走り出し、自分が出せる最高速度でアイペロスを引き剥がす。

 流石にそこまでの速度をだされると追いつけなくなったアイペロスはベアトリスの追従を諦め走る速度を落とした。

 そしてアイペロス通路の奥の方で豆粒ほどに小さくなった全力疾走をするベアトリスの背中を見ながら思う。


(少しからかい過ぎましたかね?あたしとしては序の口だったんですけどねぇ……案外姐さんもウブなんですね。まぁメリジューヌの姐さんと同い年(タメ)ですもんね。おかしくはないのか)


 そんな事を考えながらアイペロスは自分が今とても楽しくしてしょうがない事に気づき、口元に手を当てる。

 そこには笑いの形に歪められた唇があった。

 それは、アイペロス自身の欲求を満たせた事で発生した笑みでもあり、ベアトリスが無性に可愛く見えてしまったから発生した笑みでもあった。


(どうしましょうね。姐さん達や会の皆さんには心の底から幸せになって欲しいと思っているんですがねぇ。でも、楽しくて気持ち良くてどうしてもこんな下らない嫌がらせをしてしまう……それに悪意を持った嫌がらせは全てあたしが思ったとおりに事が運ぶのに、それが善意だと全部反転しちゃうんだから酷い話ですよねぇ…………あれ?そうするとそれが逆ならどうなんでしょうね?悪意を持った善意?……悪意で他者を幸せにする?」


 それは、生まれてからその性質故に『忌み子』として嫌われ続けたアイペロスが初めて気づいた事であった。

 彼女が15歳の時その性質故に彼女を処分しようとした両親を逆に謀殺し、それ以降一人で生きてきた彼女にとっては他者とは自分に悪意を向けてくる者達であり、自分が悪意を向けるべき対象であった。 

 しかしながら現在のアイペロスには親しい友人とも言える会のメンバー達と敬愛する者達が居る。

 つまり他者に対する悪意しか持たなかった彼女は今や善意を向けるべき相手を得たのだ。それ故に彼女は今まで至る事が出来なかった発想の転換を得た。


 その事に気づいたアイペロスは本性が漏れ出す事を感じつつもソレを止める事が出来ない――いや、止める気もしなかった。もはやこの通路にはアイペロスの本性を見て咎める者は等誰もいないのだから――――ついにアイペロスはその狂気の様な本性を吐き出しながら誰もいない通路で真紅の瞳を大きく広げ、狂った哄笑を上げる。


「アハッ――アハハハハハハそうです。逆にすれば良いんですねぇ!全てを逆にすれば良いんです。なんでこんな事に気づかなかったんでしょう?アハハハハハァ」


 自分の善意が悪意となって害を成すならば、悪意を持って『あの二人の年下の姐さん達』を幸せにすれば良いとアイペロスは気づいた。

 何故ならば彼女が悪意を持って行なった行動は大抵旨く行く。ならば悪意を持って彼女達の恋をサポートするべきだろうと狂った思考なりの結論を出したのだ。

 それならば彼女たちが慌てふためく姿を見れて十分に自分の欲求を満たす事は可能であり経過はどうであれ、自分が悪意を持って彼女達を幸せにすると目標を立てたならば最終的にはあの二人には幸せになれる確信があった。

 それは彼女が楽しみつつ、周りの者達をうまく幸せにするという皆が幸せになれる手段であった。

 例えそれが狂った手段と経緯で幸せになるのだとしても――――


「さて、まずはどうしましょうね。今晩辺りまずあたしが薬でも使って兄貴を誘惑して行為の真っ最中を二人に目撃させるのも悪くないかもしれませんね。いやそれだと遠回りになるので、薬をまずベアトリスの姐さんに――――」


 アイペロスは自らの中から湧き出す狂気の発想が心底楽しくなり、笑いながらブツブツと今後の方針を呟きながら歩いて行く、自らが色々な意味で敬愛してやまないベアトリスが居る場所へ向かって。


 これが後の世で『悪意の有る幸せ兎』と呼ばれるアイペロス=イボス 当時年齢22歳が自分の本質受け入れてその本質を活かし始めた瞬間であった。

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