8.兄貴が来る、そして不良に絡まれる
昔々、あるところにある一家がおりました。そのバブル時代に粗製乱造された安普請には、お父さんとお母さん、それに二人の男の子が住んでいました。
お父さんはあまり家にいませんでした。お仕事が忙しかったという話ですが、二番目の男の子が今思うに、恐らくお母さんから遠ざかっていたかったのでしょう。
なんせお母さんは、嫌な事があれば他人にあたり散らす以外に解決方法が思いつかない人だったからです。そしてお母さんにとってこの世は嫌な事だけで出来ているようでした。
一番目の子供は気骨のある男の子でしたので、お母さんに毎回きっちり言い返してその都度反撃しておりました。お母さんはやがて一番目の子供を攻撃するのをやめました。負ける相手とは戦わない、まさにお母さんは諸葛孔明の生まれ変わりに違いありません。
二番目の男の子は次男にありがちな事にぼんやりしていてのんびり屋でした。頭が弱く、バカにされてもすぐ反論出来るほど脳味噌の回転が早くないので、お母さんはこちらを攻撃する事にしました。攻めやすいところから攻める、まさに孫子の教え通りです。
一番目の子供は勉強もスポーツも得意で協調性があったので、結構どこででもやっていける性格でした。だから成人するとすぐに家を出、二度と家には戻りませんでした。
残された二番目の子供は、いつもお母さんと一緒でした。そしていつもやる事なす事すべてを否定されました。
米軍の海兵隊の新兵キャンプでは、何をおいてもまずやることがあります。それは徹底的にこき下ろして兵隊一人一人の人格を一度破壊し、後に全体の部品の一部として動けるように再教育する事です。お母さんは恐らく映画「フルメタルジャケット」を見てこの教育方法を思いついたのでしょう。
だけど彼らには仲間がいて、二番目の子供にはいなかった。人格をバラバラにされるだけで再び固める事もされなかった。
二番目の子供はバラバラのまま成長してしまったのです。「自分自身」を定義しようにも、砕け散ったステンドグラスの欠片の寄せ集めでしかない彼は、一枚の絵を成す事が出来ないのです。
彼にとって、他の人々が胸に抱くステンドグラスがどれほど眩しく見えたでしょう。完璧な一枚な絵を描き、「僕は、私は、この絵を持っている」と胸を張れる人たちが、どれほど羨ましく思えたでしょう。
そして今、二番目の男の子の前に、一番目の男の子が現れたってわけ。実に三年振りだろうか。




