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男性のように見えたが、どうだろう。はっきりとは見えなかった。
身じろぎせず、呼吸や瞬きすら止めて、僕らは幽霊が通り過ぎるのを待った。向こうも気配を感じているのだろう、頻繁に立ち止まって周囲を見回す素振りをするのが霧の流れでわかった。
まともな人間なら誰だって幽霊の存在を目前にすれば、何らかの反応をするだろう。現実が信じられなくなって恐怖と困惑が入り交じり、身動きが取れなくなる。扉をこじ開けて這い出してきたパニックが記憶の棚が次々にひっくり返し、何故か「今日食ったカツカレーはマズかったな、あの店二度と行かねえ」とまったく無関係なことを考えたりする。
今の僕がまさにそれだった。二日酔いのゲロのように悲鳴が喉元まで込み上げている。それは海里が手を離せば間違いなく外に飛び出すだろう。
だが、あらゆる僕を支える柱が根本からグラつき、倒壊寸前となってなお、奥底のたった一本だけは確固たる安定を誇っていた。他の全部が倒れても、この柱だけは倒れない自信があった。
海里の髪の甘い香りが、僕の鼻先をくすぐっている。大丈夫だ、彼女がいるから。彼女が守ってくれる。
……普通はヒーローとヒロインの立場が逆だよな。まあ、見逃してくれ。僕はそういう情けない奴なんだよ。そして今も、とんでもないミスをやらかして、彼女の足を引っ張る事になる。
すでに感覚を失い、手の一部となっていたものが、今再び分離した。手の平から染み出す汗が潤滑剤の役目を果たしたのだろう、ライトが指からすっぽ抜けて落ちたんだ。
床のリノリウムにぶつかり、かちゃんと小さく音を立てる。その瞬間、海里と幽霊の視線が交差し、一点にぶつかった。床のライトへと。
海里の反応は早かった。向こうよりも先に正気に戻り、僕の手を掴むと、一目散に走り出したんだ。
「こっち!」
さっきも言った通り、僕は海里の存在が要になっていたから、その本人がやる事とあらばまったく抵抗なく動く事が出来た。まだ少し頭はぼんやりしていたけれど、とにかく一緒に走り出す。もっとも、悪夢の中のように走り辛く、足がもつれてかなわなかった。
そりゃあ勝手に人ん家に入ってくる奴がいたら、誰だって頭に来る。幽霊であっても不法侵入は許せないんだろう。当然、奴は追ってきた。
驚くほどの速度だ。映画でも何でもそうだが、何でこの手の怪物はみな一様に足が早いのだろう。揃いも揃って元スプリンターの霊なのだろうか。




