10-5
どのくらい船を渡り歩いた頃だろう。西を目指していたつもりだが、迂回に次ぐ迂回で少しずつずれている気がする。改めてコンパスを見た時、戦慄が僕の背中をなぞった。背骨が痺れるような恐怖が駆け抜け、脳天を貫く。
最初の船より二回りは小さい船の甲板、そのやや船尾近くにいた時だ。気だるげに床に沈んだ霧が、ある意思を持ったかのようにふわりと舞い上がった。僕が身じろぎもしていないにも関わらずだ。
はっと息を飲んで振り返りかけ、すぐに自分を諫めて動きを止める。
霧の中に人型の空白があった。その部分だけ、霧が避けている。それは僕の後ろから回り込んできて正面に出ると、あたりを見回すような素振りをした。間違いなく、僕を探している。その動きは緩慢で重く、泥の中を這いずるようだが、執拗だった。
僕が息の音すら潜めて見守っていると、やがて諦めたのか、それとも別の場所を探そうと思い立ったのか、目の前を通り過ぎて行った。
海里。ああ、海里! どうか彼女があんな姿になっていませんように。
せき止めておいた息をゆっくりゆっくり吐き出す。それを改めて吸い込むと、僕は霧を大きく揺り動かさないよう、細心の注意を払って縁まで向かった。板橋を越え、隣の船へと逃げ込む。
木造の帆船から真新しいクルーザーまで、実に色々な船が身を寄せあっていた。ジャンク船や漂流中のイカダ、隅田川に浮いてる貸しボートのアヒルちゃんまで。あれを作ったのはホームレスなのか師匠なのかと考えたりしたもんだ。あんなもんまでボトルシップにする必要があったんだろうか? それともあの手のマニアの常として、思い付いたからには作ってみなければ気が済まなかったのだろうか。
幽霊もまた、よく見ると様々な姿形をしていた。女性のように長い髪をなびかせていたり、一際大きな体格の持ち主もいた。元は皆人間で、一時の安らぎを求めてボトルに逃げ込み、そして二度と出られなかった。そこから出ればどうにもならない現実を相手にせねばならないとわかっていたからだ。
彼ら、彼女らには同情する。多分、いや間違いなく、海里がいなければ僕もあの一員になっていたに違いない。自分の顔すら思い出せなくなり、他人に苦しみを分け与える事で何とか悪夢のような現実から逃れようとして……だが、同情以上の事は何も出来ない。この身を捧げてやるわけにはいかないんだ。
途中まではかなり上手く行った。幽霊は霧の動き以外には反応しないから、例え目の前にいたとしてもこちらが動きさえしなければ見つからない。例えヘルズキッチンのストリートギャングが聞いたら一秒で撃ち殺されそうな暴言を叫んだって気付かないんだから。