1-5. アニスはシズアを引き留めたい
「ねぇ、シズ。私が教える方が強くなれるから、ね、神殿学校になんか行かないで、家にいようよ」
アニスはシズアを説得に掛かる。
「アニーってそんなに強かったっけ?いつもジークに負けているじゃない」
シズアが反論する。
兄は長期休暇になると、たまに家に帰って来る。その時、アニスは手合わせして貰っていたのだが、確かに最近は勝てなくなった。それは兄が神殿学校卒業後に進学した騎士学校でとある対策を覚えたからだとアニスは考えている。
「確かに最近は勝ててないけど、神殿学校を卒業した頃のジークには勝ってたんだから。私よりも年下の神殿学校の生徒になんて負ける訳ないじゃない」
「ふーん、面白いことを言うわね」
女子生徒の一人がこちらに歩いて来る。シズアの説得のために声が大きくなってしまったか、アニス達の近くで男子生徒の打ち合いを眺めていた彼女の耳にアニスの言葉が届いてしまったらしい。
「私はイラ、12歳。貴女は?」
イラと名乗った女子生徒は、実力のほどは未知数ながら強者のオーラを漂わせていた。
アニスはその迫力に気圧され掛かるが、ここで負けてはシズアが神殿学校に取られてしまうと自らを鼓舞する。
「私はアニス、13歳だよ」
「なるほど、私より一つ年上な訳ね。それで、あの二人の打ち合いを見て勝てると?」
「綺麗な型だけど、それだけだから」
「ふーん」
イラはアニスを値踏みするように視線を巡らした。
「それなら胸を貸していただこうかしら。貴女は良くて?えーと、アニスだったわね」
「うん、アニス。やるよ」
アニスは威勢よく頷くと、シズアに振り向く。
「シズ、よーく見ててね。私みたく神殿学校に行かなくても、十分に強くなれることを教えてあげるから」
「そうだね。うん、アニーの戦い振り、ちゃんと見てるよ」
何故か曖昧な笑顔を見せるシズアだったが、アニスは前に向き直って男の子達のところへ行く。
「クラウにジャニー、こちらはアニス。貴方達に胸を貸してくださるそうよ」
アニスの後ろから付いて来たイラが言葉を掛ける。
「アニス、こちらがクラウス、もう一人がジャン。二人の打ち合いを見て、どちらが強いと思った?」
早速イラが、アニスを試すような問いを投げる。
「こちら、クラウス、だと思う」
アニスの返事を聞いて、イラが片方の眉を上げる。
「それは、何故?」
「身体の動かし方と目の動きが良かったから」
「そう。言うだけのことはあって、きちんと見ているわね。それじゃあ悪いけど、ジャン、貴方の木剣をアニスに渡してくださるかしら」
ジャンが黙って剣を差し出してきた。
「ありがとう、ジャン」
アニスは礼を言って受け取る。
「それじゃあ、よろしくね、クラウス」
「ああ」
アニスはクラウスと距離を取って向かい合う。それから準備体操を兼ねて、木剣を二度三度と振り回す。どうやらこの木剣には鉄の芯は入っていないようだ。
「ルールを確認したいんだけど、打ち込んで良いのは首の下から腰の上までよね。魔法は無し?それとも相手を殺さない程度の魔法はあり?」
「魔法ありで」
「分かった」
それなら兄のジークリフとの打ち合いと同じルールだ。
アニスは右手で剣を構えて準備が出来ると、クラウスに向かって口を開く。
「何時でも良いから、掛かって来て」
それをスタートの合図と解釈したらしく、クラウスが剣を構えながら前に出て来る。
「うぉーっ」
気合を入れながら、クラウスが打ち込んできた。
右に左に、時折りフェイントを混ぜて来るが、いずれも素直な太刀筋だった。
それらをアニスは余裕で受ける。
クラウスの打ち込みは、神殿学校時代のジークリフのそれと同じだ。弱い筋力を魔力による強化で補う。自然に次に力を入れる部分に魔力を集めるようになる。
なので、相手の魔力の流れを見ていれば、次にどちらの方向から打ち込みが来るのか簡単に見分けられる。
アニスは時に打ち込みへの対処方法を変え、相手がバランスを崩すとすかさず攻撃してその脇腹に木剣を当てる。
「私の勝ち」
想定していたとは言え、あっけなく勝ってしまった。
「も、もう一度やってくれ」
「良いわよ」
アニスとクラウスはそれぞれ最初の位置に戻り、改めて向き合う。
そして互いに剣を構えるが、そこからクラウスの動きが無い。いや、じりじりと少しずつ前に出てきている。
「ふむ」
今度はアニスから攻撃して来て欲しいらしい。
そう解釈すると、アニスは芝を蹴って前へと出て、クラウス目掛けて打ち込んでいく。
右から、そして左から。
その可能性は殆どないと思いながらも念のために魔力の補助を使わないように意識する。魔力眼対策だ。
アニスがジークリフに勝てなくなった理由の一つに魔力眼対策があった。もっとも、兄の場合は、身体中に均等に魔力を巡らせる方法であったが。それに、魔力眼対策と言うよりも、常にどのような動きをしても適切な対応できるようにとのことらしかった。
だからまだジークリフにはアニスが魔力眼を持っているとはバレてはいないと考えていたが、明らかに勝率が落ちたので怪しまれている可能性はありそうだった。
アニスの場合、兄の真似をして身体中に均等に魔力を巡らそうにも魔力が足りず、ムラができてしまう。だからそれは諦めて魔力を身体の中心に集めて使わないようにした。お蔭で力は落ちるが、木剣は軽いので問題は無い。ただ、こういう時、もう少し魔力量があればと思わなくもない。
クラウスは、アニスの打ち込みにそれなりに的確に対応していたが、魔力を移動させようとする分、少しだけ対応が遅れているように見えた。以前のジークリフもそうだったし、だからこそ騎士学校でそれを直すように指導されたのだろうと考えつつ、クラウスの観察を続けるアニス。
クラウスは魔力の移動に気を取られ過ぎて、アニスがフェイントを掛けた時の対応がさらに遅れる傾向にあるため、その遅れてきた剣の向きを逸らすように跳ね上げ、がら空きになったクラウスの脇腹に一撃を入れる。
「頼む、もう一度」
「良いよ」
ふむ、根性があるな。アニスは感心していた。
しかし、残念ながら根性だけでは勝てないのだけどね、とも。
とは言え、最初と二度目で動きを変えて来たので、今度も何か工夫を考えるかも知れない。どんな戦法で来るのだろうかとワクワクしながら、アニスは最初の位置に着く。
二人共が剣を構えると、今度はクラウスが前に出て来た。攻撃に回るつもりらしい。
クラウスが打ち込み、アニスが受ける。繰り返される打ち込みに対応しながら、先程に比べて打ち込みの精彩が欠けているなとアニスは感じた。何か集中し切れていないような。
と、クラウスがぶつぶつ呟いているのに気付く。呪文詠唱だ。
格上の私相手に打ち込んでいる時に呪文詠唱とは百年早いわ。
魔法の紋様が現れていないので、詠唱はまだ完了していない。魔力の色から火魔法だろうが、そう易々と受けるつもりはなかった。
アニスはクラウスの打ち込みを押し返し、逆に猛烈な勢いで打ち込みを仕掛けた。その打ち込みを捌くために神経を集中せざるを得ず、詠唱は未完了として消え去る筈だ。
魔法の呪文詠唱は、ゆっくりでも途切れ途切れでも構わない。ただ、その魔法から意識が逸れてしまうと無かったこととなり、また最初から唱え直さないといけない。
アニスはクラウスをそうした状況に追い込むことで魔法の発動を抑えた。実のところ、詠唱が完了して魔法の紋様が出たところで、その紋様にアニスの魔力を当てて破壊すれば魔法は発動しないのだが、そんなことをしたらアニスの秘密がバレてしまう。
だからその手は使えなかった。
アニスの猛攻は魔法の発動を止める目的でスピード重視だったため、それで勝負が付くことはない。それに、体力無視の猛攻だったから長続きせず、切りの良いところでアニスは一旦クラウスから離れて距離を取った。
今回は引き分けと言うところか、仕切り直しだ。
そして今度はクラウスはどう出て来るか。
アニスが見ていると、クラウスはその場から動かずに呪文を唱え始めた。
「我が身に宿る熱き血潮よ」
その出だしで、アニスはクラウスがやろうとしていることが分かった。
「今その力を解き放て」
この魔法なら、邪魔をする必要もなく別の対処策がある。
「ファイアエンパワーメント」
クラウスが力ある言葉を叫んだ。身体強化の火魔法だ。力押しで攻めるつもりなのだろう。
「うぉーっ」
最初と同じようにクラウスが気合を入れて駆けて来る。
アニスは足下に魔法の紋様を展開し、それを前方へと移動させる。そして絶妙なタイミングで力ある言葉を小さく呟く。
すると、クラウスが足を滑らせてバランスを崩し、勢いのついた上半身が前に出て足が追い付かず、そのまま派手に転んだ。
アニスは少し歩いて芝の上に転がったクラウスのところまで行くと、その肩に木剣を当てる。
「はい、私の勝ち」
「嘘、だろ?」
呆然とした表情で空を見上げるクラウス。
「今日はこれまでだね。その魔法はそれほど長続きしないし、魔法が切れると猛烈に疲れが来るから」
アニスは木剣を同じく呆然としていたジャンに返すと、スキップしながらシズアのところへと戻った。
「ねえねえ、シズ、どうだった?私、十分強かったよね?私に習う気になった?」
「う、うん、やっぱりアニーに教えて貰うよ。だけど、最後は何をしたの?」
シズアには何が起きたのか分からなかったらしい。まあ、クラウス達も分かっていまい。
「あれはね、水魔法のウォーターだよ。芝を水で濡らして滑り易くしただけ。クラウスってば駆ける時の蹴りの力が強かったから、上手く行くと思ったんだ。初級魔法だから例えバレても言い逃れできるしね」
望み通りシズアに神殿学校入りを思い止まらせることができて、アニスはご機嫌だった。
「イラ、クラウス、ジャン、と、もう一人の子。今日はありがとうねー。また機会があったらよろしくー」
アニスは四人組の方を振り返って手を振った。
四人は何の反応も示さなかったが、アニスは気にせずシズアの手を引いて本殿への扉の方へ歩き始める。
「この街にあんな子がいるなんて」
アニス達は、アニスを見詰めるイラの視線にまったく気付いていなかった。
「もう一人の子」にも当然ですが名前はあります。でも、アニスはシズアのことで頭が一杯で、名前を尋ねようとは思い至らなかったみたいです。