1-3. シズアは誕生日を祝って貰う
マーサの宿の食堂も空席が出始め、そろそろお昼時も終わりになる頃、正面の扉が開いて新しい客が入って来た。
「いらっしゃいませー、お好きな席へっ?父さん?」
「やあ、アニー。まだランチはやっているよな?久し振りに食べに来た」
客はアニスの父のライアスだった。ライアスはいつも昼間は畑や牧場で働いているので、街に来ることは殆どなく、食事に来るのもごく稀なことだった。
「どうしたの、父さん?」
「今日はシズアの誕生日だろう?早く帰りたいだろうと思って迎えに来た。食事はついでだ。空いているところに座って良いんだろう?」
「え?うん、どうぞ」
ライアスは、ヨゼフがいつも使っている席に座ると、メニューボードを見た。
「アニー、日替わりで」
「日替わりですね。お待ちください」
親相手だと気恥ずかしいなと思いつつ、注文を取ると厨房のカウンターへ向かう。
「三番、日替わり一つ」
「あいよ」
アニスが注文を通すと、マーサがやってきた。
「アラン、アニスに賄いを出してやっとくれ」
「あいよ」
「いいんですか?」
まだ仕事中なのに、とアニスの目が語る。
「今日はシズアちゃんの誕生日なんだろう?ライと一緒に食べて早く帰ってやんな。こっちはもう大丈夫だから」
「ありがとうございます」
マーサの好意に甘え、ライアスと共に昼食を取ったアニス。
はしたないと言われながらもガツガツと食事に喰らい付き、ライアスより先に食べ終えるとサッサと荷物を纏めてテーブルに戻って来た。
「さあ父さん、家に帰ろう」
「まったく、お前という奴は。シズが絡むと本当に行動が早くなるよな」
「そんなことは良いから行こう。マーサ、また明日」
マーサに手を振りながら、半分呆れ顔の父を引っ張りアニスはトモガラ亭を出た。
それから約一時間。
ライアスの荷馬車が家に近付くと、外に出ていたシズアが寄って来た。
それを見たアニスは、荷馬車から飛び降りてシズア目掛けて駆けていく。
「シズー、ただいまっ」
シズアに抱き付くアニス。
そのアニスの勢いでシズアは草原の上に尻餅をついてしまう。
「おかえり、アニー。まったくもう」
「ごめんごめん。シズが私のことを待っていてくれたかと思うと嬉しくなっちゃって、ついね」
アニスはシズアに覆い被さった姿勢のまま、片目を瞑りぺろりと舌を出す。
「分かったから、私の上から退いてくれる?」
「えー、いいじゃん、もう少しくらい」
「駄目」
「うー」
シズアに拒絶されたアニスは、すごすごと後ろに下がる。
「アニー、魔法を教えてくれる約束よね。どこでやる?」
アニスは少し考えてから返事をする。
「まずは基礎だから、家の裏で良いかな」
「うん、じゃあ、早速行こう?」
今度はシズアが積極的にアニスの手を引っ張っていく。
「おーい、どこに行くか知らないけど、夕飯には戻って来いよ」
ライアスの声がした。
「家の裏にいるから大丈夫だよー」
シズアに引っ張られながらアニスは叫び返した。
家の裏は、広い草地になっていた。ここでなら、何をやっても迷惑にはならない。もっとも、今日は基礎訓練のつもりだったので、派手な魔法を放つつもりはアニスには無かった。
「それではアニー先生。魔法の授業をお願いします。最初は何をするのですか?」
シズアに丁寧にお辞儀をされて少し気恥ずかしくなったアニスだったが、気持ちを切り替えて何から始めようかと思案する。
「魔法の基本は、やっぱり魔力感知と魔力制御だね。他人の魔力はともかく、自分の魔力くらいきちんと制御できないと駄目だよ。シズは魔力量は多くなったけど、まったく制御されずに駄々洩れしているような状態だから、早くそれを何とかしないと」
「必要性は分かるんだけど、どうやったら魔力を感じられるようになるのかが分からないんだよね」
シズアの言いたいことは分かる。
どうしたものかと記憶を掘り返し、一つの方法を思い出す。
「ジークが言ってたんだけど、神殿学校では魔法の先生が生徒に魔力を送り込んで、魔力を感じさせてくれたって。私の魔力量だと心配だけど、まずはそれをやってみようよ。シズ、手を出して」
アニスはシズアが差し出した手を両手で持ち、思い切り魔力を流し込もうとしてみる。しかし、シズアの魔力量が多くて思ったようにいかない。
「どうかな?」
首を傾げたアニスに、シズアは首を横に振る。
「ごめん、全然分からない」
「だよねぇ」
何となく失敗の予感がしていたが、その通りだった。
さて、どうしようか。
気まずい状況を打破すべく、アニスは懸命に考える。
「押して駄目なら引いてみろ。私の魔力をシズに流し込むんじゃなくて、シズの魔力を私の方に吸ってみる」
「そんなことできるの?」
「分からないけど、やってみる。シズは力を抜いてリラックスしていてね」
「うん」
アニスは握っていたシズアの手から魔力を吸うべく念を籠めてみたが、それだけではシズアの魔力は動かなかった。シズアの手から自然に放出されている魔力を感じることはできているのだが、それに触れるだけではシズアの体の中の魔力は動かせないようだ。
となると、どうしたら良いか。
自分の魔力なら体の外に出ても制御できるので、それをまずシズアの体内に送り込んでシズアの魔力と混ぜてみたらどうだろう。
咄嗟の思い付きでしかなかったが、アニスはそれを実行する。すると、自分の魔力に触れたシズアの魔力なら動かせることに気が付いた。
自分の魔力をシズアの体内に流し込み、それは動かさずにシズアの魔力だけを自分の方へと動かす。流し込んだ魔力をシズアの体内に拡散させると、広げた分だけ多くの魔力が動かせるようになった。
アニスは面白くなって、自分の魔力をどんどんシズアの体内に注ぎこみ、動かすシズアの魔力の量を増やしていく。
「アニー、くすぐったいよ」
笑いを堪えてしかめっ面になっているシズア。
「シズ、そのくすぐったく感じる流れが、魔力の流れだから。分かる?」
「分かる。分かるからそろそろ止めてよ、アニー」
堪えきれなくなったか、シズアは顔を真っ赤にして悶え始めた。
良い眺めだ。
アニスは悶えるシズアにうっとりとしかけたが、魔力制御の授業中であることを辛うじて思い出す。
「シズが自分で魔力の流出を止められない?多分、シズの魔力は私よりもシズの指示を聞くと思うんだけど」
既にシズアの限界を超えていて、返事ができる状態ではないようだったが、シズアの表情からして魔力の流出を止めようとしているようだった。そして、段々と魔力の流量が減っていった。
「はあっ、はあっ。止められたと思うんだけど」
魔力の流れが止まって、シズアは落ち着きを取り戻しつつあった。
「うん、止まった。できるじゃない、シズ。魔力の駄々洩れも無くなったよ。これからは意識して魔力を動かすようにしてね。そうすれば魔法も上手に使えるようになるから」
「はい、アニー先生」
「うむ、よろしい。それでは次だけど」
アニスはいつも持ち歩いている収納サックから剣を取り出した。
「次は剣を振ってみようか」
「剣?魔法の練習なのに剣を振るの?」
アニスの考えが分からず、シズアは戸惑う。
「魔法を上手く使うには体の中で魔力を自由に動かせないといけなんだけど、剣を振るのはその練習に良いから」
「そうなんだ」
相槌は打ったものの、その顔はまだ納得していない。
やって見せた方が早いかなとアニスは右手に持った剣を脇に下げ、そこから前方に持ち上げたところで止める。
「良い、シズ。剣みたく重い物を持つ時には、腕や肩の筋肉に力を入れるよね」
と、二の腕や肩を叩いてみせる。
「ええ」
「その時、無意識に魔力を使って筋力強化しているんだけど、意識的により多くの魔力を筋肉に集めると筋力が上がってもっと重たい物が動かせるようになるんだよ。それをシズに感じて欲しいんだ」
「なるほど、きちんと腕に魔力が集められれば、剣を振り易くなるってことね」
「うん、そう。じゃあ、最初は普通に剣を振ろうとしてみて」
言いながらアニスはシズアに剣を握らせる。
剣を渡されたシズアは、それを頑張って振り上げて、下ろす。
最初は何もしない状態で。
次に魔力を腕や足腰に集めた状態で。
アニスの剣は、大人の男が持つ剣よりは軽めに作られてはいたものの、10歳のシズアには十分に重く、剣を振るのに苦労していた。ただ、それだけに魔力の効果を実感できているようだった。
それで面白くなったのか、何回も繰り返し剣を振るシズア。
そんなシズアを、うんうんと頷きながらアニスは眺めていた。
母から夕食の時間だと呼ばれるまで。
夕食は、シズアの10歳の誕生日を祝って、いつもより豪華な内容だった。
食後には、自家製のチーズをふんだんに使ったチーズケーキが出て来た。
シズアは今まで食べたどのチーズケーキよりも美味しいと喜んでいた。
そしてプレゼントの時間。
両親からは、剣が贈られた。アニスの剣とお揃いのものだった。
「これで二人一緒に剣の練習ができるね」
アニスも10歳の時に剣を貰っていたので、多分そうではないかと考えて魔法の練習に剣を使ったのだが、期待通りの展開になったと喜んでいた。
「あの、これは私からなんだけど」
アニスはおずおずと自分で用意したプレゼントを出し、シズアに渡した。
「ありがとう、アニー。開けても良い?」
「勿論」
シズアはリボンを解いて、ワクワクした表情で箱の蓋を開ける。
その様子を見ただけで、アニスはやっぱり包装して貰って良かったと嬉しくなった。
「えー、素敵、ありがとう。瑪瑙かな?これ、高かったんじゃない?」
シズアの反応が何となく大人っぽいなと感じたアニスは、もしかしたらゼンセの記憶に引っ張られているのかも知れないと思いつつ、そのことについては黙っていた。
「私は働いているから大丈夫だってば。それより着けてみてよ」
「そうだね」
シズアは髪を纏めて髪留めで留めようとするが、アニスと同様に母から受け継いだ天然パーマで波打つ髪は、まだ肩には届かない長さであり纏めるには短かった。
「うーん、じゃあ、こうしようかな」
すべてを纏めるのを断念したシズアは、両脇の髪だけ持ち上げて髪留めで留め、ハーフアップの髪型にする。
「うん、可愛い。良く似合っているよ、シズ」
シズアの緑の瞳と同じ色の髪留めの色も、ハーフアップにしたその姿も、アニスにとっては素晴らしい眺めだ。
これから毎日このシズアが見られるなんて、自分は何と良いプレゼントを選んだのだろうと、アニスは自画自賛した。
勿論、どんな格好のシズアもアニスは可愛いと思うんですけど、可愛いの中にも優劣はあって、より可愛いを目指したいようです。