過去と未来の狭間で 2
家の外に出た瞬間に、呆然と立ち尽くすしかなかった。
この驚きを、なんと口にしたらいいんだ。世界が深刻なバグを起こしてしまったとしか思えない。
「んだよ、これ……」
空を覆うほどの高層ビル群。車は地上だけでなく、空中も自由に往来していた。よく近未来の想像で車が空中を走ると言われてたが、まさか本当にそれが見れるとは。
けど、地上を走る車はなくならないんだな。
よくよく考えてみれば、空中しか走れない車なんて不便だもんな。空も地上も海上も走れるのが一番だ。ついでにタイムマシン機能か、宇宙に行けるようになったら完璧だな。
「なんか、落ち着かないね。いつも見てる景色が、いつもと違って見えるみたい」
おれは頷いた。おれは以前からこの景色を知らない。けど、何故か分からないが、この景色を知っている。どこかで見たことがある。なんでだ。いったいどこで見たんだ。
……思い出せない。
分からないことをあれこれ考えるのはやめよう。今分かってることは、ここは近未来の都市だということ。てっきり過去に飛ばされたと思っていたが、世界は近未来だった。
しかし、いくらなんでも、百年程度でここまで発展するだろうか。もしかすると、機械に統治されなかった世界、ということは考えられないか。
いや、引き継がれたことを考えたら、機械と共存した世界ということかもしれない。
「でも、意外だった」
「え、なにが?」
「鍵乃も緊張とかするんだな」
「するよ。だって、楽しみでもあるけど、それと同じくらい不安だもん」
おれもまた、緊張していた。入学式にではなく、こうして鍵乃と一緒に登校することにだ。ともに高校に通うイメージは、何度もしていた。それが叶ったんだ。
「中学の卒業式でも、そんなに緊張してなかったよね」
「まあ、してなかったな」
「でも、卒業式のあの事件、修弥は憶えてる?」
はて、なんのことだろう。おれの知ってる卒業式の事件と、鍵乃の言っている出来事が同じとはかぎらない。ここで記憶の食い違いがあったら困るな。
「あれだよ。忘れちゃった? チハルちゃん事件」
「ああ、あったな。憶えてるよ」
「チハルちゃんが卒業証書を受け取って、それを間違って食べちゃって」
「違うだろ。証書を丸めて校長の頭を叩いちゃったんだよ」
「それで校長先生が泣き出しちゃったんだよね」
「そこでは泣いてないって。校長が激怒してカツラが飛んだんだよ」
「それでPTAの会長さんがバナナの皮を踏んじゃって――」
「どこからバナナ出て来たんだよ。そこで校長がマジで泣いて収拾つかなくなっちまったんだよ」
「あったよね、そんなことも」
「全然憶えてなかったじゃねえか」
一瞬、おれが記憶喪失してるって鍵乃にばれ、罠を張られたんだとばかり疑ったが、それはなさそうだ。いつもの鍵乃だった。そもそもそんな芸当、できないよな。
通う高校は開仁高校に変わりなかったが、なんで鍵乃は、おれと同じ高校に入れたんだろ。別に進学校とかじゃないけど、鍵乃の頭で入れるとは思えなかった。
通う学校は変わらずとも、家の住所が変わってしまったので、バスと電車を利用しなければならなかった。バス停まで向かって歩いていた。
信号に引っかかり、立ち止まる。その景色が、過去の記憶を呼び起こした。
そういうことだったか。
この場所に立って、ようやく気づけた。嫌なものを、思い出してしまった。
ここは、おれが小学四年の時まで住んでいた場所だ。あの家も、もともと住んでいたから見たことがあったんだ。もう引っ越してだいぶ経つから、つい忘れていた。
つまり、おれはこの場所から引っ越してないというわけだ。鍵乃が事故に遭ってないから、引っ越す理由もなかったんだ。
ふいに、鍵乃が手を握って来た。心臓が握られたかと思うほどびっくりした。横を見ると、鍵乃は心配そうな表情を浮かべ、こちらを見ていた。
「不安なの?」
今の自分の心境を、見透かされた気分だった。
「……心配すんな。おれは、大丈夫だって言ってんだろ?」
すべてを話すわけにはいかない。この世界で鍵乃が死ぬ可能性はないのかもしれない。ようやくたどり着けた場所だとしたら、鍵乃は生きていられるはずなんだ。
電車に乗り、二人で椅子に座って十分。鍵乃はおれの肩に首を乗せて寝てしまった。あとで肩が凝りそうだけど、べつにいい。むしろいいとも言える。
ただ、暇だから携帯電話をチェックすることにした。電話を取り出し、確認する。デザインは変わってないが、中身がもろもろ変わっているようだった。
まず、電話帳が減っている。
それは、高校で知り合った人のアドレスとかが消えただけだった。そもそも会ってないんだから、登録されていたら逆に怖い。無論、まいのアドレスも登録されてなかった。逆に、鍵乃のアドレスはしっかり登録されている。
ほかには、いくつかのアプリが追加されていた。
データ修復アプリ、自宅監視カメラアプリ、そして「ALTA」という名前のアプリも入ってる。いったいなんのアプリだろう。
適当に、自宅監視カメラアプリを開いてみた。なんと、録画機能もついていて、見ることができるのか。ちょっと、昨日の夕方の、おれの部屋を見てみよう。
「ん?」
おれの部屋に、夕夏がいる。夕夏は男子の制服を着ていた。って、これはおれの制服じゃないのか? すごい幸せそうな笑顔を浮かべているけれども。
……見なかったことにしよう。それが一番だ。
気が付けば、あと一駅で学校の前の駅に着くところだった。そろそろ、鍵乃を起こさないといけないな。
ひとつ問題があるとすれば、この幸せそうな寝顔を浮かべた鍵乃をどう起こすか、という一点だけだった。
「樫井修弥です。陸上で全国目指してます。みんなとも仲良くなりたいと思ってるので、よろしくお願いします」
拍手に包まれて、おれは頭を下げて自分の席に座った。
入学式のあと、一年一組の教室に戻ったおれたちは、自己紹介をしていた。せっかく二年になって三階の教室に移れたと思ったのに、また四階まで上るのは面倒だった。
当然だが、この自己紹介はやったことがある。それに、ここにいる連中も全員見たことがあるし、自己紹介も同じだった。
違うといえば、鍵乃がいることと、瑞貴がいないことだ。そして、窓の外の景色が未来化してることと、校内の設備もまた近未来的なところも変化した点だ。
瑞貴はまだ男に戻れてないのか。バナナをあげたが、やはりなんの変化もなかったのかもしれない。けど、このクラスに幸坂瑞貴という女子はいなかった。
「佐竹まいです。趣味は読書です。よろしくお願いします」
まいは笑顔を絶やさず、快活な自己紹介を終えた。とても明るそうで、美しい。まだ不良のような感じはなく、清純だ。
が、ふたつの世界を漂流してなお、その印象を持ち合わせているかといえば、違う。どうしても憎悪を抱いてしまう。
まだ鍵乃に危害を加えようとはしてない。今彼女に刺激を与えるほうが危険だ。そう言い聞かせて、自分の黒い感情を抑えた。
まだ、この世界で人間を殺すとはかぎらない。同じ学級にいるんだから、監視だってできる。今はまだ、こちらからなにかをするわけにはいかない。
「では、仁科さん、どうぞ」
「はい!」
鍵乃は大きな声で返事をし、立ち上がる。それから教室を見回してから、口を開いた。
「仁科鍵乃です。人の名前を憶えるのが苦手で、よく間違ってしまいます。でも、早くみんなの名前を憶えて、仲良くなりたいって思います。よろしくお願いします!」
みんなの拍手に、鍵乃は相好を崩した。おれも拍手をして、鍵乃を見ていた。
高校まで生きていた鍵乃。制服を着て、自己紹介で注目を浴びて、にこやかに笑って……。そのどれもが新鮮だった。見ていて飽きなかった。
この学校生活を、大事にしたい。おれはただただ、そう思った。




