過去と未来の狭間で 3
休み時間になり、おれは席に座ってぼうっとしていた。
一年の後半にもなれば、いくつかのグループができ、学年のなかで騒がしいクラスになる。だが、この時はまだ静かだな。まだお互いに、当たり障りのない会話しかしてない。
これはチャンスかもしれないぞ。
手当たりしだいに話しかけてみるか。正直、話したことのある連中ばかりだし、そこまで会話のネタには困らないだろ。
そう思って立ち上がった瞬間。
「あの……」
後ろから声をかけられ、振り返った。そこに立っていたのは、まいだった。飛び上がりはしなかったものの、ひどく動揺した。現実では、入学式の日に話しかけられた記憶はなかった。
「なんだ」
少し険のある返答をしてしまったせいか、彼女は少し気まずそうな表情を浮かべた。
「いや、悪かった。ちょっと考えごとをしててさ。佐竹……さんだよな?」
「ちょっと、一緒に来てもらってもいいですか?」
そう言い残し、彼女は教室を出て行く。まだなにも答えてないが、とりあえず来いということなんだろう。おれは警戒しつつ、付いて行くことにした。
校舎の外、中庭にまでおれたちは来た。今日は陽射しが強い。春の陽気がぽかぽかとしていて、気持ちがいい。
ベンチに座ったので、おれも隣に腰を下ろした。そういや、まいに告白されたのはこの場所だったな。この場所でおれたちは付き合い、別れたんだ。
近代的な変貌を遂げた学校ではあったが、この場所は変わってなかった。ベンチも、特に機械になっているわけでもない。
「……私と、付き合ってください」
「へ?」
唐突すぎて、おれは間抜けな声を出してしまった。まさか、今告白されることになるとは思ってもなかった。出来事の順序すらめちゃくちゃだ。
ここは、ある意味で矛盾した世界だな。
しかし、それより気になることがある。
「どうして、おれなんだ……?」
ずっと思っていたことだった。
告白された当初はそんなこと疑問にも思わなかったが、生きがいを失ったと思い込んでいたあのころのおれと、どうして付き合いたいと思ったんだろう、と。
「やっぱり、憶えてないんですね」
なにを、と訊こうとした時だ。
「修弥ー!」
鍵乃の声が聞こえ、おれはそちらに目をやる。生物小屋のほうから、こちらに向かって手を振っていた。だから、おれも手を振り返してやった。
「……あの人が、恋人なんですね」
「え、いや……」
違う。おれと鍵乃は、そういう関係じゃない。
そう答えようと思って口を開いたが――できなかった。鍵乃に向けられている彼女の視線に、異常なまでの怨嗟が込められていたからだ。ただ単純に恐ろしかった。
彼女は鍵乃をにらみつけたまま立ち上がり、無言で去っていく。追いかける気にもなれないほどの殺気を放っていた。
「佐竹さんとお話してたんだね」
「……ああ、まあな」
あの目は、人を殺すそれだ。ぞっとした。一瞬にして、身体の底から冷えてしまった。
「……なんか、深刻な話だったの?」
「なんでも、ねえよ……。それより、どうしたんだ?」
「あっちにね、かわいいおサルさんがいるんだよ!」
「おサルさん?」
生物小屋を指さし、鍵乃は走っていく。あそこになにが飼われていたかは知らないが、さすがにサルを飼っていたという話は聞いたことがない。
「ほら、見て見て」
「……ああ。サルだな。間違いなくサルだ」
生物小屋には、一匹のサルがいた。サルって本当にバナナが好きなんだな。食べ散らかしたバナナの皮が、そこら辺に落ちている。
「オスなのか?」
「『くん』って書いてあったし、オスだと思うよ。ほら」
指さしたところに、木札がかけられていた。そこに書いてある名前を見て、おれは絶句した。そんなバカな……。少し、めまいがしてきた。
おれはもう一度、サルの顔を見る。目が合った。うきー、と呑気に鳴いている。そんなバカな話ってあるかよ。ありえんだろ、普通。
「ミズキくんって、なんかいい名前だね」
「……そうかもしれないな」
実はおれの親友なんだぜ、サルになっちゃってるけどさ。……って、面影ひとつ残ってないじゃねえか! バナナあげたらサルになるとか、突然変異ってレベルじゃねえぞ。それでも、オスには戻れたみたいだけどさ。
……絶対、もとに戻してやるからな。
方法は分からない。だから、今から考えるしかない。
鍵乃は携帯電話のアプリを起動した。例の「ALTA」というアプリだ。
「それ、なんのアプリだったっけ?」
「えっ? これ入れてくれたの修弥だけど、忘れちゃったの?」
「え? 違う違う。なんの略称だったか忘れたんだよ。イニシャルだったよな」
これでイニシャルじゃなかったらどうしよう。
「えーと、確かね。アニマル……らぶ……、とーきんぐ? アプリだったかな?」
「ああ、オーケー。自分で調べるよ」
鍵乃に訊いたおれがバカだった。自分で調べればいい話だったな。
正式名称「Animal Language Translation Application」、通称「ALTA」は、動物言語翻訳アプリだ。こちらの言語を伝え、動物の言語を翻訳してくれる。
正直なところ、ペットの言葉なんて聞きたくないな。
だって、飼い犬に〈テメーなんて主人とか思ってねーよカス〉とか〈早く飯よこせやボケ〉とか言われた日には、もうかわいがってあげられる自信がない。愛するペットにそんなこと言われてたと知ったら、とてもつらい。だから、知らないほうがいいこともある。
鍵乃は柵の外からミズキくんを呼び、携帯電話を近づけた。ミズキくんが口を動かす。すると、スピーカーから音声が流れてきた。
〈ねぇ知ってる? グミと乳首は、同じかたさなんだよ〉
「え?」
鍵乃は顔を真っ赤にし、アプリを終了した。
「こ、壊れてるみたいだね」
「ああ、いかれてるな」
そこのエロザルの頭がな。サルになってまで変態続けてるとか、始末に負えないぞ。
「でも、おサルさんも実体化できたら楽しそうだよね」
「え?」
「学校の実体化施設なら、おサルさんも実体化できるよね、きっと。おサルさん飼いたいなあ」
「まあ、もしかしたらできるかもな」
この世界に、実体化する機械があったのか。手元にデータがないからなんとも言えないが、親父を実体化させることもできるかもしれない。
「そろそろ休み時間も終わるし、戻ろうぜ」
学校に向けて歩き出す。
今日はいろいろと収穫があった。親父と瑞貴を、どうにか助けるんだ。
ふと、背後に視線を感じた。いつものやつじゃない。これは誰の視線だ。振り返ってみたが、人影はなかった。
「なんなんだよ……」
おれはそう呟き、中庭を眺めていた。
今日という一日は、最高に楽しかった。
義手を外し、ベッドに横になり、今日一日を振り返ってみる。
HRが終わったあと、本が好きな鍵乃と一緒に図書室に行き、そこで中庭を眺めつつ、花の図鑑など見て過ごした。
帰り道では、「疲れたけど楽しかった」としきりに言いながらスキップしていた。とにかく上機嫌で、機関銃のように喋りっぱなしだった。
――高校っていいところだね。将来のことなんてまだ考えてないけど、でも、ここでいっぱい友だちを作りたい。想い出もたくさん作りたい!
その願いに、おれは協力すると返した。どんなに苦難があっても、鍵乃のことなら叶えてやる。
鍵乃は一旦家に帰り、それからまた樫井家にやって来て、晩飯を作ってくれた。そして――。
「おやすみ」
おれの隣で、猫の足跡模様のパジャマを着た鍵乃が、ベッドで寝ている。これは、興奮で寝られそうもない。寝不足になりそうだ。
「また明日も楽しみだね」
「き、今日よりも、明日はもっと楽しくなるだろうな。忙しくなるぞ」
正直、顔が近すぎる。気まずいから背を向けたいけど、そんなこともできないよなあ。
シャンプーのいい香りがする。もう風呂を上がって一時間以上経っているが、鍵乃はまだ温かかった。つい抱きしめてしまいそうになる。もう高校生。うっかりやらかしてしまってもおかしくない状況だ。この世界にいたおれは、マジで大胆だな。
「なあ、鍵乃……」
返事はない。もう寝てた。残念というか、ホッとしたというか。
でも、寝顔がとてもかわいくて、幸せそうで、無垢だった。
こんな幸せが、ずっと続けばいいのにな。
ここが、おれがたどり着いた世界に違いない。瑞貴も親父もどうにか元に戻し、ここで幸せになってやる。
「おやすみ。……また明日な」
気持ちよさそうに寝息を立てている鍵乃に、おれはそう呟いた。
目を開くと、真っ暗な世界が広がっていた。違う世界に来てしまったのか、と思ってみたが、どうやら違う。おれが昨日眠った、あの部屋だ。
さて、今日は二日目。親父と瑞貴を元に戻す方法を考えないと。そう思って立ち上がろうとした。その瞬間、柔らかいものに左手で触れてしまった。
「ひゃうっ、んんっ……。そ、そこは、ダメだよぉ……」
「ああっ、マジですまん!」
またやってしまった。おれはすぐに左手を上げ、謝った。
鍵乃は寝ぼけ眼だ。目をこすり、立ち上がってカーテンを開ける。やはり、寝起き姿はいいな。パジャマの柄も、パンダで……。
――――あれ?
昨日寝る時、パンダの柄だったっけ? 確か、猫の足跡模様じゃなかったか?
「どしたの……修弥」
あくびをして、鍵乃がベッドに腰を下ろす。まだ眠たそうだった。
「……悪い。おれもちょっと寝ぼけちまってな。今日も悪い夢見て――」
その瞬間に、おれは抱きしめられていた。また、今日もだ。しかし、そう何度も、甘えるわけにはいかない。
おれは鍵乃の手を離し、向き合った。
「大丈夫だよ。さ、準備しようぜ」
義手をつけてから制服に着替え、おれはリビングへと向かった。義手をつけるのはマジで大変だった。結局五分はかかってしまった。
部屋の扉を開けると、ちょうどよく夕夏も部屋から出てきたところだった。
「おはよ、おにいちゃん」
「おはよ」
そのままリビングへ行き、テーブルについた。鍵乃はまだキッチンで料理中だ。いつも同じ時間に料理してるなら、まだ料理もできないか。
適当に部屋のなかを物色していた。台所で鍵乃の料理姿を見る。やはり、様になってるな。お、箸はこんなところにあったのか。一応持っておこう。
「はい、おまたせー」
美味しそうな料理だ。けど、料理は昨日と同じメニューだ。
まさか、それしか作れないんじゃ……。これから毎日、ご飯と卵焼き、焼き鮭しか食えないのかもしれない。
「でも、なんだか実感ないね」
「なにが?」
「今日から高校生なんだよね、私たち」
「え?」
なに言ってんだ? 入学式は昨日終わったばかりだろ? だって、今日は――。
万能時計で確認した。今日は四月――八日。
そんな、嘘だろ……。
「修弥もまだ、実感できてないみたいだね」
実感というよりも、理解が追いつかない。日付が昨日のまま――つまり、八日を延々と過ごすのか。どうしてこんなことになっちまったんだ。
「どしたの? おにいちゃん」
「あ、ああ……。まあな」
「もーおにいちゃんってば」
「私が言ってなかったら、危ないところだったね」
あははははっ、と二人は顔を見合わせて笑っていた。そんなところまで、同じだった。
ここは、ようやくたどり着けた、理想の場所じゃないのか……?
もし八日という日を延々とくり返すことになるのなら、それは地獄でしかない。だって後ろに戻ることも、前に進むこともできないのだから。
いや、もとからそうだったんじゃないのか。
今までが、都合がよすぎたんだ。
あの時おれは、死んだはずだった。だから、過去に戻れるはずもなかった。
そもそも、死んだ自分はどこに行ったんだよ。
もしかしたら、生死をさまよってるだけで、これもただの幻想でしかないのかもしれない。
仮に現実だとしても、「勇者ごっこ世界」や「機械帝国世界」はどうなったんだ。存在し続けるのか。
こんな架空の世界にたどり着いたなんて、どうして思えたんだ?
「あーん」
目の前に差し出された卵焼きを、とてもじゃないが食べる気にはなれなかった。
「……悪い。少し、外に出てくる」
「え? どうかしたの?」
鍵乃の問いには答えず、そのまま玄関の扉を開けた




