大好きな幼馴染
「姉様、姉様、来てください〜!」
弟のアーノンが楽しげに飛びこんでくる。
「アーノン、部屋に入るときはノックをしてって言ってるでしょう?」
「ごめんなさいっ!でも、姉様に見てもらいたいものがあって。姉様にもひとつあげますよー」
そう言って、アーノンが腕を引っ張るので、開いていたノートと参考書にペンを挟んで閉じた。
廊下に出ると、窓がないせいか少しひんやりとした空気に包まれる。
「ハルくんと一緒にレンジ?、ん?、レジン?でキーホルダーを作ったんだよ!」
一回り年の離れた四歳の弟は、手を繋ぎながら、にこにこと微笑む。
「ハルが来ているの?」
「そうですよー」
咄嗟に束ねていた大きなヘアクリップを外して、前髪を直す。鏡がないかと辺りを見回すが、残念ながら見当たらない。リビングルームが、もう、すぐそこだ。
「おー、リリィがきた」
穏やかな顔をしたハルと目が合った。
作業机の上に置かれたのは、いくつものシリコンモールドや色とりどりのラメ。窓から差し込む夏の強い日差しが、散らかった机の上のレジン液のボトルをきらきらと照らしている。
心の準備が十分ではなかった私は、耳に心臓があるのかと思うくらい鼓動がうるさかった。
「アーノンが初めてと思えないくらい、上手にできたんだよ」
「でも、ハルくんに少し手伝ってもらいました!」
アーノンは照れくさそうにしながら、作品の入った缶の入れ物を持ってきてくれた。
「わぁ、かわいい〜!」
ガラスのように透き通ったレジンに、カラーやラメ、花などが散りばめられ、色鮮やかに彩られている。
「姉様、これは指輪です!着けてみてくださいー」
「うーん、私には少し小さいかも…」
両方の手の小指を試してみるも、第一関節までしか入らない。
「でも、アーノンありがとうね」
すっかりしょげてしまったアーノンを思いっきりハグする。
「じゃあ、リリィ、こっちはどう?」
振り返って立ち上がると、ハルが私の右手を優しく包みこむように取った。
ハルの長い睫毛がブルーグレーの瞳に影を落とす。
「薬指……いや、中指かな」
滑らかな感触が指の腹を通る。最後まで通った瞬間、満足そうな顔のハルと目が合った。
「リリィにあげる」
中指におさまった一つの指輪。
ガラスのように濁りのない、真っ直ぐな透明。その中に、半分だけ顔を覗かせる淡いラベンダーカラー。そして、ハルの瞳の奥を閉じ込めたような、深いブルーグレーのラメが繊細にまたたいている。
「すごく綺麗……!ハル、ありがとう!気に入ったわ」
透明な部分から指の肌色が透けて見えて、まるできらきらと輝く魔法を指に纏ったみたいだ。
「どうかな?似合う?」
私が満面の笑みを浮かべると、ハルは一瞬だけ目を見張り、それから視線を私の中指へと落とした。
「……だったら、ずっと着けてて」
「え?」
「外すなよ。せっかく似合ってるんだから」
その声はいつになく真剣で、低く響いた。
ずっと着けてて、なんて。それってどういう意味なんだろう。
中指の指輪が、私の体温を吸い上げてじわりと温かくなっていくような気がした。
「そうだ!姉様が来てくれたから、みんなでプールをしましょう!そして、プールをしたら、おやつにドーナツを食べましょう〜」
いつの間にかテーブルの上を片付けたアーノンが無邪気に提案する。
「いいね、じゃあ水着を取ってこようかな」
「ハルくんのお家は隣だから、すぐに戻ってこれますよね?」
「うん。すぐ行ってくる。待っててな」
颯爽と出ていくハルを、私は見送った。
お隣に住む同い年のハルは、産まれたときからの幼馴染だ。
彼の両親は共働きで家を空けることが多かったため、義務教育学園に入るまでは、ほぼ毎日我が家に来て一緒に過ごした。一回り下のアーノンが産まれたときは、まるで私たちの弟ができたかのように二人で喜び、熱心にお世話して、今も一緒に遊んでいる。
ずっと、家族同然だと思っていた。けれど……
年齢を重ねるにつれ、ハルが家に来る回数は減り、学園でも話す機会が少なくなっていった。
自分よりも背が高くなり、時々ひどく大人びた表情をする彼を見かけるたび、話しかけたいのに気後れしてしまう。そんな自分に、どうしようもない悲しさを感じていた。
気がつけば、ぐるぐるとハルのことばかり考えてしまう。
幼馴染としてではなく、彼のことが男の人として好きなんだと自覚するのに、そこまで時間は掛からなかった。
今年は学園の最終学年。
私もハルも、卒業した後は医療学校に進学して医師になり、私の父の病院で働くことが夢だ。
また彼と一緒に通えるように、受験勉強を頑張りたい。
……その一方で、ハルといると想いが溢れて、気持ちを伝えたくなってしまうのだ。
あなたが大好きだ、と伝えたい。
だから、つい良いタイミングがないか探してしまう。けれど、彼が我が家にいるときは大抵アーノンも一緒だから、そんな機会はなかなか訪れないのだけれど。
「姉様、準備できましたか?先に行きますよー?」
「……どうしよう、どの水着にしよう」
私は、悩んだ末に、肩と腰まわりにフリルがあしらわれた、紺地に白い水玉のワンピースの水着に着替えた。
それから、アーノンが喜びそうな浮き輪をいくつか見繕い、急いで中庭のプールへ向かった。
ハルとアーノンはすでにプールの中にいた。私に気付いた二人が手を振っている。
きらきらと光る水面が、プールの白い壁にゆらゆらとした光と影の模様を映していた。
「浮き輪、たくさん持ってきたんだね」
いつの間にかプールから上がったハルが、私の持ってきた浮き輪を持ち上げる。濡れた前髪をかき上げた彼の姿を見て、ドクンと胸が高鳴った。
いつも洋服で隠れている、がっしりした肩や胸板。うっすらと割れた腹筋が露わになっていて、さっきから視線をどこに置けばいいのか分からない。
プシューッ!
突然、アーノンに水鉄砲をかけられて、ハッとする。
「姉様をやっつけたぞー!」
「待て待てー!」
無邪気にアーノンを追いかけているうちに、いつの間にか変な緊張感は消え、心からプール遊びを満喫した。
「さぁ、アーノンはそろそろお昼寝の時間ですよ」
お母様がやって来て告げると、アーノンは名残惜しそうにプールを上がった。
「後片付けはやっておくね」
私が言うと、隣のハルも頷く。
「二人ともありがとう。お願いするわ」
お母様たちが家の中へ戻っていくと、ハルはプール底に沈んだおもちゃを拾うために、再びザブンと水に飛び込んだ。私がプールサイドでおもちゃを洗っていると、彼が水面から顔を出してそれらを手渡してくれる。その瞬間、指先が小さく触れ合った。
「……あ、そうだ。
その指輪、悪い奴が近づいてこないようにおまじないかけたんだ」
「悪い奴ってなに!?
私、今まで詐欺に遭ったこととかないんだけど!?」
「リリィはたまに隙があるからさ」
よくわからないなと首をかしげながらも、私は続けて問いかけた。
「おまじないってどうやるの?」
「こう、作りながらさ……念をこめるんだよ」
彼はプールの中で両膝を曲げ、腕を大きく広げて、何やら奇妙なポーズを取ってみせる。
「なにそれ!!!」
ーー好き。
身体の奥から愛おしさが溢れて苦しくなり、それを発散させるように大声で笑った。
ふと、右手に目を落とす。中指の指輪が夏の強い日差しを反射して、ブルーグレーのラメがさっきより鮮やかに輝いていた。
「今もハルのおまじない、効いてるのかな」
「さあな。でも、変な男は寄ってきてないだろ?」
「それってハルのこと!?
……まぁ、指輪がなくてもハルが隣にいてくれるから大丈夫だと思うけどな」
何気なく呟いた言葉に、ハルが小さく吹き出した。彼が水面をパシャリと叩いて、私に水飛沫が飛ぶ。
「な、何するの!」
「いや、リリィがたまにそういう自覚ないこと言うから」
そう言って悪戯っぽく笑うハルの顔が、いつもよりずっと近くにある。私もプールに飛び込み、お返しとばかりに思いきり水を跳ね返した。
その時、ぶわっと、温かい強めの風がプールサイドを吹き抜ける。
大きな波が二人の身体を揺らした。
「あっーー」
バランスを崩した私の身体が、ハルの方へと傾いた。慌てて差し出された彼の腕が、私の腰をしっかりと抱きとめる。
水中で、二人の胸と胸がぴったりと重なった。 トクン、トクン、と自分のものかハルのものか分からない鼓動が、肌を通じてダイレクトに伝わってくる。
ハルの濡れた髪から、滴がぽたぽたと私の肩に落ちた。
「……リリィ」
見上げるハルの瞳が、ひどく熱を帯びているように見えた。
風が止んでも、ハルは私を抱きしめた腕を離そうとしない。
心臓が、耳の奥でうるさいくらいに鳴っている。
ーー今、言っちゃおうか。
ハルのことが、好きだって。
けれど、喉まで出かかった言葉を寸前で飲み込んだ。
もし、ここで断られてしまったら。
もし、ハルが私のことをただの幼馴染としか思っていなかったら。
今このときめきが、一瞬で気まずいものになってしまう。
私はそっとハルの胸に手を置いて、少しだけ身体を離した。ハルの腕が、名残惜しそうにゆっくりと解けていく。
「あのね、ハル」
「……うん」
「来週、夏休み最後の日にさ、魔法適性検査があるじゃない?」
「ああ、強制のやつな」
私は自分の胸を落ち着かせるように、ぎゅっと中指の指輪を触りながら、真っ直ぐにハルを見つめた。
「その検査の帰りに……ちゃんと話したいことがあるの。だから、いつもの時計台の前で、待ち合わせしない?」
「話したいこと?」
「うん。だから、絶対にきてね」
ハルは少し不思議そうな顔をしたけれど、すぐに何かを覚悟したような、強く、優しい目になって微笑んだ。
「分かった。絶対に行く」
――『絶対に行く』。
その力強い言葉とハルの表情に、私の胸は張り裂けそうなくらいに高鳴った。
『話したいことがある』なんて言ったら、女の子にモテるハルなら、それが告白だってこと、気づいているよね?
これって、もう『脈あり』だと信じてもいいよね……!?
プールの片付けを終え、ハルの少し後ろを歩きながら、私は幸せを噛み締めていた。
学園を卒業したら、大人の世界へまたグッと一歩近づく。幼馴染として、ハルとこうして過ごせる期間は、きっともうそんなに多くない。
けれど、もし『恋人』になれたなら……!
この夏は、私の人生で一番特別で、最高に輝く季節になる。来週の検査の後に待っている、残酷な運命の悪戯なんて、この時の私は知る由もなかった。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は、本日午後更新予定です。




