1 ルリカと婚約解消
◇◆◇
「ルリカ、お前とイソトマ君の婚約は解消になった」
「……え?」
高校を卒業して数日後、父から告げられたのは、そんな言葉だった。
「一体、何があったのですか?」
少なくとも、高校を卒業するまでは、そんな気配はなかったはずだ。
まあ、仲が良かったとは口が裂けても言えないが……。
「イソトマ君に最後に会ったのはいつだ?」
「高校の卒業式……いえ、その後の卒業パーティーですね。
その翌日からイソトマ様はご友人と卒業旅行に行ったそうですから、それ以降は会っていません」
十日ほど前の出来事だ。
ちなみに、私は誘われていない。出発直前に、旅行に行くと報告されただけだ。
一応、『気をつけて』とメールだけは送ったが、いつものように返信はなかった。
……私と彼は、所詮それくらいの仲だった。
「そうか。婿取山という山は知っているな?」
「はい、県内南部にある山ですよね? 表向きはハイキングスポットとしても人気があるとか……」
青春院本家から、電車やバスを乗り継いで二時間ほどの場所にある山だ。
変わった決まりはあるものの、それさえ守れば、きちんと整備された、評判の良いハイキングコースらしい。
山自体は、四季折々の景色が見られて綺麗なんだとか。
「そこに、イソトマ君とその友人は向かったらしい」
「は?」
「旅行には彼の友人の男女で行ったそうだ。それも婚約者がいる身では問題ではあるが、それより問題なのは女性たちは戻ってきたが、男性たちは戻ってこなかったということだ」
「な、なんと……」
マジでっ!?
「それは……何故ですか? イソトマ様は、仮にも玄冬院家のご子息ですよね? 婿取山の〝神異〟についても、分かっているはずですよ?」
彼は、珍しい〝天賦〟を持っているから、分家から本家に養子に入ったというのに……。
「どうやら、力試しに行ったそうだ」
「だからといって、婿取山ですか?」
力試しをするにしても、もっと他に場所があるでしょうに……。
「あの山に入ってから、今日で十日になる。玄冬院家も捜索隊を出したそうだが、山中では神異の居場所を特定できず、これ以上は二次被害が出る可能性があると判断され、玄冬院家では、すでに山へ婿入りしたものとして、捜索を打ち切ったそうだ……」
「そう、ですか……」
あの山は、男だけで行くと絶対に戻ってはこられない。けれど、今回は男女で入ったはずだ。それなのに男性陣だけが戻らなかったということは、途中で何かあったのだろう。
十日も音沙汰がないのなら、諦めたほうがいいかもしれない。
イソトマ様も、そのお友達も……。
この一件は、彼の恋人とその女友達が異変を察知し、地元の神異対策局へ連絡したことで発覚したらしい。
まあ、イソトマ様との婚約がなくなったこと自体は、別にいい。
問題は、別にあるのだ……。
「お前の今後については、おいおい決めるつもりだが……」
私は高校卒業後、一年間の準備期間を経て、イソトマ様と結婚し専業主婦になる予定だった。そのため、進学も就職もする予定は無かった。
なので現在、私は無職なのである!
ん? だったら、もう好きなことをしてもいいんじゃない?
これまでは、イソトマ様にパシリにされた挙げ句、邪険に扱われて自分の時間なんてあまり無かったわけだし!
「お父様、お願いがあります!」
私は、かねてから抱いていた望みを口にした。
◆
「街並みは、完全に日本なんだよね〜」
私──青春院ルリカは、マンションのベランダから見える景色を眺めながら呟いた。
地方都市なので、ベランダから見える範囲には、高層ビルや高層マンションはほとんどない。代わりに遠くに山が見える。
このマンションは、私が一人暮らしをしたいと言ったため、父が用意してくれた……というか、父が所有する物件の一つだ。
六階建ての最上階なので、景色は良いが階段で上り下りするのは大変だ。
必然的にエレベーターを使うことになるが、私はエレベーターが苦手なのである……。
私の望みは、一人暮らしをすることだった。
誰にも邪魔されず、自活したいと昔から思っていた。
というのも、実家は空気が重く、少し息苦しかったからだ。イソトマ様のことを抜きにしても。
そして、いくつか条件はあったものの、なんとか許してもらえたのだった。
さて、私には前世の記憶がある。
前世では、日本という国で平凡な大学生をしていた。
家族は両親と弟。仲が良くも悪くもない、ごく普通の家族だった。
名前は覚えてはいない。
学生生活は大変だったが、楽しかったし特に不満もなく過ごしていた。
しかし、四年生になり、就職先もようやく決まったところで、私は恐らく死んだらしい。
死因は……よく分からない。
内定が決まったので、同じく就職先が決まった友人たちと飲食店でお祝いをした、その帰り。……何かが襲いかかってきた気がするが、凄まじい衝撃を受けた後のことは覚えていない。
あれは、車に轢かれたのとも違うような気がするが……。
そして気づけば、この世界に転生していたのだった。
物心ついた頃から、既視感と違和感を持って生きてきたが、はっきりと前世を思い出したのは、中学生の頃。
イソトマ様にヤられそうになったときに、そのショックで記憶が蘇ったらしい。
そのおかげで身を守れたのは、僥倖だったけど、その一件で、彼との関係はますます険悪になってしまったけど……。
さて、この世界について、私には、一つ心当たりがある。
この世界は恐らく、前世で読んでいたバトル漫画『東都神異録』の世界だと思う。
『東都神異録』は、登場人物たちが〝魂力〟という力を用いて、〝神異〟と呼ばれる化け物と戦う王道バトル漫画だ。
舞台となるのは、日本によく似た国である〝日ノ本皇国〟。首都は東京ではなく〝東都〟と呼ばれている。
国名や地名が違うことを除けば、現代日本とほとんど変わらない。東都のような大都会へ行けば違いも分かるのかもしれないが、地方に暮らしている限りでは、前世の日本との違いをあまり感じられなかった。
スマホやパソコンも、自動車もバイクもあるが、前世の日本よりも自然が多く、着物を日常的に着ている人も多い印象だ。
歴史も日本とよく似ており、大戦も過去にあってその結果も同じだったが、神異が存在する影響なのか、前世の日本ほど他国の干渉を受けていない印象だ。
たぶん、この世界はパラレルワールドの一種なのだろう。
そして私は、そんなバトル漫画の世界の、恐らくモブに転生したらしい。
なぜそんなことが分かるかって?
まず、原作漫画には〝青春院ルリカ〟という人物は出てこない。
そして、漫画の主な舞台は東京──いや、東都だ。
一方、ここは地方である。
漫画では、地方遠征の舞台にすらなったことがない。
なので私は、『東都神異録』のモブに転生したのだろうと推理している。
まあ、まさかバトル漫画の世界で婚約解消を味わうとは思わなかったけど……。
この国には〝神異〟に対抗する人材を輩出する名家が五つある。
私の実家はそのうちの一つである、〝青春院〟の本家だ。
青春院家は治癒系の〝天賦〟を持ち、お札を用いる魂術、すなわち符術を得意とする一族だ。
漫画でも、同様の能力を持つヒロインが活躍していた。彼女は私とは姓が違うから、分家筋なのかもしれない。
ちなみに、〝天賦〟は生まれつき持っている特殊能力みたいなものだ。一般的に、術式を組まなくても発動できるものが多い。
私と、玄冬院家のイソトマ様との婚約は、表向きは家同士の結びつきを強めるために結ばれたものだが、同時に、相手の家が妙な動きをしていないか互いの家を監視するという意味合いもあったらしい。
なお、〝天賦〟持ちの家同士で結婚する場合、子供は大抵どちらかの〝天賦〟を受け継ぐらしい。そして、受け継いだ〝天賦〟に合わせて、父母どちらかの家で修行をするそうだ。
イソトマ様とは、小学生の頃は、幼馴染としてそれなりに仲が良かった。
しかし、中学生になると、婚約者である私を『何をしてもいい相手』と認識し、それはもう、こき使われた。
パシられるだけならまだいいが、異性に興味を持つようになると、ことあるごとにセクハラをかましてきた挙げ句、襲おうとしてきたので本当に最悪な奴だった。
高校時代には別の恋人を作り、二人で私を蔑む始末。
愛情なんて、とうの昔に枯れ果ててしまった。
とはいえ、婿取山へ行ったまま帰ってこないというのは少々心配だ。
あそこには、文字どおり男を婿に取る女の〝神異〟が住み着いている。
男女のグループで山に入る分には何もしてこないが、腕試しをしに行ったということは、つまり、喧嘩を売りに行ったということ。
そうなれば話は別だ。恐らく返り討ちに遭い、男たちだけが捕まったのだろう。
ちなみに、婿取山も、そこにいる〝神異〟も原作には出てこない。原作漫画は少年向けだったからな……。
最悪な奴だったとはいえ、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。
しかし、婿取山の〝神異〟はかなり強いらしく、治癒と符術を得意とする我が家では、倒すなんて無理なのだ。
朱夏院家や玄冬院家の者なら何とかできる人もいそうだけど、イソトマ様のご実家である玄冬院家が、すでに彼の捜索を諦めてしまったからな……。
一応、スマホからメールでも送っておくか……。
イソトマ様が婿取山に行って以来、二通のメールを送ったが、返信はない。これが最後のメールだ。
連絡を取れない状況なのか、それとも、スマホの充電が切れているだけなのか……。
多分、これが最後のメールだと思う。
さて、まずは私の生活基盤を固めないとな。
とりあえず、仕事を探さないと。
私もこの地も漫画に出てこないとはいえ、ここにも〝神異〟の脅威はある。
せっかく治癒の〝天賦〟と符術を使えるのだから、この力を活かせる仕事で、何か私にもできそうなものはあるだろうか?




