↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
0.3秒の王国 ―アルゴリズムの王と宰相―  作者: Furi0804
最終章 0.3秒の王国
PR
36/36

(外伝)星河前史:王国が、まだ小さかった頃

28歳の賀雲舟は、まだ「王」ではなかった。


深圳の工業団地にほど近い、古いビルの5階。

オフィスは、仕切りもほとんどないほぼワンルームだった。

デスクが10個ほど寄せ集められ、夜中でも半分以上の席に明かりがついていた。


人材は集まった。

雲舟の「0.3秒で人を掴む」という言葉に目を輝かせ、若いエンジニアや動画編集者が次々と入ってきた。


しかし、誰も残らなかった。


理由は単純だった。

彼の速度が、異常だったからだ。


雲舟はユーザーの離脱ポイントを、動画の1フレーム単位で見抜いた。

光の落ち方、顔の動きの切れ目、音の間、スクロールが止まる瞬間の微かな違和感——すべてが手に取るように分かった。

深夜3時に突然「この0.7秒が死んでいる」と言い出して、コードを全部書き直させることも珍しくなかった。

一方で、目の前の人間が疲弊していることには、気づくのがひどく遅かった。


---


ある深夜、創業から2年目の秋。


初期メンバーの一人、李が辞表を差し出した。


賀雲舟は本気で驚いた。

李は最も信頼を置いていたエンジニアだった。

星河の初期から、推薦アルゴリズムの基盤を一緒に作ってきた、優秀で温和な男だ。


「給料か」


「……違います」


雲舟は辞表を握ったまま、眉を寄せた。

本気で理解できないという表情だった。


「権限か」


「違います」


李は疲れた笑みを浮かべ、静かに首を振った。


賀雲舟は珍しく言葉に詰まった。視線を李の顔に固定したまま、率直に聞いた。


「じゃあ何だ」


李は少し間を置いて、静かに答えた。


「賀さんの速度に、俺がついていけないんです」


雲舟は言葉を失った。


「毎日、言われたことを理解しようと必死で、睡眠時間も削って勉強してる。

でも次の朝には、もう次のステージに行ってる。

……正直、怖いんです。いつか完全に置いていかれるのが」


オフィスの空気が凍りついた。


雲舟は無言で李を見つめていた。

彼にとって初めての、明確な「人間の離脱ポイント」だった。


李は最後に、穏やかだがはっきりとした声で言った。


「賀さんは天才です。でも、このままでは誰もついていけません。 」


オフィスは静まり返っていた。

他のメンバーも、遠くからこの会話を聞いていた。


賀雲舟は辞表をデスクに置き、珍しく長い沈黙の後、ぽつりと言った。


「……俺は、ただ、いいものを作りたいだけなんだが」


李は小さく笑った。


「星河は、きっと大きくなります。でも……私は、もうここで燃え尽きるのは嫌なんです」


その夜、賀雲舟は朝まで一人、オフィスの明かりをつけたまま座っていた。

画面の中では、まだ未完成のアルゴリズムが、淡々と動画を推薦し続けている。


デスクの上に置かれた李の辞表。

そこに書かれた日付を、彼は何度も何度も見つめ続けた。


王国はまだ小さかった。

王も、まだ若かった。


そして、彼は初めて知った。

ユーザーを0.3秒で掴むことと同じくらい、

人を長く留めることの、途方もない難しさを。


画面の中で、またひとつ数字が跳ねた。


雲舟は顔を上げた。


新しい動画が、見つかろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。