王と宰相(1)
香港島東部、星河互娛集団の本社会議室。
壁一面のスクリーンに、短い動画が次々と流れていく。
十五秒のダンス。
七秒の激辛チャレンジ。
三十秒の朝メイク。
歌う少女。
踊る青年。
誰かの笑顔。
誰かの涙。
誰かの叫び。
その中央で、賀雲舟は腕を組んだまま、ほとんど瞬きもせずに画面を凝視していた。
星河互娛集団、創業者。総裁兼CEO―――通称、賀総。
香港市場に上場した、アジア最大級の動画・配信プラットフォームを作った男。
世間は彼を「アルゴリズムの王」と呼ぶ。
だが、本人に、その自覚はあまりない。
「止めて」
低い声に、プロダクトチームの若い社員が即座に動画を止めた。
画面の中で、少女が廃ビルの階段を駆け上がっていた。
コメント欄は、まるで歓声のように高速で流れ続けている。
「この子、いいな」
「小鹿です」
プロダクト責任者が答えた。
「今月の急上昇クリエイターです。十六歳。フォロワーは三週間で二十万から百四十万に伸びています」
賀総は顎に指を当てたまま、静かに言った。
「光の拾い方がいい」
会議室の空気が少し緩む。
しかし次の瞬間、賀総は目を細めた。
「でも、ここで離脱される」
誰かが小さく息を呑んだ。
「ここまでは、生きている。ここからは、演じている」
会議室が静まり返った。
誰も反論しない。賀総がそう言うとき、たいてい正しいからだ。
「0.3秒ですべてが決まるんだ」
周啓文は、会議室の端で資料を持ったまま、賀総の横顔を見ていた。
星河互娛集団、コーポレートコミュニケーション本部。
危機管理広報部長。
周啓文の仕事は、星河が外の世界に向けて発する言葉を管理することだった。
声明、会見、投資家向け説明、広告主への通知。
―――そして、ときに「王」の不用意なひと言まで。
会議が終了し、プロダクトチームが部屋を出て行く。
残ったのは賀総と啓文だけになった。
「賀総」
「うん」
「未成年クリエイターの運用基準について、信頼安全部門から再度見直しの提案が出ています」
賀総はまだスクリーンを見たまま、気のない声で返した。
「法的にはどうなの」
「現時点で明確に違法とは判断されていません」
「なら、止める理由はないな」
即答だった。
啓文はわずかに息を整えて続けた。
「止める、ではなく、改善の提案です。危険企画への年齢制限、深夜配信の通知抑制、投げ銭表示の一部変更」
賀総がようやく視線を啓文に移した。
「改善?」
会議室の空気が、少し硬くなった。
「はい」
啓文はうなずく。
「その改善は、星河を魅力的にするのか?」
魅力。
啓文は一瞬言葉に詰まった。
そういう創作的な語彙は苦手だ。
「米国での上場を視野に入れるにあたり」
議論の角度を変える。
賀総の目が一瞬鋭くなった。
「星河のようなコンテンツプラットフォームは、社会的責任、コンテンツガバナンス、ユーザー保護の観点で、厳しい目が向けられています」
賀総は小さく笑った。
「米国進出はただ、俺たちのコンテンツを、より大きなステージで世界に届けるための次のキャンバスじゃないか」
賀総はスクリーンに視線を戻す。
画面の少女は軽やかに微笑んでいる。
自分がどれほど多くの視線にさらされているのか、彼女は知っているのだろうか。
啓文は、声を低めた。
「しかし、規制当局や投資家はそうは見ていません」
星河は、香港上場の「次のステップ」として、米国での上場を目標に据えている。
しかし、より開かれた市場に出れば、より多くの責任が問われることになる。
アンダーライター(上場主幹事)、法律事務所、海外投資家。
彼らが見るのは創作の熱ではなく、アルゴリズムの透明性、未成年保護、依存対策、そして―――創業者自身。
「未成年クリエイターの件は、午後のリスク会議で再度扱います」
賀総は、もう次の動画を流し始めていた。
「任せる」
その一言は、いつも通りだった。
「啓文のおかげで、俺は星河を作れる」
何気ない一言。
啓文は資料の端を軽く指で押さえながら、静かに答えた。
「そのためにおりますので」
賀雲舟は作る。
周啓文は、それが外の世界でどう受け取られるのかを読む。
いつものことだった。
ただ、その朝だけは。
啓文の胸に、その言葉が小さな棘のように引っかかった。




