「当世書生気質」
「なんだか外が騒がしいな」
ミロドロス島の代官、ナッコネン男爵は机から顔を上げた。城の前に人が集まって、ワイワイ騒いでいるようだ。
「セバス、ちょっと様子を見に行ってくれ」
執事のセバストボリに命じると、ふたたび机に広げた結婚式の招待客リストに目を下ろした。
ナッコネンは悩んでいた。この先自分は、どのように立ちまわるべきか。
王太子が亡くなったあとのミロドロスの帰属先は、いまだに宙に浮いたままである。
なぜなら彼の死から二週間たっても、王は後継者を決めかねているからだ。
後継候補は二人いた。陽気な武闘派の第二王子と陰険な知性派の第三王子である。
いまやカスト王国の貴族は、この二つの派閥に分かれて苛烈な政治闘争を繰り広げていた。
(完全に出遅れてしまった! 運がなかったのだ)
爆破騒ぎの翌日から始まった長雨のせいで、海が荒れて島への連絡が遅れた。
王太子の訃報を受けて王都へ駆けつけたときには、旧王太子派に対する勧誘はあらかた終わっていた。
僻地の代官風情が座れる席など、もはや残ってなかった。
自分のような、領地をもたない官僚貴族にとって、この状況は致命的である。島の帰属先が決まり次第、お役御免になるだろう。
(やはり地理的に近い東部三州を頼るべきだったか……)
東の国境地帯を固める東部三州は、政治闘争に与せず静観の構えを見せている。
実力者として知られるプラント伯爵を中心に、中立派ともいうべき独自の派閥を形成しつつあるのだ。
伯爵の下男に鼻薬を嗅がせて、ようやく手に入れた招待客リストを見て、そのことを確信した。
王子たちの権力争いに目を奪われていたので、派閥結成の動きに気付くのも遅れてしまった。
今から使いを出しても到底式には間に合わない。三日後に届いた祝辞なんて、差出人の間抜けぶりを宣伝するようなもんだ。
「ああもう! こんな島に閉じ込められてるせいで、やる事なすこと後手後手に回ってしまう」
苦悩のあまり思わず声が出る。言ってから、しまったと思った。
開け放たれたドアの陰から、娘のジェニファーが顔をのぞかせていたのだ。
「ちちうえは、この島がおきらいですか?」
泣きそうな声で聞いてきた。
ちょうど十年前、この島に赴任した年に生まれた子だった。彼女にとってミロドロスは掛けがえのない故郷なのだ。
「ごめんごめん、もちろん私はこの島が大好きだよ」
あわててジェニファーに駆け寄って抱き上げた。
そこへ執事のセバストボリが血相を変えて戻ってきた。
「大変です! 島民が城を取り囲んでいます。どうやら反乱がおきたようです」
「反乱だって? そんな馬鹿な」
信じられなかった。島民に対して苛斂誅求をした覚えはない。税率だってカスト王国の平均的な数字を課しているだけだ。
「まあ、とにかく、騒ぎが起きてるなら、この子を安全な場所に避難させるのが先決だ。抜け穴を使うぞ」
「はっ」
セバストボリは使用人を呼んで執務室の机を移動させた。その床をパカッと開けると、地下に続く階段が現れる。
「ジェニファーを避難させたら、すぐに戻る。机はそのままにしておけ」
そう言って、ナッコネン男爵は地下道にもぐりこんだ。
慣習的に城と呼んでいるが、建物自体はふつうの貴族屋敷と大差ない。本当に反乱だとしたら、容易く暴徒の侵入を許してしまうだろう。
この抜け穴は、十年前までここに住んでいた旧王家が作った物らしい。
接収してすぐに発見したのだが、一通り見て回ったあとは放ったらかしにしていた。
まさか、こんなものを使うハメになるとは思わなかった。
出口に到着したので魔導灯籠のスイッチを切った。扉を開けると砂浜近くの小高い丘に出た。
砂浜を見下ろしてみたが、幸いなことに人っ子一人いない。小さいボートが一艘、砂の上に転がってるだけだ。
「いいかい? 私が呼びに来るまで、ここでじっとしていなさい。一人で寂しいと思うけど我慢するんだぞ。おまえは貴族の娘なんだから」
「はい、おまかせください」
背伸びして気丈にふるまう娘の姿がいじらしい。ナッコネンは微笑みながらその頭をなでた。
「偉いぞ、ジェニファー」
「ふふふ……念のため、こっちも見張っといて正解だったな。大物が釣れたぜ」
岩場の陰から一人の男が姿をあらわした。長身でたくましい体格をしており、手には長剣を持っている。
「何者だ! 城の騒ぎは、おまえと関係あるのか?」
男爵の問いを、男は無視した。代わりに空を見上げて、剣で南の方角をさした。
「あそこに平らな形をした雲がある。あれは鉄床雲といって、嵐がくる前触れなんだ。きっと夕方ごろには海が荒れてくるだろうな」
「何の話だ」
「いやなに、ちょいと運試しをしてみようと思ってね。そこにボートが転がってるだろ? あんたの娘さんを、あれに乗せて沖に流すんだ。嵐の中で、果たして娘さんは生き残ることが出来るのか。おれとあんたで賭けをしようぜ」
「おまえ……まさかあの時の」
ナッコネンの脳裏に十年前の光景がよみがえった。ちょうど同じ場所で、粗末な筏にくくりつけられ、流された少年がいた。
王太子と男爵のあいだで、生き残れるか賭けをしたのだ。結局、筏はそのまま行方不明になった。
少年は死亡とみなされ、賭けに勝った男爵は代官の地位を得た。
「思い出したようだな。そうとも、おれの名はランドルフ・アトレウス。この島の王子だった男だ」
「生きていたのか!」
王族なら抜け穴の出口を知っていたのも納得できる。
ということは、やはり城の騒ぎはこの男の差し金だ。騒ぎを起こして網を張っていたのだ。
ナッコネンは何とか状況を打開できないかと、周囲を見まわした。絶望した。いつの間にか数人の男に囲まれていたのだ。
「何をする! やめろ!」
「ちちうえ!」
親子はあっという間に引き離され、それぞれ縄で縛られてしまった。
「悪いな嬢ちゃん、恨むなら親を恨むんだな。おれは男爵にやられた仕打ちを、そのまま返してるだけなんだ」
ランドルフは娘を担ぎ上げると、ゆっくり丘を下り始めた。
娘は恐怖で口もきけなくなっている。
「ふざけるな! ジェニファーは関係ないだろ! 復讐するつもりなら私にだけやればいい! 頼む……娘だけは……」
ナッコネン男爵の叫びもむなしく、王子だった男はジェニファーをボートに放り込むと、ためらいなく海に押し出した。
〇
漁師ライナーは降り始めた雨に舌打ちした。
本当ならもっと早く漁を切り上げるべきだったのに、ずるずる引き延ばしてるあいだに、退避が遅れてしまった。
遠くで雷鳴が響いた。もう海が荒れ始めている。まもなく嵐がやって来るのだ。
(おれも焼きが回ったな。久しぶりの大漁に、欲をかきすぎたようだ)
ベテランのライナーらしからぬ判断ミスだった。ここ最近の不漁続きが、彼の感覚を狂わせたのだ。
「おい慧眼! いそいで網を引き揚げるんだ!」
「わ、分かりました!」
慧眼とよばれた助手が、あわてて網に飛びつく。
頭は少々足りないが、抜群の視力の持ち主なので、老眼の進行してきたライナーにとっては得がたい相棒だった。
早く港に戻らないと嵐に巻き込まれる。だがこうなってくると、船腹に詰め込んだ魚が、足を鈍らせる枷になる。
おんぼろと言ってもいい漁船だ。魚を少し捨てようかと思案していると、助手の手が止まってるのに気付いた。
「おい、急げと言ったのが聞こえなかったのか? 早く網をしまえ」
「船長、あそこに小舟が漂ってます」
「小舟? それがどうした。どうせ、もやい綱が解けた空舟だろう」
「中に子供が乗ってるみたいなんです」
「子供だと! 本当か」
ライナーは助手が指さす方向を見てみた。ミロドロスの島影に重なって分かりずらいが、たしかに何かが漂ってるようだ。
一瞬迷ったが、ここは慧眼の視力を信じて救助に向かうことにした。漂流者を見つけたら必ず助ける。それが海の男の掟だ。
ライナーは魔導ウィンチのスイッチを入れて貯蔵庫の網を持ち上げた。網の中には今日の戦利品が詰まっている。
続いて横柱を動かして網を海面上に移動させると、ウィンチにつないだロープを鉈でぶった切る。
一日の労働成果がすべて海中に消えていった。
「これで身軽になった、救助に向かうぞ。子供の様子はどうだ」
「すごく奇麗なドレスを着てる。ありゃ貴族の令嬢ですよ。しかも縄で縛られてるみたいだ」
「縛られた貴族令嬢か、厄介な……まあ、領主に預ければ、あとはあちらさんが何とかするだろう」
「でも、うちの領主は、娘さんの結婚式で留守にしてますぜ」
「だからといって、城が空っぽになった訳じゃないだろ。考えるのはあとだ。いまは救助に専念するんだ」
手間取ってる間に雨脚が強まってきた。それに伴って船が上下する幅も広がっていく。
難しい操船になりそうだ。
船側に高波を受けると転覆するおそれがある。だから船首がつねに波に向いてる体勢を維持しつつ、小舟に近付かなければならない。
それがどうした。おれは全盛期には罠師と呼ばれたほどの凄腕なんだ。
「待ってろよ、お嬢さん」
ライナーは魔導スクリューの回転数を上げ、木の葉のように海面を舞う小舟に向けて、おんぼろ漁船を走らせた。
大粒の雨が顔面を叩きつける。
海面には無数の小山が生じていた。その小山を一つずつ乗り越えながら、目標に近付いて行った。
小山を登った時には眼下に漂っていた小舟が、下りたときには頭上に位置を変えている。
ふと慧眼の方を見ると、横柱によじ登って何か作業をしているようだ。
「おい、何をやってるんだ」
「縄で縛られていたら、こちらの手を取ることも出来ないでしょ? そこで思い出したんです。いつか横柱に吊り下げられた事を」
そういえばそんな事があった。ある時、慧眼が大ポカをやらかしたので、懲らしめるために彼を吊り下げた。
ところが助手は子供のようにはしゃいでしまって、懲らしめにならなかったのを覚えている。
「おいらが小舟に飛び下りて子供を抱えますから、船長はウィンチでおいらを引き上げてください」
慧眼は新しいロープをウィンチにつなげると、もう一方の先端を滑車に通してから自分の胸回りに巻き付けた。
「やっぱりお前は恐怖心というものがマヒしてるんだな。しかし、いま必要なのはその蛮勇かもしれん」
ライナーは右手で舵を取りながら、左手で操作レバーを倒して横柱を動かした。船側から少しはみ出した位置に先端をもっていく。
その間に助手は船縁の柵につかまって待機を完了していた。
小舟と並走状態になった。スクリューを停止させて速度を合わせる。
微妙に舵を動かしながら船体を近づけていく。小舟がコツンと船側に当たった感触がした。
「今だ! 跳べ慧眼!」
「ヒャッハー!」
少々頭の足りない助手は、躊躇なく小舟に向かってジャンプした。彼の姿が甲板の陰に隠れて見えなくなった。
頭の中で五つ数えてから、ライナーはウィンチのスイッチを入れた。ロープがゆっくり巻き取られていく。
その様子をじりじりしながら見つめた。やがて――
「ウヒャヒャヒャ! こりゃ末代までの語り草ですね、船長!」
雷鳴が轟く中、子供を抱えた慧眼が、ゲラゲラ笑いながら引き上げられた。
〇
「小説の主脳は人情なり。世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情慾にて、所謂百八煩悩是れなり……わわッ、こりゃまずい」
せっかく、ぼくが気持ちよく「小説神髄」を朗読してる最中なのに、無粋な邪魔が入ってしまった。
まあ、たんに雨が降ってきただけなんだが。
「建物に入りましょう」
ぼくは女の子の手を引いて城の中に戻った。
女の子は本が濡れないようにギュッと抱え込んでいた。表紙がビリビリになっても、大事な本には変わりないのだろう。
「雨に降られましたか、災難でしたなナターシャ嬢」
入口のところでプラント伯爵に出くわした。
「夕食までは、まだ間があります。お部屋に戻って、ゆっくり体を温めてくるといいでしょう」
女の子は優雅にお辞儀すると、小走りで廊下を走っていった。
「あの方はナターシャというんですか」
「うむ、花嫁の妹だ。もっとも、半分しか血はつながってないらしいが」
「ははあ、なるほど」
半分しか血のつながってない姉妹。ナターシャがいじめられてる原因はその辺にありそうだ。
「おまえもずぶ濡れじゃないか。今夜は嵐になるようだから、早く孤児院に戻ったほうがいいぞ」
「結婚式のほうは大丈夫なんですか?」
「まあ、いざとなったら城内でもできるから心配するな。ところで……」
伯爵は顔を近づけて小声になった。
「例の件は何かつかめたか?」
「申し訳ありません。この三日間いっしょうけんめい観察しましたが、普通の子供たちなんです。他にない特徴というものは見つけられませんでした」
「すでに密偵をアマルギア王国に潜り込ませている。そちらの方で何か掴めるかもしれないから、あまり焦らないことだ。こういう事は長期戦の構えでじっくりやったほうが上手くいく。時間をかけて相手の信頼を得るのだ」
「長期戦ですか……」
なんだか、このまま孤児院の院長が定職になりそうで不安になってきた。
「結婚式が終わってから、周辺領主の家宰たちが居残って会議をする予定だ。会議は何日も続く。だから、しばらくはこうして会う事も出来なくなるが、定期的な連絡は絶やすなよ」
そう言ってプラント伯爵は去っていった。
孤児院に戻ると、腹をすかせた子供たちがまとわりついてきた。彼らの食事はぼくが作っているのだ。
なぜかトーレも「ハラヘッター」の合唱に加わっている。
「おまえはべつに、ここで食わなくてもいいだろ」
「だって師匠の料理は美味しいんだもん」
独身生活の長い異世界人は料理も得意だった。ただ、手に入る食材が限られるので、まだ満足できる食事は作れてない。
それでも、この世界では充分ましな部類に入る。裕福な家庭で育ったトーレが、こうして絶賛しているのが証拠だ。
「ししょー、おうたをきかせて―」
孤児たちは、トーレの影響を受けてぼくを師匠と呼ぶ。食事のあとは彼らに歌を聴かせるのが日課となっていた。
普段は豪傑バンダーやカルドーン逸話集を演奏するのだが、今日はせっかくだから文学全集の四巻から何かやろうか。
色と欲にまみれた怪談噺や白波物は、教育上よろしくないので避けていたが、言文一致運動ならいいだろう。
ぼくは画面に「当世書生気質」を表示させた。
書生という言葉には①学生と②食客の二つの意味がある。この作品の書生は①学生の意味で使われている。
作者の坪内逍遥は、旧来の戯作小説からの脱却を訴えた「小説神髄」の実践編のつもりでこの小説を書いた。
ところが、はしがきで白状してるように上手くいかなかった。幼少期から親しんでいた戯作調が、どうしても抜けきらないのだ。
たとえば冒頭部分はこんな感じである。
『さまざまに移れば換る浮世かな。幕府さかえし時勢には、武士のみ時に大江戸の、都もいつか東京と、名もあらたまの年ごとに、開けゆく世の余沢なれや』
まるで歌舞伎の「白波五人男」である。
しかし当時最先端の存在だった「大学生」という人種の、「世態風俗」を活写した読みものしては興味深い作品である。
ぼくはその中から「第十回 生兵法大きな間違いをしでかして味方をぶちのめす書生の腕立て」を抜粋して朗読した。
これは近眼の大学生が、学校の塀を乗り越えていた同級生を、泥棒と間違えて殴るという他愛のない失敗談だ。
子供にウケそうだと思って選んだのだが案の定、
「キャハハハ、おなかいたい、しぬー」
孤児たちの何人かは、笑いすぎてぶっ倒れてしまった。
さて、明日はいよいよ結婚式だ。ぼくとトーレは余興の手伝いに駆り出されている。果たしてどうなる事やら……




