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お義母様から酷く叱られたあの日から、なるべく自室で静かに過ごすように心がけていた。エディットと会わないように気を付けるのであれば、これが一番だった。天真爛漫な彼女は綺麗な庭を散歩することが好きだ。それに、私の部屋は屋敷の中でも、彼女の部屋と少し離れた位置にあるため、余程のことがなければ彼女が訪ねてくることもない。
まだ幼く、次々に目の前のものへと興味が移る彼女がこの部屋までたどり着くことはほぼないと言っていいだろう。
私は、今日も静かに絵本を読んでいた。もう何度読んだかわからないほど読んだ絵本。そして、読むたびに自分のことが嫌いになる絵本。
ふと目線を上げれば、窓の外で楽しそうに笑うエディットの姿が映った。
「……いいな」
エディットのことが心底羨ましかった。絵本の中に出てくる女神様みたいなきれいな金髪、色素の薄い瞳。目線を下げれば自分の黒髪が視界に入る。私の髪はまるで――まるで、絵本に出てくる邪神みたいだった。もう何度目かもわからないため息をつく。
「お嬢様」
優しい声に振り向くと、微笑む侍女が私に一通の手紙を差し出してきた。きょとんとしていると、その手紙をゆっくりと握らされる。
「お茶会にお呼ばれされたみたいですよ」
お茶会、という言葉に、先日のエディットとのお茶会、その後のお義母様の叱責の記憶が一気に流れこみ、恐怖から固まる。しかし、そのこともお見通しな侍女はゆっくりと言葉を続けた。
「エディットお嬢様とのお茶会ではなく、公爵家のご令嬢のお茶会のようですよ」
「公爵家のお嬢様……?」
「えぇ、楽しみですね」
私は視線をさまよわせる。その場にエディットがいるのであれば、やはり関わることになってお義母様に怒られるのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。今回は、我が家では、ペトロネラお嬢様だけが招待されています」
「私だけ……?」
「えぇ、公爵家のご令嬢と歳が近いご子息、ご令嬢が招待されているようです。エディット様は、公爵家のご令嬢とは少し歳が離れておりますから」
「……そう、なの」
手にしている封筒をまじまじと見る。私は公式なお茶会に出たことがない。
「旦那様の許可も出ています」
ニコニコと微笑む侍女は、私の返事を静かに待っている。侍女と手紙を交互に見る。お茶会に行ってみたい気持ちと、知らない場所への恐怖が混ざる。領地内の街に出かけたことはある。その時でさえ、私の容姿は悪い意味で目立ってしまい、人々がこちらをちらちらと見ながら、何かを囁き合うのだ。それが貴族のお茶会ともなれば、どうなってしまうのだろうか。
ぎゅっと握りしめたことで、招待状に少ししわが寄る。
「わ、私……やっぱり……」
いつの間にか近くに来ていた侍女は屈んで私と目線を合わせてくれた。その目は優しいが、いつも以上に真面目な表情だ。
「ペトロネラお嬢様。お嬢様は侯爵家のご令嬢です。いつかは社交の場に出ざるを得なくなります。それはお嬢様がどうしても嫌だと願ったとしてもです。そして、自分に敵意を向けてくる方がいることもあるでしょう。しかし、そうした人々から自分を守るためにも、お嬢様の味方になってくださる方を早めに見つけた方が良いのです」
彼女の言うことが理解できないほどに幼いわけではない。私も、自分がいつかは貴族令嬢として社交の場に出ることが必要なことはよく理解していた。返す言葉が見当たらず、目線をさまよわせる私を見て、侍女は表情を緩めた。
「大丈夫です、お嬢様。今回の主役である公爵家のご令嬢は、素敵なお人柄だと伺っています。きっとお嬢様にも優しく接してくださいますよ」
「……い、行ってみます」
私の言葉に侍女は微笑んで頷いた。不安がないわけではない。まだ怖いという思いはある。それでも、私にも優しくしてくれるかもしれないと聞いて、少し、ほんの少しだけ会ってみたいと思ってしまった。手元の招待状をなぞりながら、お茶会に思いを馳せた。
―――――――――
暖かな日差しの中でぱちりと目を覚ます。まだ部屋の中に侍女はおらず、いつもよりも早く起きたことに気が付いた。お茶会の招待を受けてから、その日を少し楽しみに日々が過ぎていった。待ちに待ったお茶会が余程楽しみだったのか、興奮で早く起きてしまった。
ベッドからそっと起き上がると同時に、控えめなノックの音が響く。
「どうぞ」
私の返答を予想していなかったのか、扉の向こうで少しバタバタと音がしたかと思えば、慌ただしく扉が開かれた。侍女は焦った様子で頭を下げる。
「お嬢様、既に起きていらしたのですね。遅くなり申し訳ありません」
「ううん、私が少し早く起きちゃったみたい」
ベッドから立ち上がった私に、侍女は手にしていた余所行き用のドレスを見せる。いつも控えめな服ばかり着ている私には珍しく、ふわりとしたシルエットの可愛らしい水色のドレスだった。
「かわいい……」
「旦那様が本日のためにご用意くださいました。素敵なドレスですね」
うっとりとしていた私にそう声をかけると、手早く身支度を進めてくれる。その間も、視界の端に映る水色のドレスが気になって、ちらちらとそちらを見ていれば、侍女がおかしそうに笑う。
「ドレスは逃げませんよ、お嬢様。さぁ、前を向いてください。髪を結っていきますよ」
鏡に映る自分の髪も瞳も、昨日と変わらず黒いままだが、いつもよりも表情が明るい。器用に三つ編みや編み込みを混ぜ込んで、可愛らしい水色のリボンで結んでくれる様子が見える。
「お待ちかねのドレスですよ」
私の髪をきれいに結ってくれた侍女は、慣れた様子でドレスを着せてくれる。普段は屋敷から出ることがほとんどないため、簡易的なワンピースばかりを着ていた。そのこともあって、少し動くだけで、裾がふわりと舞うことが面白くて、意味もなく左右に揺らしてみる。その様子をしばらく微笑まし気に見ていた侍女は、私を扉の方へと促した。
「朝食を終えたら出発ですよ。ペトロネラお嬢様に限って無いとは思いますが、食べこぼしにはお気をつけて」
こくこくと頷き、廊下へと向かう。その間にもふわふわと舞うようなドレスの裾が目に入り、お茶会への期待に胸を膨らませる。
朝食の場には、お父様だけだった。私を一瞥したかと思うと、珍しく声をかけられた。
「ペトロネラ、公爵家のご令嬢とは仲良くやりなさい」
「はい、お父様」
突然のことに驚きつつも、反射的にそう答えれば、お父様はふいと手元の料理に目線を落とす。後ろを振り返って侍女にお母様とエディットについて聞いてみるが、彼女たちは今日はまだ起きていないと聞き、少しホッとする。
お父様の食事は黙々と進み、先に食べ終わったお父様が早々に席を立った。その後は一人で黙々と食べていたが、これといって変わったこともない。しかし、もうすぐ行われるはずのお茶会に意識は向いており、心が躍る。これほど楽しい気分でいられるのは、いつぶりだろうか。
まだ顔も知らない公爵家のお嬢様と仲良くなれることを願いながら、食事を終え、侍女に促されるままに最後の準備をする。忘れ物がないことを彼女が確認すると、背中を優しく押されて玄関へと向かう。玄関前に待機させられている馬車を夢でも見るかのようにうっとりと眺め、そっと足を踏み入れた。
「馬車って、思ったよりも広いのね」
あとから乗ってきた侍女と護衛に話しかけると、そうかな、といったように首を傾げられてしまった。子供の私にとっては広いと感じても、彼らにとっては狭いのかもしれない。用意されていたクッションを抱えると同時に馬車がゆっくりと動き出した。馬の足音、車輪の回る音、少しの揺れ。どれも新鮮で、窓から見える動き出した景色に目を向けた。




