冥王と日ノ本の神が出会うこと
学校の三者面談はつつがなく終わった。
小夜子は特殊な立場のため、行う必要も無いことだった。しかし、トミーがこの町に出向いたのは面談のためだ。
成績も優秀。家業による休みについては問題ないということで話は終わる。
面談を終えたトミーと小夜子は、放課後の学校を見て回った。
些細なことで驚くトミーが何やら面白く感じた小夜子である。
「頭のいい学校ってこんなんなんやなあ。おれの時とは全然違うわ」
「わらわも令和の高校生活には驚いたものよ。【番長】くらいはいると思うたんじゃがなあ」
番長と言えば、超常の力をもって学校を支配するものだ。小夜子は番長扱いだが、特に支配はしていない。というか、支配して何か旨味があるのであろうか。
「白い学ランで長髪のヤツな。おれがガキの時でもそれは古いで」
「わらわの期待はだいたい叶わぬからなァ。トミーよ、こんなところで話すのもなんじゃが、パチンコ屋の件は上手くいっておるんか?」
「順調やで。こういう仕事、もうせんつもりやったんやけどなあ」
今日のトミーはスーツを着ている。
面談のためだけではない。パチスロ王決定戦の運営として働いており、今日も面談まではビジネスパーソンをしていたという訳だ。
「わらわも活躍は聞き及んでおる。トミーよ、これを機に落ち着いてはどうじゃ」
場所の差配から予選方法に広報まで、小夜子の代理人として動き回っている。昔取った杵柄というやつで、仕事自体は卒なくこなしており、関係者からの評判も良い。
「やらへんよ。パチンコは遊ぶんが面白いねん。ハデスさんのことがあるから、今だけ手伝うてるだけや」
「それならそれでよいが、世捨て人など何が面白いのかや」
「面白いことなんてなんもないよ。金が無くなったら、なんかやるやろけどな」
説得は無駄だと思った小夜子は、小さく笑う。普通じゃない大人だから、今でも自分と縁が切れていないのだと分かってしまった。
「まあよい。今日はわらわの出番じゃしな」
そのまま学校を出て若松と合流し、トミーが買った中古の軽自動車に乗り込んだ。
仕事用に買ったのは荷物が多く乗るスズキワゴンアール。手ごろな価格で乗りやすい。
車は一路、この町のとある神社へと向かう。
「トミーよ、車くらいもっと良いのを買うたらよいというのに」
「乗りやすいのがええんや。それに、車とか全く興味ないねん。手ごろな価格でそれなりが一番やで」
「そういうものかのう」
「人それぞれや」
そんなことを話している内に、車は山道へ入り小さな神社へたどり着いた。
手入れが程よく行われていない寂れた神社である。元々無人な上に、近隣住民ですら忘れ去りつつあった神社だ。
鳥居をくぐった一行は、管理者になった退魔師に迎えられた。
「間宮さん、お待ちしておりました」
杖をついた若い女性である。
片足の足首から先が無いという有様だが、それ以外は元気そうだ。
「うむ、こちらこそ待たせたようじゃの。道反殿から話は聞いておったが、よかったのかや?」
「ええ、済んだことですから。それに、退魔師家業なら仕方ないっス」
方言なのか、妙な喋り方をする。
この女性は天逆毎との一件で、片足を飛ばされた道反一族の縁者である。鬼の血を引いた彼女でも、足の再生は不可能であった。
「それより、困ってましたので、来てもらって本当に助かりました」
どこか疲れた顔の女性は、神社の本殿を指さした。
そこでは、意外な人物と神がいる。
鳴髪小夜子と天逆毎が酒を片手に語らっているではないか。
人に化けるなどというせせこましいことをしない天逆毎は、神としての姿を晒したままだ。
犬や狐に似たケモノ顔の女神である天逆毎が、あぐらをかいて日本酒を舐めていた。
「でねぇ、大樹ったら親御さんの前で結婚するって言ってくれたの」
「ほう、貴様のような羅刹を嫁に迎えるとはなかなか気合が入った男ではないか」
「そうなの! でも、最近なんか彼ってモテモテみたいで、ちょっと不安になる時もある」
「カハハハ、お前ほどの女でなくば、その男もなびくまいて」
聞こえてくる内容に、小夜子は顔を引き攣らせた。
どこの世界に神と恋バナをする退魔師がいるというのか。しかも、内容がほぼ中学生だ。
道反の縁者である女性は、疲れた顔を隠そうともしない。
「あれ、もう三日目なんですよ。マジでしんどいっス」
鳴髪小夜子の恋バナは、聖蓮尼ですら持て余していると聞く。
「天逆毎様もご機嫌のご様子。上手くいっておる」
「わたし、心労で倒れそうです」
「今日でそれも終わりじゃ。苦労をかけたの」
小夜子は言うと、本殿へ向かった。
天逆毎はなかなか難しい神である。そのため、トミーと若松には近づくなと重々に言い含めていた。
そんなこと、トミーに通じるはずもない。
「おお、昔のアニメみたいやな。ほら、犬のホームズのやつや。トトロとか作った人のアレ。ガキのころ見てたわ」
そんな風に言うものだから、天逆毎に気づかれてしまった。
「ほう、いつぞやの恐るべき小娘かえ。貴様とも我は話したいと思うておった。近う寄れ。そこの男、妙な気配をつけているな、貴様も来よ」
小夜子は苦虫を噛み潰したような顔でトミーを睨むと、共に本殿へ向かった。
「落ち着いて話すのは初めてですな。天逆毎様、わらわは間宮小夜子と申します」
「存じておる。それで、我を呼び出したのは異国の神を認めよというものであったな。その男からは死気の残滓を感じるが……」
「うむ、それが本題じゃ。これはわらわの叔父であるトミーと申す者。ひょんなことから異国の神と知り合いましての」
それから、小夜子がかいつまんでハデス氏とロキのことを説明をした。神として迎え入れるための信仰については、流石にパチンコのことは割愛して、人の間では人気があるということにしている。
「ああ、パチンコとかのヤツだな。聖蓮尼が好きだから知ってるぞ」
鳴髪小夜子が余計なことを言う。
下戸である鳴髪小夜子は、酒も入れずに先ほどの恋バナを展開していたような女だ。空気など読むはずが無い。
「そうそう、おれも大好きやで。あ、そちらのお嬢さんは初めましてやね。おれは浪野富雄。みんなからはトミーって呼ばれてるから、そう呼んでえな。そちらの素敵な神様も、よろしくお願いします」
トミーのフランクな挨拶に、鳴髪小夜子は「どうも鳴髪小夜子です」と短く返した。特に気にするものではないらしい。しかし、天逆毎はじろりと見ただけだ。
天逆毎は杯の日本酒を飲みほして、口を開いた。
「異国の神を認めよと、この我に言うか」
「言いまする。わらわもまた、それに近いものでしょう。八百万の一つとして、天逆毎様に認めて頂きたい」
これもまた昔話のようなものだ。
集めた信仰は充分。次に必要なのは、天逆毎という神が認めることで、日本独自の神として【冥王ハーデース】から【賭博神ハーデス】へと正式に存在を変えられる。
由緒が怪しいという点でも、天逆毎は適任だ。
「カカカカ、我に頼み事とはなァ」
鳴髪小夜子が口を挟んだ。
「おい、あまざけ。お前そんなイジワルするなよ。ロキとかいうのは異国の神だが、子供のためなんだし可哀想だろ」
小夜子は少し驚いた。意外な援軍である。鳴髪小夜子のことだ、てっきりロキなど斬り殺したらいいとでも言うと思っていたからだ。
「鳴髪小夜子よ、お前がそれを言うとはな」
「女のためにそこまでするヤツなんだろ? だったら嫌いじゃない。それに、魔王になるのなら、その時に始末をつけてやる」
恋愛脳であったな、と小夜子は思い出した。
トミーは女の話し合いには口を出さない主義だ。
黙って頷いており、空いた杯に酒を注ぐのみである。
「で、頼みごとをする者が姿を見せぬというのはどういうことか」
お前が暴れるかも知れないからだろうが。というのを小夜子は呑み込む。神というものは非常にやり辛い相手だ。
トミーがここで口を挟んだ。
「天逆毎さん、あれやったら今から呼びますんで、どうか話をしてもらってええですか?」
「ほう、貴様が審神者であるか。是非も無い、顔を見させい」
これには小夜子が驚いた。やはり、神にしか分からぬことがある。まさか、トミーがいつの間にかハーデース様の審神者となっていたとは!
審神者とは、神道においては神託を受け神の意を伝える者のことだ。
トミーはスマートフォンでハデス氏に通話して、来てくれるよう頼む。
一陣の風が吹いた。
死気の混じる、冥界の風である。
ゆらりと本殿へ続く参道が陽炎のように歪み、そこから壮年の男が姿を見せる。
それは言うまでもなくハデス氏だ。しかし、いつものスーツ姿ではない。
ギリシアにおける王の装束をまとった正装である。
「お初にお目にかかる。日ノ本の麗しき神よ、私はハーデースと申す者」
「ほう、なかなかの神気。御名は存じぬが、異国でもなかなかの立場にある者か」
「うむ、祖国では冥界の王である」
「ここへ参られよ」
ハーデースが本殿へ上がる際、結界を踏み砕いたせいでその足に火傷を負った。天逆毎のイジワルである。
小夜子は頭を抱えたくなった。天逆毎は、そういう神だ。ケンカを売るような真似をしないはずがない。
「お招きに与り光栄だ」
「我は天逆毎姫。天狗の母にして嵐の娘である」
鳴髪小夜子が立ち上がった。
「お前ら、挨拶が長い。あまざけ、もういいだろ。パチンコの神がいても、どうでもいい。それに、こっちの味方をするなら好都合だ」
そう言った後に、鳴髪小夜子は本殿のご神体である鏡の前に置いてあった杯を取ってくると、そこに酒を注いでハーデースへ手渡した。
「おい、鳴髪小夜子。台無しにするでない」
鳴髪小夜子は天逆毎を無視して、ハーデースに向けて言う。
「こいつは酒が入っててな、無礼は許してくれ。お前が悪いヤツじゃないなら、わたしは斬らん」
ハーデース様もこれには面食らった。そして、小夜子と同じだけの怪物がいたということにも驚く。見ただけで神殺しと分かったからだ。
「恐るべき女戦士よ……。馳走になるからには、私も返礼をせねばなるまい」
冥王ハーデースは虚空に手をかざして、虚空から物品を取り寄せた。
小夜子は目を見開いた。それは、その奇跡にではなく、取り出した果実にである。
「これが我が祖国の黄金の林檎。神の命となるものである」
黄金の林檎、現世には存在しない【あちら側】の果実。
「非時香果とは! それを我に贈るというのか」
「これを誠意と受け取って頂きたい。私は、友のために願う。天逆毎姫よ、どうか私を日ノ本に受け入れて頂きたい。それ以外に二心は無い」
天逆毎という神には苦手なものがあった。
それは、昔話などでも伝えられている。舌切り雀、花咲かじいさん。異国であれば金の斧に銀の斧。
実直に来られると、天逆毎は抗えない。つまり、神話級のツンデレなのだ。
「うぬ、ぬぬぬ」
天逆毎としては、鳴髪小夜子だけならまだしも、面識の浅い小夜子や初対面のトミーがいる前でデレるなどもってのほかと抵抗する。
「あまざけ、そいつ嘘は言ってないぞ。お前もそういうヤツは好きだろ」
「ええい、貴様は我をいつまでも甘酒などと言いおって!」
「ブブー。話を逸らすのはお前の悪い癖! あまざけ、本当は認めてるだろ」
鳴髪小夜子はいつもそうやって真正面から来る。そこが気に入っているとはいえ、場をわきまえて欲しいと思う天逆毎であった。
見かねたトミーが、ここで動く。
「天逆毎様、つまみとか手配してますんで歓待を受けてくれまへんでしょうか? 若松ッ、用意してたおつまみ持ってきてぇっ!」
本殿の外でじっと様子を見ていた若松は、「へい、ようがす」とあえて大声で返答する。
何か言おうとする天逆毎だが、被せるようにしてトミーが先に言葉を続ける。
「小夜子ちゃんから、ピザがお好きって聞いてます。若松ッ! ドミノピザに電話や!」
すかさず若松が「よろこんで!」とこれまた大声で返事をした。
「う、むむむ、ピザとは酪の乗ったアレか。審神者が我をもてなすと言うのであれば、進物は受け取ろう。ハーデース殿、座られよ。日ノ本へよう来た」
天逆毎が折れた。
その瞬間、ハーデースの存在に変化が生じる。
冥王ハーデースから、賭博神ハーデスへ。
「なんという神気か!」
天逆毎もこれには驚く。
ハーデースはハーデスへと変じてその姿までもが変わっていた。
古代ギリシアには存在するはずの無い、全身を覆う禍々しい意匠の板金鎧。それに、赤いマントまでも着こんでいた。さらにその手には、冥王の二又槍がある。
「おおっ、ハーデス様やんけっ! パチスロそのままやっ。すげぇ!!」
トミーだけが大喜びしている。
それ以外の皆は、誰しも声が出せないほどに驚愕した。
いくらパチスロの民から信仰を得ていたとしても、ハーデースは異国の神である。それが、日ノ本に受け入れられただけで、これほどまでの神威を得るなど、想像もしていなかったのだ。
ハーデス自身も驚き、困惑していた。
信仰と力はまだまだ膨れ上がり、ハーデスにも制御できない動きが生じた。
なんと、寂れた神社に佇む苔むした狛犬が動き出すではないか!
動き出した狛犬が身体を振るわせれば、石の外皮が砕けて三つ首の黒犬へと変じている。
あふれ出た信仰により、冥府の番犬ケルベロスが召喚されたのだ!
さらに、大きな変化があった。
本殿に置いてあったご神体の鏡が輝いて、その姿を変じさせる。
ビキニアーマーに桃色の髪をした女神。明らかに歴史的な装飾とは無関係なその御姿は、パチスロ機における冥府の女王ペルセポネ様であった。
「あなた、どうしてわたくしが地上に……。今は冬でもないというのに」
「おお、我が妻よ。冬以外でそなたに会うことができようとは……」
見つめ合い、ひしと抱き合うハーデスとペルセポネ。
開いた口が塞がらないという状況で、トミーだけが興奮していた。
「ゴッド引いた! ゴッド引いたんや!」
恐るべきはパチスロの民か。
ここに、賭博神ハーデスが誕生したのである。