小夜子と淫魔と美少年退魔師と
篠原大樹はとある普通科高校に通っている。
中学生の時は目立たないごく普通の男子で、オタク趣味があるというだけで個性というほどのものはなかった。
高校一年で急激なイメチェンに成功。
なんというか、色気がある。
詰襟学生服に学帽、左目に眼帯をしている。事故で左目を失ったということで、ゴスに目覚めたという訳ではない。
艶やかな黒髪と切れ長の瞳。厚みのある唇という、生来の女顔が引き立つ色気だ。
霊力を得るため、邪悪な木霊が宿った霊樹と交信したことによる副作用である。
木霊に良いものなどいない。
人を惑わす悪しき霊であるからには、その特性を受けての変質であった。
「うん、なかなかの美少年ですね」
ファミレスで対面している聖蓮尼は、そのように大樹を評した。
「ここは、喜んでおくべきですか?」
大樹はどこか皮肉気にそんな返答をする。
「褒めたつもりですよ。それはそうと、鳴髪の言っていたことは本当のようですね。あなたも、相当の地獄を見たのでしょう」
聖蓮尼にはそれが分かる。
あまりにも地獄にいすぎると、魂魄が瘴気に順応するものだ。現代の退魔師で、ここまで地獄に耐性がある者はそういない。
「地獄界顕現をやったヤツがどこかにいます。小夜子さんと僕は、それを見つけ出しますよ」
「なるほど、若菜姫もその一つですか」
聖蓮尼がそう言った時、店員さんが苺パフェと抹茶パフェを運んできた。
抹茶は聖蓮尼のオーダーで、大樹は苺だ。
「大樹くん、とりあえず食べましょう。いただきます」
「いただきます」
甘味は良いものだ。
大樹は未来での経験から、甘いものが好きになった。鳴髪小夜子とのデートは、だいたいケーキバイキングなどに立ち寄っている。
ファミレスのパフェは普通に美味い。
苺パフェといえば、しっかりした苺が添えられているし、ソースも酸味が効いて甘すぎない。
元々、大樹は甘いものなどそこまで好きではなかったというのに、未来を経験してから味覚が変わったのか、今ではスイーツが無いと落ち着かないようになった。
誰でも分かるくらいには、美味しそうに食べているようだ。
「……大樹くん、エロい食べ方をしているのはどういうことですか?」
「え、そんなつもりはないんですが」
美少年がエロい感じで食べている、という絵面であった。
店内のお姉さん方からの視線が集まっている。
「鳴髪が自慢するだけありますが、魅惑の呪に近いものですよ。それを抑える修行が必要ですね。最近、モテるでしょう?」
「学校で、何かとそういうことがありました。未来ではこんなこと、なかったんですが」
かつての記憶にモテたなんてものは無い。
地味の陰キャでしかなかった。
「木霊のような人を惑わすモノと契ったせいです。……しかし、その荒行を退魔師が主導してやるとなると、相当に追い詰められていましたか」
素人を無理矢理な方法で戦えるようにするための荒行である。
こんなもの、まともな退魔師なら弟子にだって行わない。明らかな邪法だ。
「あの未来にはさせません」
「鳴髪もそう言っていました。ここまで揃ってしまったのなら、私も信じるしかないでしょうね。篠原大樹くん、直々に修行をつけます。若菜姫の調伏、この私が見届けましょう」
聖蓮尼もまた、覚悟を決めた。
現役時代の鋭さを取り戻さねばならない。
「それで、どうして鳴髪と恋仲に? 知りたいので教えて下さい」
鳴髪小夜子の恋バナはねったりしており、聞いていると異常に疲れる。
不愉快な惚気話はあまりにも一方的で真偽が知れないところもあり、大樹からも聞きたいと常々考えていた。
「そういうの、恥ずかしいんですが」
「言いなさい。これは命令です。後見人になるからには、それなりに把握しておきたい」
地獄の未来で部下として支えている内に、そういう気持ちになった。
お互いにそれを察していたが、童貞と処女で全く経験が無かったことが災いして、ずっとそうなれなかった。だけど、最期の瞬間にようやくそれを伝えて、二人して死ぬ。
「あの時、もう少し時間があればよかったんですが。でも、また会えた」
詰襟学生服で眼帯をつけた美少年が言うそれに、聖蓮尼はキュンと来た。
「大樹くん。正直、鳴髪のことは今でも性犯罪者だと思っていますが、その言葉はポイントが高いですよ」
こんな雰囲気で「でも、また会えた」が言える美少年ならば、味方せざるを得ない。
「そ、それはどうも、ありがとうございます」
そんなことを話していると、待ち人が来る。
異様な気配に大樹は鋭い視線を出入り口に向けた。
来客を知らせるベルと共に現れたのは、派手な和装の少女だ。彼岸花と髑髏の柄が入った和装など、まともではない。
黒髪ロングの和装美少女は、聖蓮尼に気づいて手を振った。
「なんですか、あの化け物は?」
大樹が問うと、聖蓮尼は苦笑を浮かべた。自らも、最初はそう思っていたからだ。
「あれは味方です。間宮小夜子さんというのですよ」
大樹の目に、小夜子はとてつもない怪物として見えている。それは、未来の地獄にいた魔王と同じように。
一方そのころ、若菜姫討伐のために鳴髪小夜子も仕事をしていた。
鳴髪小夜子は、小雨が降りしきる夜の繁華街を歩いていた。
長身の鳴髪小夜子には、二重廻しの外套がよく似合った。街に溶け込むには無理がある装束だが、汚れるであろう仕事には適している。
鳴髪小夜子は目当ての雑居ビルを見上げて、スマートフォンで地図を確認した。
風俗店や金融屋の入っている街の悪所。
階段で三階に上がり、風俗店の看板がかかった部屋に入る。
「いらっしゃいませ」
細身のスーツを着た男が出迎えてくれた。
「ここに、若菜という女がいるだろう。そいつを出せ」
「……そんなコはおりませんね」
「おい、今なら痛い目に遭わなくて済むぞ」
男が何か言う前に、鳴髪小夜子は抜刀する。
刀の切っ先が、男の喉元にぴたり。
「ここでそんなもん出すとか、生きて帰れると思ってんのか?」
男の顔が崩れていく。妖物に乗っ取られていると分かる、ゾンビのような溶けた顔だ。
「お前ら程度のバケモノが、このわたしを殺せると思ってるのか? まあいいさ、全員殺したら目的は達成だ」
「舐めてんじゃねえぞ。頭ねじ切って玩具にしてやるぜ」
鳴髪小夜子は口元に笑みを浮かべた。
刀の切っ先が魔法のように動いて、男の首を刎ね飛ばした。
「ヒヒヒ、この程度で俺らが死ぬと思うなよ。地獄界じゃ法力なんて届かねえんだよ」
本来ならば、首を落とされれば妖物でも死ぬ。しかし、このビルは妖物の支配により疑似的な地獄界だ。だから、魔に属する妖物は無限の力を得ることができる。
「知ってるさ。瘴気には慣れてる」
未来の地獄は、これ以上の瘴気に充ちていた。だから、鳴髪小夜子にとって疑似地獄は脅威にならない。むしろ、快適ですらあった。
「お前、こっち側かよ。なんでっ」
「この世を守るためだよ、バケモノ。お前らが来た地獄へ還してやる」
男の溶けた頭を踏みつぶした鳴髪小夜子は、奥から現れた妖物たちを同じように切り裂いていく。
刀と拳銃で切り込むだけの容易い仕事だ。
「お待ちください、退魔師殿!」
妖物たちを押しのけて、狐耳の女が現れた。
ここで風俗嬢の仕事をしているのか、スケスケのベビードール姿だ。
気配から言ってどこかの神崩れか、それとも野狐の類いか。いずれにせよ、鳴髪小夜子からすれば敵でしかない。
「待つと思うか?」
「お探しの若菜姫はここにはおりません。我ら、最低限だけしか人を喰らわず生きております。何卒、何卒、その剣をお納めください」
「うーん、無理」
鳴髪小夜子は言いながら拳銃を抜いて、撃った。
霊力を込めた弾丸が、狐女の太ももを貫く。
「がっ、お、お願い致します。何卒、何卒、このわたしの命で済むのならば」
血を流しながらも、立ったまま狐女は懇願する。
鳴髪小夜子の口元に浮かぶのは、凄惨な笑み。
悪鬼羅刹と呼ぶに相応しい凶相であった。
「なあ、お前、狐じゃないだろ。よく似せてるけど、人間みたいな形をとってて太ももを撃たれたら、こけないとおかしいんだよ。分かるか?」
「な、なにを」
「お前、狐じゃないな。上手く誤魔化してるが、違うだろ。あれだな、サキュバスの類いか」
「そ、そうです。わたしたち、風俗で生きてるだけで、人の害にはなってない。だから」
鳴髪小夜子は少しだけ考えて、銃を懐に戻す。
「情報を出したら殺さないでおいてやる。蜘蛛の大妖怪、若菜姫の居場所だ」
「本体の居場所までは分かりませんが、分身でしたら幾つか知っています。おい、データベースから、印刷して渡せ」
狐女が言うと、部下であろう男が事務所のパソコンで印刷を始めた。
社会性妖物はテクノロジーを使うし、人と共存することもある。しかし、それでも妖物でしかない。
間宮小夜子が屍食鬼を手懐けたように、使役魔にすることもあった。
「退魔師殿、情報でしたらいつでもお渡しできます。我々は役立ちますので、何卒、刃をお納めください」
おずおずと差し出されたコピー用紙をちらりと見やれば、住所と免許証のコピー画像がある。
「いいだろう。今日のところは帰るし、見逃してやる」
狐女はほっと安堵した顔になった。
サキュバスに代表される淫魔というものは、人間に上手く化ける。その表情が本物であるかは分からない。
「退魔師殿、若菜姫は縄張り荒らしですが、かの大妖怪には太刀打ちできませんでした。始末して頂けたら、お礼を致します」
「邪魔をしたな。また来るよ」
鳴髪小夜子はくるりと背を向けて去った。
淫魔たちはその背を見送る。
この取引は後々になって意味を持つ。そして、それは未来の傾きの一端でもあった。
聖蓮尼の待つファミレスで篠原大樹と顔合わせした小夜子は、めちゃくちゃ喜んだ。
テンション爆上げでウレション寸前と言ってもいい。
「お、おおおお、闇色美少年!! わらわ、ようやくこういうのに会えたぞ。そうじゃ、こういうんを待っておったんじゃ!」
聖蓮尼は笑いをこらえきれず噴き出す。
「ぶふぅ、や、闇色美少年。いいですね、実に昭和です。80年代風なとこがいいですよ」
「そうじゃろ。ハイパー伝奇小説から抜け出したようなんを待っておったんじゃ。アレじゃろ、香港とかの出身ではないんか?」
「な、なんですかこの人は? 変なあだ名はやめて下さい。それから、日本から出たこともないですよ」
大樹は小夜子に対して「この人、苦手だ」と思った。
自分の恋人と同じ名前というだけで気を遣う部分がある上に、最初がこうならそれは仕方ないというもの。
「いやいや、すまぬな。わらわは間宮小夜子じゃ。鳴髪殿の良い人だというのは聞いておる」
「篠原大樹です。鳴髪さんとは真面目にお付き合いしています」
「名前のことは気にせんでもよい。本題の若菜姫とは別でな、篠原に頼みたいことがあるんじゃ」
「なんですか? 無理なことでなければ、聞くだけは聞きます」
小夜子と聖蓮尼は苦笑した。
会話の中で契約呪詛をされないように大樹は言葉を選んでいる。退魔師であれば当たり前ではあるのだが、若い世代には分かっていない者も多い。
「鳴髪小夜子殿と、その妹のクルミンじゃ。仲が悪いようじゃからな、仲直りとは言わんでも、身内付き合いができるようにはしてやりたいと思っての」
大樹は困った顔になった。
鳴髪家の家族関係というのは修復不可能なところにある。
大樹も身内になるつもりだが、疎遠という程度に納まれば御の字と考えているくらいであった。
「それは、難しいですね」
「私からもお願い致します。人様のご家庭に口を挟むつもりはなかったのですが、知れば知るほど不憫でしたので」
聖蓮尼までがそう言う。
結局のところ、知り合ってしまうと放っておけないという独善である。
悪い人たちではないのだな、そのように大樹は思った。
それでも、難しいものは難しい。