くるみと色部とバーモントカレー
鳴髪くるみが色部のところにやってきて、数日が経過した。
お互いが抱いた印象は、なんだか気に入らないヤツ、である。
気持ちとは無関係に、色部は仕事に対して非常に真面目だ。
まずは、事務所でくるみの身体検査を行うことから始まった。
「ちょっと、裸になれってどういうこと」
「どうもこうもあるか。お前に何ができるか、霊力の通り方を調べるだけだよ。ガキの裸を見たところで何も無いから安心しろ」
渋々ながら裸になったくるみの肌に、色部は手を当てる。
くるみはびくりとしたが、その手つきは医療従事者がやる検査と同じで、それ以上のことは何も無い。
先日、伊邪那美大神が憑依した際の聖痕にも、直に触れて調べていた。
「その、まじまじ見ないで」
「資料的な価値がある。キミに配慮して撮影もしてないんだ。少しは我慢しろ」
八雷神が絡みついた聖痕は、股にもあるため恥ずかしいなんてものではない。手足や首は我慢できるが、股間に至ってはエロコスで人気の淫紋のようにも見える。
「だいたい分かった、服を着ていいぞ」
メモにボールペンで何事か書き入れながら言う色部は、メガネのつるを中指で直す。
「どう、霊力は使えるようになりそう?」
「忌々しいことに、間宮のクソガキは適切な処置をしているよ。雷神の術を使ったら、暴走するのは確実だな。その聖痕、一つ一つが増幅器だよ。お前は身体が弱すぎて増幅に耐えられない」
「どういうこと?」
「出力が強すぎる増幅器につないだ小さなスピーカーは火を吹いて壊れる。それと同じ理屈だ。霊力は機械的な動きをしてるんだ。電気回路を覚えると役立つ」
色部が言っていることは正しい。
霊力自体は意味不明なものでも、その運用方法は電気の流れに似ている。
整流や交流、抵抗、様々な考え方ができる。それらを無視できるのは、怪物的な天才に限られる。
「ふうん、メカは興味ないけど」
「女はそれがダメだな。お前の場合は、増幅に耐えられる身体を造る必要がある。だが、この仕事には時間が足りん。だから、正攻法を使う」
服を着ながら返事をしたくるみは首を傾げた。
「木っ端退魔師が頼る銃火器の取り扱いだよ。一か月あれば、それなりにできるさ。そのための教官も手配した」
「ちょっと、銃火器って本当に木っ端の使うもんじゃない!? 鳴髪の嫡子がそんなの使ったら」
「そんなもんに頼れないから、十家に反発するヤツが増えるんだよ。私もそうだ。なんで仕事を受けたか分かるか? 鳴髪家をコケにできるからさ」
色部は悪党じみた笑みを浮かべて、くるみに向き直る。
シャツのボタンを留めていたくるみは、歯を食いしばって色部を睨みつけた。
「着替え中は見ないで」
「今は私が教育係だ。我慢しろ」
裸を見たところでなんとも思っていないのは、くるみとて雰囲気で分かる。
「サイテー、セクハラ野郎」
「お前に興味はないよ。もう少し成長してから言うんだな」
こいつ、嫌いだ。とくるみは思う。
色部も口の減らないくるみが気に入らない。しかし、こうやって言いくるめるのは気分がいいものだ。
陰険で神経質な男と、生意気な小娘の生活はこうして始まった。
修行は銃火器の扱いを覚えることから始まった。
くるみも学生ながら退魔師として活動していたこともあり、基礎体力は可もなく不可もなく。
雷神の術に頼り切りだったこともあって、銃火器についてはほぼ素人。仕事柄、多少は触ったことがあるという程度だ。
くるみへの指導は、都内某所の秘された地下訓練場で行われた。
色部は公安に貸しがあるということで、公安局から教官まで引っ張ってきている。
担当の女性局員は、くるみに銃の分解から基礎的な射撃訓練を行った。
「うん、色部さんからの紹介でどんな子が来るのかと思ってたけど、くるみちゃんは筋もいいわね」
局員は親切な女性で、懇切丁寧にくるみに教えてくれた。
「親切にありがとうございます」
「外部の人に変なことはしないわ。それに、物覚えも悪くないし。どう、公安もいいとこよ」
「あ、いえ、今はまだ」
「あらそう。名刺を渡すから、いつでも連絡してね」
一日八時間の訓練を終えたら、色部の自宅兼事務所へ戻る。
色部は事務所で何か調べものをしているようだ。
外食に飽きていたくるみは、帰りにスーパーで食材を買ってきていた。
誰でも簡単に作れるものということで、カレーを作る。
「色部さん、台所を借りるけど」
「好きにしろ。渡したサプリメントは飲み忘れるな。それから、食いすぎるなよ」
いちいち一言多い男だ。
バーモントカレーの箱には作り方の記載がある。
材料を切り分けたら、その順番で作っていく。
お米は炊飯器があるかすら分からなかったので、レンジで温められるご飯を買ってきた。一応、二人分だ。
「ええっと、これでいいのよね」
具材を炒めてから、水を入れて煮る。
ルーの分量も箱に書かれた通り。
買いすぎた食材を全部使うために五人前近くになるが、こうなっては止まれない。作ってしまおう。
「ええっと、火を止めてからルーを入れて」
「お前、どれだけ食べる気だ」
「ひゃっ」
背後に忍び寄っていた色部に言われて、くるみは飛び上がりそうになった。
「いきなり後ろから声かけないでよ」
「匂いのするものを作るなら先に言え。カレー、どれだけ食うつもりだ」
「あんたの分もあるの! 一人分だけ作れないでしょ」
「……まあいいが、今後は一人分だけ作れるものにしろ」
色部は食材を無駄にするのが忍びないという貧乏性だ。それがあって、二人してカレーを食べることになった。
使われていないのに綺麗に整えられているキッチンのテーブルで、並んで席に着く。
「あ、福神漬ッ。忘れてたわ」
くるみは福神漬派だ。らっきょうは苦手である。
「らっきょうが無いのが痛いな。それに、ご飯もレンジのヤツか」
色部はらっきょうが好きだ。それだけで酒が飲める。
「炊飯器が無いからでしょ」
「前に使っていたのは故障したから捨てた。一人では、そんなに使わないんだよ」
「ふうん。食器とか鍋はあるのに、ヘンなの」
色部は小さく息を吐いた。
「前に住んでたのが残していっただけだ。処分するのももったいないだろう」
「なあに、別れた奥さん?」
「結婚なんかするように見えるか?」
「分かんないし興味ない」
色部は苦虫を噛み潰したような顔になる。彼自身、饒舌になりすぎたことに言った後で気づいたのだ。
「だろうな。若いのはそれでいい。ごちそうさま」
「作りすぎたから、明日もカレー食べてね」
「……分かった」
電子レンジでチンするご飯というのは、どうにも味気ない。
翌日も同じような日々が続く。朝はコンビニで買ってきたパンかおにぎりを食べて、銃の訓練に向かう。
本当にこんなもので大妖怪とまで呼ばれるものと戦えるのだろうか。
雷神の術を使えないというだけで、くるみの人生は変わってしまった。
胸に穴が開いたような気持ち。
そのように言うと大げさだと、くるみは思う。
今まで自分の性格や立ち振る舞いというのは、『鳴髪家の嫡子』というものが芯になっていた。
雷神の術が使えなくなって、母から早く子供をつくれと言われて、それが特別にショックだったかと言われたら、そうでもない。
家出してみたけど、すぐに連れ戻されて母の言うことをきくのだとどこかで思っていた。なのに、今はよく分からない男のところで修行している。
銃を分解して、組み立てる。
三時間それを繰り返したら、食事休憩。
公安の女性局員が買ってきてくれた、ハンバーグ弁当を食べる。体力勝負だから、肉を食べるべきだと言う。それから大盛りのサラダも。
文句は言わない。
修行はそういうものだから、くるみは文句を言わない。
雷神の術の修行は、身体が痺れて子供のころは泣いていた気がする。
幼いころは、姉と遊んだ。それに、修行が辛くて泣いた時には慰めてくれたこともあった。だけど、いつしか口も利かなくなった。
家の皆は、アレを落伍者だと言う。
母はアレになるなと言った。だから小馬鹿にしていたし、急にイメチェンした時は痛めつけようとしたら、逆にボコボコにされた。
昼の食事が終わったら、拳銃を撃ち続ける。
動かない的に当てるのには慣れてきた。修行というのはそういうものだ。何度も何度も反復練習をする。
雷神の術も、拳銃の射撃訓練もそれは同じ。
疲れてくると、頭がふんわりする。
「休憩しましょう。飲み物を持ってくるわ」
女性局員の言葉で、手を止めた。
全身が汗みずくで、疲れている。
くるみはプロテイン入りのドリンクとサプリメント飲んだ。
女性局員は、訓練場の隅にある喫煙場で煙草を吹かしていた。
「煙草、美味しいのかな」
そういえば、姉も煙草を吸っていた。くるみは思い出す。
くるみの知る姉、鳴髪小夜子はいつもおどおどしている情けない女だった。悪趣味なフリルだらけの服などを着こむのも、見ていられない。
それが、今はモデルみたいな着こなしで堂々と歩くようになった。
「間宮さん、友達でいいのかな」
家出した当初、取り巻きだった連中はみんな言葉を濁すだけで何もしてくれなかった。
間宮小夜子だけが、「困ってるなら来てよいぞ」と言ってくれた。
間宮小夜子さん、若松くん、ギャル谷さん、ヘンだけどいい人たち。くるみはそう思っている。
間宮屋敷のご飯は美味しいし、古いゲームをしたりテレビを見たり。なんだかいいところだった。
休憩を追えたら、今度はライフルでの射撃訓練が始まる。
雷神の術が使えないだけで、こんなことをしなくてはいけない。それでも、修行自体を苦しいとは感じない。
雷神の術はとにかく苦しくて、電気が身体を流れる時の痛みにはもう慣れ切っている。それと比較したら、銃は楽だとも思える。
今日の訓練が終わる。
「くるみさん、流石ですね。これだけ同じことをしていると、辛くなるものなのに集中も維持してますし、射撃姿勢も申し分ない」
「ありがとうございます。修行は、慣れていますから」
「そう、ある程度の事情は知っています。公安は、いつでもあなたを迎え入れますよ」
「ありがとうございます。考えておきます」
公安は鳴髪家の関係者を取り込みたいという考えもあるのだろうが、賞讃自体は本物だ。彼らは、そこに嘘をつかない。
くるみは帰途につく。
夜の街は猥雑で、知らない世界が広がっている。だけど、楽しそうだとは思えない。どれも興味を惹かれないからだ。
同年代の派手に着飾った子供たちが楽しそうに歩いていて、別世界の出来事のようで、不思議な気がした。
色部の事務所に帰り着いて、残りのカレーを食べようと思った。
「ただいま。今日も台所を借りるから。福神漬とらっきょうも買ってきたし」
「ああ、好きにしろ。掃除するなら自由にしていい」
キッチンに向かうと、真新しい炊飯器があった。横には米びつまで用意されていて、ササニシキが詰まっていた。
「買ったんだ。変なヤツ」
二日目のカレーは美味しいから、ご飯も美味しくしたくなったのだろうか。
色部のような男がそんなことを考えているなどと想像したら、笑えてきた。誰でも、いつだって美味しいものを食べたい。
「色部さん、今日もカレー食べるの?」
隣の部屋で事務仕事をしている色部に、声を大きくして問い掛ける。
「これ以上置くと腐るだろう。食べるから、炊飯器と米は自由に使え」
色部も、そう大声で返答した。
「人の作ったもの食べるんだから、偉そうにしないでよね」
くるみのそれは、小さな声の独り言。
真新しい炊飯器は、美味しく炊けると評判の高級なタイプだ。
説明書を見ながら、二合を炊いてみることにした。余ったら、明日の朝食に回したらいい。
「色部さん、ちょっとお買い物してくる」
「好きにしろ。夜遊びはするなよ」
事務所近くのスーパーに行って、お味噌と『ご飯ですよ』と味付け海苔に、卵も買ってくる。料理は下手だけど、くるみだっておにぎりとお味噌汁に目玉焼きくらいは作れる。
間宮屋敷での朝食は和食だったから、食べたくなった。
最新の高級家電は凄い。
ご飯は驚くほど美味しく炊きあがる。
カレーは二人で全部食べることができた。




