小夜子と鳴髪くるみと伊邪那美様
一回戦の試合は全て終了した。
退魔十家の関係者が6人に、小夜子とレンジを加えた総勢8名による勝ち上がり戦となるため、勝負は三回戦が決勝である。
二回戦進出は、間宮小夜子、花ケ崎レンジ、道反誠士、鳴髪くるみの四人。
第一試合は小夜子と鳴髪くるみの試合となった。
魔王からの浸食が止まった小夜子は、万全で望める。相手があの鳴髪小夜子の妹ともなれば、気合が入るというものだ。
短い休憩時間の後に、聖蓮尼がマイクのスイッチを入れる。
『盛り上がってきましたね。では、二回戦の第一試合、間宮小夜子さんと鳴髪くるみさん、前に出て下さい』
小夜子が校庭に出ると、すでに相手は待っていた。
鳴髪小夜子が生まれついての長身であるのに対して、妹であるくるみは小柄であった。
「間宮小夜子じゃ。よろしく頼むぞ」
くるみは小夜子の言葉を無視した。
金色の髪は生まれついてのものだろう。そして、同じ色の瞳もだ。雷神の血が色濃く出たものか、すでに全身に雷を纏っている。
「姉上殿とはかなり違うようじゃの」
「あいつと知り合い?」
険のある声音でくるみが返事をする。いきなりケンカ腰だ。
「縁があっての、つい先日に知り合ったばかりじゃ。あれほどの悪鬼羅刹が現世におるとは、驚いたものよ」
恐るべき魔人、鳴髪小夜子。同じ名の彼女は、魔王と並ぶ脅威である。
「へえ、じゃあさ、あたしが雷神だってこと教えてあげる」
金色の瞳には憎悪が充ちている。姉が悪鬼羅刹なら、妹は夜叉か。
小夜子は笑う。なかなか面白いと思ったからだ。
『死合、はじめ』
聖蓮尼が告げると同時に、雷光が走った。
「死いぃぃねぇぇぇ」
先手必勝とばかりに繰り出されたのは、くるみの放つ雷撃だ。両手を起点として放つ、技も何も無い遺伝形質に依存した退魔術である。
普通の退魔師であれば、この一撃で衰弱死してもおかしくないという使い方だ。しかし、鳴髪くるみという、雷神の血が色濃く出た少女に限っては、最も有効な力の使い方となる。
「わらわでなくば、死んでおるぞ」
小夜子は雷撃を左手で受けている。手の平はすでに炭化していた。
「死んじゃえよッ」
「その意気は良いが、んんん、お前、わらわを見ておらんな」
雷を左手で受けながら、小夜子は歩を進めた。
夜叉の顔で雷撃を放ち続けるくるみは、小夜子が近づいてきているのも分かっていない。瞳の金色が強く輝いている。
そうして、小夜子はくるみの眼前に立った。
「なんで、なんで死なないの」
「なんでって言われても、わらわ、この程度では死なんとしか言いようがないんじゃが。とりあえず、少し頭を冷やして相手をしっかり見よ」
小夜子はそう言って、くるみの額を炭化した指先で押した。
尻もちをついたくるみは、小夜子を見上げる。
「あ、あああ、や、ヤダ」
ガタガタ震え出したくるみ。
情緒不安定にしても、これは相当よろしくない。小夜子はじっと、くるみを見て理解する。左足に雷神の気配がある。
「どうにも懐かしい気配がするかと思ったら、鳴雷様であったか」
「やだああ、死にたくない」
鳴雷とは、黄泉の国で伊邪那美大神に絡みつく蛇の形をした雷神である。
ゾンビ状態の伊邪那美様と共にある、死の神の一つ。
小夜子の瞳には、本来であれば伊邪那美大神の左足に絡みついているはずの鳴雷様が、くるみの左足にいるのが見えている。
「ふうむ、これでは頭もおかしくなろうな。よし、ここは色々と聞きたいこともあったし、黄泉平坂にでも行ってみるとしようかの」
小夜子は炭化していた左手を再生させて、くるみの頭をつかんだ。
「新技じゃ。共に行こうぞ」
地下東京のエリンギ様から与えられた菌糸ネットワークによる魔技が炸裂する。
左手から伸ばした菌糸により、くるみの体内に侵入する。そして、体内を掌握した後に仮死状態へ至らせる。
疑似的な死によって、黄泉の国へと向かおうとする魂魄に己が魂魄をつかまらせて、黄泉平坂へ向かうのだ。
この瞬間、小夜子とくるみは死んだ。
いつしか、くるみは歩いていた。
暗い昏い坂道を下っている。
薄ぼんやりとした気持ちで、行かねばならないところへと歩いていく。
長い長い坂道、途中で座り込みそうになると、手を引いてくれる人が抱き起してくれた。
ぼんやりと、幼いころはこうして誰かと手をつないで歩いたと思い出す。
どれだけ歩いただろうか。
数分なのか数年なのか、長い時間のようでもあるし、ほんの短い時間のようでもある。それすらも判然としない。
坂道を下りきって、暗い場所にいる。
ああ、ここはとても落ち着く。
ここで静かに佇んでいられるのだとしたら、とても安らぐ。泥のように眠りたい。
「これ、寝ては本当に死んでしまうぞ」
手を引いている誰かが、そんなことを言う。
その手から伝わる温もりで、眠気が薄れる。
「鳴雷様、そろそろ足に絡みつくのをやめて、伊邪那美様のところに案内してたもれ」
生まれた時から左足に取りついていた蛇は、くるみの足から外れてにょろにょろと地面を這う。
蛇に先導されて、歩いていく。
「伊邪那美様よ、わらわが参ったぞ。今のわらわであれば、そのお言葉も聞き取れまする。拝謁願いたい」
手を握っている誰かがそう言うと、奇妙な女たちが現れた。怪物のような顔の醜い女官たち。
ああ、バケモノだなあと思っていると、女たちは二人を担ぎ上げて、ライブハウスでミュージシャンがやるダイブのようにして運んでいく。
「黄泉醜女たちが来てくれたらもう少しじゃ。手をしっかり握っておれよ」
怪物の女たちに運ばれるのは、なんだか面白かった。人の手で持ち上げられて運ばれていくというのは、とても楽しい。
「ふふ、あははは」
「そうやって笑っておるほうがよいぞ。良い子じゃ」
幼い時は悩みもなくて、毎日が輝いていた。
誰かと手をつないで歩いていた気がする。それが当たり前で、罪もなかった。明日が楽しみだったのに。
ふと、気が付くと神社のような建物の前にいる。
奇妙な女たちは姿を消していて、手を引かれて歩く内に、拝殿のような場所に辿りついた。
「伊邪那美様、どうしてわらわを現世に戻し、八雷神の一つ鳴雷様まで向かわせておられるるのか? 現世をどうなされたい。わらわが【悪】だというのなら、好きにさせてもらうぞ」
ああ、恐ろしいものが来る。
くるみは逃げたいのに、握られた手は固くつながれていて、振り払えない。
「暴れてはいかん。ここで手を離せば、本当に死んでしまうぞ」
暗闇の奥の奥から、恐ろしいモノが来た。
くるみはぎゅっと目を瞑る。
見てはいけない。見たら、目が潰れる。
「そのような御姿でお出でになられるとは。伊邪那美様、どうしても話をして頂けぬというのか」
恐ろしいモノの声が聞こえた。
くるみには、それが何を言っているのかは全く理解できない。
神の言葉というものは、安倍晴明が母の声を失ったように、人には聞き取れないものだ。
「ぬぬぬ、なぜわらわに対して荒ぶるのか。ええい、ここは仕方あるまい。この娘の穢れだけでも落とさせてもらうぞ。退散じゃ」
来た道を、凄まじい速さで跳ぶように走り抜けていく。
黄泉の国の景色が、動画の早送り再生のようにめぐるましく変わる。
後ろから、恐ろしいモノが追ってくる。
くるみは、見たくないというのに、どうしてか振り返ってしまった。
色とりどりの雷を纏う八匹の蛇神と共に、腐乱した肉体の大いなる女神が手を伸ばしている。
「む、振り返らせたかッ。こうなれば、超次元キノコの出番じゃ」
坂道の地面から瞬時にして生えたキノコが、背後から追いすがるモノたちの足止めをする。
その間に坂道を登り切った。
もう一度振り向いたくるみは、もう片方の手をつかまれた。
小夜子は瞳を開いて、現世に戻ったことを認識した。
限定的とはいえ【あちら側】へ行くことには成功したが、相当の力を使ってしまったようだ。
「いかん、失敗してしもうた」
額に手を添えていたくるみが、ぱちりと目を開く。そして、小夜子を蹴り飛ばした。無理な体勢からの蹴りであるというのに、小夜子の身体が宙を舞う。
立ち上がった鳴髪くるみは、自らの両手を見やる。
「小さな身体……。人は醜く、現世は汚れている」
くるみがそう言った瞬間、天から放たれた雷がその身を貫く。
強烈な光と地面まで揺らした雷に、観客たちが悲鳴とどよめきを漏らした。
雷が晴れると、鳴髪くるみの姿が変わっていた。
だれもがイメージする日本神話における神の衣服。
貫頭衣を着て勾玉の首飾りをつけたお姿である。そして、くるみの全身には、雷を纏う八匹の蛇が絡みついていた。
「よくもこの私を連れ出してくれたな。この恩知らずめ」
くるみは小夜子に向けて言った。
倒れていた小夜子は立ち上がると、チャイナ服についた土を払う。
「伊邪那美様に恩があるからこそ、真意を確かめに参ったのじゃ。だというのに、すぐさま取って喰らおうとされたのは、貴方様ですぞ」
なんということか。
今のくるみは、伊邪那美大神の憑坐として、かの女神に身体を乗っ取られているのだ。
「生きたまま来るというのなら、殺すしかないわ。この痴れ者め、死した後に来るならば我が子として迎えてやったというのに、境界を侵した罪、千の命でしか償えぬ」
くるみの肉体を使っているおかげで、人の言葉で意思疎通ができている。
「固いことを言いおって!」
「手始めに、ここにおる人間からだ」
意思疎通はできているというのに、言葉を聞いてくれそうにない。
「現代で一日に千では計算が合わんわ。ええい、もはや伊邪那美様であっても遠慮はせぬぞ。すぐさま黄泉平坂へ追い返してくれる」
小夜子が縮地の術を使用した。短距離テレポートでくるみに肉薄すると、核分裂の力を込めた手で腹を殴りつける。
「ぐう、太陽の力か、こざかしいわ」
雷神のからみつく手で、くるみはお返しとばかりに小夜子の腹を殴り返す。
凄まじい威力で、くるみの手は小夜子の腹を貫通した。
「こんなもんでわらわが死ぬかッ」
足を止めての殴り合いが始まった。
髪をつかんで引き寄せる頭突き、膝を蹴り砕き、膝で股間を打ち上げる。顔面から腹まで、女同士だというのに手加減なしの殴り合いだ。
小夜子の身体は破砕されてもすぐに再生するのに対して、殴られてもくるみは傷一つない。
その状態で、殴り合いの応酬が続く。
最初はあまりの戦いに言葉を失っていた観客も、豪快な殴り合いに魅入られていく。
いつしか、悲鳴や恐れはなくなり、大きな歓声に包まれていた。
「いい加減に、死ね」
くるみは言いながら、幾度目か分からない腹パンを放った。それは小夜子の腹を貫通する。小夜子は腕が貫通したまま腹を再生して、腕を封じた。そして、くるみを睨みつける。
「そっちこそ、説明せんなら引きこもっておれ」
小夜子の頭突きが、くるみの鼻先にまともに叩き込まれた。
「ぬぐあっ、不敬であるぞ! 恩知らずめが」
鼻血を垂らしたくるみが腕を引き抜こうとするが、それをさせる小夜子ではない。
「わらわは口で説明しろと言うとるんじゃっ、この陰湿女が!」
先ほどまでは、何をしてもくるみが血を流すことはなかった。しかし、今は鼻血を止めることすらできていない。
「なんでも説明してくれるなど、甘いことを考えるなッ。この甘えん坊が! これが母の愛と知れい」
くるみは空いている手で小夜子の顔面を殴りつける。首がへし折れるが、それもすぐさま再生させた小夜子が、顔面を殴り返す。
「若者は、そういうの嫌いなんじゃ!」
「ぐあっ、おのれ、こんな器ではもう限界か。恩知らず、お前がやるべきはお前が望むままでよい。だが、この伊邪那美を怒らせるような真似はするな」
くるみの衣服が戻ろうとしている。
「伊邪那美様よ、どうしてその娘に鳴神様を遣わした。それくらいは教えてもらうぞ」
どうやら、このまま伊邪那美様は戻ってくれるらしい。
「あの未来が気に入らんというだけ。決めるのは人間がすること。我らはほんの少し力を貸すだけよ」
小夜子はくるみの腕を腹から引き抜いた。くるみから攻撃は来ない。
「最初からそう言えばよいものを」
最後に、くるみに乗り移った伊邪那美大神は笑った。
「この国の母であるからには、甘やかしはせん」
それを最後に、くるみは元の制服姿に戻る。そして、伊邪那美大神の気配は消え失せたのであった。
小夜子は大きく息をついた。
危なかった。もう少し本気でこられていたら、ここに生きている者はいなかっただろう。
「さて、鳴髪くるみよ、仕切り直しじゃな」
くるみが、小夜子を見た。
「いいの? アンタぼろぼろだけど。あたしは、ちょっと身体が痛いだけよ」
伊邪那美大神の憑坐となったことで、鳴髪くるみは大きく成長していた。
神に肉体を貸したことにより、超人へ至ったと言ってもよいだろう。
「ほほほ、この程度であればちょうどよいハンデじゃ」
試合はまだ終わらない。