小夜子とカレーパンと第一試合
聖蓮尼が生徒たちに召集をかけた。
純粋な一対一のトーナメント戦ということで、観測や斥候といった術を修めた生徒は参加せず応援と見物だ。彼らも含めて、不参加の生徒たちが集められた。
「生徒たち、私はこのトーナメントの責任者となった聖蓮尼である」
学生たちは困惑した様子だ。
今年のトーナメント戦は退魔十家による見世物ではないということは察していたが、自分たちには関わりなきことだと思っている。そんな中での呼び出しであった。
「今年は学生でありながらすでに独り立ちした間宮殿が参加しています。勇名は聞き及んでいますね?」
生徒たちには苦い顔になる者もいた。
退魔十家を追い落とすとまで呼ばれている天才。いや、魔人として小夜子は有名だ。
長袖チャイナ服でやって来るなど、ナメ腐ったことまでされて知らないはずがない。
「アレは本気で優勝するつもりです。生徒ら、そなたらも家のことなど気にせず参加してよいのですよ。枠は一つだけです。適当に殴り合ってでもいいから決めなさい」
聖蓮尼の言葉で、更なる困惑が広がった。
年齢不詳の尼僧、聖蓮尼。
彼女もまた伝説的な存在だ。親の世代から、彼女の名前が出る時は、心酔したものか、口にもしたくないというものかのどちらかである。
畏怖と尊敬、聖蓮尼には確かなそれがあった。
「一対一などという縛りであるし、無理な者は下がってよろしい。十家のことは一切を気にしなくてよいですよ。もし、何かしようものならこの私がこらしめます」
ごくりと、誰かが息を呑み込んだ。
直接戦闘に向かない退魔師の卵たちが離れていくと、残ったのは十人ほどの生徒である。
「決まったら私の所に来なさい。よいですね」
聖蓮尼は言い放つと去っていった。
残された生徒たちは大変だ。あの退魔十家と戦わねばならない。
最初に口を開いたのは、肌の浅黒い大柄な女子生徒だ。
「これってイケニエでしょ? 十家に睨まれるとかサイアクなんだけど。誰か出て、適当に負けて終わらせるしかないんじゃない」
誰もが、そうしたいと思っている。
聖蓮尼という名前がいかに大きくても、将来が危うくなるようなことはしたくない。
「俺が行こうか。仙術なら、負けでも言い訳が効く」
背の高い痩せた男子生徒が前に出た。
仙術というのは仙人のやる術だ。特殊な形態をしており、術が破られれば負けという特性があるため。わざと負けるのはたやすい。
「腹も減るしどーでもいいよ」
興味無さげな様子で茶髪の男子が言うと、なんとなく納得という空気になった。
退魔十家と当たって、怪我をさせられるのもさせるのも、後に影響する。
「ううむ、覇気の無いことじゃなあ。腹が減っておるなら、これをやろう」
茶髪の男子生徒の前に、カレーパンが差し出された。
「おっ、いいの!? サンキュー、これうんまそう」
「道すがらで見つけた町のパン屋さんで買うたカレーパンじゃ。揚げたてが美味くてのう。ついつい買いすぎてしもうた」
茶髪の男子生徒がカレーパンにかじりつく。
ほんのり温かいカレーパン。外皮たる褐色の揚げパンはさくりとして甘く、中のカレーはどろりと辛くいい塩梅。
誰もがイメージするカレーパンの美味しさが詰まっている。
「ん~。すきっ腹だと美味さ十倍、いや百倍だぜ。ありがとな」
男子が振り返ると、チャイナ服の美少女が、紙袋からあんパンを取り出して食べているところだ。
「え、だれ?」
「間宮小夜子じゃ。むぐむぐ、あんパンも美味いのう。餡子が甘すぎないのが、パン自体の甘さを引き立てておる。街のパン屋もあなどれぬな。ほれ、調整豆乳のきなこ味をやろう」
小夜子は袋から取り出した細長いパック豆乳を男子生徒に手渡す。
「あ、ありがとう。っていう、誰?」
「わらわが噂の間宮小夜子じゃ。お前たち、随分とつまらんこと言うておるの。それはよいんじゃが」
そこで言葉を止めた小夜子は、ぐるりと彼らを見回した。
生徒の誰もが突然のことに言葉も出せないでいる。
「んんん、カレーパンをやったお前。お前が一番強いであろう。お前が出れば、よい試合になるぞ」
「えっ、オレ?」
「お前じゃ。名前はなんというんじゃ?」
「花ケ崎レンジっつーんだけど、あんたがマミヤサヨコ?」
茶髪の少年、花ケ崎レンジは緊張した様子も無い。
中肉中背で茶髪。美形というほどではないが、それなりに整った顔立ちだ。
「さっき名乗ったじゃろうに」
「えー、オレは出たくねーよ。腹が減るだけだろ」
「トーナメントといったら男の子の憧れじゃろ。幽遊白書とか読んだことないんか?」
「なにそれ?」
小夜子は「ああああ」と変な声を出した。インターネットでは令和でも話題だったというのに!
「知らんのか。アレじゃ、ハンター×ハンター書いてる人の! 90年代に少年ジャンプでやっておったんじゃ」
「知ってる知ってる。海賊王の」
「ちーがーうーわッ」
レンジと小夜子の会話に周囲はついていけない。
「マンガとかあんまり読まねえんだよ。ジッケのヤツとかなんか偉そうだし、イヤだって。腹減るし」
「仕方ないヤツじゃなあ。花ケ崎レンジよ、仕方ないからこのパンをくれてやろう。あんパンと店主オススメのカツサンドとピザパンとアップルパイと細長いのにクリームが入ったのがあるからの」
「おおおお! マジかよ、いいヤツだなアンタ」
小夜子がパンの詰まった紙袋を差しだすと、レンジは喜んで受け取った。これに呪法がなされていれば、契約となる。
「腹いっぱいにして、全力でやれよ。お前、相当に強いじゃろ」
「全力出すなって先生に言われてんだよ」
「全力を出したら、終わった後に好きなものを食べさせてやる」
レンジはぐっと手を握った。
「ステーキとか、寿司とか言っちゃうよ」
「牛一頭でも食わせてやろうぞ」
「よしっ、オレ、本気出すよ」
「うむ、決まりじゃな。お前が出れば楽しそうじゃ」
小夜子は可憐に笑む。
にっこりという笑顔は、あまりにも美しい。人によっては、恐怖を覚えるほどに、現実感の無い歪な可憐さだ。
「おっ、おう。任せとけってんだ」
見惚れたレンジは、そう言って赤くなった顔を隠すようにそっぽをむいた。
「周りのお前たちも、よく見ておけよ。それではの」
そう言って小夜子は去っていく。
周りの誰もが口を出せなかった。最初に声を発した大柄な女子生徒も、仙術を使う男子生徒も、口を挟むことを身体が拒む。
退魔師であるからこそ、下手なことを言うと命が無いと予見できたからだ。
「よっしゃガンバルぞ! これってアレだろ、勝ったらお食事デートじゃねえかッ。やる気出てきたぜ」
カレーパンの残りを口に放り込み、カツサンドを開けるレンジであった。
顛末を見守っていた若松が小夜子に追いつく。
「お嬢様、パンなど差し上げていましたが、それほどですか?」
小夜子があんな風に物を下げ渡すなどということは珍しい。特に、気に入ったパンを初対面の者にあげるはずがない。
「うむ、あ奴は相当なものよ。くく、ふふふ、花ケ崎レンジか。わらわの気配を無意識で弾いておる。……【主人公】かもしれんな」
若松は言葉を失った。
小夜子の言葉が信じられない。それは、彼女が常々言っていたことだ。【主人公】【敵】それらは小夜子を打倒し得ると。
「あんな男が……。先日の晴明様や蜘蛛よりも、ですか」
「うむ。すぐに分かったわ。あ奴だけが、世界に立っておるように見えた。これが宿命というのであれば、伊邪那美様もニクいことをするものよ」
小夜子は控のためのパイプ椅子に戻って、残りのあんパンを食べ終えた。
普通に美味い。そしてパンを全部あげたのは失敗だったと思うのであった。
聖蓮尼の独断で試合のカードが組まれ、発表される。
第一試合 間宮小夜子 対 雨宮月夫
小夜子は係員に呼ばれて校庭に出た。
長袖チャイナ服の美少女という出で立ちは目立つ。足元はカンフーシューズでキメているが、ブーツでもよかったかなと小夜子は思う。
校庭の全体が試合場だ。
広い場所で逃げ場など無い。一対一、戦うしかないロケーションだ。
聖蓮尼がマイクのスイッチを入れた。
『第一試合は、間宮小夜子さんと雨宮月夫くん。それぞれ、前に』
雨宮家は退魔十家が一つである。
校庭に出てきた雨宮月夫は、長身で前髪を一房垂らした男前であった。彫りの深い顔立ちに、厚い唇がどこか女性的であった。
「ほう、雨宮殿のところのご長男か。よろしく頼むぞ」
会合に出ていた雨宮家当主も濃い顔の男前だった。血筋が分かる顔立ちだ。
「あなたが間宮小夜子ちゃん? 想像してたのとかなり違うわね」
「ほう、なかなか個性的じゃな。オネエというヤツじゃの」
月夫はニヤリと笑う。
「あなたの和服美人ぶり、SNSでたまに写真が上がってて、謎の和服美少女って話題になってンのよ。知らなかった?」
これは事実だ。気軽に撮影に応じる小夜子は、謎の和服美少女として一部で話題になっている。
「ほほほ、たまに写真を撮らせてほしいと言われるからの。そんなことになっていたとは、ついぞ知らんかったわ。どうじゃ、わらわの新衣装もステキじゃろ?」
「あははは、ヘンな女ねェ。アタシ、そういうの嫌いじゃないわよ。チャイナだったら、ヘアスタイル、ロングよりまとめた方がカワイイわ、後でやってあげよっか」
「ほう、なかなか分かっておるのう。お団子はやりすぎかと思うてそのままにしておったが、そなたはセンスもありそうじゃし。後で頼もうかの」
「んふふ、無事で終われたら、ね」
「ほほほ、言うてくれるではないか」
睨み合えば、なかなかの美丈夫ぶり。この世代は天才が複数の黄金世代などと呼ばれているのは、小夜子も知っている。
『挨拶も終わったようですね。では、死合はじめ』
先に動いたのは月夫だ。
瞬時に印を組むと同時に、小夜子の目の前が濃霧に覆われる。
「痛いわよォッ」
右から、遊ぶような月夫の声。
小夜子が反応しようとした瞬間、左から杖の先端が現れて脇腹を突く。
「……」
どこに隠していたものか、月夫の手には一メートルほどの杖が握られていた。常人であれば動けなくなるであろう杖の一撃。
まともに脇腹に入ったというのに、小夜子は微動だにせず立ち尽くしている。
「先に言うておくべきであった。本気でやってよいぞ」
「あなた、何を言ってるの?」
濃霧の術は、対人であれば完全に視界を隠す術だ。傍目には、棒立ちの小夜子が一撃を受けて立ち尽くしているように見えているだろう。
「わらわ、この程度では死なんから、手加減はいらぬ。仕込みも抜いてよいぞ。それから、わらわはこれくらいで相手をしようかの」
視界を完全に奪い、声も自在に届けられる幻惑の術。その術中に、完全に捕らえている。
あり得ないという理性に反して、月夫が本能的に察した危険により下がろうとした時には、もう遅い。
小夜子の細腕がふりかぶられて、素人同然のパンチが月夫の胸に叩き込まれた。
月夫の身体が後ろに飛ぶ。校庭の硬い地面を数回転がって、ようやく止まった。
「ぐぐ、やって、くれんじゃないの」
何をされたか分からなかったのは一瞬のこと、月夫は立ち上がって小夜子を見る。
全身に走る激痛。
月夫は狂暴な笑みを浮かべる。
霧雨を自在に操る術、それが雨宮家に伝わる秘術だ。
月夫が握りしめる杖も、霧雨で光を操作した光学迷彩で隠していたものである。
「さあ、わらわを人と思わんでよいぞ。お前の本気が見たいでな」
「噂は伊達じゃないってワケね。アタシも、本気出しちゃおっかな」
月夫が仕込み杖を抜き放つ。
長ドスと化した杖を片手で構え、腰を落とす。
「お前はなかなか面白いのう。……我慢せんでよいぞ」
ぎらりと、白刃が日の光を反射させる。
月夫の奥底から湧き上がる狂熱。それは、彼が秘めていた欲望に他ならない。
美しいものを蹂躙したいという、生まれ持った性による宿痾。それを、小夜子が見抜いていると、どうしてか理解してしまったのだ。
「あははは、アタシ、あなたに惚れちゃいそうよ」
「来やれ、変態」
月夫が浮かべるのは、禍々しい悪鬼の笑み。
残酷な光と共に、白刃が走る。
月夫の剣術は達人の域にあった。
人の肉体を斬りたいという欲望を昇華させんがための異常な修練と、遺伝子の結実とも呼ぶべき名家の血筋が造り上げた天稟。
それが、若き魔剣士を完成させた。
霧雨の術が、月夫の姿を大気に溶かすように透明化させる。
「シィッッ」
毒蛇のごとき気合の息遣いすらも、音のする方向は惑乱の偽物だ。
小夜子の首をめがけて走った鈍い光。
観客は誰もが首が落ちたと思っただろう。しかし、なんということか!
白刃が走った光かと思われた軌跡すらも、霧雨の術によるまやかし。
その刃は、小夜子の下腹を貫いている。すかさず刃をひねり、内臓を抉った。
「雨宮月夫よ、仕損じたのう」
その言葉と共に、小夜子の右手が伸びる。そう、本来の長さより伸びたのだ。そして、月夫の首をつかんで宙に持ち上げる。
小夜子の身長ほども伸びた腕が、月夫の首を締め上げながら宙に持ち上げる。
「お前がやるべきは、わらわの内臓をぶちまけるように切り裂くか、首を刎ねることじゃ。欲に負けてしもうたのう」
言葉の通り、月夫は自らの欲望を優先した。
「ふ、ふふ、あはは、あなた最高よ。なんてバケモノ……」
「ほほほほ、雨宮月夫よ。間抜けの負けを噛み締めるがよい。じゃが、気に入ったぞ。わらわが、お前の悪夢となってやろう」
小夜子が、ぱっとその手を離す。
宙から落ちる月夫の顔面に、小夜子の左ストレートが叩き込まれて、月夫はその勢いのまま後ろにブっ飛ばされる。
地面をゴロゴロと数メートルは転がった月夫は、激痛と恍惚により悶絶する。絶頂にも似たそれに包まれながら、イイ顔で気を失った。
『第一戦、間宮小夜子の勝ち』
マイクを通した聖蓮尼の声が響き渡る。
観客たちに言葉は無い。水を打ったような静けさの中で、雨宮家の敗北を見ていることしかできなかった。




