小夜子と新衣装とお蕎麦
トーナメント戦を控えてわくわくしている小夜子だが、ここで問題がぶち上がった。
せっかくの晴れ舞台ときたら、衣装である。
いつものスタイルで行くのもシブいが、こんな機会はまず訪れない。こうなると、いつものド下品和装で行くべきか行かざるべきか、迷う。
「それで、あーしに相談するのね」
いつものお昼休み、ギャル谷と相談していた。
学年末テストを控えたこの時期、偏差値の高い四戸高校では学校に居残ってお弁当を食べている生徒は少ない。
「うむ、やはりここは何か晴れ舞台ということで、いつもはやらん袴などどうかと思っておる」
大正ロマン風にキメるのも良い気がする。
「和服縛りはなんかこだわりあんの?」
「んんん、ストレートに聞いてくるのう。わらわとしては、やはり魔人らしい雰囲気を大切にしておる」
身も蓋も無いとはこのことだ。
彼岸花と髑髏の柄にも意味はあるのだが、晴れ舞台と来たらオシャレを優先したい。
「……サヨちゃん、その辺りかなりヘンだよね」
「ヘンとは言うてくれるではないか。わらわ、美少女じゃが地味じゃろ。ギャル谷のような服装は似合わんしなァ」
ギャル谷はにやっと笑う。
「でもさあ、いかにもお嬢様ってカッコウされても、サヨちゃんは浮いちゃうしねェ。そのままの方が、強キャラ感あるよ。あ、そうだ、まだ寒いけど、アレ、扇子とかどうなの?」
「ほう、夏場は持っておるが、今の季節はどうじゃろうか」
「いーんじゃない」
「飽きてきとらんか?」
「だってさあ、なんかオシャレとかの話じゃないし。なんかのキャラクターの設定とかそっち系でしょ」
ギャル谷に言われて小夜子は考え込む。確かに、これはオシャレという話ではない。
「ううむ、誰か適任はおらんものか」
「んんー、こういう時は専門家に聞くべきでしょ? おーい、オタ丸っち、ちょっと来て」
ギャル谷が急にオタ丸とやらを呼ぶ。
小夜子が振り向くと、同じクラスの丸山くんが驚いた顔をしている。地味男子グループの一人だ。
「えっと、刈谷さん、な、何か用?」
オタ丸こと丸山くんは、小太りの男子でいかにもオタクという感じの男子である。ロイド眼鏡の似合い方に愛嬌がある。
そんな彼が、陽キャの権化であるギャル谷に呼ばれればそれはビビるというもの。
「これギャル谷、いきなりヤンキーに呼びつけられたら怖がるのも道理じゃろ」
「誰がヤンキーだってぇの。オタ丸っち、そういうんじゃないから。サヨちゃんの新衣装を考えてんだけど、そういうの得意っしょ。ちょっと時間ある?」
「え、うん、いいけど」
そういうことで、オタ丸くんがやって来た。
ギャル谷がルーズリーフを渡す。
「えっと、どういうこと?」
「簡単に言うとね、サヨちゃんが新衣装に悩んでんだけど、なかなかいいのが無いの。オタ丸っちは絵も上手っしょ。ちょっとカンタンでいいから、どんなイメージか描いてもらっていーい?」
ギャル谷が、渾身の童貞を殺す笑顔でオタ丸くんに無茶ぶりをした。
小夜子は「なんて悪いヤツじゃ」と思ったが、口には出さない。
「う、うん。簡単でいいなら」
そういうことになって、オタ丸くんはルーズリーフに小夜子の普段の姿をサラサラと。
上手い。
小夜子とギャル谷が「おおお」と感嘆の声を漏らすほどにその絵は上手かった。
「やるではないか。オタ丸くんよ、褒めてつかわすぞ」
「う、うん、ありがとう」
顔を赤くしてうつむくオタ丸くんであった。
オタ丸の描いた小夜子は、非常にカワイイ感じに仕上がっていた。
特徴を捉えてデフォルメするのが非常に上手い。漫画的な才能を感じる。
「これは逸材ではないか。オタ丸くんよ、実はのう、退魔師のトーナメント戦があっての。わらわとしては憧れの晴れ舞台であるし、イメチェンしたいのじゃ」
「それ、なんも分からないし伝わらないって」
「わらわとしたことが先走ってしもたの。では説明しよう。わらわ、実は退魔師でな。日々、悪い妖怪を千切っては投げ千切っては投げしとるのよ。それでの、若手の退魔師たちが集まってトーナメント戦をするんじゃが、衣装が決まらんで困っておる」
オタ丸くんは首を傾げた後で、腕を組んで考えている。
「えっと、間宮さんのコスプレ衣装的な話?」
「普通はそうなるよねえ」
ギャル谷がうんうんとうなずきながらそう言った。
困惑して当たり前の話だ。
それから小夜子が詳しく説明したのだが、オタ丸は中二的な設定の自作オリジナル小説の話だと受け取ってくれた。
それから小一時間ほど話し合った結果、候補としては大正時代風の袴か、和装にフレアスカートはどうかという結論に至った。
オタ丸はさらさらと描くのだが、非常に上手い。小夜子は感心しつつ、そのイラストをいたく気に入った。
「うむ、流石じゃな。オタ丸くんよ、そなたは才能があるぞ。わらわの衣装もだいたい固まってきたわ」
「役に立てたならよかったよ」
少し照れて言うオタ丸であった。
「マジで才能あるね。スゲー、見直したよ」
オタ丸は女子に褒められて嬉しそうである。
ギャル谷も絵の上手さに感心していたし、思い付きで服のことを言うと理解して絵に出来るという点でも、かなり凄いのではないだろうか。
盛り上がっていたが、そろそろ良い時間になり帰ろうという話になった。
生徒会長に捕まっていた若松も合流して、みんなで学校を出た。
途中で小夜子と若松はバイクに乗って行ってしまうため、ギャル谷とオタ丸が二人で駅まで歩くことになる。
なんとも対照的な辺りだ。落ち着かない様子でオタ丸が口を開く。
「間宮さん、意外と喋りやすい人だね。独特だけど」
「サヨちゃんはヘンだけど、いい子だよ。普通でもないけどね」
「ははは、そうだね。なろうとかに投稿してるのかな、あの話って」
それを聞いて、ギャル谷は「あはははは」と笑う。
普通なら、それくらいにしか思えない話だ。あんな馬鹿げた話が現実であるなどと、思うはずがない。
「だよねぇ。普通はそう思うって」
駅まで、大したことのない話をしながら歩いた。
ギャル谷が適当にアニメの話をふってみたり、オタ丸が真面目に答えてみたり、知らない仲の二人が当り障りのないことを話すという感じだ。
「それじゃあ、僕はここで」
「うん、またね」
駅前で別れることになった。
オタ丸はなんだか緊張したな、と思いながら改札へ向かっていた。
「ねえ、見てたよ」
改札の手前で、声をかけられた。
「えっ、僕?」
「うん、そうだよ。オタ丸くん」
どこにでもいそうな、今風の女の子。オタ丸も見たことがないブレザーの制服姿だ。
「えっと、誰だっけ?」
「覚えてない? 中学の時に一年だけ同級生だった返矢テコナ」
誰だっただろうか。確か、転校した女の子でそんな名前の同級生がいた気がする、とオタ丸は思った。
「あのね、四戸高に今度転校するから下見に来てたんだ。丸山くんがいてくれてよかった」
「あっ、そうだね。知り合いがいると安心するだろうし」
「ねえ、体育祭の後のこと、覚えてる?」
オタ丸の脳裏に、その記録が再生される。
あの日、僕たちはお互いの気持ちを確かめあって……。
「あ、なんで、忘れてたんだろう」
「私が転校しちゃうから、辛かったんだね。ねえ、私ともう一回やり直そう」
「う、うん、そうしたかった、僕も」
手を握れば、ひんやりとしたテコナの手。
顔かたちを覚えられないほど無個性な少女の顔が、優し気な笑みを浮かべた。
少し季節には早いが、蕎麦など食べたい。
本日のお夕飯。小夜子の希望で蕎麦をたぐることに決まった。
長野県に行った際に買い込んでいた十割蕎麦を、若松が茹でてくれた。
ざるで食べるのだが、蕎麦に付属してきたつゆを用いる。まずは普通の味わい方というもので、最初からつゆだけ好みにするのはつまらない。
「うんうん、美味い蕎麦じゃな」
十割蕎麦といえば、ボソボソな印象がある。しかし、この蕎麦にはそれが無い。喉ごしも歯応えもつるりつるり。どこか爽やかですらある。
道の駅で買った何の変哲も無い蕎麦だが、これがまた普通に美味い。
驚くほどではないけれど予想通りの良い味であった。
「お嬢様、おかわりをお持ちしました。タラの芽とさわらが出ておりましたので、天ぷらにしております。天つゆで召し上がって下さい」
若松が追加のざると揚げたての天婦羅を配膳する。
タラの芽といえば、春の名物。
商店街に立ち寄って買い求めたものだが、なかなか良い緑色が衣の奥から自己主張している。
共に出されたのは、天つゆではなく創味食品グループの看板商品【創味のつゆ】であった。
関西風に大根おろしを添えているのが嬉しい。
「若松は分かっておるなァ」
創味のつゆは、好みもあるが香りの強さと味の深さに定評がある。
天ぷらといえば塩というのが最近の流行。流行りも大切だが、小夜子はつゆ派だ。
天つゆに一度くぐらせるのを、油を洗うなどとも言うが、油は油で美味しく頂くのが天ぷらというもの。
「では、いただこうぞ」
よく揚がったタラの芽を箸でつまみ、出汁に一度だけくぐらせて口に運ぶ。
あげたてのさくりという食感の後にくる、この爽やかな苦味こそがタラの芽。
「苦い苦い」
苦いは美味いだ。
はふはふと苦味を楽しんだ後に、蕎麦に戻る。つるつるひんやりが、口を蕎麦に戻してくれる。
「酒が飲めると一入と言うが、わらわ、酒では酔わんからのう」
異界の肉体はアルコールを完全に分解する。そのせいで小夜子は酩酊しない。酒は高カロリーの苦い飲み物だ。
「お嬢様、未成年の飲酒はいけません」
若松は言いながら、急須から緑茶を小夜子の湯呑に注いだ。
「ほほほ、分かって言うておろう」
続いて、さわらの天ぷらに箸をつけた。
天ぷら用のつゆに大根おろしを足して、先ほどと同じようにくぐらせる。
薄切りにしたさわらは、衣のさくりに対して、口当たりがもっちりと優しい。
「若松はどんどん料理上手になっていくのう。小学生のころはカレーが精いっぱいであったというのに」
「ありがとうございます。しかし、天ぷらはまだまだ未熟でして」
家庭ならば充分な美味しさであるのは間違いない。
「善い善い。わらわは若松の天ぷらが食べたかったのじゃ。プロと比較するものではないぞ」
不思議なことに、天ぷらというのは造り手によって強烈に味が変わるものだ。
上手い下手、という次元を超えて人の何かが宿るのが天ぷらである。
世捨て人が趣味でやる天ぷらが、異様に美味いことがある。それもまた、天ぷらという不可思議の妙。
その後、ざるを五枚ほどおかわりして、腹八分といったといったところでお夕飯を終えた。
腹もくちくなり、気になるのは三週間後に控えたトーナメントである。
お茶を飲みながら、テレビを見る小夜子。
特に興味のある番組も無かったため、なんとなくテレビをつけているという有様だ。心ここにあらず、というのは小夜子には珍しいことであった。
「いかんなァ」
ぽつりとつぶやいた後に、手を握って開いて。
何かがどこかで起きている。しかし、それは予感のようなもので感じ取れるだけだ。
「んん、何じゃ、今の感覚は」
確かに今、何かが頭の中を過ぎった。
小夜子は集中して目を閉じる。奇妙に胸がざわつく何かがある。だが、それの正体が分からない。
「若松や、先に休んでおれ。わらわは集中する」
「はは、かしこまりました」
いつにない小夜子の佇まいに、若松は襟を正すと素早く居間から退室した。
小夜子は瞳を閉じて、自らの内側にある世界に集中する。
内側は外側に通じ、肉体の機能である時間認識に作用する。未だ、小夜子は時間の認識ができないが、ほんの少しだけ時間を知覚することはできた。
瘴気に充ち満ちて、地獄と地続きになった現世。
廃墟と化した街並み。
赤く煙る空に輝く六面体の魔王。
悪鬼共と斬り結ぶ、鳴髪小夜子が率いる軍服の一団。
顔の無い女の絵を描く、ロイド眼鏡の男。
はっ、と気が付くと夜が明けている。
小夜子は我知らず握りしめていた己が手を見る。それは、肉色の触手が寄り集まったものと化しており、肉体が制御を離れて怪物と化していたことに気づく。
深呼吸して身体を整えると、それはすぐに嫋やかな白い細腕に姿を変える。
「なるほど、あれが未来とやらの映像じゃな」
すうっと胸の中にあった鬱屈が消えていく。
「うむ、決めた」
迷っていた【悪】に踏ん切りがついた。
小夜子はどの未来を選ぶか、ここで決めてしまった。後で、それを覆さないということも。たとえ、それが地獄へ続く呪われた道であったとしても。
この若者たちのトーナメント戦も、未来へと続く段階の一つだ。
間宮小夜子はなんでもない穏やかな日々の中で、それを決断したのであった。