若松と夢の世界とカッパ寿司
素人のヤンキー少年が相手で若松が負けるはずがない。
「随分と、様にならねぇケンカになっちまった」
沙織を庇わねばならないこともあり、若松は何度かいいのを顔面に貰った。流れた鼻血を手で拭う。
沙織に目を向けると、小さく悲鳴を上げられた。
「ええと生徒会長さん、いつの間にこんなことになっちまったか、教えてくれやすか? おっと失礼、とりあえずはこいつを羽織って下さい」
若松がいつも着ている革ジャンを脱いで渡すが、それにまで悲鳴を上げる。
ストーカー告白の勢いはどこに失せたものやら。
「やだぁ、こないでっ」
服は無残に破られているが、貞操は無事だ。確かにスタイルはいいが、こんな形でことに及ぼうなどとは思わない。
「行きませんよ、それよりどうしてこんなことになったのか、教えてもらえませんか? ここはどう見ても地上ですし」
「あなたが、わたしをレイプしようとして」
「え、なんで?」
流石の若松も意味が分からず、嫌そうな顔と驚きが入り混じる表情になる。
「やめて、乱暴しないで」
「しませんしません。落ちついて下さい。ちょっと分からねえんで、何があったか順番に、順番にお願いしやす」
ヤンキーたちが伸びているところでそんな話をするのもよくないということで、外に出て話すことになった。
鷲宮沙織が言うには、この土曜日は生徒会の仕事で休日登校しており、仕事を済ませて帰ろうとしたら、以前にナンパを断った若松率いる不良少年たちに襲われて人気の無い体育館に引きずり込まれたとか。
あわや犯されるというところで、下衆の極み最低男の若松が突然手下をボコ殴りにしたということだ。
ここまで聞き出すのに非常に時間がかかった。
襲い掛かかってきたレイプ魔と話すなど、それこそ無理もないことだ。
日はとっぷりと暮れて、校庭から見える時計は20時を指している。
「こいつは妖物の仕業に違いねえな」
「え、ヨウブツって?」
記憶を操作されたのだろうか。沙織は若松のことなど知らないし、それこそ意味も分かっていないという様子だ。
「いえ、なんでもありやせん。警察を呼ばれるかは任せますが、あっしはやることがあるんで消えさせてもらいますよ」
妖術の内であったとしても、このまま生かしてくれるなら巻き込まない方が良い。そういう判断だ。
「待って、どうして助けてくれたの?」
「突然、記憶喪失になったんですよ。右も左も分からなくても、やらなきゃいけねえことは分かります。では失礼」
校門前に放置されている数台のバイクから、ポケットに入っていた鍵が合うものに跨る。ヘルメットがどこにも無いというのが最悪だ。どこかで買うしかあるまい。
下品な改造をされているが、車種は若松好みのものだった。
状況がつかめていない沙織を尻目に、公道に出る。
まずは間宮屋敷まで行くことにした。
バイクを飛ばして間宮屋敷へ。
辿りつけば、小夜子が越して来る以前の廃墟があるだけだ。若松にとっては予想の範囲内である。
スマートフォンを確認すると、ロック解除のパスワードは同じだが、
中身の連絡先は若松の知らない相手ばかり。
ラインのメッセージも大概な内容だ。
犯罪者まる出しのメッセージ群は、若松の顔を引き攣らせた。
「参ったぜ。どんな設定なんだか」
ひとりごちて、スマートフォンを調べていく。
どうやら、ここでの若松は小夜子と出会わなかったという設定と思われる。悪ガキからチンピラに成長した下衆な小悪党。
「頭が痛ぇ」
別に痛みはないが、まさに頭が痛いという状況だ。ついぞ、そんな独り言も出てしまう。
財布を探ると自分の免許証があって、記載の住所に行ってみることにした。
夜の街をバイクで疾走していると、霧が出てきた。
海沿いの田舎町では珍しいことではないが、どうにも妙な気分になる。
たどり着いたのは、どこにでもありそうなマンションであった。
バイクの鍵を納めるキーリングについていた、住宅用らしき鍵を使うと、ドアが開いた。
「おかえりなさい」
平凡なマンションの一室。
自分の子供を売り払った女、若松の母親がいる。料理の途中であったのか、エプロン姿だ。
「……」
「どうしたの?」
どこにでもいそうな中年の主婦。子供の世話と家事で一日の大半が過ぎていく、そんなどこにでもいる女。
「た、ただいま」
汚れてもいなければ、清潔すぎるというほどでもない普通の一室。自分の部屋らしきところもある。
「ごはん、もうできてるけど」
「あ、いや、外で食べてきましたんで」
「なに、それ? 変な子ね。いらない時はもっと早く連絡しなさいっていつも言ってるでしょ」
「こいつは面目ねえ」
不思議そうに首をかしげる母親らしき女に会釈して、若松は自分の部屋らしき場所に入る。分かりやすいクソガキの部屋だ。
派手な服や、バイクに跨っている写真などが貼られていて、物が乱雑に乗った机には、タブレットがあった。
若松は部屋にこもってタブレットやら部屋にあるもので何か分かるか漁ってみたが、スマートフォン以上の情報はなかった。
緊急用に暗記してある聖蓮尼と退魔師組合の電話番号に電話もしてみたが、それも使われていない番号のアナウンスしか返ってこない。
ベッドに腰掛けて、ため息をつく。
「妖術だとしたら、とんでもねえな」
若松は小夜子から幾つかの術を授けられている。こういう時の術破りを素人ながら心得ているが、それも役にも立たなかった。
こうなると、妖物の枠を超えた神の仕業となる。
「ねえ、大丈夫?」
ドアの向こうから声がかけられた。
あれは、母親の声だ。
「ええ、大丈夫ですよ。お気遣いなく」
ガキの時分、優しかった母親があのまま年月を重ねていたら、このようになっていたのかもしれない。
苦笑いを浮かべた若松は、母親のことなどすっかり忘れていたと、はたと気づく。
「やり辛い妖術だぜ」
その日、そのまま眠った。
いつもの癖で早朝に目覚めた若松は、シャワーを借りた後に朝食を作る。
母親の好みは知らないが、ご飯を炊いて味噌汁を作り、ハムエッグをこしらえた。手早く済ませて洗い物をした後で、自分用の弁当までこしらえ終わる。
知らない台所はやり辛くて、普段より時間がかかった。
「おはよう、え、作ってくれたの?」
「ええ、手慰みですが。召し上がって下さい」
「ほんとうに、どうしちゃったの?」
「どうもしやせんよ。では、行ってきやす」
この幻影のような世界では、四戸高校には入学していない。近隣の逆エリートが集まる轟高校に通っている。
バイクで学校に辿りつくと、昨日まで友達だった連中に歓迎された。
裏切者に対する歓迎なんて相場が決まっていて、それ用の対策もしてきた。
殺気立った逆エリート達も、素手かバットだ。相手はだいたい三十人程度。誰かを守ってるならともかく、独りならこんなチンピラ相手に負けるつもりもない。
教室に入ってすぐ、バットを持った大柄な坊主頭が立ちはだかる。
「昨日はケンジたち裏切っていいカッコしてたってなぁ? ええ、若松クンよォ」
「恰好をつけねえで、男って言えますか?」
「ゴーカン魔がいまさらいい子ぶってんなよ」
「そんなことした覚えは、……ここのあっしはどんな下衆野郎なんだか。情けねぇ」
スマートフォンの中身は、本当に頭が痛くなるような中身だった。救いのない下衆、それがここでの若松だ。
「ワケ分かんねえこと言ってんな!」
だからと言って、やってもないことで殴られる訳にはいかない。
振りかぶってきたバットを避けて、暫定自分の部屋から拝借した警棒で反撃。とりあえず、がら空きの鼻先を粉砕してから、股間を蹴り上げノックアウトする。
「皆さん、どうぞ遠慮なくかかって来て下さい」
言うが早いか、若松は教室からダッシュで逃げだす。背後からは怒号と追ってくる足音。
妖物やら退魔師、はては特殊部隊に追われるなどという経験をしてきた。小夜子の従者であったのだから、こんなものピンチにも入らない。
そのようなことで、ゲリラ戦の鬼ごっこに勝利した若松は、こんなくだらないことをやっている場合じゃないとは思いつつも一日を消費した。
どのようにしても小夜子の痕跡が見つからないことと、幻術であれば隙ができそうな行動を起こしてみるが、それも意味をなさずに帰途につく。
家に帰れば母がいて、夕食が用意されていた。
異界の食事をとると取り返しがつかなくなることがある。しかし、これ以上の飲まず食わずは命に関わる。
母の作ったカレーを食べると、何の変哲もないハウス食品【バーモントカレー中辛】の味であった。
日本のカレーといったらコレ! りんごとハチミツの香るカレールウ。ごく一般的な家庭の味だ。
「カレーですな」
何を言っていいか分からない若松が、一口目を食べてからそう言った。
若松が作るなら、黒毛和牛のすじ肉を用意して、その下処理から始める。凝って作るが、最終的にバーモントカレー辛口のルウを投入。
辛口は文字のところが青いパッケージだ。中辛は緑色。
中辛は小夜子も好まないから、買わない。
「カレー、好きでしょ?」
「美味しいですよ」
三つか四つのころ、母親がまだ優しかったころに作ってくれた時と同じ味だ。
若松が母親に相手にされなくなったのはいつだっただろう。正確な時期は覚えていない。小学生の時にはそうなっていて、ワルを気取っているところを小夜子に拾われた。
どこかに、こんな未来もあったのかもしれない。
それからも毎日は過ぎる。
三週間ほどはヤンキー漫画的な事態に時間を取られていたが、轟高校総番長の地位を手にしてようやく落ち着いてきた。
出来得る限り全ての手段を取ったが、間宮小夜子という人物すら見つけることができない。そして、退魔師や妖物の痕跡も。
仕方なく、今は海で釣りをしている。
小夜子が毎週日曜日のテレビ番組に影響されて、釣り物を食べたがるため始めてみた釣りだが、若松にはピッタリはまる趣味となっている。
シーバスやチヌがよく釣れる防波堤のテトラポッドの上で、無心にルアーを投げている。
普段であれば、季節や海の状態に合わせて釣れるよう工夫をするのだが、そういう気にもなれなくて、ミノーという種類のルアーを投げては巻いて、投げては巻いて。
無為に繰り返しているだけだ。
「クソ、どうしろってんだ」
この三週間ほどで色々なことが起きた。
その全ては、幻影の世界での出来事にすぎない。どこにも、小夜子の手がかりは無かった。
ルアーを投げて、リールを巻く。
最近、駅前で鷲宮沙織と顔を合わせた。会釈すると近寄って来たので、何度か話をしている。
どうとも言えないような関係だが、この幻影の中での沙織はストーカーではない。むしろ、立場としては若松がそれだ。
総番長になってから、沙織と四戸高校の生徒へのちょっかいを止めさせた。その件でお礼を言われたが、気まずいものであった。
若松のスマートフォンには、女を手籠めにしているような画像が幾つかあった。
口説き文句は、脅し、暴力、金、だいたいはその三種類。
最低の下衆野郎だ。
「ちっくしょう」
普段は出ない言葉が出る。
ここは、小夜子と出会わなかった世界だ。
若松も気づいている。クズになる才能はあった。
「こんなクソ野郎が」
彼らしくない自嘲を言葉にする。もし小夜子がいたら、「そんな言霊は不快じゃ」と言っただろう。それがあったから、若松は若松に成った。
「お嬢様、助けてください……」
涙が、流れ落ちていた。
この世界は嫌だ。そう若松は思う。自らの心は理解できないものだ。だからこそ、具体的に何が嫌かは彼自身にも分からない。
ここにある幸せは、どれも若松が捨ててきたものだ。母親を捨てて、年相応のものを捨てて、彼は小夜子を選んだ。
『涙をお拭きよ、少年』
頭の中に直接響くような男の声。
はっと若松が顔を上げる。
波間から、桃色の頭髪をした魚と鳥が混ざったような奇妙な生物? が顔を出していた。
「え……。あ、アマビエ?」
何かと話題になった妖怪である。それに似た顔をしている。
『ふふ、小夜子に頼まれてきたんだぜ? この兄上に任しとき』
若松は理解が追い付かず口をパクパクとしていると、その生物は泳いでテトラポッドにとりつくと、よじ登って腰掛けた。やはり、その全体はアマビエである。
『ドリームランドにはこの姿で来るのが限界だったぜ。でもカワイイだろ? 本体はもっとイカス、これ豆知識な』
アマビエは言ってから、テトラポッドの近くにいたカニを捕まえるとばりばりと貪り食った。
『現世のもんって味が濃いな。それよりさあ、なんか美味いモノいっぱい食ってんだろ、小夜子たちって。こういう機会って滅多にないし、なんか食べさせてよ』
「あの、まさか、お嬢様の兄上ということは、ひる」
『ストップ、名前を言ったら蜘蛛にバレちまうから、素敵なお兄様と、いや、塩顔に言われてもなァ。アマビエのビエさんと呼びな』
語呂が悪い。
「では、ビエさんと。ビエさん、ここから出られるんですか!?」
若松は順応が早い。
『おっと喜ぶのはまだ早いぜ。蜘蛛の巣から逃がしてやるには、なかなか大変なんだ。俺の言うとおりに行動してもらうからな。まずは、スシが食いたい』
「スシ、ですか?」
『おうよ。回転する食事って想像もつかないのよね。しかもアレ、カッパが作ってるらしいし、興味津々よ』
好き放題言ってくるビエさんだが、この人の話を聞かない感じは小夜子と通じるものがある。それに、小夜子が寄越してくれた助っ人だ。若松が信用しない訳がない。
「ご想像とは違うと思いますが。お連れしますよ」
『そうこなくっちゃ。抱っこしてくれ』
ビエさんは磯臭かった。
これで入店できるか不安だが、無理であればテイクアウトすればいい。
そうして、とりあえず若松とビエさんはカッパ寿司へ行くことになったのである。