二
「きゅーん!!」
耳元で甲高く響いたイヴの鳴き声が、狭い通路に木霊した。シエラの足元には闇が迫っている。暗く深い穴へシエラを引き込もうとしている、暗黒の腕が無数にある。
「シエラ、シエラ!!」
ユファがシエラの腕を掴んだ。腕はユファをも穴へ引き込もうとする。
「くそっ。この……サンダー・アロー!!」
ユファの頭上に電気の矢が現れ、腕を貫く。貫かれた腕は縮み上がり、闇の中に消えてしまう。しかし、他の腕は未だにシエラ達を掴んだままだ。
「ユファ、このままじゃ二人とも……!! 私から離れて!!」
シエラは叫けんだ。このままでは二人とも引きずりこまれてしまう。けれどユファは、頑なにシエラの腕を離そうとはしなかった。
「おい、大丈夫か!!」
その時、後ろからクラウドの声が聞こえた。
「うわっ、なんだこれ!?」
駆けつけてくれたバイソンは暗黒の腕たちを見て素っ頓狂な声を上げる。
「いいから、助けるわよ!!」
ラミーナとウエーバーはそれぞれ光の槍や矢を出現させ、それを放った。しかし、暗黒の腕は放たれたそれらを掴むと、思い切り握りつぶした。
「なっ……!?」
「おいおい、マジかよ」
入れ替わりでクラウドが突撃する。迫ってくる腕の猛襲を掻い潜り、容赦なく切り伏せていく。しかし、さすがに数が多い。
その間に、シエラとユファはもう下半身は闇の穴に入ってしまっている。肩を掴まれ、足を引っ張られ、抵抗むなしくズルズルと闇に引きずり込まれていく。
「こ、んな腕ぐらい……!!」
シエラはユファの腕を掴んで、上に持ち上げようとする。自分と同じ体格のユファなら、通常であれば上に持ち上げることもできる。けれど、この状況ではさすがに無理だった。
「あれだけ密接していたら、これ以上の魔法だと二人も……」
ウエーバーは歯がゆそうにそう呟き、ラミーナと共にクラウドの援護に回るしかできない。
「シエラ、ユファ、目を閉じてじっとしていてくれるかい!?」
その時、サルバナの声が飛んできた。
「ちょっと、何言って――」
「いいから。大丈夫、今助けるよ」
ラミーナの制止を気にも止めず、サルバナは二人に向かって安心させるような笑みを向ける。いつもならその余裕さが鼻につくけれど、今はとても心強い。
シエラとユファはお互いに頷きあい、しっかりと腕をつかみ合いながら目を閉じた。腕たちは、今を好機とばかりに複雑に絡みついてきては、強い力で引っ張ってくる。
「……四連、汪溢、冷灰。かの理において、黎王がここに散逸を命ず」
サルバナの詠唱に合わせ、彼の右腕に魔力が集中していく。シエラでも分かるほどに、それは異質の魔力だった。彼の言葉によってカタチを与えられているものは、今シエラ達を捉えている暗黒の腕よりも禍々しく、神々しく、光を放っている。
「消え失せろ」
冷淡な声音とともに、凄まじい光の奔流が押し寄せた。
影さえも飲み込むほどの奔流に、シエラとユファは必死に互いを抱きしめる。あまりの眩さに、自らの存在さえも掻き消されそうで。
暫くすると、ゆっくりと光が淡くなり始め、次第に消えていった。シエラとユファは肌にあたる感覚が正常に戻ったことを感じ、ゆっくりを目を開く。
「……助かった、の?」
シエラは自分の足があることをしっかりと確認する。ユファも同じように、自分の体をくまなく触っている。闇の腕はもう影も形も無い。シエラ達を引きずり込まれかけた穴も消え去っていた。
「大丈夫かい?」
サルバナは二人に手を差し伸べて、微笑む。二人は顔を見合わせ、それからしっかりとサルバナの手を取った。
「……サルバナ、ありがと」
「……すまない。助かった」
普段彼の優しさを邪険にしていただけに、二人は歯切れが悪い。シエラは恥ずかしくなって、ついぶっきらぼうに言ってしまった。
「いいえ、どういたしまして。レディーを助けるのは当然だからね」
しかしサルバナは二人の態度など全く気にならないらしい。むしろ更に爽やかに笑ってみせた。
「シエラ、ユファ、怪我は無い!?」
そんな三人の様子を黙って見ていたラミーナたちが、こちらに駆け寄ってくる。ラミーナは二人の肩を掴むと、上から下まで目線を動かした。
「全く。……罠があるかもしれないんだから、もっと注意しなさいよね!!」
「ごめん、ラミーナ」
「……軽率だった、すまない」
母親に怒られた幼子のように、二人はしょんぼりとして肩を落とす。それを見たラミーナは思わず気まずそうに「うっ」と呻いた。
「そ、そんな落ち込まないでよ! ……あぁ、もう! あんた達が無事ならそれでいいの! 分かった!?」
今度は怒りながらそんな事を言ったラミーナに、シエラとユファは思わず笑ってしまう。
「うん、ありがとラミーナ」
シエラはなんだか嬉しくなって、さっきまでの沈んだ気持ちや恐怖心などは、気がつけば消え去っていた。
「……それにしても、あの腕は何だったんでしょうか」
ウエーバーは、通路の奥の闇を見つめながら呟く。サルバナは唇に手の甲を当てて、考え込むような仕草を取った。
「なんかすっげぇ気持ち悪かったな、アレ」
バイソンがうえっと舌を出して嫌悪感を露わにする。触られたシエラ達も、思わず眉をひそめてしまった。あの腕は、自分達を暗く深い闇へと際限なく連れていこうとしているような、そんな気がした。得体の知れない恐ろしさとは、まさにあれのことを言うのだろう。
ちらりとシエラがユファを見やれば、彼女は険しい表情で下を向いていた。それから、ゆっくりと顔を上げて口を開く。
「……多分アレは、この神殿に溜まった魔力の残骸だろう」
「魔力の……残骸?」
シエラとバイソンは首を傾げた。ラミーナとウエーバーも怪訝そうな顔をしている。
「魔法を使った後に出る、魔力の痕跡だ。どちらかというと、痕跡というよりも、使い切られなかった魔力の残りと言った方が正しいのかもしれない」
「……でも、それがなんであんな風になっちゃうの?」
「稀にだが、魔力が“歪む”ことがあるらしい。ここみたいな密閉された空間や、あるいは潜在的に」
どことなく、後半の方は言い方に含みのようなものがあった。
「それじゃぁ、その歪んだ魔力の残骸がさっきの腕の正体ってわけ?」
「……憶測ではあるがな」
「でもユファあんたそれの判断基準って――」
「まぁまぁ、アレの正体なんてなんでもいいと思うよ。今こうして二人が無事なんだし」
「サルバナ……」
彼はユファとラミーナの問答をそこで終わらせると、前に歩き始めた。
「それよりも、早く鍵を探さないとね。あんまり遅いと、敵さんが来てしまうかもしれないよ?」
「……そう、ね。今はとにかく急ぎましょう」
ラミーナは気持ちを切り替えると、サルバナの後ろに続く。シエラもそれに続こうとし、ふいに誰かの視線に気がついた。ちらりと左斜め上を見れば、ばっちりとクラウドと目が合う。彼は目が合っても動揺するどころか、更にシエラのことを真っ直ぐな眼光で射抜いた。
「なに?」
シエラが尋ねれば、クラウドは「いや、別に」と気持ちの読み取れない顔で呟く。
「……変なクラウド」
「きゅーん」
シエラが唇を尖らせると、それに同調するようにイヴが小さく鳴いた。
「なんだ、別に俺は変じゃねぇぞ」
クラウドはシエラの肩にいるイヴに手を伸ばす。イヴは甘えるように彼の手に擦り寄り、クラウドも優しく毛並みを撫でている。イヴが動くから、なんだかシエラまでくすぐったくなってくる。しかも今日は髪を下ろしているから尚更だ。
「ちょ、クラウド止めて。イヴが動くとくすぐったい」
「あ、わりぃ」
シエラがそう言えば、クラウドはあっさりとイヴから手を離す。イヴは名残惜しそうに鼻をヒクヒクとさせている。
「……全く、イヴってば。くすぐったいんだよ?」
シエラが言い聞かせるようにイヴの頭を撫でると、イヴはその手に擦り寄ってきた。こういう可愛いところがあるから怒るに怒れないのだ。
「って、気を抜いてる場合じゃない……!」
ついさっき怖い思いをしたばかりなのだ。こうしてすぐに緊張の糸を緩めてしまうのは、本当のバカとしかいいようがない。シエラは気持ちを引き締め、自分の両の頬を強く叩いた。
――よしっ。
緊張感を取り戻したシエラは、引き締まった表情で前を歩くラミーナ達の背中を見つめる。すると、ぽん、と頭に手を置かれた。バイソンではない。彼の大きく包んでくれるような手つきではなく、ただ頭に置かれただけの手だ。シエラはクラウドを見上げる。
「……なにその『お前頭でもぶつけたのか』みたいな目」
「いや、なんだよその解釈」
クラウドは小さく溜め息を吐いてから、優しい手つきでシエラの頭を叩く。まるで子ども扱いだ。バイソンならまだしも、クラウドにされるのは非常に心外である。
「ま、そんな力んだって仕方ねぇぞ」
「力んでなんか……」
「とりあえず、集中と緊張は違うってことだけは言っておくぞ」
「な……ッ!?」
文句でも言ってやろうかと思ったが、そのままシエラはクラウドに背中を押されて前のめりになった。彼はシエラを先に歩かせるつもりなのだ。なんだか、複雑な心境である。
「クラウドのバカ……」
結局シエラは、それだけ言って口を閉ざした。
それからシエラ達は何事もなく、神殿の奥へとたどり着いた。あれ以降、奇妙なことに罠にも引っかかることはなく、時間こそかかったものの全員無事である。
重厚な扉には、やはり二本の線が螺旋を描き、その上部に半月に掛かった十字架が彫られていた。その扉の奥に入れば、巨大な石造りのステージのようなものが目の前に広がっており、その奥には祠がある。
祠は巨大な社の中にあり、社の扉は開いている。今いる場所からステージに下りて真っ直ぐ進めば、祠にたどり着ける。確認した限りでは、アン達刺客の姿は見当たらない。
「ここに鍵があるのか……」
ユファはゆっくりと、ステージへ続く階段を下りていく。
「……なんかここ、今まで一番不気味」
シエラは肌を通して伝わってくるここの空気に、顔をしかめる。先ほどまでの、心の内側に染み込んで侵食してくるような空気ではない。鋭い棘に、体ごと串刺しにされているような気分だ。
「それにしても、この空間だけは随分と広いですね」
「確かにそうね。今までの道は特に狭かったし」
「さっさと鍵見つけて、こっから出ようぜ……」
三人がユファに続いてステージに下りようとする。すると突然、ステージ全体が青白く光った。まるで生きているかのように鼓動を刻むと、天井高くまで光が立ち上る。ステージと奥の社を囲むようにして光の壁が出現し、シエラ達を阻んだ。中にはユファだけだ。クラウドが剣を振りかざすものの、壁はびくともしない。
「ユファ!!」
「私は大丈夫だ」
シエラ達とユファの距離は僅か二メートルほどだ。タイミングといい、まるでユファ以外をステージに上らせないためのように思える。
「とにかく、私はこの中で鍵を探す。だから、シエラ達は――」
「あら、その手間は無くてよ」
カツリ、と硬質な音が空間に響く。静寂の中、どこからともなく音は響き続ける。社の中、闇の中から、彼女は現れた。金糸のような眩い髪を揺らしながら、優雅な足取りで、一歩一歩こちらにやってくる。
「あんたは……!!」
ユファは驚愕に目を見開く。もちろん、シエラ達も。彼女は社から姿を現し、右手を翳した。
「エリーザ=クロブッファ!」
「ふふ、名前を覚えてもらって光栄よ」
「……その右手のものは」
「恐らく、あなた達が探す予定だったものよ。……まぁ、私にはさっぱりなのだけれど」
エリーザは鍵であるダリアミの日記をパラパラと捲ってみせると、肩をすくめた。
「けれど困ったわね。こんな結界が現れるなんて……」
自分達を四方から囲っている光の壁を見回し、エリーザはユファに視線を戻す。ユファは数珠を構えて、腰を落とした。
「戦う気満々のようだけど、いいのかしら? ここも立派な遺跡でしょう?」
「……長居するつもりはない。一撃で仕留めれば良いだけの話だ」
「ふふ、強気ね。あなたに私が倒せると?」
「やってみなければ――」
「やらなくても分かるわよ」
ぴしゃり、とエリーザはユファの言葉を遮った。彼女は口元に笑みを湛えたまま、今まで見たことのない鋭い目つきでユファを睥睨する。
「あなた、今とても魔力の流れが混乱しているわよ。それに、前に戦ったときの鋭さもない」
あるのは威勢の良さだけね。
エリーザは呆れた口調で、一歩前に進む。彼女の指摘に、シエラは信じられない気持ちでユファの背中を見やった。
どことなく、この地下神殿に入ってからのユファは様子がおかしかった。ダリアミ国王の言葉もあったから気にはしていたが、まさか敵に指摘されて分かるだなんて。シエラは歯を食い縛る。
「……そんなあなたが私を倒すなんて。私も見くびられたものね」
どことなく怒りさえ含まれた言葉だが、少し違和感を覚えた。一体彼女の意図は何なのだろうか。すると、今まで黙っていたユファはちらりと背中越しにシエラ達を振り返り、小さく笑った。
「確かに、今の私は万全ではないかもしれない」
数珠を構え、ユファは魔力を練り始める。
「だが、負けるわけにはいかない!」
言葉と共に、ユファは飛び出した。
「……いいわ。そこまで死にたいのなら、相手をしましょう」
エリーザは魔力の篭った右手で円を描く。その軌跡には炎が生じ、円の中心から突如として火の玉が発射された。ユファはそれらをかわすと、数珠から電気を発生させる。鋭い稲光がエリーザを四方から囲い込む。
「弾けろ!!」
稲光が炸裂した。もくもくと黒煙が立ち上る。しかしユファはすぐに数珠を構えなおした。瞬間、黒煙の中から氷の槍が飛んでくる。次々と飛来してくるそれらに、ユファはステージを縦横に走って避けていく。
「……甘いわよ」
「ッ!?」
気がつけばユファは背中から蹴り飛ばされていた。エリーザの声が聞こえたと思った時には、すでに後ろに回りこまれていたのだ。あまりの速さに、シエラはエリーザを目で追うことができない。
数メートル吹っ飛んだユファは、呻きながら鋭い視線でエリーザを睨みつけている。しかしエリーザは涼しげな顔でその眼光を受け止めており、追撃の手を緩めるような気配はない。
「この程度かしら?」
「つっ……!?」
再び蹴り飛ばされた。ユファが起き上がろうとすると、今度はわき腹を蹴り飛ばされる。どんどんエリーザの動きは加速していき、ユファはなす術もなく攻撃を食らっている。ユファが起き上がる前にエリーザは攻撃しているのだ。しかもついには、倒れる暇さえ与えてくれない。傍からみればユファは宙に浮かんでいるようにも見える。
「ユファ!!」
シエラは叫んだ。
エリーザの動きは、スピードは、明らかに人間の域を外れている。人間が自分の筋力だけで目にも止まらぬ速さを出せるわけがない。恐らく、あれも魔法なのだろう。バイソンも、時々似たようなものを使っていた記憶がある。
「ユファ、ユファ……!!」
ボロボロになっていく彼女に、シエラは名を呼ぶことしかできない。
どうにかしてこの結界を破壊できたならば。そう思った瞬間、シエラは鞄の中から魔道具の短刀を引き抜いていた。
「シエラ!?」
結界にシエラが突っ込もうとした瞬間、ウエーバーとクラウドに止められた。
「離して!」
「バカかお前は!? そんなもんでこんな強力なモンに突っ込む奴がいるか!!」
「うっさい!! そんなバカならここにいるわよ!!」
「シエラ、落ち着いて下さい!」
クラウドに怒鳴られ、シエラもカっとなって怒鳴り返していた。短刀を持っている右腕はしっかりとクラウドに押さえられており、左腕はウエーバーに引っ張られている。
「……ユファが、ユファが」
「俺たちだって分かってる。……分かってるさ。けど、だからってお前が一人でどうにかできるモンじゃねぇ」
うわ言のように呟いたシエラの目を、クラウドが大きな掌で覆い隠す。じんわりと彼の熱が伝わってくる。気のせいかもしれないが、彼の焦燥感も。
「だから、少し待て」
最後は言い聞かせるように囁かれ、シエラは小さく頷いた。
ピリピリと、クラウドの纏う雰囲気が剣呑になっていく。ラミーナ達も魔力を練っているのか、その気配は殺伐としている。シエラの鼓動も、それに合わせて早くなっていく。クラウドはそっとシエラから手を離した。
「……落ち着いたな?」
シエラが首肯すると、クラウドは「よし」と口角をあげて見せた。
「結界の一点に、今から攻撃を集中させる。それで、お前は魔力を練りまくって、俺の剣に送ってくれ」
「それだけでいいの……?」
不安げに尋ねれば、クラウドは珍しく不敵に笑った。
「お前の無尽蔵の魔力がありゃ、百人力だろ」
「!!」
不覚にも、嬉しく思ってしまった自分がいる。シエラは嬉しさがこみ上げるのを抑えようとして、ぎゅっと拳を握り――。
「べ、別に褒められたって何もできないんだからね!!」
思い切りクラウドの背中を殴っていた。
「うっ」とクラウドの呻き声が聞こえ、シエラは慌てて拳をしまう。
「ったく、あんたら二人は相変わらずねー」
後ろでラミーナの苦笑いが聞こえ、シエラは穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになる。
「ま、いいじゃねぇか!! リラックスしてた方が上手くいくぜ?」
準備体操をしているバイソンがにっと笑った。バイソンにそう言われると、本当に上手くいきそうな気がしてくるから不思議だ。
「さて、それじゃ先手は俺から行こうかな」
サルバナは何十歩か後ろに下がると、右手に魔力を集中させる。紫煙が彼の腕を包み込み、そこから真っ黒な矢のような、槍のようなものが出現した。彼は二三歩助走をつけ、それを思い切り投げた。
「おまっ、上過ぎるぞ!!」
クラウドがサルバナを睨むが、彼は笑ったまま「あそこが一番結界の薄い部分だったんだよ」と開き直る。サルバナが放ったものは結界にあたり、激しく閃光を放っている。
「行くわよウエーバー!!」
「はい、ラミーナさん!!」
二人は助走により魔法で飛び上がると、それぞれ槍の刺さった場所目掛けて魔法をぶつけた。魔法と結界が激しく衝突し合い、火花を散らしている。
「仕方ねえ……」
クラウドは深く息を吐き出した。剣を鞘から抜くと、柄を両手でしっかりと握り締める。
「クラウド、魔力って……」
シエラが言えば、クラウドは顎でしゃくって背中に触れるように指示した。シエラの手を介して、クラウドに彼女の魔力が伝わっていく。その魔力は全て彼の剣に集められ、破壊の力へと変換される。
「……ッ!!」
あまりの力の大きさに、シエラはおろかクラウドも一瞬怯む。しかし彼はそのまま剣を振りかぶった。
「うぉぉおおおぉぉおぉぉお――――――!!!!」
刃から凄まじい風が巻き起こり、斬撃が飛んだ。
蓄積された力が結界と激しくせめぎあう。サルバナの槍、ラミーナとウエーバーの魔法、クラウドの斬撃。連続して繰り出された力に、さすがの結界も悲鳴を上げている。
「いっけぇぇえぇえぇぇえ――――――!!!!」
シエラは自身の魔力を咆哮と共に結界にぶつけた。ありったけの力を込めて、目の前の障壁を打ち破らんと。瞬間、結界に亀裂は走る。サルバナの放った槍を中心に、ひびが入ったのだ。もう一息で壊せる。シエラ達は更に魔法をぶつけた。
パリィィイィイイン。
甲高い音が聞こえた。空から透明な破片が降り注いでくる。ガラスと違って、あたっても痛みはない。むしろ触れた部分から、使った分の魔力が戻ってくるような感覚さえ感じる。シエラがその破片に気を取られたのは一瞬で、すぐにステージに意識がいく。
「ユファ!!」
ステージに向かって駆け出す。ぐったりとしたまま彼女は倒れ込んでしまっている。シエラがユファの元に近づこうとすると、目の前にエリーザが立ちはだかった。
「……そこを退いて」
自分では敵わない相手であると分かっているのに、シエラは強気を崩さない。エリーザはじっとシエラを見つめ、何かを推し量ろうとしている。
「……あなた、夢でアン様にお会いした事があるんですってね」
ぽつり、小さな声で紡がれた言葉に、シエラは目を見開く。
「アン様から聞いたわ。……そして、アン様はあなたの事を“分からない”と仰った」
「……分からないのは、私も同じだよ」
「あなたは、ただ魔力量が凄まじいだけの一般人。敵として取るに足らないと思っていたわ。でも、アン様はあなたの事をそんな風には仰らなかった。むしろ……」
「むしろ……なに?」
シエラは怪訝な顔つきになる。エリーザは言葉を濁し、逡巡している。けれど、彼女は顔を上げると再びシエラを見つめた。しかし、シエラはエリーザの言葉の続きを聞くことができなかった。
エリーザの後ろから、真っ赤な瞳が、光を放っていたからだ。燃えるような、全てを焼き尽くすような業火の光が、灯っていた。
シエラが息を呑んだのが分かったのか、エリーザは後ろを振り返り――そして、彼女もまた固まった。いつの間にかシエラの後ろに来ていたらしいウエーバー達も、動けずにいる。乾いた喉が張り付いて、シエラは声が出ない。
「……ユ、ファ?」
ようやく搾り出すようにして出た声は、ひどく頼りないものだった。ユファは、ボロボロになった己が肢体を引きずるように、ゆっくりと、エリーザに近寄っている。
「まさか、まだ立っていられるだなんて……」
さすがのエリーザも驚きを隠せないようだ。今のユファはまさに幽鬼。澄んだ湖畔のような左目の冴えた輝きは消えうせ、代わりに普段隠している右目が業火の煌きを放っている。
シエラは、その様子に言葉が出なかった。左右色違いの瞳は、先ほど謁見したダリアミ国王と同じで、罪悪感がシエラの中に舞い戻ってくる。
「……それにその瞳。あなたまさか、ロディアゼル?」
ただエリーザだけが、何とか冷静さを保っているらしい。焦りを含ませつつも、彼女は落ち着いた声音でユファに問いかけた。ユファは無言で数珠を翳す。すると、エリーザが持っていたダリアミの日記が、一瞬にしてユファの手元に移動していた。
「……あらやだ」
エリーザは動揺するどころか、それを見て優雅に笑っている。
シエラは混乱する頭を押さえ、ただ呆然としていた。
ロディアゼル。
どこかで聞いたことがあるような気がする。あれは一体いつだったか。確か、ルダロッタに行く前。ラミーナとウエーバーが話しているのを盗み聞いてしまった時に、その単語を聞いた気がする。
その時も今も、その言葉の意味は分からないけれど。ただなんとなく、嫌な予感はする。シエラは焦点の定まらない双眸で、エリーザとユファの二人を眺めた。ユファの顔には、特に何の表情もない。それなのに、シエラには彼女がひどく悲しみ、傷つき、また怒っているようにも見えた。
「ユファ……」
どうすることもできない自分がもどかして、シエラは名前を呼んでいた。僅かに、ユファの瞳が揺れる。エリーザがその隙を見逃すはずもなく、ユファに魔法を放った。しかし、エリーザの放った光の矢は、ユファの目の前で灰に変わってしまう。
「……きゅーん」
「イヴ?」
怯えるように鳴いたイヴにつられて、シエラは視線を自分の肩に向けた。そして、やっと気がついた。自分たちの立っているステージに、闇が迫っていたことに。
「あれって……!!」
ディアナのトロイヤ遺跡でもシエラ達を飲み込んだ、あの“闇”だ。闇はずるずると地面を這うようにして、こちらに向かってきている。もう、逃げる場所はない。しかも闇は膨張しており、上空に逃げるという方法も使い物にならないだろう。
「ユファ……!!」
すぐに手を伸ばせる距離にいるはずなのに、やけに彼女との距離が遠く感じる。シエラの心を焦燥感と虚無感が襲った。どくん、と胸の鼓動が高鳴る。六つの温もりが、シエラの中に流れ込む。
シエラがそう思った瞬間、ダリアミの日記が眩い光を放っていた――。




