四
朝目が覚めると、不思議なほど心は穏やかだった。これから自分の身に何が起こるか分からなくなる。そんな旅が始まるというのに、シエラの気持ちは平静そのものだった。
ふと、自分の頬が濡れているのに気づく。
「なんで、泣いたんだろう」
夢の中を思い出そうとしても、それは叶わず、ただ感情の奔流に流される。胸が締め付けられて、苦しくなって切なくなって、愛しさを感じて、大切なものに感じた。もう一度頬に触れてみると、不快感などは一切無く、寧ろ高揚感を感じた。
「……支度しないとね」
シエラは今日旅立つ。王女にルダロッタまでの送迎を頼んだが、それは拒否されてしまった。適合者が己の脚で旅をする事に意味がある。くれぐれも必要以上に手を貸すようなマネはするな、と。ルダロッタの神々に念押しされているらしい。
「……はぁ」
必要最低限の荷物を詰め、勢い良くチャックを閉める。今日発てば、ナルダンの適合者と合流できる可能性が高い。一人旅など無理だ、そうシエラは想っているため、合流する必要があった。
もしもの時に、魔法が使えない自分では困る事が多い。何より、他国の適合者に興味があった。自分の周りにいた様な人間なのか、それとも初めて出会うタイプの人間なのか。勿論、その感情を当人達に悟られる事無く、というのが前提である。
――面倒ごとはこれだけで十分。
鞄を持つと部屋から踏み出し、階段を一段一段踏みしめる様に降りる。
「おはよ」
リビングに入ると、朝食の準備をしているリアンに声をかけた。
「あら、おはよう」
昨日とは違い、いつもどうりの元気な姿だった。その事にシエラが安堵すると、リアンはテーブルに食事を並べ始める。
「今朝はシエラの好物フルコースよっ!」
「ありがと」
準備を手伝いながら、料理の香りが鼻腔をくすぐる。
「お、今朝は豪勢だな」
「あ、お父さん」
礼服姿のオレイドを久しぶりに見たシエラは、思わず笑ってしまった。
「さ、頂きましょう」
手を合わせると、三人揃って
「いただきます」
と言い、料理に箸を伸ばし始めた。
「……おいしー」
頬に手を当てながら、シエラは幸せそうに料理を堪能する。いつも食べているはずなのに、今日は一段とおいしく感じるのだ。
「母さん、朝から肉って重くないか?」
「いいじゃない。ねぇ、シエラ?」
笑いが漏れる家族団欒の時間。何故か感じる寂しさは、暫くの別れのせいだろうか。
「……シエラ?」
黙り込んだシエラを不審に想い、リアンはシエラの顔を覗き込む。シエラは自分の分をいっきに頬張ると、凄い勢いで食べきってしまった。その様子を口をぽかんと開けて、リアンとオレイドは見つめていた。
「ぷはー! 美味しかったぁ!!」
満足げにお腹を擦るシエラを見て、リアンは笑い出した。それにつられるようにオレイドも笑い出す。
「お母さん。私が帰ったら、またいっぱい作ってね」
食器を流し台に置くと、シエラはリアンを見つめた。
「……えぇ、沢山作るわ」
微笑むシエラを見つめながら、リアンは大きく頷いた。それを見たシエラは鞄を腰に付け、二人を振り返った。
「いってきます」
笑顔でリビングを出て行ったシエラは、まるで学校にでも行くような、いつもと変わらぬ素振りで玄関の扉を開けた。
「……シエラ」
扉の閉まる音を聞きながら、リアンは泣き崩れた。
「大丈夫だ」
オレイドは優しくリアンを抱きしめながら、ゆっくりとリビングを出た。玄関の扉を開き、辺りを見回す。
もう背中が小さく見えてしまうところに、シエラは歩いていた。
「……成長したんだろうな」
リアンを抱きしめる力を強くし、オレイドは家の中へと戻っていった。
「……まずはタッテューに行かないとね」
馬車乗り場で地図を広げながら、シエラは空を仰ぎ見た。
――あぁ、今日も平和だなぁ。
実際、聖玉の封印が解けかけているため、平和とは言えないのだろうが、街は至って穏やかである。
「……ふあぁぁ」
呑気に欠伸をしていると、馬車がきた。行き先を告げると、代金を支払い、乗り込む。シエラはロベルティーナの首都、アレンダに住んでいる。タッテューはここから北西にある都市だ。
今までアレンダから遠くに行った事など無いシエラは、見知らぬ街の風景を想像し、胸を躍らせていた。
そしてシエラを乗せた馬車が走り出す。
「快適、快適」
魔法の馬車。馬と人を乗せる篭の両方に特殊な魔法をかけている。そのためただの馬車より何倍も早い。最大時速百五十キロ。しかも魔法で地面に足が着いておらず、空中を走る。
ロディーラならではの快適な移動方法だ。
「お嬢ちゃん、何でタッテューに? お遣いかい?」
かっぷくのいい中年男性の馬車の騎手が、シエラに話しかけてきた。
「……まぁ、そんなところ」
余計な事を話して騒がれても面倒なので、適当に返事をする。
「聖玉の封印が解けかけてるから、何が起こるか分からない。気をつけるんだよ」
尚も話し続けるので、適当に相槌を打ち、聞くことにした。
「お嬢ちゃんも、適合者のことは知ってるだろ? わしにも娘がいるんだが……聖玉を信じてないんだよ」
――まぁ、普通だと想うけどなぁ。
つい最近まで、シエラも聖玉の存在を疑っていた。しかし、実際に宝玉を見て、その存在を身体に宿してからは、幾分か信じるようになった。
「全く、罰当たりもいいところでねぇ」
ぶつぶつと話している騎手を尻目に、シエラは空を眺めた。
「……あぁ、そうだ」
シエラは思い出したように、騎手を見た。
「――もう少し、急いでもらってもいいですか?」
タッテューの街に着くと、シエラは大きく伸びをした。ずっと馬車の中で座っていた為か、腰が痛い。
馬車乗り場から出てくると、すぐそこには活気溢れる広場があった。
「ここがタッテューかぁ」
丁度噴水の周りに人だかりができいるが、なぜか雰囲気は楽しげではない。気になって近寄ってみると、どうやら喧嘩が起きているらしい。
「あの、どうしたんですか?」
近くにいた人の良さそうな小太りの女性に訊ねると、
「あっちの二人組みが喧嘩を売ったんだけど、どうにも売った相手が悪かったみたいでねぇ……」
その言葉と共に、人だかりから男が二人飛び出してきた。
シエラと女性は視線をそちらに向ける。
「うわぁぁあぁあぁあぁ!!」
「ば、化け物だあぁぁあぁぁ!!」
叫びながら逃げるようにその場を立ち去った二人は、怯えた瞳をしていた。シエラは突然のことに目を丸くする。
「……大人と子供の喧嘩みたいだったな」
人ごみの中、誰かの呟きが聞こえた。それだけで、相手の力量が窺える。
――そんなに強かったんだ……!
シエラが視線を噴水に向けると、ぽっかりと開いた空間に青のロングコートに身を纏っている青年が立っていた。深緑の髪は襟足が長く、前髪は右に流れている。丁度剣を鞘に収めているところで、その様子をシエラと同年代ほどの女性たちが見つめている。
「全く、強い上に美形ときた。暫く娘共が騒ぐねぇ」
小太りの女性の呆れ声も雑踏に紛れ、シエラはその青年を盗み見た。
――歳は、私と近そうだけど……。
切れ長の瞳には何となく威圧感がある。青年は身を翻して雑踏に紛れてしまい、そのまま姿が見えなくなった。
シエラは広場を後にすると、コナ村への行き方を調べるために、役場へと向かった。親切な説明のお陰で、意外とすんなり理解し、役場を後にする。
「……お腹すいた」
役場を出た途端シエラの腹の虫は騒ぎ出し、シエラは空を見上げる。朝出発し、今は昼。昼食を取るにも丁度いいだろう。シエラは辺りを散策しながら、一軒の飲食店に立ち寄った。
「いらっしゃいませー」
シエラが店内に入ると、ウェイターの声が店内に響く。店はおいしそうな香りと人々の雑談で賑わっていた。
「こちらにどうぞー」
カウンターに案内され席に着くと、右隣に記憶に新しい顔があった。
「……!!」
――さっきの剣士!?
どうやら向こうは、シエラが盗み見ていた事に気づいていないようで、黙々と食事をしている。
シエラも無理矢理視線を引き剥がし、メニューを見つめる。嫌な事は連続して起こる、とはよく言ったものだ。
シエラは隣の青年が厄介事を起こさないかと、心配なのだ。メニューを見つめるが、何だか意識しないと想うたび、意識しているのと同じで、どうにも落ち着かない。
シエラがメニューを見ながら唸っている時、青年もまた、シエラを盗み見ていた。その事にシエラは気づいていないが、青年は食事を続けながら、極自然に見ていたのだ。
――えぇい!! 考えても仕方ない。自分の好きなものオンパレードだ!!
意を決したシエラは、ウェイターに次々と注文する。一人前にしては多すぎる量がカウンターに並び、シエラはそれを黙々と食べ始める。
両隣に驚いた顔をされたが、それも無視して食べ続ける。半ば怒ったまま食事を胃袋に詰め込むと、足早に会計を済ませて、店を出て行こうとした。
しかし扉を目前にし、障害が入った。
「おい、ねーちゃん、見ない顔だな? どっから来たんだ?」
下卑た笑いを向けられ、シエラはその二人を睨む。
「俺たちと遊ばねぇ?」
ぐいっと腕を引っ張られ、苦痛に顔を歪めた。シエラの目の前にいるのは、先ほど喧嘩で負け、逃げた二人組みだ。
――ほんと、運の無い!!
更に睨むが、
「可愛い顔が台無しだぜ?」
「そんな怖い顔すんなって!!」
相手は全く聞く耳もっていなかった。
――その手を放しなさいよっ!! つか、台詞が古いっていうかさ、常套句過ぎるっつーの!!
心の中で喧嘩を売るが、面倒事を増やすだけだと判断し、黙ったまま男たちを睨んだ。しかし、その反抗すら男達には逆効果なようで、更に下卑た笑みを深められた。
「……また、あんたらか」
その時、後ろからかけられた声に、男達は固まった。
「……え?」
シエラが振り返ると、深緑色の髪が目を惹いた
「剣士!! お前っ!! なんで此処に!?」
「ひぃぃいいいぃ!!!!」
男達は剣士を見た途端震え上がり、シエラを放し一目散に逃げていった。
他の客からも歓声が沸き起こり、しかし青年は眉一つ動かさずに店を出て行った。
呆けていたシエラも、我に返り青年の後を追う様に店を出る。すると、店の脇にその青年が立っていた。まるで、シエラを待っていた様に。
「あの!! ありがとう」
そう言って頭を下げると、青年が呆れた声で、
「あんな奴らに絡まれてんなよ」
と言ってきた。その言葉の優しさに、思わずシエラは微笑んでいた。
「……しっかし、魔法だって使えただろうに」
びくん。シエラの肩が僅かに揺れる。魔法――シエラが最も苦手とするものだ。
「なんで使わなかったんだ?」
「いやぁ……その、面倒事を作りたくなかったから」
適当に言い訳を言うと、それでも青年は納得したように頷いた。内心で安堵の溜め息を吐く。
「まぁ、あんな事で魔法使ったってな……」
――そうそう! 店一つ吹っ飛ばしても困るし!!
「でも、お前って凄い魔力持ってるな」
その一言で、またシエラの肩が僅かに揺れた。魔力――シエラが最も所有する、不必要な力だ。
「……剣士の俺でも分かるほどだ」
「……ハハ、まぁね」
苦笑いを返すと、青年は不思議そうにシエラを見た。
「お前、名前は?」
見ず知らずの青年に名前を聞かれ、一瞬戸惑ったが、彼は純粋な興味から聞いているのだと分かり、口を開いた。
「シエラ。シエラ=ロベラッティ」
「俺はクラウド=ディワーディス」
青年はそう名乗ると、シエラに
「もう絡まれるなよ」
と、そう言って去っていった。
「……変な奴」
一人残されたシエラは、クラウドの背をただ見つめていた。クラウドの姿が雑踏に紛れ、完全に見えなくなってからシエラは歩き出した。
シエラが向かうのは三大国に囲まれたコナ村。タッテューの街境から伸びる林道に沿って行けば、コナ村には着くそうだ。コナ村は国に属さないため、大国からコナ村への正規の馬車は一日一本しかない。何故国に属さないのかは、この世界の古くからの風習や歴史が関わっている。
シエラはゆっくりと足を動かす。一口にタッテューと言っても、広い。あらかじめシエラは街境に近い場所に来ていたため、移動はそこまで苦ではなかった。街境にたどり着き、林道が見え始めるが、まだ日は真上に昇っている。
「……でも、こっからが問題なんだよね」
コナ村までは徒歩だと3時間以上は軽くかかってしまう。日が傾けば危険も増すので、できれば避けたい。しかし、悠長に明日まで待つ時間も無いため、シエラは林道に沿って歩き始める事にした。暫く歩いていると、足が段々と重くなってきた。
「……疲れた」
適当な木陰に入り、座って休憩をする。その時、背筋がぞくりと波立った。
「何……?」
殺気を感じ、身体をきつく抱きしめる。
少しずつ傾き始めた太陽。シエラの頬を汗が滴り、ごくりと喉を鳴らす。
生温い風が吹き、身震いした。本能が危険を告げ、警鐘が鳴り響き思考が正常では無くなる。逃げろという本能。しかし、身体は動かない。
突如として起こった突風に視界を奪われ、次に目を開けたとき、シエラは驚愕した。赤の血走った瞳、二足歩行なのに尾を地面に引きずりながら、荒い息を漏らしている。
シエラは声にならない悲鳴を上げた。
――なんで!? なんでこんな所に!? どうして魔物がっ!?
魔物――目の前のそれは、ロディーラで忌み嫌われ迫害を受け続けている種族だ。
「……人間」
血走った瞳がシエラを捉えると、纏う空気が一瞬にして凍りついた。
「……我ラノ敵」
その言葉に、シエラは授業で知った魔物に対する知識が走馬灯のように溢れ出た。
魔物はマヨクワードゥという国に隔離され、人間との接触は一切無い、はずだった。元々、魔物は人間と共生してきた。しかし、それは長い歴史上、ほんの僅かな時間。ロディーラの歴史で、人間と魔物は常に争っていた。漸く近年、その戦争は収まり、人と魔物の距離が縮まりつつある。
しかし、それは極一部の魔物に限っての話。人間に害があるとみなされた魔物の一族は未だに隔離状態だ。そう、今シエラの目の前にいる魔物がそれだ。
「敵ハ……一人デモ多ク、殺ス」
ゆっくりとこちらに向かってくる魔物に、恐怖心が強くなり、
「いやぁあっ!!」
悲鳴を上げて走り出した。足がもつれて上手く走れないシエラに、確実に魔物は迫ってくる。
――あぁ、私はここで死ぬんだ……。
そう思った。
魔物は魔法が絶対使える種族だ。人間の言葉が話せるという事は、知能もある。恐らく魔物の中でもランクが高いのだろう。
「でも、抵抗しないで死ぬなんて……」
再び走りながら、後ろを振り返る。
「……やってみるしかない!!」
まともに魔法を成功させた例などないが、それでもやらなければならない。
「……すぅぅう」
大きく息を吸い込み、魔力を手に集中させる。後ろに魔物がいるのを確認し、足を止め魔物に向き合う。
「……我が敵を燃やし尽くせ、フレイム・アロー!!」
シエラの手に炎の矢が複数出現し、魔物に向かって飛んでいく。
ドカン。
魔法は見事命中し、シエラはガッツポーズをした。
――流石に、低級魔法は何とかなった!!
安堵しているのも束の間。魔物が煙幕の中から姿を現す。
「え!?」
恐ろしい事に、魔物は無傷だった。
「……し、失敗した!?」
どうやら、爆発したものの大したダメージにはならなかったらしい。
「駄目だ……こりゃ」
流石に低級魔法すら失敗するようでは、戦っても勝ち目が無い。
――なんか無いの!?
やけくそで腰の鞄の中を後ろ手に漁ると、あるものを見つけた。
――これだ!!
勢い良くそれを抜き出すと、
「我が意志に従い、我が魔力を媒介としろ!!」
早口で詠唱した。
すると、取り出した棒が光だし、見る見るうちに剣となった。
刃の部分が黄色く光り、シエラは少しだけ息を荒げている。
「魔道具……カ」
魔物は怯む事無く、シエラに向かって突っ込んできた。魔物の鋭い爪と剣がぶつかり合い、林道に響いている。
「くっ!!」
――馬鹿力なんてもんじゃない!!
魔力を媒介とする魔道具。シエラには持って来いなものではあるが、それは使用条件を大幅に満たしているだけである。実際、特別剣の才能があるわけでも、剣技に自信があるわけでもない。
――でも、やらなきゃやられる!!
シエラは魔道具に更に魔力を注いだ。力技で対抗しないことには、確実に殺されてしまう。
目の前に魔物の顔があるだけでも、吐き気がする。しかし、気合で持ち堪え、何度目かの衝突でやっと間合いをとることに成功した。
「……はぁ、はぁ」
しかし、魔物の一撃一撃が重いため、シエラの体力も限界だった。肩で荒く息をしながら、シエラは魔物を見据える。勢い良く地面を蹴り、魔物に剣を突き立てる。しかし、身体を反らされてしまい、シエラは向かいの木に剣を刺してしまった。
「っ!?」
――ぬ、抜けない!!
必死に引っ張るが、剣はぴくりとも動かない。剣を引っ張りながら仰け反ると、目の前に魔物の姿。
「死ネ!!」
林道に轟音が響き渡り、土煙が辺りを覆う。
「ゲホッ、ゴホ……」
間一髪で避けたが、目の前の木々は無残にへし折れている。シエラは立とうとするが、
「いっ!?」
左足に痛みを感じ、視線を向けると脹脛のあたりから出血していた。
「……っ!!」
無理矢理立てば、激痛が全身を襲う。気力も体力も無い今は、これだけでも十分に気絶してしまいそうだった。
「コレデ……終ワリダ!!」
魔物の大きな手が翳され、シエラは目を閉じた。
――あぁ、死ぬんだ。
覚悟を決めるが、一向に痛みはやってこない。
「……?」
恐る恐る目を開けると、そこには誰かの背中があった。
「まさか、襲われてるのがお前だったとは」
深緑の髪。切れ長の瞳。その声の主に、シエラは大きく目を見開いた。
「クラウド=ディワーディス……?」
シエラがそう言うと、彼は魔物に視線を戻す。そして、魔物を抑えている剣を横に大きく薙ぎ払った。
「グアァァアアァァ!!!!」
苦痛に顔を歪め、魔物はのた打ち回っている。魔物の血が辺り一帯の地面を濡らし、その匂いが漂う。
一方、クラウドの方は返り血を浴びる事も無く、血の付いた剣を事も無げに持っている。
安堵にシエラが座り込むと、クラウドは険しい表情で魔物を見た。
「まだ、終わりじゃない」
呟きと共に、魔物が咆哮を上げて立ち上がった。
「赦サヌ、赦サヌゾ!!」
身体を己の血で汚しながらも、魔物は血走った瞳をクラウドに向ける。
「我ノ忠実ナル下僕ヨ、コノ声ガ聞コエルナラバ、今ソノ姿ヲ現シ主人ニ従エ!!」
怒声の様に召喚呪文を唱えると、魔物の周りが光りだす。
「死ネェェエェェェ!!!!」
魔物の叫びと共に、光の中から何かが飛び出してきた。それは一直線にシエラ達へと向かい、それをクラウドが受け止める。
「くっ!!」
その物体は跳ね返され、轟音を立てながら地を引きずり、十メートル以上後退し、やっと止まった。そして、土煙から姿を現したそれは魔物と同様、異形だった。体全身を茶色い毛が被い、角が二本頭から生え、牙を向き出しにし、魔物と同じ血走った目を持っていた。
魔物と並んでいる姿は、できれば見たくないものだ。召喚者の魔物と違うのは、角が二本だという事と、毛が茶色いというところ。魔物の毛は黒で、角は額に一本。
「面倒な事になりやがった……!」
傍でクラウドのそんな声が聞こえるが、シエラは魔物たちの瞳から視線を離せないでいた。何故だか、彼らの瞳を見ると哀しくなる。しかし、殺されるという状況を呑気に受け入れるわけにも行かなかった。
「何者カハ知ランガ……人間ハ殺ス」
魔物がそう吐き捨てると、クラウドは剣を二人の魔物に向けた。
「……生憎、殺される訳にはいかないんだ」
剣を持ち直すと、クラウドは下僕の方の魔物に斬りかかる。魔物の爪と、クラウドの剣。林道に二人のぶつかり合いの轟音が響き、木をへし折っていく。
「なかなか、やるじゃねぇーか!!」
ザシュッ。クラウドの剣が魔物の肩を斬り落とした。
「ガァァアァアァァア!!!!」
斬られた右腕を押さえながら、魔物は更に血走った瞳をクラウドに向けた。
「悪いな」
一瞬哀しそうな表情を見せると、クラウドの目つきが急に鋭さを帯びる。苦しむ魔物に飛び掛り、正面から剣を振り下ろした。それは、一瞬の出来事だった。クラウドが剣を振り下ろすと、魔物が真っ二つになって倒れていた。
「っ!!」
目の前で斬られた魔物を見つめ、シエラは言葉を失う。それと同時に、がたがたと身体を震わせた。苦痛からの絶叫も無く、静かに彼は死んだのだ。
「我ノ……下僕ガッ!!」
それは最早肉の塊と化していた。魔物は自分の下僕の血を踏みながら、クラウドを睨む。それは、ただの威嚇ではない。純然なる殺意の篭った一種の力と呼べるもの。
「……まだ、やるのか?」
一滴も返り血を浴びなかったクラウドの問いかけに、魔物は叫んだ。
「殺シテヤル……!!!!」
そのあまりにも哀しい叫びに、シエラは耳を塞いでしまいたくなる。しかし、それは目の前の命への冒涜の様な気がして、塞ぐことが出来なかった。
「オォォオォオォ!!!!」
咆哮を上げながら、クラウドに突っ込む魔物。クラウドはそれを避けると、剣の柄で魔物の鳩尾を突いた。
「グッ!!」
苦悶の声を漏らすと、魔物はそのまま木に飛ばされ、何本か折りながら、やっと止まる。圧倒的なクラウドの強さに、シエラはただ呆然と戦いを見つめる事しか出来ない。
「……凄い」
それは、魔法に頼らない本当に“力”のみ。そんな戦い方をする人を見るのは初めてだった。魔法学校でも、魔法を使った戦いの訓練がある。しかし、皆魔法を使う。剣を使う人もいたが、それは魔道具の剣。結局は“魔力”に頼っている。
「クラウドって、めちゃめちゃ強いんだ」
独り言を呟くと、胸の奥に希望が湧いてきた。絶体絶命と想ってた所に、救いの手が差し伸べられたのだ。急に押し寄せてくる安堵感に、泣きたくなる。しかし、まだ終わってはいなかった。
「ウォォオオォォォオオォオ!!!!」
それは、獣の咆哮。地面を、空気を震わせ、心に直接届くような叫び。
「……我ハ、我ハ!!」
見ると、魔物の双眸からは涙が流れ落ちていた。まるで人間のように涙を流す姿に、シエラは一体何が違うのかと今までの常識に疑問を投げかける。
――だって、あの魔物には心があるのに……。
確かに見た目は怖いし、醜悪かもしれない。けれど、彼らにも心があるのだ。ならば話し合いでの解決も可能ではないのかとシエラは思う。魔物は涙で頬を濡らしながら、シエラとクラウドのことを睨みつけてくる。その瞳にはより一層怨嗟の念が渦巻いていた。
「貴様ヲ殺ス……!!」
魔物の凄まじい殺気と、それと同等の殺気を放つクラウド。殺気と殺気のぶつかりあい。その視線だけでも人を殺せるのではないかと想うほど、この場の空気は張り詰めている。
「……一つ、聞きたい」
剣を構えたまま、クラウドは口を開いた。
「何故、お前がここにいるんだ?」
傍から見れば、間抜けな質問に感じるだろうが、張り詰めた空気ではそんな感覚は微塵も無い。それに、シエラは漠然とだが、クラウドの質問の意味を理解していた。
「……我ラガ、未ダニ隔離状態ナノハ知ッテイルナ?」
魔物の瞳が怨みや悲しみの篭った暗い光を放つ。
「我ノ一族モ、他ノ一族モ……多クノ同士ガ許可ヲ貰エズ、“マヨクワードゥ”ニ居ル」
そう、それは事実だ。だから、魔物の多くは人間を怨み、どちらといえば人間に肩入れしている神も怨んでいる。
「コノ世界ハ、人間ノ物デモ無ケレバ、神ノ物デモ無イ。ナノニ――何故我ラハ隔離サレナケレバナラナイノダ!!!?」
魔物の怒りは大地を揺らし、傍にあった木々をなぎ倒す。魔物の思いの丈を聞き、クラウドは目を伏せた。
「……復讐、か?」
その言葉に、魔物は鼻息を荒くし、更に瞳を血走らせる。
「復讐ナドデハ無イ!! 殲滅ダ!!」
あまりにも深く哀しい言葉に、シエラは現実を思い知らされる。そして、忌まわしいあの日々を思い出した。
「……哀れだな」
クラウドがそう言うと共に、魔物は突っ込んできた。
「貴様ニ!! 何ガ分カルッ!!!!」
悲痛な叫びが木霊し、それと同時に剣を薙ぐ音も響き渡る。
「だから……哀れなんだ」
それは、刹那。
クラウドは一瞬にし魔物を斬ると、鞘に剣を収めた。それと同時に、魔物が地面に倒れこむ。
「安心しろ。お前は殺しはしない」
倒れ込む魔物に近寄り、クラウドは鏡の様なものを取り出した。
「……殺セ」
魔物の小さな呟きに、シエラはずきりと心の奥が痛むのを感じる。そして、この世界は残酷だとも思った。
「……俺の国では、お前のような魔物は殺してはいけない掟だ」
クラウドの一言に、魔物は絶望したような表情を見せる。
「だが、お前はすぐに還れる」
そう言うと、クラウドは魔物に鏡を向け、
「魔と呼ばれし存在、今あるべき場所に還さん」
詠唱すると、ゆっくりと鏡が光だし、それは魔物を包み込む。
「マヨクワードゥで、安らかに……」
光とともに、魔物は鏡に吸い込まれて消えてしまった。その光景に、シエラは言葉が出てこない。クラウドは鏡をすぐに仕舞うと、シエラに向き直った。
「……なんだ?」
シエラの視線を不審に想ったのか、クラウドは首を傾げる。
「あの……今の、何?」
やっと出てきた言葉だった。すると、クラウドはあぁ、と頷いた。
「あれは召還鏡と言って、魔物をマヨクワードゥに還すためのものだ」
面倒そうにそう言うと、ちらとシエラを見てきた。どうやら、他に質問が無いか訴えているようだ。
「つまり、逆召喚って事?」
逆召喚とは、召喚の逆――呼び出すのに対して、呼びかえす事だ。あまり一般では使われる事のない魔法である。
「まぁ、そんなところだ」
「そんな技術あるんだ。知らなかった」
シエラが感心してそう言うと、クラウドは事も無げに言う。
「まぁ、これはナルダンの特別な技術だからな」
「…………ナルダン!!!?」
長い沈黙の後、シエラは声を大にして反応する。クラウドは迷惑そうに耳を塞ぎ、不機嫌そうにシエラを見た。
「そんなに驚く事か?」
「……えっと、クラウドはナルダンの人なの?」
シエラが困った風に聞くと、クラウドは眉間に皺を寄せて頷いた。
「諸事情により、ロベルティーナに滞在してたんだ」
諸事情。とても気になるが、詮索するのは趣味ではないので、あえて何も言わずただ頷き返す。
「さて……」
そう言ってクラウドは歩き出そうしたが、
「待って!」
シエラに呼び止められた。
「何だ?」
振り返ると、脚を震わせ立てずにいるシエラがいる。
「腰抜けちゃって……ちょっと手貸して貰ってもいい?」
魔物に襲われたという珍事件に、完全に腰を抜かしてしまったのだ。
「……仕方ない」
渋々クラウドはシエラに手を差し出した。
「ありがとう」
差し出されたその手を、シエラが掴もうとした瞬間。
「きゃっ!?」
「ッ!!」
二人の間から、神々しい光が発生した。それはあっという間に二人を包み込み、すぐにその姿を消してしまう。
「な、に……?」
シエラは再び地面に腰を落とす。クラウドも自身の手を見つめたまま、微動だにしない。何も外見に変化はないはずなのだが、はっきりと今までとは違うものを感じる。今感じたものは、つい先日感じたものとよく似ていた。
「……共鳴」
そう、今のは宝玉との共鳴に、あまりにもよく似ていたのだ。
「まさか……」
クラウドが息を呑む。すると、急に険しい顔つきになりシエラを見つめた。
「お前も――適合者?」
その言葉に、シエラは違和感を感じる。
「も、って事は……クラウドもっ!?」
訊ね返すと、大きく溜め息を吐かれた。その事は少々腹ただしかったが、それどころではない。
「こんな奴が適合者……」
愕然と頭を抱えるクラウドに、シエラは自力で立ち上がり抗議した。
「なっ!! 何よ、それ!?」
――私だって好きでやってるんじゃないんだから!!
心の中で叫ぶが、勿論それがクラウドに届く筈が無い。
「……」
「な、なに?」
クラウドが無言で見てくるので、思わず上擦った声が出てしまった。
「……目的地は?」
一瞬、その質問の意味を図りかねたが、その真っ直ぐな視線に、自然と答えが導かれる。
「神の国、ルダロッタ」
そう言うと、クラウドは満足に頷き、
「行くぞ」
もう一度シエラに手を差し伸べた。




