六
シエラは途中で立ち寄った泉で顔を洗っていた。
各々近くで好き勝手しており、暫しの間休憩となっている。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、寝るのには丁度いい。きっとここで横になったらすぐに睡魔がやってくるだろう。
そんなことを考えながら、シエラは泉の水面を見る。
――それにしても、あのアンって子、本当に一体何者なんだろう。
年の頃は自分とほぼ同じだろう。それなのに、全てが全てかけ離れているように思える。アールフィルトと名乗り、一体化しているはずの体内の宝玉にも触れられる。
――そんなこと、本当に出来るの?
宝玉や聖玉はかつて世界を救ったリディアが創ったとされている。けれど、にわかには信じられないことが沢山あるのだ。
魔法では為しえない生への干渉、世界そのものの均衡を守れるほどの力。そのどれもが離れ業だ。
――じゃぁ、リディアは人間じゃなかったとか? というか、そもそもなんでリディアは神に選ばれたの?
考えれば考えるほど抜け出せなくなる。宙を彷徨い問いは空転を続け、シエラはただ水面に映る自分を凝視した。
――あぁもう訳分かんない!! ていうかもっと情報あったっていいじゃん!
八つ当たりをするように水面に手を叩きつける。ばしゃっと勢いよく音が鳴り水がはねた。
「……きゅーん」
「……え?」
突然聞こえたか細い声にシエラは思わず目を瞠った。
さらさらと靡く柔らかい毛並み。愛らしいくりくりとした瞳はじっとこちらを見つめており、シエラは忘れていた存在を思い出した。
「イヴ!?」
「きゅーん」
「……え!? 今までどこにいたの? っていうか、ごめん完全に忘れてた……!」
シエラはひきつった笑顔を向け、機嫌を損ねたイヴを撫でる。
すっかり忘れていた。出会った当初はシエラの肩に乗ったり歩いたりしていたイヴだったが、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。
我ながら薄情さに呆れてしまう。神の使いから「役に立つから」と言われ預かったこともあり、いなくなっても戻ってくるだろうという勝手な思いがあったのだ。
そしてアンたちからの襲撃を受け、すっかりシエラの記憶からイヴの存在は消え去ってしまっていた。
「きゅーん!」
咎めるように鳴いたイヴに思わず苦笑いが漏れる。流石に自分でも呆れるしかできない。
そっと撫でてやると、イヴは気持ちよさそうにシエラの手に鼻をすり寄せたり、喉を撫でてやるとくすぐったいのか身を捩った。
「ほんとごめんね」
そう言って笑っていると、ふと、水面に影が差した。
誰かと思い水面をみると、とても怖い顔をしたウエーバーが横を通り過ぎていくところだった。
――ウエーバー?
首を傾げてその後ろ姿を見る。強張った表情はとても暗く、そして瞳は冷たい。
一体何があったのか。つい気になって彼の後を追う形になってしまった。
森の奥へと歩を進め、時折周りを気にしているが相当焦っているらしくシエラにも全く気づかない。
――何かあったのかな。ていうか、あのウエーバーが私に気づかないなんて。
シエラは木の陰に隠れながらそっと尾行を続ける。
ウエーバーは立ち止まり、木々の密集した僅かな隙間に身を潜ませると、懐から小さな水晶を取り出した。
「……もしもし、こちら零四五一です。三二零六に通信をお願いします」
「了解しました。少々お待ちください」
――魔術の通信? 暗号を使ってるみたいだけど。よく分かんないなぁ。
暫しの沈黙の後、水晶から女性の声が聞こえた。
ウエーバーは黙ってその声に耳を傾け、そしておもむろに口を開く。
「では、それはこちらで対処します。……えぇ、分かっています。全く、子供扱いしないで下さいよ」
電話の相手は反論しとうとしたが、盛大な溜め息を漏らし「分かりました」と呟いた。
「……あと、一つ聞いていいですか? ボクが離れている間に、貴族種か上級の魔物が関わった事件が起きましたか?」
何故、そこで魔物が出てくるのかとシエラは眉間に皺を寄せる。話しそのものも分からないが、けれどそこで魔物が出てくるということは更に解せない。
「……そう、ですか。いえ、なんでもないですよ。あんまり心配しないで下さい。ボクは大丈夫ですから」
笑ったウエーバーは何処か痛々しかった。
表情を窺い知ることは出来ないものの、それでも声だけで感じる。
――何、してんだろ私。
あんなに怖い顔をした人間は見たことが無かった。それぐらい、先ほどのウエーバーは沈んでいた。
だから、つい気になってしまったのだ。
お節介、なのだろう。誰にだって知られたくないことはあるし、それにまだ出逢って数日の人間に簡単に心を打ち解けることなど難しい。
「……はい。では、これで」
魔術の通信を切ったウエーバーは水晶を仕舞いこみ、ゆっくりと歩き出した。
シエラは慌てて身を縮め木に張り付いた。これ以上動けば確実に気づかれてしまう。
――バレる……!?
内心でビクついていると、突然目の前が真っ暗になる。
何か言葉を発しようと口を開けるが、指を当てられ驚きのあまり何も言えなくなる。
「しー。騒がないで下さい、シエラ」
「……ウエーバー!?」
耳元で囁かれたこともあり動揺してしまう。
しかし、彼から伝わってくる体温がやけに冷たく感じる。
シエラは目を覆っている手にそっと触れた。
「……どうしたの?」
「さっきの会話、聞いてましたよね」
まるでそれを恐れていたように、ウエーバーの声は僅かに震えおり擦れてもいた。シエラは逡巡した後、ぎゅっと彼の手を握り締める。
「少しだけ。魔物について聞いてるところだけ」
「そう、ですか。すみません、聞かせるつもりはなかったんですけど」
何故そこで謝るのか、シエラには理解できなかった。勝手に聞き耳を立てたのはシエラであり、ウエーバーに非は無い。
「私の方こそ、ごめん。勝手に聞いて……」
この木の隔たりがあって良かった。ウエーバーの顔を今は見ることが出来ない。
絶対に触れてはいけないものに触れてしまった。そんな気がして、シエラの呼吸は自然と浅くなる。
シエラ以外の三人がただの一般人ではないと、うすうす感じていた。けれども、好奇心には勝てない。
ウエーバーの哀しげな雰囲気に、シエラは数分前の己を悔いた。
宝玉が、ずきずきと疼く。
――なんでこんなに痛いんだろ。
何かの前触れなのか、それとも単なる気まぐれなのか。シエラは胸を押さえながら、視線を上に向けた。
「ッ!?」
その瞬間、鋭い殺気が幾つもシエラの身体を射抜く。あまりの鋭さに皮膚が粟立つ。
後ろにいるウエーバーも同じらしく、すぐさまシエラの腕を取り走り出した。
「ちょ、ウエーバー!?」
「……シエラ、すみません。これは僕の責任です」
「え? 何が!? ウエーバー!!」
「今は言えません! とにかく、クラウドさんたちと合流して……」
二人は狭い木々の間をすり抜けながら走っていた。
しかし、突然目の前の木々が真っ二つに割れる。
次いで激しい振動がやってくる。木が倒れ、影が差す。今朝シエラが見たものと同じだ。
恐る恐る視線を持ち上げる。筋肉に覆われた肢体に、獣のような雄々しい毛並が、忽然と存在していた。
「上級、ですか」
見るからに魔物だった。二足歩行だが、立派な尻尾まである。
シエラはごくりと喉を鳴らした。
威圧感がこの間の魔物の比ではない。纏う雰囲気そのものが恐ろしいのだ。
「シエラ。ここは僕が足止めしますから。クラウドさんたちと合流して下さい」
「で、でも……!!」
「走って!!」
ウエーバーの怒号と共に地面が穿たれた。
ドガンドガンと幾打も繰り出され始める攻撃に、シエラはすくみ上がる。警鐘が鳴り響き、全身の震えが止まらない。
「シエラ!!」
「あ、あ、あぁああぁっぁあぁぁ!!!!」
怖くて堪らない。
シエラは奇声となった叫びと共に走り出した。ウエーバーがあれほど焦るということは、本当にあの魔物は危険なのだ。
――クラウド!! ラミーナ!!
泉にいるであろう二人の仲間を思い浮かべる。
膝が笑って上手く走れない。そんな自分を叱咤しつつシエラはひたすら前を見る。
一体何が起こったというのか。魔物がこんなに頻繁に現れるなど、本来ありえない。
「はぁ、はぁ……!!」
抜けた。木々から開けたところに飛び出すと、シエラは酸素不足の身体に鞭を打つ。
「クラウドォオォ――!! ラミーナァアァ――!!」
渾身の叫びは泉に響き渡り、シエラは大きく肩で息をする。
すると、案の定驚いた表情のクラウドとラミーナが走ってやってきた。
「どうしたのよ、そんな大声で呼んで」
「なんかあったのか?」
二人とも気づいていない。地面が削られるほどの衝撃に二人が気づかないはずはないのだが。
シエラは混乱した頭で、先ほどのことを思い出しながら話し始める。
「ま、魔物が……!! それで、ウエーバーが!」
「落ち着け、よく分からねぇ」
クラウドは怪訝そうに顔を顰めた。ラミーナもシエラの背中を擦りながら状況を把握しようとしている。
「上級の魔物が突然、現れて……。とにかくウエーバーが危ないの!!」
シエラは二人の腕を取り、走り出そうとしたが逆に引き止められてしまった。
何故。そう問いかけた視線はクラウドの険しい眼差しと交わる。
「お前、あいつに言われて俺たちを呼んだのか?」
あいつ、とはウエーバーのことだろう。シエラは「そうだけど」と呟く。それが一体何だというのだ。
「なら。あいつがお前を逃がしたってことは、よく考えてみろ。お前にはいて欲しくないってことだよ」
「なっ!? ……私が戦えないから?」
反論を思いとどまり、シエラは自嘲気味に笑った。しかしクラウドは真剣な眼差しで「そうだ」と頷く。
「だからお前は残れ。……あんたもだ」
クラウドはラミーナに視線を向ける。ラミーナは仕方ないと言った風に肩をすくめて見せた。
それを確認すると、クラウドは疾風のように木々を駆け抜け消えてしまった。
「……全く、素直じゃないんだから」
ラミーナがシエラの頭を撫でながら微笑を浮かべる。シエラは首を傾げ、ラミーナを見上げる。
「つまり、あいつもあんたを傷つけたくないってこと」
「……ラミーナって凄いポジティブだったんだ」
「ぷっ。あははははは、あたしが? それは違うわね。ただ単にあんたが人の気持ちを汲み取るのが下手なのよ」
ラミーナは笑いを堪えながら、シエラに何かを伝えようとしている。
それに首を傾げながらも、シエラは考えてみる。
傷つけたくない。まるでウエーバーもそうで、尚且つクラウドもそうだ。と、そういう意味なのだろうか。
――よく分かんないな。
今まで、親友と呼べるような人は誰一人としていなかった。ツヴァイと行動を共にすることが一番多かったが、基本的にはシエラは一人だった。
一人でいることの方が楽だった。
魔法が全く発動できないシエラの存在は世間一般で言う落ちこぼれというものだ。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、シエラはどこにも部類できずに、他人と関わりを持たなかった。
「……ねぇ、ラミーナ」
「ん?」
だからこそ、適合者として一緒にいる彼らの優しさや温もりは、シエラにとって眩しくかけがえのない存在になりつつある。
「クラウド、今どんな気持ちかな」
「さぁねぇ。仕方ねぇな、とっとと助けてやるか。……なんて考えてんじゃないのかしら。あの不器用くんは」
「……二人とも、大丈夫かな」
「待ちましょう、二人を」
ラミーナの凛とした、毅然たる態度にシエラは真っ直ぐ前を見る。
待つしかできないのがもどかしい。
けれど、今は信じて二人を待ってみることにした。




