桜舞う混色の空で
『豊山』が用意した真新しい草履は、『豊山』の髪と同じ金で台が高く、小さな桜の意匠が散らされていた。
茂野は軒先でその草履の鼻緒を咲夜の為に調整していた。
その後ろ姿を『豊山』、『適兎山』との歓談より戻った咲夜が捉える。
すぐ声をかけてやってもよかったのだが、咲夜は廊下で立ち茂野の仕事を見つめていた。側についていた松緒は突然立ち止まった咲夜の顔を見て、優しく微笑む視線の先を捉えた。
松緒も咲夜に従い黙って側に控えた。
真新しい草履を両手で包むようにして、指で鼻緒を引き下げる。新しいとはいえ履き物を自分の袴の上ですげる茂野の姿には深い忠誠を感じさせる。
黙って見つめていると、茂野はこちらの気配に気づいたのか、草履を揃えて廊下へ上がると、袴をさっと払い丁寧に皺を作り頭を垂れた。その品のある所作は櫻花と似て、真っ直ぐ咲夜を見つめる青い目は吉水のように愛情に満ちていた。
「お帰りなさいませ。出立の準備は整ってございます」
「豊山総出で見送りをして下さるそうです。少ししてから出ましょう」
咲夜は座敷には戻らずに茂野の横へついた。
庭の花を眺めてから、咲夜は膝に手を置いて遠く内海の方角を見ていた。
茂野はその方角が『呉慈島』──通称『呉山』の方であることを知っていたので「お元気ですよ」と意図をくみ取って声を掛けた。
『呉山』に何があるかといえば、時雨がいるのだった。
時雨は『豊山』の恩恵を受けるようになって季節を二つ巡ると、見違えるほどに大きく育った。
村上がこの豊山へ足を踏み入れた時よりも、茂野の正式な弟子として稽古をつけてもらうようになった時よりも大きく──ひとの子でいう元服の年にほど近く、美しい黒髪は肩よりも長い。
ひとつに結い上げれば、波のように美しい艶をもって山中のおなごを魅了するようになった。
『豊山』は瀬戸内の『呉山』を時雨に与え『呉山』稲荷神として宛がった。
「無事山をお治めでおられます」
「時雨は優秀な弟ですからね。先に豊山を出て、妾より立派な稲荷神になってしまって。でも妾も弟に負けてはいられませんね」
「張り切られるのは結構ですが、ご無理はなさいませんように」
「妾は姉なのですから、手本を示さねばなりません。それに葵山は妾の山です。先代侍従が愛し、多くの思い出のある山。あの山だけは何をしても盛り立てて未来へ繋いで行かねば示しがつきません。でも心配はしてはおりませんよ」
咲夜は遠くへ投げていた視線を手元へ戻して隣の茂野へ向けた。
十年前はこうして視線が合う度にやけに顔を火照らせて視線を躍らせていた茂野も、もうそんな仕草を見せることはなくなった。
「妾にはそなたと松緒がいます。遠く離れていても、『大豊山』や時雨がいます。それに、櫻花や吉水……」
──『みかど』と『大紅葉山』が今も自分を守ってくれている。
「こんな恵まれた稲荷神はそういないのです。『葵山』は美しく立派な山になるでしょう」
「はい」
茂野はそこで改めて咲夜の顔を見つめ、両手に力を込めた。
こうしてただの山ノ狐として向かい合えるのも、これが最後となるだろう。
もう一度、ただの茂野として咲夜に愛を伝えたいと口を開こうとすると、松緒が廊下の奥から顔を出した。
「咲夜様、茂野様 『呉山』侍従村上様がお越しです」
松緒が村上を添えて廊下から渡ってくる。
迫っていたふたりの距離はぱっと離れ、茂野はとてつもなく不快な目線をやってきた村上へ投げた。
櫛を通してもふくらむ箒のような金の髪はしっかりと赤い紐で結わえられ、不作法な身のこなしも随分と改められたが空気を読む能力はいくら鍛えても全く成長しない。咲夜の推挙もあって時雨の侍従に据えられ、侍従を預かったのだから少しはその方面も成長したかと思ったがやはり期待は裏切られた。
「『呉山』時雨様より葵山までの警護役として遣わされましてございます」
「まぁ時雨が……時雨は息災ですか」
「はい、本日もできれば御出立を見送りにこちらへ参じたかったとのことなのですが、『呉山』はまだまだ仕事も多く、名代として私が」
「お前が来てもな……」
茂野が本音をぽろりと零すと村上はきっと茂野へ視線をやった。
「茂野様? 私は『呉山』名代でございますよ」
「名代であっても、お前はお前だろう。ちゃんと呉山でも鍛錬は続けておるだろうな」
「免許皆伝とは参りませんがまぁまぁそれはおいおい」
「その適当さが身を滅ぼすと言っているのに」
「何はともあれ私は葵山までご同行して皆様の護衛仕ります。そしてっ」
村上は黄金色の尾を振り松緒の手を握り締めた。
「遠い遠い昔に約束して戴いた葵山名物の葛切りをたらふく戴いてから『呉山』へ戻る所存です」
「あ、あぁ、そんな約束をしたことがありましたね。覚えていたのですね村上様」
「もちろん覚えておりますよ。あの時松緒様とした約束はこれからもずっと守って参ります」
その言葉の裏に、紅葉の枝を加えていた小さな村上の姿が松緒の脳裏に浮かんだ。
「それに、茂野様は私の師です。あなた様が侍従を預かるその時をこの目でしっかりと見届けたいと思うのが弟子の姿というところでしょう、違いますか」
「違っていて欲しいな」
茂野の即答に、咲夜が笑ってしまうと村上は心外という顔をして頬を膨らませた。
「茂野様が侍従を預かったら、お祝いにこれをお渡ししようと幼い頃よりずっと決めておったのです」
村上は懐から包みを取り出して茂野へ差し出した。




