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青い嘘  作者: しいな けい
【捌】
58/68

榛色から桜色へ

「その錦絵は『雪沙灘』様がお描きになったものです。己の分社以外にも母上の印象に共通の意識を持ち、一日でも早く具現化を為すために」

 そのように古くより母上の具現化のために計らい、半ば洗脳に近い形でひとつの像を共有させる。

 たしかにこの時代にそれがまだ叶わずとも、千年先、万年先になれば『雪沙灘』の願いは叶いそうだと茂野は思う。

 だが『雪沙灘』がそこで母上を見つけ過去へ連れ帰っているならば、今茂野や松緒の目にも母上が見えているはずだ。

「今……まさにこの時も、まだ『雪沙灘』様は具現化された母上を見つけてはおられないということになりますね」

「そうですね。未来など私には分かりません。この先母上の実像が、複数になり統率が乱れ具現化が叶わなくなるということも考えられます。ですがあの御方の執念に近い恋慕はそれほど甘くはないはず。必ず母上を具現化させようと時の狭間で画策されているでしょう」

「『葵山』はそのことをご存じなのですか?」

「『雪沙灘』様がどのような能力をお持ちであるかは知っていますが、母上具現化の目的の為にこの世に()いことは知り得ません。 咲夜様に関しては『雪沙灘』様が最後に分社し残された方です。時雨様同様、咲夜様も個体としては脆弱な御方です。幼いままで『雪沙灘』様の思いを知るには至りませんでした。──ですが、双子である『大江山』は思いの丈を理解しておられます」

 なるほどあの『大江山』から漂う、特異な空気はその異質さからくるものなのかと茂野は理解した。

 『紅葉山』と『豊山』の間を蝙蝠のように行ったり来たりどっち付かずで漂いながらも、ずっと先の未来の方ばかりみつめているような稲荷神だ。彼は総本山の具現化を今も願い、父『雪沙灘』と母上の帰還を待っているのだろう。

 茂野は『雪沙灘』に対して何の知識も想像も持ち得ていなかったが、松緒の話を聞くうちにぼんやりとその姿が形作られている感覚を得ていた。

 三朱の三柱の中で『雪沙灘』はもっとも純粋に総本山を求めていたのだろう。

「この話は三朱の方々も知っているのですか」

「この計画を知るのはごく一部。総本山侍従『不死見上ノ社』尾薄、『大江山』と私、最後にこれから会いに行く、櫻花・吉水お兄様です。『雪沙灘』様が単独で動かれた事を考えると、残りの三朱の方々はそれに反対をしておられたと見るべきです。我らは母上の実体がないからと言って死に絶えるわけではない。母上は今もおられるのですから。これは──ひどく冷徹な言い方をすると、ただの……『雪沙灘』様の個が願う恋慕でしかないのです」

「つまりは桜の花が大事か実が大事かという話ですか」

「そうですね。どちらに興味があるかは個体差の問題ですが、その前提である桜の木がそこにあることは揺るがないのですから」

 存続の危機課題であるわけでもないとなれば、誰も命がけで望むことはないだろう。

 だが恋慕というもの。

 湧き出る素朴な思いこそが、個体の心を捉え原動力となることを茂野は知っている。

 なにより咲夜の側に付いてから茂野自身、一層にその思いは研ぎ澄まされたように感じるのだ。

「なぜこんな話を?」

「あなたは『葵山』侍従になられるのでしょう?」

 松緒の口から改まってそう言われると、茂野は心が浮くような思いがする。

「『葵山』侍従となるのならばいつか必ず『雪沙灘』様と向かい合う日がくるはずです。その時に何も知らずにいては不都合もあるはずです」

 いつか必ず──

 茂野はその言葉の意味を理解し松緒に問いかけた。

「では来るべきその時のために、松緒様が『雪沙灘』様の事をあまりよく思われていないお心内をお聞かせ戴けますか」

 松緒は暫く黙っていたが、茶を唇に添わせ喉を潤わせると、夏木立のたてる葉の擦れ合いに耳を傾けつつ、深くため息をつきながら答えた。

「恐いのです」

「恐い?」

「多くの兄弟を使い、己の欲のために母上を具現化させようとする心が恐いのです。だって今もここに、母上はおられるのですよ。目には見えなくとも本殿の御前に赴き声をかければ、答えて下さるのです。それが『母上』なのになぜそれ以外の『もの』を作ろうとするのか。それは贋物です。三朱の上に立つ総本山『不死見稲荷大社』真朱様とは言いません。それは贋物の朱──いうなれば銀朱です」

「具現化された器の中にある魂は、総本山に代わりはないはずですよね?」

「だとしても、その器は多くの兄弟が『雪沙灘』様の欲のために作り上げたものです。そんなものは頂点であり最初の神、総本山ではないのです。形がないからこそ母上。全ての兄弟にあまねく共通する母なのだと私は思うのです」

 松緒は『雪沙灘』をはじめとする周囲の働きに意を唱えようとする、叛逆的な己の考えにも不安を抱いているようだった。己のこの考えが間違いであっても正しくあっても、周囲にそれを理解するものはいないのだ。正誤ではなく孤独感なのだろう。

 茂野は手を伸ばし松緒を抱き寄せた。

 抱き寄せられるまま茂野の作った影の中に埋もれ震える。

「誰もが己を構成するものが、父母の願いや求めによって構成されたものだということは理解するでしょう。ですがそれが、第三者の他の意図によって生み出されたと知ったらどうです」

 松緒は問いかけて自分ですぐ否定した。

「知らずにいられればよいでしょう。ですが未来に具現化する母上はそれを知り過去へ連れ込まれるのですよ。恐ろしいことです。咲夜様は『雪沙灘』様の力を引き継いでおられます。遠い未来で『雪沙灘』様は咲夜様の力を利用して具現化した母上を過去へ連れ去ろうとするに違いないのです」

 木から木へと鳥が飛び退る。

 茂野と松緒は足を止めていた四辻から再び山頂上ノ社へ向けて歩き出した。

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