榛色から桜色へ
「『雪沙灘』様は遠い未来の稲荷の世で、血と肉を得て具現化した母を迎えに行かれたのです」
「『雪沙灘』千里朱雀様の御力とは──『葵山』に継承された貴重な力とは、時間移動の能力なのですか」
驚きだけで理解分析が及ばない。
思えば久照がかつて究極は陰陽術に足りぬ『雪沙灘』の能力を解明することだ、とぽろりと零したことがあった。
五行を極め、もはや生み出せぬものなどないと思っていた陰陽術の最高とは──それであったのだ。
熱射は鋭く頭上から差し込み、葉陰が多いとはいえ体力を著しく奪っていく。
大袈裟に驚いたり動揺雑念を外界へ向けると焼け焦げそうだ。
茂野は松緒の突拍子もない言葉を解釈する事と、参道の石段を上がることに集中した。
未来に行けば───母上は具現化していると『雪沙灘』は思ったのはなぜだろう。
朝夕を無限に繰り返した先には、形なき母上でも具現化するほどの大きな何かが得られている、ということなのだろうか。『雪沙灘』は時間移動の力でそれを前もって知り、そこへ向かったということだろうか。
「茂野様少し休みましょう。日が少し傾かねば道中疲れるだけです」
四辻と呼ばれる総本山中腹まで上がりきると、沢まで降り一休みを松緒が提案してきた。
「そうですね。急ぎ清滝殿に向かわねばならないほど火急の旅ではありませんしね」
猛暑は額に浮かぶ汗を急いてくるが、ふたりは急がず遊山に似た気持ちで上がっていた。
ふたりで赴く所があるため、咲夜警護の勤めを二日ほど非番にすると言った時に、咲夜は今までになく打ち解けた笑みを浮かべ新婚旅行は大事です、などと言った。
茂野も松緒もそんな暢気な目的ではなかったのだが、誰がどう見てもそうなる。
茂野はその慣れない言葉に戸惑った。隣にいた松緒は顔を真っ赤にして顔を上げられず、ただ「そのような用向きでお側を離れるわけではありません」と抵抗していた。
咲夜が己の侍従達に会えない代わりに、文でもしたためて渡せば二柱も喜ぶだろうと思ったのだが、それはならない。
櫻花と吉水の所在処遇は、箝口令が敷かれていたのでこれから兄弟に会いに行くと伝えることはできなかったのだ。
だが咲夜は総本山へ向かうなら母上にこれを納めてきて欲しいと、文を差し出した。
何かと問うと櫻花と吉水の処断を見送るための嘆願であった。
もう何通も総本山へ送り、幾度も『豊山』に願い出ていたことだったが、機会あるごとに伝えたいのだと。
その文は茂野の胸に収めてあるが茂野はこの嘆願書は総本山ではなく櫻花と吉水に手渡そうと考えている。
沢の湧き水を浴び涼を取る。木陰で松緒はずっと手にしていた風呂敷を広げて弁当を広げてきた。
「わざわざご用意戴いたのですか」
「総本山は上ノ社まで上がらないと食事もままなりませんので。お口に合うかは分かりませんが」
「手製ですか。それはありがたく頂戴致します」
「以前お話しました柿の葉寿司を……」
「頂きます」
会話は途絶え、無言で互いの膝のあたりを見つめ合う。
「茂野様……」
「はい」
「いかがでしょう……お味は……」
「美味しゅう御座いますよ」
茂野は何を求められているのか分からなかったのかそっけなく返したが、手がもう一つと伸びたので十分だった。松緒が聞きたかったことは言葉ではなく行動で感じられた。
茂野は黙々と柿の葉寿司を咀嚼しながら、先ほどの『雪沙灘』の話の解釈も続けた。
「松緒様。先ほどの『雪沙灘』様のお話ですが未来へ行けば総本山が具現化されているとお考えになったのはなぜですか?」
「それはこうして私や茂野様が存在しているからです」
「私達が存在しているから?」
難しい話となると、山ノ狐程度の脳では理解に及ばないかもしれないと思ったが続きを即す。
「ひとの子が、我ら稲荷神に対して特定の象徴を与え信仰し、それを元に『形』を作るからこうして私達は存在しております。ならば我らも『これと決めた形に多くの願いを寄せ具現化を願えば』母上も必ず具現化をするはずだと『雪沙灘』様はお考えになったのです。力在る神たる我らが、今は百の兄弟しかいないとしても、千、万と増えたらどうなると思いますか? 万の意思を持って母上の具現化を信じ願えば──」
茂野は唾を飲んだ。
それは確かに可能となるかもしれない。
「『雪沙灘』様は三朱の中でたった一柱だけ、総本山の具現化した姿を強く描かれていたのです。ひとの子も我らを見ることはできませんが、あれやこれやと想像をして、像であったり絵であったり、誰しも脳の中で姿を描くでしょう? それと同じことです。『雪沙灘』様はその像を形にしたかったのかもしれません。数こそ少ないですが『雪沙灘』の血を引く稲荷神はすべからく瞼の裏に総本山の具現化した姿を浮かべます。瞼の裏に像を結ぶことができるのは『雪沙灘』の血脈を持つものだけです。それが『雪沙灘』の血脈を持つ兄弟の証とも言えましょう」
残念だが茂野は目を閉じても瞼には誰の像も結ばない。
だが知識として知ってはいる。総本山とされた錦絵は誰もが幼い頃に一度必ず見せられる。
長く美しい透けるような白銀の髪、青い目に赤い唇。
あれは何なのだろう。その問いにも松緒は正確に返答した。




