左遷された四級管理官
――ゴゴゴゴゴ……。
「……」
中世を思わせる、高くそびえ立つ城壁。
その上には、漆黒に染まった空が広がっていた。
時が止まったかのような空間に穿たれていた巨大な穴が、ゆっくりと閉じていく。
空一面を埋め尽くしていた無数のデータコードも、次々と消滅していった。
「……」
そして、そのすぐ前。
スーツ姿で一団の先頭に立っていた男は、無言のままその光景を見届けると、ゆっくりと振り返った。
「『エラー』の修正は完了しました。帰還許可を」
「……クリアタイム、5分18秒。事態終息。帰還を許可する」
前から二列目にいた男がタイマーを止める。
その瞬間、後方で一部始終を見守っていた者たちから、小さなどよめきが起こった。
「……本当に……とんでもない領域だな。どうすれば、あんな……」
「……あり得ないだろ。なんだ、あの権能は……」
【次元B-9235におけるエラー終息】
【本日発生した派生宇宙:214件
現在、転生待機中の魂:24,774件】
もはや嫉妬することさえ馬鹿らしい領域だった。
あまりにも次元が違った。
眼前に浮かぶシステムメッセージを眺めながら、彼らは揃って口を閉ざした。
神格直轄多元宇宙管理局。
通称――『管理局』。
本宇宙、つまり、現実の地球で人気を得た創作物から生まれ、『派生宇宙』として分類された世界を管理する、上位存在たる神格たちの直轄機関。
そして――。
「名だたる神格たちから寵愛を受けているらしい。俺たち程度じゃ、とても近づけるような……」
「……しっ、静かに。こっちに来ます」
「……敬礼!」
「……」
今、彼らの目の前にいる男こそ。
その頂点に立つ存在だった。
「お疲れさまでした、柏葉管理官……!」
「はい。では、お先に失礼します」
緊張した面持ちで敬礼する彼らに、黒髪の男は小さく会釈し姿を消した。
「……これなら、報告書も長々と書く必要はなさそうだな」
改めて振り返れば、そこにはもう、先ほどまでの騒ぎなど最初から存在しなかったかのような光景が広がっていた。
完全に修復された世界を前にして、彼らの表情には隠しようのない感嘆と畏敬が浮かぶ。
柏葉霖也。
誰もが憧れる存在。
絶対的な神格から寵愛を受ける、選ばれた者の象徴。
そのあまりに高い『格』も、彼の振るう権能も、何ものにも傷つけられないほど盤石に見えた。
誰一人として、彼の足元にも及ばない。
誰もが、そう信じて疑わなかった。
彼がいる。
ただそれだけで、数多の次元と宇宙が救われていたのだから。
――それから、数百年後。
「柏葉管理官。……柏葉管理官?」
「……あ」
デスクに座ったまま、ほんの少し目を閉じていた男。
……つまり俺は、目を開けた。
「起こしてしまってすみません。そろそろ隣の部署の現場派遣班が帰還する時間なので……」
「……ああ。はい。わかりました」
【派生宇宙管理本部――観測管理第2係/係長/4級管理官 柏葉霖也】
【残存勤務期間:8年1か月7日】
天井いっぱいに展開されたホログラムディスプレイの光が、ぼんやりと視界を滲ませる。
鈍い疲労を感じながら、片手で顔を覆った。
柏葉霖也。お偉方の意向に従って働いていたが、ある日左遷されて転落した、勤続500年の社畜。
……そしてようやく、転生まで8年を残す管理局の次元管理官だ。
◇
「……今日が現場班の帰還日でしたっけ? 時間が経つのも忘れてました」
「ここにいると、いつもそうですよ。まあ、時間の流れがあまりにもバラバラですから……」
寝起きのせいか、まだ頭がぼんやりしていた。
わかります、とでも言いたげに頷いた係員が、自販機のコーヒーを差し出してくる。
渡す側も、受け取る俺も、揃って疲れ切った顔をしていた。
死んだあとでさえ安息を得るどころか、神格の社畜になって、毎日残業漬けで生きる人生とは。
「ところで、今回現場班が入ったあそこ、少し前にシナリオの進行が終わってませんでしたっけ? 再派遣までの間隔が短すぎません? 世界観にエラーでも出たんですか?」
「そういうわけじゃなくて。作者が外伝を200話以上も連載したせいで、追加派遣になったそうです……」
「それは……」
「しかも途中で『10年後』まで入って、全部で13年かかったらしいですよ」
「うわ、それは……」
どうりで何か月も姿を見ないと思った。
こちらでは二、三か月でも、派生宇宙の中では10年以上。
ずいぶん酷い時間を過ごしてきたらしい。
「このあと、現場派遣班の帰還記念の歓迎会があります。先週、通知が出てましたけど」
「……ああ」
正直、あまり参加したくはなかった。
少し居心地が悪いというのもあったし、何より俺は左遷されてここにいる身だからだ。
(……本当のところ、一番の理由はあいつらと顔を合わせたくないだけなんだけどな)
悪縁で結ばれた連中と顔を合わせたところで、ろくなことにはならない。
「あ、それ……」
「はい?」
どうにか抜け出す口実はないかと辺りを見回していると、ちょうどいいものが目に入った。
「お持ちのその本、シナリオが終わったので保管しに行かれるところですよね。私が置いてきます」
「あ……! ……えっと、じゃあお願いしてもいいですか? ありがとうございます」
幸い、彼もそこまで察しが悪いわけではなかった。
俺がその場を気まずく思っているのに気づいたらしく、人のよさそうな笑みを浮かべながら、青い表紙の本を一冊差し出してきた。
色を見るに、異能力者ものか。
「地下11階の保管庫、E区画です。あ、その……ご存じだとは思いますけど、神格もののコーナーに入るときは気をつけてください。神格ものはシナリオ終了後、うっかりもう一度開いてしまったら……」
「大事故ですよね。わかってます。心配しないでください」
誤ってページがめくれないよう注意しながら、青みがかった表紙をさっと眺めた。
(最近も、こういうファンタジーが人気なのか?)
現場に出ていないと、最近の流行がさっぱりわからないな。
まあ、こういうのが流行るからこそ、うちのお偉い役員様方も日に日に勢いづいてるんだろうけど。
(8年。管理局時間で、あときっかり8年だけ耐えれば、こんな生活も終わりだ……)
残っていたコーヒーを一気に飲み干し、保管庫の前に立った。
【入室権限を確認しました】
短い案内音声とともに、透明なガラス扉が開く。
薄暗い照明が通路を照らす書庫の中へ、足を踏み入れた。
(多すぎるだろ。みんな、よくもまあこんなに書くもんだ)
「……おい、あの人……。……あ、お疲れさまです!」
「……はい」
途中、俺に気づいてぎこちなく挨拶してくる者たちの横を通り過ぎ、さらに奥へ向かった。
噂の種を見つけた者たちの好奇と同情が入り混じった視線を感じたが、今さら珍しくもない。
(E区画……。あった)
管理局で数百年も働いているのに、滅多に来ない神格ものの区画にはいまだに慣れない。
(俺に取扱注意の派生宇宙を任せるのも嫌なんだろうな。おかげで面倒な行き来が少ないのは助かるけど)
所属していた現場派遣職からも外され、何百年もこれといった仕事を与えられないまま、機械的に書類整理ばかりする人生。
お偉方の機嫌を損ねて左遷された社畜の生活なんて、こんなものだ。
疲れた目を擦りながら歩いていた俺は、ふと足を止めた。
(ここに、あんなものあったか?)
何千冊もの本が果てしなく並ぶ書架のあいだ。
ぽつんと一冊、博物館にでもありそうなショーケースに収められたまま、太い鎖で巻かれた本が見えた。
(エラーが原因で封印された派生宇宙か?)
そういうことも、たまにはある。
ただ、あそこまで厳重に封じられているとなると、上位神格が直接関与して封印した可能性が高い。
(神格たちのやることに、ただの社畜が首を突っ込んでいいことなんてない)
ここで数百年も転がされて得た教訓だ。
すぐに意識を切り替え、本来の目的に戻った。
持っていた本を書架に収め、ちょうど踵を返そうとした、そのときだった。
――ガタン。
「……?」
なんだよ、これ。どうなってるんだ。
――ガタン。
――ガタン、ガタン……。
ショーケースの中で眠っていた本が、激しい音を立てながら揺れ始めた。
「……ちょっと待て。何かおかしい。俺は何も触ってないはず……」
本能的に危険を察した身体が、じり、と後ろへ下がった。
だが、俺がその場を離れるよりも、異常現象が進行するほうが早かった。
――ガタン、ガタン。
本に巻きつけられていた鎖が、今にも外れそうにガチャガチャと鳴る。
そして……。
「……!!」
――バキン!
ついに錆びついた鎖が外れた、その瞬間。
狂ったように揺れていた本の表紙が、ひとりでに開いた。
(くそ、待て……!)
そして、目の前に開かれる一冊の本。
ピ――ッ!
咄嗟に緊急呼出ボタンを押したのと同時に、視界が暗転した。
はじめまして。日本語はまだまだ勉強中の作者です。
日本語で小説を書いて投稿するのは初めてなので、とても緊張しています。
母国では数年前から専業作家として活動しているのですが、普段から日本のWeb小説も楽しく読んでいて、「別の言語でも書いてみたい!」と思い、今回初めて日本語での連載に挑戦することにしました。
翻訳の下書きにはツールを使い、それ以外は、原文の執筆や下訳後の細かな修正など、すべて自分の手で仕上げています。
日本語はまだ完璧ではないので、試行錯誤することも多く、原文のニュアンスがきちんと伝わっているか不安もありますが、なんとか頑張って書いていきます!
できる限り確認しながら書いてはいるのですが、不自然な表現などがありましたら、いつでも教えていただけると嬉しいです。
少しでも楽しんでいただけるよう、精一杯書いていきます!
よろしくお願いします!




