12話 掌に握ったのもの
「街へ出かけに……ですか? キラリさんと一緒に?」
書斎でリトの隣に座り、魔法理論の本を読んでいたミナトが顔を上げる。
昼過ぎの日差しが差し込み、カーテンが風に揺れている。
以前まで埃をかぶっていた本棚も、今では誰かが目の前を通っても咳き込むことはない。
「そう。ミナトもずっと城の中にいたら息が詰まるだろうって、聖女様が言ってたよ」
ミナトは不思議そうに首を傾げた。
「そうなんですか? キラリさんって、そういうの気にする人だったんだ」
リトはそんなミナトの言葉を聞くと、好奇心をくすぐられたのか、少し体をミナトの方へ向けた。
「聖女様とはどんな関係だったの? 元々知り合いなんでしょ?」
ミナトは以前のことを思い出すように顎に手を当て、天井に視線を向けた。
もうミナトがここへ来てから一ヶ月が経とうとしている。早いのか遅いのか。そんなことを思いながら、口を開く。
「はい。学校で、同じ学年だったんです。でも、あんまり話したことはなくて。お互いのことも、そんなに知らないっていうか」
「へえ、そうなんだ」
背もたれに体重を預け、ミナトは少し言いづらそうに口を開いた。
「僕の勝手な印象なんですけど、周りの人に特別話しかけたりとかしてるイメージはなくて。いつも女の子同士で固まって、後ろから様子を見てる感じだったような」
少し困ったように眉を下げ、苦笑いしてリトを見る。
「なので、キラリさんが僕のことを心配してるっていうのが、あんまり想像つかなくて」
何度か瞬きをしてから、リトはにこっと微笑んだ。
「うん、僕もそう思うよ」
ミナトは意外そうに目を見開いた。
先ほどまで読んでいた本は、開かれたまま置かれている。
「そう思うって……キラリさんが僕のことを心配してるわけじゃないって思ってるってことですか?」
「うん」
リトは窓の外を見た。机の上に置かれた指が、規則的な音を立てる。
「聖女様は、全然魔法が上達しない。魔力がないわけじゃないけどね。それに、ミナトが城から追い出されたって話を聞いて、随分と思い詰めていたみたいだし……」
ミナトは黙って話を聞いていた。まだピンときていない様子である。
「それで、すごく焦ってるみたい。自分も成果をあげないと、追い出されると思ってるんじゃないかな」
「成果、ですか。それと今回の街への外出に、なんの関係があるんですか?」
リトの机を叩いていた指が止まる。
リトはその人差し指を自分の唇に持っていった。
「さあ? でも、なにか思いついたみたいな顔してたからね。行ってみれば分かるんじゃないかな」
ミナトは少し前屈みになり、不服そうな顔をした。
「ええ、教えてくれないんですか? 絶対、心当たりある顔してるじゃないですか」
「ふふ、うん。まあね。でも……そうだな。この前した約束、覚えてる?」
リトの言葉を聞いて、ミナトはさも当然のように頷いた。
「もちろんです。この前の森での出来事、秘密にしておいてってやつですよね?」
「そう。それだけ守ってれば大丈夫だよ。まだミナトに聖者の力があることは秘密ね」
リトがいたずらっぽく微笑むのを見て、ミナトはまた首を傾げた。
「思ってたんですけど…なんで秘密なんですか? お兄さんとか、他の人にも言った方がいいんじゃ?」
リトは頬杖をついて、ミナトを見た。
「びっくりさせたいんだよ。兄さんのこと。ただ報告するんじゃなくて、ちゃんと目の前でミナトの力を見てもらって、驚いてる顔が見たい。ミナトも、兄さんにいきなり城から追い出されて悔しくないの?」
ミナトは思いもしなかったことを言われたのか、息を呑んだ。
「悔しい…ですか。思ったことなかったというか、そんなこと思う暇もなかったです」
ミナトは自分の膝の上に視線を落とした。
「まあ、そうかもしれません。…たしかに、追い出したくせに聖者として働いてほしいとか言われたら、ムカつきますね」
リトは口元に手を当てて笑った。
「意外だな。ミナトって、そういうこと思うんだ」
頬杖をしていた体勢から、リトは体を起こした。ミナトに向き直る。
「じゃあ、お互いに協力するってことで。僕は兄さんを驚かせたい。君もちょっとした意趣返しになるだろ? 僕は君に知識と機会を提供する。君は聖者の力を練習しておく。どう?」
リトはミナトに拳を突き出した。
ミナトは突き出された拳をしばらくじっと見てから、笑顔で自分の拳をコツンとぶつけた。
「はい!」
ミナトは顔を輝かせ、大きく二度頷いた。
リトの役に立てるのが嬉しいのか、意趣返しができるのが嬉しいのか。あるいは、その両方か。
リトは、ミナトが以前森で見せた力のことを思い出していた。
今、自分の拳を付き合わせている相手が、木を丸々一本薙ぎ倒すほどの魔法を使えるということが、いまだに信じられないような心地だった。
それからしばらくの間、ミナトはリトが持ってきた本で知識を得たり、森へ行って実践してみたりしながら、魔法の練習を始めた。
リトからミナトの話を聞いたライラは、最初は怪訝そうな顔をしたものの、今までの不可解な出来事を思い返し、納得したようだった。
「はあ。それで、魔法の練習をしたいからミナトの手伝いを減らしてほしい、ですか」
「そうそう。ミナトのおかげで仕事が楽になったって言ってたところ悪いんだけど、よろしくね」
水色の髪をお団子に結い直しながら、ライラはため息をついた。
「了解っす。前に戻るだけですから。……ミナトみたいに魔法は使えないんで、汚いとか言わないでくださいよ」
ミナトが掃除した場所は、まるで新品のようになる。
ライラは内心、少し羨ましく思っていた。
「言わないよ。今まで通りで十分」
「……そうですか」
リトは、ライラの横顔が少し寂しそうなのを、長年の付き合いから感じ取った。
その話をした翌日、リトはライラに好物のガナッシュを渡した。
ライラはいらないと言いつつも、その日のうちに袋を空にしていた。




