第73話 影に潜って村を覗いていた魔王軍の斥候を、割れた手鏡ひとつで引きずり出した
昨日、門を叩き割りに来た先遣隊長ゴズを、返しの閂で自分の一撃ごと吹き飛ばした。
鉄槌の頭は、いま鍬になる順番を待って納屋に転がっている。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その夜、村の中に、いないはずの足音があった。
§ § §
最初に気づいたのはコハクだった。
寝床から飛び起きて、垂れ耳を両方立てている。跳ねた寝癖のまま、鼻がひくひく動いていた。
「ご主人様。においが、一人ぶん多いです」
「見張りじゃなくて?」
「見張りは全部知ってます。これ、知らないにおいです」
§ § §
広間の机に、写し取りの図を広げた。
村と、街道と、峠が浮かぶ。人のいる場所には赤い点が出る。
点を数えた。守備隊、元賊、村人、全部で百十三。
名簿と、ぴったり合っている。
§ § §
ダレンが隈の濃い目で、地図を上から睨んだ。
「合っているな」
「合ってるのが変なんだ。コハクの鼻は外れない」
「では、この地図に映らん奴がいるということだ」
「そんなのいるのか」
「影に潜る手合いがいる。地面の影は、地形ではないからな」
§ § §
俺は蝋燭を一本持って、広間の壁際を歩いた。
自分の影が、足元から壁へ伸びる。
伸びた先で、影の縁が一度だけ、ぶれた。
風は入っていない。
§ § §
ネロが松明を掲げたまま固まった。粉まみれの顔で、目だけが大きい。
「レインさん。今、影が動いた」
「動いたな」
「俺、こういうの一番だめだ」
「鍬は持ってろ。使わなくていいから」
§ § §
俺は炊事場に行って、棚の奥から割れた手鏡を出した。
グレタが「もう映らん」と言って捨てそこねていたやつだ。
真ん中に大きな罅が走って、顔が二つに割れて映る。
枠が浮かぶ。
[割れた手鏡]
価値 銅貨2枚
鏡面に亀裂・像が歪む
「じゃあ、書き換えるか」
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
§ § §
[割れた手鏡]
価値 銅貨2枚
↓
価値 銅貨6000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨600枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[影暴きの鏡]
価値 金貨600枚
効果 映した影に潜む者を外へ出し、その場に立たせて動けなくする
§ § §
罅が消えて、鏡が黒くなった。
黒い面を、壁の影に向ける。
鏡がひとつ鳴って、影の縁が持ち上がった。
§ § §
人の形が、床から引き出された。
背は俺より低い。全身が煙みたいに輪郭のぶれる布で、顔は目のところだけ開いている。
その目が、四つあった。
立ったまま、指一本動かない。
§ § §
「名前は」
「……ヴィム」
「魔王軍か」
「斥候だ。数を数えに来ただけだ。殺しはしない」
「数えて、どうするんだ」
「そこまでは、俺の役目じゃない」
§ § §
コハクが鏡の後ろから顔を出して、鼻を鳴らした。
「ご主人様。この人、汗をかいてます」
「動けないからな」
「痛くはしないんですか」
「しないよ。数を数えに来ただけの人だってさ」
§ § §
セシリアが夜着の上に外套を羽織って、広間に入ってきた。
金の縦ロールが片側だけ潰れている。それでも、顎は引かない。夜着から白薔薇の匂いが薄く流れてきて、慌てて外套の前を掻き合わせた。
「聞き出すことがあるでしょう」
「ありますね。誰が来るんだ」
ヴィムの四つの目が、順番に閉じた。
「……鉄のボルガが先だ。四天王の一人。次も、その次も来る」
「四人来るってこと?」
「四人だ。俺は、それしか知らん」
§ § §
俺は鏡を伏せた。
ヴィムの足が床から離れて、影が戻る。
「帰っていいよ」
「……斬らんのか」
「数えに来ただけなんだろ。数えた通り言っときなよ。百十三人いるって」
「多いな」
「昨日より三十人多いんだ。うち、けっこう鍬が上手い」
§ § §
ヴィムは、門から出て坂を下りていった。
影に潜らずに、二本の足で歩いていく。鏡を持って門に立つデンの前を、頭を下げて通った。
§ § §
ハーグが門のところで待っていた。腰を曲げたまま、新しい鍬を杖にしている。
「お領主様。あれを、帰されたので」
「帰したよ」
「四人来ると聞こえましたが」
「四人だな。順番に来るらしい」
「では、鍋を大きいのに替えておきます」
「そっちが先か」
「腹が減っては、鍬も振れませんので」
§ § §
鏡は門の柱に据えつけた。黒い面を、坂の下へ向けてある。
これで、影から入るやつはもう入れない。
夜中に一人入られて、こっちは割れた鏡一枚で済んだ。悪くないよね。




