001:中庭で踊る少女
よろしくお願いします!
厚い灰色の雲が空一面を覆い、その隙間からは白い雪がチラチラと舞い降りている。そんな屋敷の中庭では銀の長い髪を三つ編みに束ねた15歳の少女が拳を突き出した。
「はっ!」
空色の瞳には、やり抜くという強い意志がありありと見て取れる。突き出した右の拳を流れるように畳んで、次に受け。
「ふっ!」
受けから今度は手刀だ。
「はっ!」
一歩だけ足を下げて前蹴りを放つ。一つひとつの動作に無駄や迷いは全く見えない。
「しっ!」
吐きだした息が、ふわりと宙を舞い、空へと吸い込まれていく。大気との温度の差から体表からは湯気が立ち上り、身を切るような気温も今は心地よく感じるほどだ。大量の汗が皮膚の表面を滑り落ちていく。少女が小さく息を吸い、大きく吐き出して呼吸を整えた。
「ふぅ……」
帯を締め直す。
「押忍」
短い言葉と小さく下げた頭には今日も型稽古が出来たことへの短い感謝が込められていた。そんな稽古が一通り終わった頃。少女の下に一人の女性がやって来た。黒のメイド服を着ていることから使用人の一人だろう。
「エレスティーナお嬢様! 何度言ったら分かって頂けるのですか? その奇妙な踊りは止めてくださいと再三申し上げたはずですよね?」
奇妙な踊り違じゃないよ。
前世で覚えた空手の型だよ、という荒唐無稽な説明を、この世界の人にしたら説教が長引くだけなのでエレスティーナは彼女の言葉を聞き流した。
「ふぅ。おはよう。ミセス・ウルネリー」
するとウルネリーは、わざとらしく小さく溜め息を吐いて挨拶を返してくれた。
「おはようございます。エレスティーナお嬢様」
そして、その後はいつものように小言が始まるのだ。
「エレスティーナお嬢様。貴女はこの冬には成人となり伯爵家の姫として社交界デビュー。そして婚約者様とお会いするのですよ? そのためのダンスの練習ならまだいいです。ですがやっていることは奇妙な踊りばかり! 社交界で噂になったらどうするおつもりですか?」
「それ、もう聞き飽きたよ。こういう時って何ていうか知ってる? 耳にタコが出来るっていうんだよ? 今じゃ私の耳にも拳ダコ並みに硬いのが出来てそうだよ」
エレスティーナの言葉にミセス・ウルネリーが答えた。
「そんな慣用句は知りません。お嬢様は博識ですわね。まったく。そのよく分からない知識も一体何処からでてくるのやら」
そう言ってミセス・ウルネリーが今度は先程よりも大きくて深い溜め息を吐いた。この世界にある、どの海の底よりも深そうだ。
きっと彼女も、このやり取りには飽き飽きしているのだろう。もしかしら彼女の口にもタコができているかもしれない。
しかしエレスティーナはそんなもの斟酌しない。
「あぁあ。領都に帰りたいなぁ。王都は何かと窮屈だ」
するとミセス・ウルネリー。
「それは、私がいるからですか?」
エレスティーナは答えない。するとミセス・ウルネリは胸を張った。
「私はこの王都の屋敷を預かる家政婦長ですから」
家政婦長とは、小間使いと乳母と家庭教師を除く、全ての女性使用人の最高位だ。だがしかし、である。
「家政婦長に私の教育に関する事を言う権限はないじゃん」
ぼそっと返す。するとミセス・ウルネリー。
「家庭教師のカンタリー様が嘆いてらっしゃいましたよ。全然言うことをお聞きになって頂けないって。だから私も加勢することにしました」
「余計なお世話よ!」
エレスティーナは一度小さく溜め息を吐いて、ミセス・ウルネリーに向き直った。
「ねぇ、ミセス・ウルネリー? 何度も言ったけど私は結婚なんてする気はサラサラないのよ。そんなことよりもドラゴンを拳で殴り倒したいの。分かってくださらない?」
「……わかりません。それを理解する人がいるとでも?」
「ふぅ……世界は広いから理解してくれる人ぐらい居るわよ。ねえ、ミセス?」
「そもそも何故ドラゴンなのですか?」
「強そうだから」
ミセス・ウルネリの心底から理解できないという表情がちょっと面白い。
「まぁね。ドラゴンに挑む。それも拳で……なんて尋常じゃないもんね。でも武道家なら強い奴と戦ってみたいって思うのが普通じゃない? ドラゴンよ? そりゃもう、やるしかないでしょ?」
そこに小間使いがスススと舞台で黒子が役者に小道具を渡すような素早さでやって来た。そしてタオルを渡してくれる。きっと先程の型の練習で大量に汗をかいているエレスティーナに気を利かせて持ってきてくれたのだろう。
「うん。出来る小間使いだ!」
エレスティーナがタオルを受け取り体を拭く。身体は、まだポカポカと懐炉のように火照ったままだが、外気は冷たく、流れ出た汗は冷え始めている。
「ん? 体が冷える?」
そこでエレスティーナは何かを閃いたようだ。
「あのまま体を冷やして風邪をひけばよかったんだ! そうすれば社交界なんて休めたのに!」
出来る小間使い発言は撤回とばかりに、小さく舌打ちをしたかと思うと小間使いを睨んだ。
「余計なことを!」
そんなエレスティーナの口から零れ出た呪詛のような本音を聞いたウルネリーは肩を大きく落としたのだった。




