13❊帰りの馬車
パトリックが馬車に乗り込むと同時に小雨が降り出し、馬車の天井をしとしとと濡らし始める。
「はぁ……、久々に弟に会えたと言うのに……、不快感極まりないな……」
「あ、確かに嫌な雨ですね」
不快なのは雨ではないが、正直に言ったところで、この感情がお前に分かるはずもない……、と言いたかったが、それらは喉奥で粉々に砕いた。
とんだ勘違いをしている彼は三大名家のひとつガイアス侯爵家の次男、ライナー・ミロイ・ガイアスで学園時代からパトリックの側仕えをしている。
所謂、幼馴染であり、様々な出来事を共有してきたが、半年ほど前に成婚したばかりだ。そんな幸せをひっさげた男にパトリックの心の内を理解出来るはずがなかった。
こちらの心情などおかまいなしに彼は口を開くと――、
「少ししか姿を拝見出来ませんでしたが、レヴィン様は以前にもまして美しくなられましたね、セルジュ卿が注ぐ愛の賜物でしょうか」などと、ますます癇に障る話をした。
それを聞き、「……愛の賜物ねぇ……」とパトリックは溜息交じりに反復した。
問題はそこではなく、レヴィンが〝セルジュに愛されたい〟と思っているのではないかということだ。
元々、レヴィンは他人に関心や興味がない子だった。婚約が決まった日、まるで、全てが虚無であるかのように、意味のない世界だと言っていたことがあった。
『兄上、人は死ねば〝無〟が待っているだけですよね……』
『ああ、古典にもそう書いてあるな』
『では、我々は死ぬために生きているのですよね……』
誓の間を出た直後に、つらつらと人間の〝死〟に関して話をするレヴィンは、何処か冷めており、十歳やそこらで人の生きざまを口にする弟を見て、婚約が嫌でそんな話をしているのだと思った。
『母がうるさく言うから、お前は婚約しなくてはいけなかったけど、いつだって離縁出来るんだ。私に任せておけばいい』
『……僕は大丈夫です。けど、本音を言えば父上と母上そして兄上と、ずっと一緒にいたいです』
――そうだ……。
――レヴィンは私と一緒にいたいと言った。いつだって、私を見つけると、柔らかな絹の髪をなびかせて胸元へと飛び込んで来る。
今日レヴィンに抱き付かれた時の久々の感触を思い出し、パトリックは胸元にぎゅっと手を当てた。
それにしても、誤算だらけのレヴィン達の結婚生活にパトリックは少々焦る。不仲な夫婦であればあるほど良かったが、ましてやレヴィンが誰かを愛するなど考えてもいなかった。
そもそも、男でも女でも婚姻の対象になるオメガの多くは博愛者であり、誰でも愛と性の対象になるため、相手の愛を簡単に受け入れることが出来る。
けれど、あの子はどこか感情が欠けている。だからこそ、レヴィンは自分以外の人間に気を許したりしないと思っていた。
それが、自ら心を許し愛を求め始めている気がして、パトリックは落ち着かなかった。
焦りと苛立ちが入り交じる奇妙な気分を変えるために馬車の小窓から外へ目を向ければ、城下街の正門が目に留まった。
「セルジュの領地は北の方だったな……」
「ええ、ブラハーン領土は農地ですので、訪ねるのであれば一日以上はかかると思います」
「それは……、馬車を使えばの話だな」
「え……? あ、そうですね。ですが馬だけで移動したとしても半日はかかるかと……」
側近の話をぼんやりと聞きながら、森の中を突っ切って帰って来るとレヴィンが言っていたことを思い出した。
――森……。
パトリックは城へ急いで戻るように馭者へ伝えたあと、「私の成婚式にはレヴィンも近くで参列できるよう手配は可能か?」とライナーに尋ねる。
「それは可能だと思いますが、その前に戴冠式があります」
「ああ、戴冠式も近くで観覧できるよう席を設けよう」
不満げな表情を見せたライナーは肩を竦め、「いつになったら弟離れが出来るのでしょうか」と言う。
「仕方が無いさ、世界一可愛い弟なんだから」
「可愛いとは言っても、レヴィン様ももう大人です。いつまでも殿下の後を追いかけていた子供ではありません」
微笑を浮かべながら、「分かってる」と答えたパトリックだったが、こちらを見つめる彼は、一旦口を閉じたあと、「まさか……」と口走る。
「なんだ?」
「レヴィン様のことを……まだ諦めていらっしゃらないとかではありませんよね……?」
「だったらどうする」
はぁ、と大きな溜息を吐くライナーは、大きく頭を振る。
「いいですか、殿下、再三の結婚延期で婚約者のクレア様は――」
「分かっている」
「ならば、婚約破棄など出来ませんよ」
前のめりになりながら彼が必死に訴えてくる。それもそのはずでパトリックの婚約者はライナーの義妹であり、軍政府長レグメント侯爵閣下の息女だ。
パトリックが婚姻の延期を申し出たせいで、結婚適齢期は過ぎており、今年で二十二歳。もしパトリックが婚約破棄などしようものなら、レグメント閣下は反乱軍を率いて王国を潰しにくるだろう。
そんな高貴な家門の令嬢に不名誉な〝婚約破棄〟という烙印を押すことは出来ない。だから……。
「十分承知している。だが、婚姻後、不治の病にかかり、後宮に下がる可能性もあるだろう?」
「……ッ! 殿下、それは、あまりにも可哀想です!」
くっと笑いを堪えたパトリックは、「あくまでクレアが聞き分けのない返事をした場合だ」と説明をした。
「ですが……」
「大丈夫だ。そんなことにはならない、従順なクレアが私の命令を無視するわけがないだろう」
正妃の座をそのままに後宮に下がるだけ、彼女にとっては問題もない。体裁は守られるわけだし、子孫は残せないが継承権争いの火種となるよりはマシだろう。
貴族の娘にとって何が一番大切かは本人が一番分かっているはずだ。
そう、何の問題もないし、起きない――、とそこまで考えてからパトリックは、「どちらにしても私はレヴィンの幸せを考えている」と側近に告げ、これ以上の会話を切るかのように小窓へ目を向けた――――。




