「鍵穴」
どれ程時間が過ぎたのだろうか。
─ 無音だ。─
誰の下でも例外なく過ぎる「時間」の波は、最早僕は感じる事ができない。
そうだな…例えるなら「宇宙」といったところ…なのかな? 行った事など当然ないが、おおよそイメージとして、きっと宇宙もこんな感じなんだろう。
おそらくここは…。いや、それを話す前に、こうなった経緯を話さねばならないか。
一「鍵穴」
─ 1998年8月 朝 新宿 ─
真夏の太陽に輻射熱。そして朦朧とする頭。車の排気ガスを朝食代わりに目覚める。
「あぁ…僕、夕べは酔い潰れて…」
4月に入社した会社の仕事もだいぶ慣れてきた頃だ。金曜の夜ともなれば、酔い潰れるまで飲むのが常。薄情な同僚の姿はどこにもない。おおかたアイツ等もその辺でくたばってるんだろ。何、よくある風景だ。何一つ、疑問になるところもない。そして、僕がアイツ等を探す事もない。これも常だ。
吐き気と頭痛に悩まされながらも僅か2ブロック先にある公園までダラダラと歩く。朝の公園に人影はない。目指す公衆トイレ。このトイレがまた不愉快極まりない。臭い。水垢のこびり付いた鏡。自分の顔を見て、零れる溜息、疲れた顔。
「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ…」誰に気兼ねする事もなく、僕は豪快に顔を洗う、洗う、無駄に激しく洗う。
「どうせ僕が掃除するわけじゃないしね。」
こういう時に限って、必要以上に汚すタイプだ。自分が掃除するなら、こうはならない。
「僕は最悪だな…」
水の付いた顔をシャツで拭く。そしてもう一度鏡を覗く。大体いつもの僕だ。そうして、家に帰る、というのが毎週の基本スタイルだ。
しかし今日のこのトイレ、何かいつもと違う気がする。何が違うわけでもないのに、感じる違和感。錯覚か?いや、違う。まるで合わないパズルのピースを探すような、焦燥感。間違いない。僕は今、この違和感の元凶を探している。しかし反して、何とも言えない嫌な予感もある。嫌な…というより、危険な予感だ。本能なのか、第六感的なものなのか。はたまたこれが虫の知らせなのか。とにかく、体が危険を予知している。だがしかし、止まらぬ好奇心。僕は大きな矛盾と葛藤の渦中で、「その違和感」を探していた。そして、気付く。
─ 個室トイレの奥側の壁に、もうひとつドアがある… ─
普通に考えて、あまり見るトイレではないことは一目瞭然だ。
「両側から入れる作りなのか?」
いやいや待て待て。トイレは洋式で、しかも背側だ。タンクの奥だ。どう考えても、あっち側から入って用を足すのは至難の業だし、何のアトラクションだって話だ。そもそも設計ミスかもしれない。僕は外から見てみる事にした。
公衆トイレをぐるっとまわり、ドアがあるであろう場所の壁まで行く。しかし、外側にドアはない。何の変哲もない、普通の壁だ。
壁を触ったり、ノックしたりしてみる。しかし、紛れもなく、そこにドアはない。
もう一度中に入り、そのドアの前に立つ。
というか、便器の前に立つ。変だ。凄く変だ。
このドアも大概変だが、そのドアを凝視する僕も変だ。
恐る恐る、ドアノブに手をかける。右に左にドアノブを回し、押したり引いたりしてみるが、一向にドアは開かない。そりゃそうだ。向こう側は完全に壁。ドアのドの字も見当たらない程の、否定しようがない壁だ。開く訳がない。仮に開くとしても、それは「引き」だ。しかし、引いてドアを開けたとしても、このタンクに引っかかる。精々通れるのは猫程度か。人間なんて通れないだろう。
そして、ドアノブの下に鍵穴があることに気付く。
「鍵穴…」
その穴を指でなぞる。瞬間に右の人差し指の先から全身を駆け巡る激痛。滴り落ちる血。驚き、バクバクと鳴る心臓。間違いなく、一瞬何かが体を駆け巡った。
この鍵穴…中に太い針のような物でも仕込んであったのか、「それ」が飛び出し、僕の指を突き刺したんだろう。そう考えるのが妥当か。とにかく最悪だ。誰がこんな罠みたいな物を仕込んだのか。
僕は込み上げる怒りより何より、傷が心配だった。手洗い場へ行き、ちょろちょろと水を流し、傷を洗う。
「あれ…?」
さっきまで血が流れていたはずの指先に傷がない。
「なん…だ?」
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」なんて言葉があるけど、多分こんな顔だろう。でも、実際の鳩は豆鉄砲食らったって顔は変わらないだろ。オッケー。こんな事考えれるなら大丈夫だ。意外と大丈夫だ。深く呼吸をした。
「朝から最悪だ…もう帰ろう。」
しかし、もう一度だけ、ドアを確認して帰ろう。そして、三度、個室に入る。
ドアに手をかけたその時、異変が起きた。
「おい嘘だろ…小指が…」
手はしっかりドアノブを握っている。その手に異変はない。普通にドアノブを回そうとしている「手」だ。問題なのは小指だ。
小指が人差し指の倍近く伸びてる。そしてこの形は…
「まじかよ」
紛れもなく「この小指」は、明らかに「鍵のような形状」をしていた。
2012年頃に作っていたオリジナル曲の歌詞の世界観を広げたものです。




