19. 追憶(上)
「うわぁ……」
私は鏡を見て思わず声が出てしまった。なんて疲れ切った顔。隈がくっきりと現れている。これはひどい。
(だって眠れなかったんだよ……!)
昨日のことを考えないようにすればするほど意識してしまって睡魔は遠のいていった。けっこう疲れていたはずなのにね。やっとうとうとしだしたなぁと思ったら起きなければいけない時間で、ほとんど眠れていない。
クリスは何であんなことしたのだろう。次の収録でどんな顔して会えばいいのだか。
(アイドルだからチャラくなってしまったとか?ファンサービス的なかんじだったりして。いや、私が高校生だから過剰反応してしまっているだけかもしれない。クリスは大人だし)
考えれば考えるほどわからなくなる。もしかして、クリスは私のことが好……。
(いやいやいやいや。うぬぼれ過ぎだ私。前世でも現世でも言いたい放題だったじゃないか。しかも私上司だったはずなのに。そして今や天下のアイドル様だ。こんなたいした取り柄もないいち高校生が好きとかありえない。だとすればやっぱり…………嫌がらせ、とか)
………………………………ありえるな。
「鏡の前で何七面相しているの。起きているのならさっさと支度しなさい、遅刻するわよ」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
鏡の前でも考えていた私は、びっくりして叫んでしまった。
「やぁね。そんな大声だして。朝ごはんはできているのだから、早く支度して降りてらっしゃい」
「う、うん」
言いたいことだけ言って出てしまった後ろ姿を眺めて、ふと時計に目をとめたら、けっこう時間が経っていることに気づいた。
(はやく準備しなきゃ遅刻してしまうかも)
また遅刻して説教されたらたまらない。私は慌てて支度を始めた。
「おはよー」
「おはよう。早く食べてしまいなさい」
「うん、みーちゃん」
みーちゃんにうながされて私は席に座った。みーちゃんはいつもは下している美しい金髪を後ろでまとめていた。家の中だというのに、その姿にはどこにも隙はなくきれいだ。
「昨日は何を騒いでいたの。夜遅くだったんだからご近所さんの迷惑になるでしょう」
「ごめん。ちょっと色々あって」
「色々、ねぇ」
みーちゃんは朝ごはんは食べないので、私が朝ごはんを食べるときはいつも紅茶を飲んでいた。優雅な動作で紅茶を飲む様は洗練された淑女のようだった。
「男の子に迫られたとか?」
「うぐぶふっ」
「あら本当に?」
「ふっ…………いや、違うから!」
突然の爆弾発言に私はパンを喉に詰まらせてしまった。慌てて否定の言葉をつげても、態度にだしてしまったのでもうごまかせない。
「ねぇ、どんな男の子? サラもやるわねぇ」
「わわわわわたしっもう遅刻しちゃうから!!」
「早食いは体によくないわよ。ゆっくり食べなさい」
「さっきと言ってることが全然違う!!」
うふふ、と笑うみーちゃんは美人のお姉様、という言葉がしっくりとくる。あーあ。私本当にこの人と血がつながっているのかな。私の遺伝子仕事しろ。
みーちゃんことミーシャは、私の母の年の離れた妹である。私の父が仕事で隣国へ行くことになったとき、父についていくと言った母に私はこの国に残ると宣言をした。友達と離れたくなかったし、何よりも声優のお仕事もあったし。だが私は未成年。一人置いておくには不安が残る。そこでちょうど転職して家の近くの職場で働こうとしていたミーシャに保護者よろしく一緒に住んでもらうことにしたのだ。
「学校の子?お仕事の人?一度連れてきてよ。どんな男の子か見てみたいわ」
「あー、それは」
(超絶人気アイドル『スターライト』のクリスさんなんです……)
だがそんなこと、口が裂けても言えない。みーちゃんの言う通り彼を連れてきたら、びっくりするだろうなあはははははは。ちょっと遠い目になりながらもなんとか彼女の質問をしどろもどろにかわし、学校へと急いだ。
収録もあと3日と迫ったある日。プロデューサーのところへいくと、別の人物がプロデューサの椅子に座っていた。
「やぁ、サラちゃん。元気?」
「エリクさん!こんにちは」
エリクさんは、かつて私をモデルへとスカウトした人物でプロデューサー曰く「足フェチ」で旧知の仲らしい。別プロダクションのこの人はどうしてここにいるのだろう。
「ローラントは今別の部屋でお話ししてるよー。それにしてもこの椅子座り心地いいね!サラちゃんも座ってみない?」
「……遠慮しておきます」
楽しそうにくるくる回るエリクさんに私は目線をそらした。そんなことしたら私はプロデューサーに殺傷能力の高いデコピンをされてしまう。エリクさんも、プロデューサーに見つかる前に別の場所に座ったほうがいいと思う。私と同じ、いやそれ以上にプロデューサーはエリクさんに容赦ないから。
「ねぇサラちゃん。ローラントにひどいことされてない?」
「へ?」
エリクさんは椅子を下りてこちらへやってきた。ひどいことってどんなことだろう。……心当たりが多すぎる。
「もし嫌になったら僕のプロダクションに来てもいいんだよ?サラちゃんだったら大歓迎だよ!」
「はぁ……」
「今でもサラちゃんは声優として人気だけど、もっともっと人気者になれるのに!僕はローラントと違って暴言吐かないし鉄拳制裁なんかしないし怖い笑顔にならないよ?」
あ、それはちょっと魅力的だなぁ。がしっと肩を掴まれる。あ。
「好きなアイドルとかいない?スターライトも僕のプロダクションにいるよ!興味ないかな?今ならクリスくん以外だけじゃなくて全員に会えるよ!!大丈夫、ちょっこっとの書類にサインだけすればいいから……」
「お前は何をやっているんだ?」
エリクさんの背後には、恐ろしいほどの笑顔をたたえたプロデューサーがいた。
「やぁローラント。サラちゃんと労働環境について少し話していたんだ」
「へぇ、労働環境ねぇ……なぁサラ、俺の扱いが不当だと思ってんのか?」
「めっそうもありません!!」
は?なんで私に振るの?私何も言ってない!超濡れ衣だし!
「ほら、サラはうちの事務所で超絶満足していてよろこんでこの先もローラントプロデューサーについて行きますって言ってる。余計なことを吹き込むな」
『めっそうもありません』にそんな意味が込められているなんて初めて知った。
「サラちゃんそれストックホルム症候群」
「俺は犯罪者じゃねぇ」
「顔だけ見たらあくどい顔してるけどね」
「お前後で覚えてろよ」
いつもならもっと応酬するはずなのにプロデューサーが控えめであったのは、その後ろに可笑しそうに口元をおさえているあの方がいたからだった。




