砂糖 25g
「ちょっと待っ……」
雨が止んだのを外に出て確認すると、すぐに出て行こうとしたシロさん。
せっかくだから残りのプリンも持ち帰ってもらおうと引き留めたのだが、言葉の途中でこの世界には保冷剤みたいなものがなかったのを思い出した。
私にとって初めての大切なお客さん。夜だし真夏でもないとはいえ、私の食べ物でシロさんに苦労をかけることは避けたかった。
なんでもないです、そうはぐらかすつもりでシロさんの顔を見ると、まるで何かを察したように、私の新たな提案を待ってくれているようだった。
それはまるで、子どものわがままを聞く親のようで、なんだか心がむず痒くなる。確かに今日の私は嘘みたいに大胆だけど、私だってこんな自分がいたことに初めて気がついたくらいなのに。
「まだプリンが残ってて、家族は今日は帰ってこないし、もしシロさんが他に食べさせたい人がいれば持ち帰ってもらおうと思ったんです。
だけど、冷やすものがないから無理だなって思い直したところです」
「なら、なんの問題もない」
今回は私がシロさんに押し負けて、結局思っていたことを全部話す羽目になった。
すると私の言葉を聞くや否や、挑戦的な視線をこちらに向ける。
シロさんが空中にかざした手を不思議な思いで見つめていると、何もない空間がきらりと輝いた気がした。
何かの錯覚かと思って強く瞬きをした瞬間、その光は小さな雪の結晶に変わっていった。
「すごい!!シロさんは雪の魔法が使えるんですか!!」
思わず目を見開いて、子どものようにはしゃいでしまう。
あまりに美しくて手を伸ばしかけるも、これ以上醜態を晒すわけにはいかない。わずかに残っていた理性がブレーキをかける。
シロさんはそんな私を馬鹿にするわけでもなく、ただ口元を緩めると、返事の代わりとばかりに手のひらをくるりと回転させる。その動きに連動するように氷の結晶が踊るように舞った。
「オズウェル」
「……え?」
「オズウェル・フィル・クライシス。
俺の名だ。いい加減、その変な名で呼ぶのはよしてくれ」
小さな結晶が六角形の大きな結晶に変わっていく。そのまましまい損ねていた私の手のひらに、そっと降って来た。
いや、違う。シロさんが、オズウェルさんが意思を持って降らせた、というのが正しいのだろう。
ぴくりと反射的に指が動いた。一瞬痛みに似た冷たさが手のひらに広がる。もっと感じていたかったのに、私自身の熱で一瞬で溶けてしまった。
前世ではずっと雪は部屋の中からしか眺めるものだった。寒い中外に出ること自体も難しかったし、触れるだなんて以ての外。
その上、生まれ変わったこの地域でも雪は降ったことがなかったから、こんなふうに雪に触れられたのは、正真正銘生まれて初めてだった。
雪は儚くて、美しいって言っていうのは本当だったんだ。もう手のひらには何もないのに、この感覚を手放したくなくて、ぎゅっと握り込んだ。
そんな幸せを噛み締めながら、思わずお礼を言いたくなってオズウェルさんを見上げると、何かに驚いたような瞳とかち合った。むしろ動転しているようにも思えた。
何かまずいことをしたのなら謝らないと。そう思って急いで口を開きかけるも、気まずそうに目を逸らされてしまう。
「……馬をこちらまで連れて来ておく」
「……はい、じゃあ持ち帰れるように準備して来ますね」
そう言って先ほど出会った牛舎の方へ歩いていく彼の背中を見送ってから急いで家に戻った。
そりゃ、彼の心うちが気になりもしたが、わざわざ相手が避けたことを掘り返すほど無神経ではないつもりだった。
気持ちを切り替えるように急いで家へ戻り、冷蔵庫の中から残りのプリンを取り出す。
何かいい持ち帰り用の入れ物がないかと周りを見回したところで、あるものが目に入った。家族の前で披露しようと思っていたカラメルの代用品
──蜂蜜だ。
オズウェルさんをわざわざ待たせるのは忍びないが、この牧場は案外広いし、こちらに戻ってくるまでの時間がどれくらいかは私が一番よくわかっていた。
それにもし、オズウェルさんのご家族が食べるとしたらちゃんとした完成品を食べてもらいたい。ちゃちゃっと作ってしまおう。
そう心で決めて仕舞えば早かった。深めの小さな片手鍋を用意すると、その中に蜂蜜と水を適量流し込んで、軽く混ぜる。
蜂蜜は砂糖より焦げやすいため、時々鍋を揺らしながら慎重に火を入れていると、少しずつ泡が立ってきた。
そろそろくる。そう思った瞬間、蜂蜜がキラキラと光出した。私はそれを見て急いで火を止める。
そう、普通なら茶色くこげていく加減で苦さを調節していくのだが、この世界の蜂蜜は火にかけてもなぜか透明なまま、弾けるような光を放ち始めるのだ。それこそ、オズウェルさんの魔法みたいに。
この世界では蜂蜜は砂糖の代わりにコーヒーや紅茶に入れるものだから、わたしも初めてカラメルを作ろうとしたときは驚いた。
今では多少見慣れたが、そう言われればここは異世界だったと思い出させられる要素の一つだ。
ある意味これを見つけ出した私も魔法使いだと名乗っていいのかもしれない。冗談だけれど。
さて、これで準備は整った。最後にお湯を少し加えて混ぜたら、星を散らしたような透明なカラメルの出来上がりだ。
慎重にプリンの上に乗せてから、両親が牛乳瓶を出荷する際の化粧箱を一つ拝借。
適当で申し訳ないが誰かから贈り物をもらった際に置きっぱなしだった紙袋に入れて、オズウェルさんが戻ってくるのを外で待つことにした。
道に迷ってないだろうか。それとも、さっきのはお世辞で本当はそのまま帰ってしまったのだろうか。
ふとまだ手元に残った紙袋が家族には披露できなかったことを思い出させて目、余計な考えが浮かんでは消えていく。
だけど少し遠くから馬の蹄が地面を蹴る音が聞こえてきて反射的に顔を上げた。オズウェルさんだ。よかった。思わず小さくため息をついた。
「今日は付き合ってくれてありがとうございました。
プリン以外のものも、そのままもらっていただいて構いませんので、気にしないでくださいね」
随分と目線が上になったオズウェルさんに少し背伸びしながら紙袋を手渡した。
「いや、必ず返しに来る」
「プリンの瓶も、箱も、全部乳製品の出荷に使う時のものです。だから本当に大丈夫です」
「……君は頑固だな」
今回は私が勝てたらしい。出会ったばかりの頃とは違う、スムーズに行われる会話のキャッチボールが心地よかった。
「まぁいい。有意義な時間だった。また会おう」
「はい。本当に、ありがとうございました」
最後にしっかりと視線を合わせてくれてから、今度こそ本当に去っていったオズウェルさん。
その姿を目に焼き付けるように、彼の背中が見えなくなるまでずっと見つめ続けていた。
再会の言葉を残していってはくれたけれど、言葉の節々から感じた威厳の高さ。きっといいところの魔族の人なんだろう。
一方私といえばほぼニートの田舎娘。もうこんな奇跡のような邂逅は望めないことはわかっているつもりだった。
けれどきっと、彼にもらった大切なものを私は忘れない。そして本当にいつか自分の店をもてて、彼がお客さんとして来てくれたら。
そんな夢を抱えて生きていけることは、随分の幸せだと思えた。
***
分厚い雲で覆われていた空が嘘のように澄み渡り、大きな月が顔を出していた。
(随分と予定が狂ってしまった)
ずれ込んでしまった今日の予定をどうするか頭で組み立て直しながら、オズウェルは雨でぬかるんだ道を愛馬で走りぬける。
すると前から同じようにこちらに向かってくる一頭の馬と一人の黒い影が目に入った。
こんな夜更けに、こんな辺鄙な場所にわざわざ向かってくる人物。オズウェルが思いつくのは一人しかいなかった。
オズウェルはゆっくり手綱を引くと、走るのをやめる。すると向こうもオズウェルの姿に気がついたのか、ゆっくりと立ち止まった。
「オズウェル様、何か問題でもございましたか」
馬から降りようとしたところをオズウェルは身振りで制止する。それを確認すると、深くフードを被った男は馬に乗ったまま、手を胸に添え、恭しく頭を垂れた。
「いや、視察は問題なく済んだ。ただ急な雷雨に遭い、雨宿りしていただけだ」
男はそれを聞いて少し息を吐いた。だがすぐにオズウェルの様子がいつもと違うことに気がつく。
「……そちらにお持ちのものは」
「プディングだ。雨宿り先の主人からもらった」
ごく一部の場所で以外ほとんど聞いたことがない食べ物の名前。先ほど抱いた違和感が大きくなっていく。
その上このオズウェルという男が他人の、ましてや人間の好意を受け取るなんて想像もできなかった。
男は一体彼が何を考えているのか読めずにいると、オズウェルは突然その箱ごと男に差し出した。男は咄嗟に手を出すも、その手ごと凍り始める。
あまりに強い魔力に手が焼けるように痛いが、落とすわけにもいかず、強く握り直した。
「魔素検査をしておけ」
「……はい?」
ふと魔力が解かれたのを感じた。共鳴していくように男の手のひらの氷も溶けていく。
だが、人間が寄越した食べ物に対して魔素検査とは一体なんだ。あまりに突拍子もない言葉に、男はずっと我慢していた声が漏れてしまう。
「自分でも何を言っているのかわからない。だが、本当にごく微量だが、魔力を感じたんだ。
食べ物そのもの、またはその材料か、それとも器、なんでもいい。
とにかく徹底的に調べて結果を見せろ」
秘密裏にな。
そうつけたしたオズウェルは好奇心を抑えきれないようだった。まるで新しいおもちゃを見つけた子どものようだ。
いや、違う。本当はそんな生やさしいものじゃない。これはきっと──
「……承知しました」
それでもそれは口に出すことではない。淡々と返事をした男に一瞥をくれると、再び馬で走り出したオズウェル。
男は手綱を強く引き方向転換をすると、ぴったりとオズウェルのそばについて並走していった。
満点の星空だけが、彼らを照らし続けている。
***
あれから、オズウェルさんと過ごした夜から、一ヶ月ほどが過ぎた。
相変わらず私はベッドと友達の日が多いけれど、変わったことが一つあった。それは私も商売を始めたこと。
両親が街に出荷に行く日に、私のスイーツを持っていってもらう、所謂移動販売を始めてもらったのだ。
スイーツが一般的じゃないこの世界じゃ、当然ほとんど売れ残ってしまうけれど、一度興味を持って手に取ってくれた人たちには、リピートしてもらえることも増えて来た。
全部自分の力でなんとかするのが自立であり、家族のためになるのだと思って生きていた。
だが、頼れるところは頼って、結果的に家族の支えになれれば、幸せだなと思う。
それもこれも、オズウェルさんにもらった言葉のおかげだ。
こうやって少しづつ資金を貯めて、我が家から少し離れた、マリーの学校がある市街地に店を借りられたらいいなと、具体的な目標までできてしまった。
夢だった自由気ままな普通の異世界ライフが少しずつ近づいて来ている気がして、なんだか嬉しい。
そのためには今日も今日とて、前世の記憶をフル活用してスイーツの試作品作りだ。そんな時だった。
誰かが我が家の戸を叩く。両親はまだ牧場で作業中のはずだし、マリーはテスト期間じゃないから帰ってくる時間でもない。
妙な違和感を感じて、少し警戒しながら扉をそっと開けると、目に飛び込んできたのは絵本の中でしか見たことのないような豪華絢爛な馬車だった。
見たこともない世界観にフリーズしていると、扉の隙間から立派なツノと赤い瞳を持った人物が生えてきた。
「突然失礼致します。少しお時間よろしいでしょうか」
人生2度目ましての魔族。オズウェルさんを基準にしてしまっていたが、この人は本当に真っ黒な髪と羽根を持っているのだな。
そう呑気に観察していると、有無を言わさない声色に、怖くなって扉を閉じようと手を引いた。
……当然、敵うわけもなかったが。
「……ふっ」
誰かが鼻で笑う声がして目の前にいる人に視線を向けるも、そっと逸らさせらた上に、ごまかすように咳払いまでされてしまった。
馬鹿にされたのがわかって睨みつけてしまいそうになるが、なんとか堪える。
「本日は、我が魔族の第一皇子があなた様に直々にお会いしたいとのことで、訪ねさせていただきました」
全開に開かれた扉を前になす術なく突っ立っていると、焦らすようにゆっくりと開かれた馬車の扉。
中から現れたのは、見惚れるほど美しい白銀の髪と、ルビーを閉じ込めたような瞳をもった皇子様だった。
彼は優雅に、それでいて尚、威厳を携えながら私の目の前に降り立った。
「モニカ・ティレット。俺と、一緒に来い」
ニヤリと挑発げに微笑んだこの人を、私は忘れるはずもない。あの日、あの夜、私に宝物をくれたオズウェルさんそのものだった。
「…………はぁ?」
この感嘆詞を使うのが、今度は私の番になるなんて。
オーブンが出来上がりの合図を鳴らす。
私たちの人生はまだ、始まったばかりだ。




